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アラモ   THE ALAMO(1960・アメリカ)
■ジャンル: 西部劇
■収録時間: 162分

■スタッフ
監督・製作 : ジョン・ウェイン
脚本 : ジェームズ・エドワード・グラント
撮影 : ウィリアム・H・クローシア
音楽 : ディミトリ・ティオムキン

■キャスト
ジョン・ウェイン(デイビー・クロケット)
リチャード・ウィドマーク(ジム・ボウイ)
ローレンス・ハーヴェイ(ウィリアム・バレット・トラビス)
フランキー・アヴァロン(スミッティ)
リチャード・ブーン(サム・ヒューストン)
アラモ
「アラモを忘れるな!」当時のアメリカ合衆国の領土拡張主義について批判することは簡単である。しかし、歴史を現在の価値観で判断することは愚の骨頂である。今見ても壮絶な最後のアラモ砦の戦いを見て、虫けらのように殺されていく主人公達にリアリズムを感じる。四方八方から攻め込まれ一瞬にして崩壊するテキサス独立軍。この一瞬の敗北の描写がここまで見事な作品はなかなかないだろう。

■あらすじ


当時メキシコの領土だったテキサスの独立を願って崩壊寸前のアラモの砦に立て篭もって7000人のメキシコ軍と戦った男達がいた。デイビー・クロケットをはじめとする185人の独立義勇軍である。果たして彼らは13日間の戦いを生き残れるのか?


■ジョン・ウェインの執念


アラモ
14年間この作品の製作を熱望し、当時アメリカ映画史上最高額の制作費1200万ドルの私財を投入して完成させた作品が『アラモ』である。アラモの砦とサン・アントニオのセットを建造するのに150万ドル投入したという。アメリカのシンボル、西部劇の大スター・ジョン・ウェインがそれだけの気持ちで作り上げた作品というだけに、この作品は掘り下げていく価値がある。

アラモの戦いとは、実際の歴史上の出来事であり、日本の歴史に当てはめて考えてみると、『忠臣蔵』というよりも土方歳三の函館『五稜郭』の戦いに似た部分が多いだろう。1836年2月23日から3月6日の13日間にメキシコ軍とテキサス独立軍の間で行われた戦いである。


■サミー・デイヴィスJr.は黒人奴隷役を引き受けたのか?


正直前半の一時間は、物語の進行はスロー・テンポである。ゲスト・スターとしてリチャード・ブーンがサミュエル・ヒューストン役で出演している。彼はテレビ西部劇『西部のパラディン(Have Gun, Will Travel 1957−1963)』で有名なスターでケンタッキーを開拓したアメリカの英雄ダニエル・ブーン(1734−1820)の末裔である。

クロケットの仲間スミッティ役で当時『ヴィーナス』『ホワイ』という全米No.1ヒットを出していたアイドル歌手フランキー・アヴァロン(1939− )が出演している。デビー・クロケットが勝ち目のない戦の前に伝令として、生き延びさせることによって全滅したアラモ砦の前に立つことになる少年の役柄である。若々しくて年配ばかりの空間に張りを与えていた。この人は俗に単発ヒットの歌手といわれているが、実生活においてはかなりまじめな人で、1962年に周囲の反対を押し切りキャサリンという女性と結婚し8人の子供をこしらえている。

クロケットの飲んだくれの右腕ビーキーパーを演じたチル・ウィルス(1903−1978)は歌手でもあり自慢の喉を披露(この唄かなり良い)して熱演していたが、過敏なアカデミー助演男優賞はチルにという広報により、結果として『スパルタカス』のピーター・ユスティノフに賞を奪われている。ちなみにジョン・ウェインは『スパルタカス』をアカの映画と敵視していたという。

ジョン・ウェインの息子パトリック・ウェイン(1939− )がバーナム役で出演している。さらにディミトリオの娘役でジョン・ウェインの娘アイサ・ウェインが出演している。最後の妻パイラー・パレット(1928− )との娘である。ちなみにパイラーとは1954年『アラモ』のロケハンのときにペルーで知り合ったという。彼はラテン系の女性が好みだった。最初の妻はパナマ人で次がメキシコ人だった。

本作に黒人の奴隷ジェスローが登場するが、彼の役柄もなかなか誇り高い男として描かれている。当初この役柄をジョン・ウェインはサミー・デイヴィスJr.にオファーしたという。ちなみに実際にはジム・ボウィの奴隷は戦闘後保護され解放されたという。またメキシコ軍に対してもジョン・ウェインは誇り高き戦士として敬意を持って描いている。


