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悪名市場   (1963・大映京都)
■ジャンル: ヤクザ
■収録時間: 84分

■スタッフ
監督 : 森一生
原作 : 今東光
脚本 : 依田義賢
撮影 : 今井ひろし
音楽 : 斎藤一郎

■キャスト
勝新太郎(八尾の朝吉)
田宮二郎(清次)
瑳峨三智子(咲枝)
芦屋雁之助(一郎)
芦屋小雁(二郎)
藤原礼子(お照)
茶川一郎(おぎん)
悪名市場悪名市場
この第六作目こそ『悪名』シリーズ最後の傑作。特に瑳峨三智子がイイ。この人に関して言えば、睡眠薬でも飲みすぎてるのかというぐらいの妙にとろ〜い話口調のじれったさが、始めは気になるのだが、やがてその男をとろけさせる眼差しと物腰に抗し難い魅力を感じてしまうはず。まさに堕ちていく寸前のいい女の禁断の魅力が全てを支配してる作品。オレもこんな三智子となら地獄に堕ちてもいいぜ!そんな風に平成の男さえも戸惑わせる瑳峨三智子という女は間違いなく「イイ女」だった。

■あらすじ


お照(藤原礼子)と共に、清次(田宮二郎)から送られてきた手紙の住所を訪れる朝吉(勝新太郎)。その住所には刑務所があった。呆れる二人は清次が刑務所に入るきっかけを聞き、その原因となった四国にいるペテン師の鼻をあかそうと渡航する。しかし、なんとその港町には朝吉と清次を名乗る偽悪名コンビがいた。パチンコ屋の美人経営者咲枝(瑳峨三智子)を巻き込み話は益々ややこしくなっていく。『悪名』シリーズ第六作目。


■朝吉の許し≠フ精神


悪名市場
偽悪名コンビ登場!更に瑳峨三智子登場!そして、最後のオチに藤田まことまで登場!もうこの三段構えが揃えば文句はないはず。『悪名』シリーズ最後の輝きとも言えるこの魅力。それにしてもスター街道まっしぐらの勝新の顎の下の肉づきの良さに、思わず一言言いたくなる。僅か2年でこれだけ太っちゃ駄目だろう。もうちょっとこの頃痩せてくれていたら・・・。

しかし、あの河内音頭を勝新が歌うシーンの格好良さ。身震いするほどの男前さ。自分の名を語っていたヤツラを助けるその姿に、
オレは弱くなった悪党を袋叩きにする現在のヤツラの見苦しさを実感した。どんなに正しかろうとも弱くなった悪を袋叩きにした時点でそいつらもまた悪に成り下がっていくんだという論理。

今の世の中が何とも陰湿に思えるのは、この正義漢ぶるヤツラの陰湿さと粘着性に由来するんじゃないかなとオレは感じた。本当の人間としての正しさとは朝吉のような許しの心を持つことなんだと・・・
頭を垂れてる人間に、止めをさすような人間には絶対なりたくない。オレはそんな事をこの作品の朝吉の姿から学んだ。


■芦屋雁之助と小雁がいたからこそ・・・


悪名市場 悪名市場 悪名市場
オープニングで一つ興味深いのが、朝吉とお照が冒頭訪れる刑務所の外堀の雰囲気である。この場所の雰囲気が、地元にある奈良少年刑務所になんとなく似ている。それはともかくとしてこの作品の絶妙なるスパイスとして存在する芦屋雁之助(1931−2004)と小雁(1933− )の偽悪名コンビ。こいつらもまた絶妙の芸達者振りを見せている。

特に偽物であることがばれた雁之助が、浪花節と裸踊りを披露するシーンは、今時の芸人にはない芸の確かさと厚味を感じさせてくれる。


■もしかしたら邦画で初めて人間味あるオカマが登場した瞬間かもしれない


悪名市場 悪名市場
「れっきとした女よ!」

本作においてオカマのおぎんは僅かな出演だが、ただの色物ではない存在感溢れる芝居を見せてくれる。特に桟橋で朝吉の言葉に耳を傾ける時のおぎんの表情の素晴らしい事。
この作品の魅力の一つは、茶川一郎という役者が、当時は、笑いものとしてしか描かれていなかったオカマに(初めて)人間味を与えたところだろう。

「親分は朝吉いちにん。誰がなんと言おうと人がどんな真似しようと好きなようにのびのびと生きてほしいわよ」


1963年のこの作品において、初めてオカマの存在に人間的な魅力が灯された瞬間かもしれない。そういった意味においては、この作品は、意図的であるか否かに問わずかなり歴史的な意味合いを持った作品として評価されるかもしれない。

ちなみにバー「ヴィーナス」のカウンターでバヤリース・オレンジを朝吉に振舞うのが、毛利郁子(現在の幸福を祈る)である。ちなみにバーテン役を演じるのは、後に『大魔神』『ドラゴン怒りの鉄拳』に出演する橋本力である。


