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ふしぎの国のアリス ALICE IN THE WONDERLAND(1951・アメリカ) | |||||
| ■ジャンル: アニメ ■収録時間: 75分 ■スタッフ 監督 : クライド・ジェロニミ / ハミルトン・ラスケ / ウィルフレッド・ジャクソン 製作 : ウォルト・ディズニー 原作 : ルイス・キャロル 脚本 : ウィンストン・ヒブラー 音楽 : オリヴァー・ウォーレス ■声のキャスト キャサリン・ボーモント(アリス) ビル・トンプソン(白うさぎ) スターリング・ハロウェイ(チェシャ猫) エド・ウィン(帽子屋) ジェリー・コロンナ(3月うさぎ) ベルナ・フェルトン(ハートの女王) |
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■あらすじ お姉さんの朗読する本の歴史の話にすっかり退屈している7才の少女アリス。木陰でうとうとしているとチョッキを着た白ウサギを発見する。早速追いかけるアリス。そして、白ウサギの入っていった穴に飛び込んでいくとそこには・・・ふしぎの国が広がっていた。 ■大人にも子供にもアリスは必要な物語です ![]() やがて話は種切れになり 空想の泉もかれはてて 疲れた話し手は一息入れたく 「あとはこの次」と頼むのだけれど 「いまがこの次!」と 朗らかな声が口々にさけぶ −L.キャロル 子供の中に潜む孤独の中での空想と好奇心。それが失われていく過程で人は、思春期を迎え、やがて、孤独が我慢できない大人になっていく。そんな人にこそ、このアリスという少女の物語を一度観てみるのも良い経験ではないだろうか? 「アリスはあなたの幼少時代の姿です」 ふしぎの国を彷徨い歩くアリスの周りに登場する登場人物。噛みあわない会話と通り過ぎていくだけの人物の洪水。それでも一人ぼっちの孤独を背負いながら少女はさまよい歩いていく。身長が伸びたり縮んだり、やっと会話が噛みあったかと思えばヘンテコな登場人物に翻弄されて、でも涙を流しながらも前を向いて歩きます。 アリスは、私たちそれぞれの人生そのものです。 子供の空想のもつ様々な要素がココにはあります。多くの大人は誤解しているが、子供は無菌室で育てたいという願望とは裏腹に、子供にとって、オイスターの話やハートの女王の話は、子供の世界をより豊かにしていく潤滑油になるはずです。子供は熱いもの冷たいもの・・・多くの感覚を感じてより感性が豊かになっていくものです。確かに行き過ぎは良くないが、この作品は全く行き過ぎていない。むしろ感性の豊かな子供が想像しうる世界観がココにはあります。 この物語は、子供にはちょっと厳しすぎると考える人は、アリスのお姉さんの朗読している歴史の本そのものの退屈さに蝕まれてるのかもしれません。まさに凝り固まった歴史=大人と、柔軟な子供の感性の対比です。子供は「戦って死ぬ役柄を演じたりするのが好き」なんです。 ■時計に急かされる白ウサギを追いかけるアリス ![]() 「ない物があってあるはずの物がないの」 大変だ!遅刻しそうだ!≠ニ呟くチョッキを着た白いウサギを追って少女アリスは、ウサギの穴に落ちていく。ゆ〜〜っくりと本を読んだり、空中に浮かぶ椅子に座りながら。世界は反転します。 さあ常識という言葉さえも存在しない世界の始まりです。少女は姉の本の朗読を拒否し、少女らしさの確認の旅を始めるのです。この物語は、子供の好奇心が、想像力を生み出し、自分が生み出した世界の中で孤独を体験し、その孤独の中から感性を磨き上げていくプロセスが描かれています。 「私をノンデ」と書いてるビンを飲んでみるとアリスはみるみる縮んでいきました。もしかしてしまいにすっかり、ローソクみたいに消えてなくなっちゃうかもよ。そしたらあたし、いったいどうなるのかな?(原作より)そんな想像をめぐらせながら、アリスは時計を持った白うさぎを追いかけます。時計を追いかけることが、アリスの大人になる近道であるかのように、ただ理由もなく時計を追いかけます。 ■大人は常に子供の感性を憧憬する ![]() 「セイウチとカキの話」「ブレッド&バターフライとお花の国からの追放」「イモムシの入れ知恵」といった、集中力よりも好奇心を優先させる子供の感性そのままに物語は、騒々しく場面転換していきます。理解を求めない滑稽な言葉と動作の洪水の中で、大人は戸惑い、子供は楽しむそのギャップ。 そして、「イモムシの入れ知恵」のシーンで、大人は勘繰り始める。この作品は要するにドラッグ・ムービーなのか?と。そして、人間がなぜドラッグ(主に白い粉、錠剤)を強く欲求するのかが、理解できるのである。