■リンダ・クリステルの中途半端な役柄


リンダ・クリステル リンダ・クリステル リンダ・クリステル
リンダ・クリステル
(1934− )
アルゼンチン生まれの女優である。父はフランス人で母がイタリア人である。1947年にブエノス・アイレスで交通事故で両親が死亡し自分だけが生き残る。(一説によると無理心中だったともいわれる)1950年に無効にはなったが16歳でミゲル・アレマン・メキシコ大統領(1946−1952)の息子と結婚している。メキシコとイタリアでスターになった。1959年に世界的オイルマン・ロバート・チャンピオンと豪勢な結婚をするも同年に離婚する。映画の中ではゆうに30代は超えているように見えたが、当時20代半ばであった。翌年『馬上の二人』でもリチャード・ウィンドマークと共演している。他に『クレオパトラ』(1959)でクレオパトラを演じ、『マジェスティック』(1974)などにも出演した。

一時引退していたリンダをジョン・ウェインが説得してこの役柄で出演してもらったという。しかし、実際のところ彼女の登場シーンがことごとく物語のあざとさと展開の鈍重を生み出してるのである。しかも物語の中盤以降は全く登場しないのである。この中途半端な役柄は、明確にジョン・ウェインがリンダ・クリステルと競演したかったがために作り出したものだろう。この超大作にはあまりにも演技力、存在感において相応しくないキャスティングだった。


■この男が西部劇に出演した。そして、違和感は全くなかった


ローレンス・ハーヴェイ(1928−1973)
この男まさに『才能の塊』である。何をやらせても魅力的過ぎる。リトアニア出身で代表作は『ロミオとジュリエット』(1954)『バタフィールド8』(1960)『影なき狙撃者』(1962)『ダーリング』(1965)である。胃がんのため1973年に45歳で死去。ちなみに1969年に「ヴォーグ」のカヴァーモデルでもありスーパーモデル・ポーリーン・ストーンとの間に生まれた娘ドミノはスーパーモデルから賞金稼ぎになったことで有名である。

この大砲のシーンで、それまで口うるさい理屈屋の印象が強かったハーヴェイ扮するトラヴィス大佐が、メキシコ軍の降伏勧告に対して無言で葉巻の火を大砲の導火線につけ、大砲を炸裂させ降伏を拒否するくだりがすごく格好いい。前半の理屈屋で何も出来なさそうなこの男が、中盤以降の勇猛さと対になる形となって、いい意味で観客の期待を裏切り、トラヴィスをより魅力的な人物として描き出すのである。個人的にはこの作品でトラヴィスが一番好きな登場人物である。

ローレンス・ハーヴェイは、大砲のシーンで、脚の上に大砲が転げ落ち脚を骨折したという。しかし、その後も脚をかばいながら出演し続けたという。


■遙かなるアラモ


ディミトリ・ティオムキンの音楽が素晴らしい。メイン・テーマ曲である「遙かなるアラモ」は母国のウクライナ民謡をアレンジしたものである。この曲は最初にジョン・ウェインに依頼されて作曲したテーマ曲がジョン・ウェインの気に入らず書き換えを要求してきたため、やけくそで聞かせた曲だったという。



■アラモ砦の13日間の攻防戦の登場人物の実像


デビー・クロケット(1786−1836)
アメリカの国民的英雄。テネシー州出身で生涯で学校教育は半年程度しか受けていない農民であり猟師だったが、1813年〜14年のクリークインディアンとの戦争で活躍し、1818年にテネシー州民兵隊大佐になる。のちにテネシー州から合衆国下院議員となり、この時期親交を深めたのが、サミュエル・ヒューストンである。のち政治の世界で居場所のなくなったクロケットは、1836年2月6日12名の義勇軍を率いて、サンアントニオに到着する。2月23日からのアラモの戦いで3月6日アラモ陥落。クロケットは戦死を遂げたのではなく一度は降伏し、サンタ・アナの命令で処刑されたともいわれている。彼のトレードマークはアライグマの皮で作った帽子である。

ウィリアム・トラヴィス(1809−1836)
サウスカロライナ州出身。弁護士。その後テキサス革命に参加し、1835年12月19日に騎兵隊長及び中佐に任命されアラモ砦に配属される。アラモの戦いにおいて、ジム・ボウィが病に倒れた後全軍の指揮を担当する。