■ああ・・・瑳峨三智子様となら堕ちてもいい・・・


瑳峨三智子 悪名市場
瑳峨三智子(1935−1992)・・・。オレが2年間愛した女の人生と重なるこの女の魅力。儚げで、虚ろげで、寂しがり屋で、騙し騙され、心も身体も、薬やアルコールに蝕まれた悲しい女。映画界において、勝新太郎が男優で遅刻の常習者として有名だったなら、女優として遅刻の常習者として有名だったのがこの人。しかし、そんな女だからこそ持ちうる魅力が彼女にはある。

この髪の色はお世辞にも良いセンスとは言えないが、尖った顎にふっくらしたほっぺ、そして、肉厚な唇。(整形した箇所かどうかは分からないが)異様に形の良い鼻。そして、
芸術品としか言いようのない熱っぽい雰囲気を演出する目の造形美。オレが20前のガキの頃この作品を観たときには、ケバイ女やなという印象だったが、大人になればなるほど理解できる。瑳峨三智子という女優の希少価値が・・・。

悪名市場 瑳峨三智子 悪名市場
「ぎょうさんゼニ儲けられるようにしたってんかいな?」咲枝

「おのれ!あんなとこにいおったらなケツの毛まで抜かれてもうてゼニ儲けどころやなかったんやど!」朝吉

一晩一つ屋根の下で過ごす朝吉と咲枝のシーンの素晴らしさ。朝吉にほっぺを叩かれ、ムッとするが、その後に湧きあがる情愛の念。自分というものを本気で叱ってくれる男に対する気持ちの高まり。最近の日本人が去勢されている表現形態。男性が女性に手を上げる事は、全てにおいていけない事ではない。立派な愛情表現の一つであることを証明したシーンがこのシーンである。

オレはほっぺを叩かれた後の瑳峨三智子の表情の変化に女の可愛さを感じた。そして、このシーンの女の気持ちが理解できない女をオレは女とは思わない。更に
「ハイハイ寝ます」と言った後に朝吉の方を観て目をパチクリするその表情の魅力。もう直視できない女の色気とはこういう女の色気の事を言うのだろう。

グラビアアイドルがTバックの水着で肌を晒して、センズリの材料になってやがて消えていく類いの色気とは、遥かにかけ離れた次元に存在する色気。昔の市川雷蔵と共演していた頃の瑳峨三智子も良いが、堕ちていく時期の瑳峨三智子の方が、オレにとっては遥かに女性としての魅力に溢れている。


■意外にかち合わない朝吉と清次


悪名市場 悪名市場
わいも一丁やった〜るで〜♪ディス・イズ・トラブルまかしとけェ〜♪

「無理すなや!嫌い憎いは好きのうちちゅうてな」


本作において清次役の田宮二郎の出番が少なく、冒頭から35分間の空白期間が出来る。しかし、この空白期間が逆に言うとカタルシスを生み出す見事な間の役割を果たしており、清次が再登場してから物語は加速度的に面白くなってくる。

そして、本作の最大の見せ場は先程も言及した田宮の和太鼓の伴奏による勝新の河内音頭だろう。とにかく格好いい勝新のバックで小賢しくドラマーのように和太鼓のバチをくるくる回転させる田宮の可笑しさ。ココが本作の実質的なラストシーンだろう。その後のダイナマイトを使った大乱闘なぞは、その大味っぷりもあって、完全に添え物程度でしかなかった。


■藤田まことのおいしい役柄


悪名市場 悪名市場
そして、悪名シリーズを支えた三人が、瀬戸内海のフェリーに揺られるラストに唐突に登場する藤田まこと(1933− )。もうこれ以上おいしい役柄はないだろう。清次がフェリーで再登場した時とまったく同じ歌を口ずさみながら、去っていくこのオチ。もう文句のつけようのないシリーズ屈指のオチだ。

それにしても藤原礼子(1932−2002)という女優をもっとピックアップしてもいいんじゃないかという程シリーズを追うごとにどんどんいい味を出している。はっきり言うとこの人が出なくなってから悪名シリーズは終焉したも同然になった。ちなみにこの年彼女は、勝新の兄・若山富三郎と結婚するのである。


■悪名シリーズ最後の輝き


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実質的に本作で悪名シリーズは終わっていた方がよかったかもしれない。という程の内容の充実と限界点に達していた。田宮二郎も犬シリーズや黒シリーズに出演するようになり、作品を追うごとに軽妙なチンピラ感覚を無理して出している風になってきた。

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60年代は勝新の最盛期であり、悪名、座頭市、兵隊やくざという大ヒットシリーズを掛け持っていた。しかし、中村錦之助や三船敏郎と違い全盛期にこの三シリーズに多大なエネルギーを費やしたことがもったいない結果を生み出したのも事実である。

この時期に数作しか代表作を生み出せなかった事が、後年70年代に『影武者』でクロサワと喧嘩別れする結果を導いている。勝新はポリシーがどうであれ『影武者』を演じ通すべきだった。しかし、それが出来なかった理由は、
明確に、勝新が本格的な監督の作品に出演した経験がないことから生まれたこういった言い方はファンとしてはしたくないのだが、お山の大将的発想故だった。

世に才能のある俳優は多いが、そんな俳優が謙虚さを失った時点で、凡作を連発するようになる理由は、明確にココにある。三船・錦之助・裕次郎・鶴田・・・俳優が監督よりも吠える様になった事が、邦画の凋落の発端だった。

− 2008年1月26日 −


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