ジム・ボウィ(1796−1836)
ボウィ・ナイフの考案者であり、西部開拓時代を代表する英雄。ちなみに1836年2月27日以降は結核のため病床にふせっていたという。実際の所は映画の内容と違ってボウィの妻はアラモの戦いの3年前にチフスで死去している。

サミュエル・ヒューストン(1793−1863)
バージニア州に生まれる。13歳のとき父を失い、15歳のとき家出をしチェロキー・インディアンの先住民の部落で3年間過ごすことになる。身長188cm。1823年より合衆国下院議員、1827年からテネシー州知事をつとめる。1835年からのテキサス独立戦争で、アラモ陥落後、『アラモを忘れるな!』の掛け声の下、サンジャシントの戦いで自らも負傷するもテキサス軍を率い勝利に導く。1836年テキサス共和国の初代大統領になる。1845年にテキサスがアメリカに併合された後は上院議員となり、1859年にはテキサス州知事となる。1861年南部13州の合衆国分離の動きに反発し知事を退く。彼の功績をたたえテキサス州都はヒューストンと名付けられた。性格は短気な人だったという。それまで3ヶ月で離婚したり、インディアンの娘と結婚したりしていたが、47歳のときに21歳のマーガレットと結婚し8人の子供をこしらえた。

アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ(1794−1876)
「西部のナポレオン」と自称していたメキシコの英雄であり軍人であり政治家であるが、軍人としては有能ではなく無能に等しく、政治家としても独裁的であったという。7回メキシコ大統領になる。1810年〜1821年のスペインからのメキシコ独立戦争で活躍し、スペインの再征服を返り討ちにした1829年の戦いで国民的英雄になる。1833年大統領に選出されるも、各地で保守派の反乱が頻発し、独裁体制を築こうとする。その中でテキサス州も反乱を起こし、鎮圧に乗り出したのが、アラモの戦いである。

しかし、1836年4月21日にテキサス軍最高司令官サミュエル・ヒューストンの800名の兵に1500名のサンタ・アナ率いるメキシコ軍がシエスタ中に急襲され=サンジャシントの戦いで、わずか18分の戦いで600名以上の損害を出し、翌日一兵卒に化けていたが捕虜になる。(一方テキサス軍の死者は9人、負傷者28人だった)この戦いにより、自分の命と引き換えにテキサスの独立を認めることになった。のちにメキシコに送還されたサンタ・アナは国民から売国奴の謗りを受け強制退職させられた。

国外に亡命していたが、1938年メキシコがヴェラクルスに侵略したフランスと戦争するにあたり亡命先から呼び戻されメキシコ軍を率いて戦う。左足を失うも勝利し、再び大統領に返り咲く。この頃からサンタ・アナは独裁者になっていったという。1844年議会との対立によりキューバに亡命するまでに4回大統領の座につき、アメリカのメキシコ侵略が1846年に勃発すると再び亡命先のキューバから帰還し、メキシコ軍を率いることになる。1847年2月22日のブエナビスタの戦いの敗北により、ニューメキシコ、カリフォルニアを占領され、結果的にメキシコシティも攻略される。この戦争によりメキシコは国土の1/3を失うこととなった。アメリカ軍13000人、メキシコ軍25000人の死者を出したといわれる。

サンタ・アナは敗戦が濃厚となった1847年に早くもジャマイカに逃げている。亡命生活は1874年まで続くことになる。非常にお金と女好きだったといわれているが、晩年は極貧の状態だったというた。


■ジョン・ウェインとウィドマークの確執


リチャード・ウィドマーク
(1914− )
当初ジョン・ウェインはジム・ボウィの役をチャールトン・ヘストンでと考えていたが、ヘストンがこの映画の愛国的すぎる内容に批判を受けることを恐れ断った。そこで、資金協力をしたユナイト映画の意向によりウィドマークが演じることとなった。

当初はジョン・ウェインは監督に専念し、ウィドマークをクロケットに、自身はヒューストン役の予定であったが、多額の資金をひねり出すための担保として自身の主役を課せられたので、自身がクロケットを演じることになった。共演者の候補として、ロック・ハドソン、ウィリアム・ホールデン、ロバート・ミッチャム、コンスタンス・タワーズの名が挙がっていたという。

実際のところ、撮影中のジョン・ウェインとウィドマークは気が合わなかったという。後年ウィドマークは、ジョン・ウェインの監督の力量不足が原因だと語った。

トラヴィスが砦に残るか去るかを決めてくれと皆を前にして言うシーンがいい。確執のあったジム・ボウィがまずトラヴィスの隣に立ち全員クロケットも含め後に続くのである。このスリーショットのなかなか目を合わせようとしない3人が逆にかなり格好いいのである。
こういった描写は、男としてストレートに感動できるものであり、西部劇の良さはこういった男の友情の素直な描写にあるのである。


■3人の名優達の見事な死に様


アラモ アラモ
撮影には83日間とメキシコ軍のエキストラ4000人が導入されたという。四方八方からメキシコ軍が強襲しあっという間に全滅していくさまはかなり強烈である。5分内にジョン・ウェインとリチャード・ウィドマークとローレンス・ハーヴェイが殺されていく所がある意味すごすぎる。『アラモ』が西部劇を戦争映画の領域へと導き、のちのサム・ペキンパーの戦争西部劇『ワイルドバンチ』(1969)の誕生を先導する結果となったのである。

実際のアラモの最後の戦いは1836年3月6日午前5時の夜明け前から始まり、午前6時半には終了したという。トラヴィスは戦闘開始直後に戦死したが、クロケットは捕虜となった7人の1人だったらしい。実際のアラモ砦の防衛軍は185人〜257人だったことは確かだが正確な人数は分かっていない。メキシコ軍の死傷者は約600人だった。実際のメキシコ軍も4000〜5000人であったとされる。実際のところアラモに立てこもる反乱軍から一名の老兵だけは戦いの前に戦線離脱した。彼はフランス生まれのナポレオンの冬将軍でも出征していた人だったという。


■ジョン・ウェインの存在感


再認識させられることだが、この頃のジョン・ウェインの存在感はやはりすごい。とにかくジョン・ウェインは無言で突っ立ってても、「話すことは喉が渇くよな」と言って、酒のボトルを片手にしても様になるのである。西部劇それすなわちジョン・ウェインのことと言われる所以が日本人である私にも理解できるのである。


■ジョン・ウェインとジョン・フォードの確執


ジョン・ウェイン
クレジットされていないこのサングラスの男が本作に与えた影響は謎である。ただひとつ確かなことは、ジョン・ウェインの生みの親でもあるこの男ジョン・フォードは、呼ばれもしないのにしょっちゅう現場に来ていたという。この男もアラモには特別な思いを持っていたのであるが、黒澤と三船しかり、両雄並び立たなくなるのも世の常である。ジョン・ウェインはフォードに、フィルムの入ってないカメラで撮影させたり、あまり重要じゃないシーンの演出を任せたりしたらしい。本編の10〜15%の部分はジョン・フォードによるものである。ジョン・ウェインはそういったさまざまな過度のストレスの中で煙草を片時も離さずに吸っていたという。

それにしても『アラモ』という映画に対して、ジョン・ウェインによる独りよがりの作品と言う前にまず考えてもらいたい。50過ぎの恵まれた地位にある男性が、ここまで過度のストレスを背負い込みながらも一つの作品を作り上げようとする所業。私は、この作品の製作にかけるジョン・ウェインという俳優の気迫こそが人間の最も崇高で気高い行為そのものに感じる。まさにこの時のジョン・ウェインは芸術的な苦悩に包まれていたようにみえる。そして、私は、この時代のジョン・ウェインが一番好きである。

何かを生み出そうとしているものを、傍から眺めて嘲笑することは簡単である。しかし、私は常々こう考えている傍から嘲笑するよりも嘲笑される側にまわりたいと。嘲笑とは実は羨望に等しい感情なのである。


■そして、アラモの砦は陥ちていった


この作品の失敗は明確に広報担当のラッセル・バードウェルの露骨なアカデミ賞の票集め広報の敗北といわれている。50万ドルもの宣伝費を使用して、『投票者の愛国者精神が問われている』といった、赤狩りまっさかりの1950年代ならまだしもなタカ派的広報活動は、逆に反発を招く結果となった。

本作品はアメリカでは散々な興行成績であったが、日本ではヒットした。この作品の失敗により資産の大部分をジョン・ウェインは差し押さえられたが、結果的にリバイバル公開やテレビ放映権などによって1971年には400万ドルの赤字分を回収できたという。

本作は10部門のアカデミー賞ノミネートを受けたが受賞したのは録音部門のみだった。

− 2007年5月5日 −


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