ドラッグを求める心は、つまり幼少時代を求める心だったという事に。 そして、なぜドラッグを継続的に使用すると不安定な精神状態になるのか?という事も理解できるのである。そう、アリスの身長が伸びたり縮んだりしたように、ドラッグ中毒者はそれをずっと継続的に経験してしまう事になる。だからこそしまいには、孤独と自己喪失の中で押しつぶされていくのである。 ![]() 二日遅れの時計などといったユニークな言葉がぴょんぴょん飛び跳ねる「ウカレウサギと帽子屋のお茶会」のシーンには、ルイス・キャロルの原作のシュールなテイストが弱冠残っています。 ■白黒のつく機械に囲まれている現在の子供の孤独 ![]() 白ウサギを追いかけることを止めたアリス。大人になることよりも子供のままでいることを望んだそんな時に現れるチェシャ猫。自由自在に消えることの出来るその性質と囁きがアリスを戸惑わせる。このチェシャ猫こそが、子供らしさの象徴であり、大人には計り知れない感性の可能性の権化なのです。 中盤の不気味な森の雰囲気は、子供が見る怖い夢そのものの孤独感≠ェ漂っています。この作品の特徴は何度も言いますが、誰一人仲間のいない中で、ふしぎの国をさ迷い歩くアリスの姿にあります。孤独の時に慰めになるはずの小動物や植物さえもそういう役割を果たしてくれません。 ココに21世紀的なアリスの存在価値が生じています。つまり本物のウサギが駆けていく姿を見ることの出来ない今の子供。植物に触れ合う・・・土を触る機会の少ない子供に課せられた孤独を、大人に伝えてくれる作品でもあるのです。本来子供が孤独の中で想像力や空想力を誘発されるべき環境が失われている現在の姿。子供の頃から白黒のつく機械に囲まれて生きることの危険性がこの作品を見ているとひしひしと感じます。 ■大きくなったり小さくなったり ![]() トランプの兵士達が白いバラに赤いペンキを塗っています。ハートの女王が登場する一連のシーンには、素晴らしいほどの躍動感と手で書き込まれた創作性に満ち溢れています。1950年代までのディズニー映画には、こういった独特のテイストが存在しました。 そして、ハートの女王の審判を受けるアリス。大きくなったり小さくなったりして・・・アリスの視野がコロコロ変わっていきます。子供が小さな動物・大きな動物に接するように・・・大人が名刺を持ち、名刺を失うように・・・色々な視野で物事を見てみる可笑しさ、大切さがさりげなく描かれています。 ■イメージの洪水に流し流される 心のゆとり ![]() そして、迷路の庭園をトランプの兵士から逃げていくアリス。いつの間にか最初に登場した輪になって踊ろうのような場所を登場人物皆で回って踊り、また逃げて逃げて、今までの登場人物が顔見せをする中,逃げて行き、現実の世界へ帰還を果たすプロセスは素晴らしいとしか言いようがありません。 このプロセスは極めて子供らしさに満ちており、芸術そのものです。自由な発想の中で物事を収束していく感覚。大人が見るとそのイメージの連鎖反応に精神的な不安さえも捲き起こさせるかもしれないほどに、加速度的です。何か自分の精神が崩壊していくプロセスを見せ付けられているような気にもなるでしょう。 しかし、ここに子供らしさの可能性と大人らしさの限界が示されているのです。子供らしさは、流れに任せてどんどん下っていき、そんな中でも楽しみを生み出せます。しかし、大人は流れに任される事に不安を感じ、抵抗し、打ちのめされ、悲しみを撒き散らし始めます。そうです。現代社会の躁鬱病などといった精神的な病は、子供らしさが生み出すものではなく、子供らしさの喪失から生み出されている病なのです。 そして、私は思います。いつまでたってもこういうイメージの洪水に心を浸らせる事の出来るゆとりの中で生きていきたいと・・・ ■よく寝る大人はよく育つ ![]() 「近くて遠い夢の国 一体どこにあるの?」 だからこそこの作品は、子供にとっては、素直な楽しさに満ちており、大人にとっては精神的にこたえる要素に満ちているのです。子供と大人の精神構造の違いのふしぎさを燻り出してくれるこの作品は、大人にとって、忘れかけているものに流されていく大切さを思い起こさせてくれるきっかけにもなるでしょう。 さあ眠りについて夢の世界へ・・・眠れなかったら、流れに身を任せて日々過ごしていくうちに、絶対眠れる自分になっていくはずです。 ■子供の世界と大人の世界を結びつけるウサギの穴 ![]() アリスの声を担当したキャサリン・ボーモント(1938− )は、当時10代前半の少女でした。この作品は、日本語の吹き替えで見ても十分に楽しめますが、彼女の綺麗な発音の英語で見てみるのも良いでしょう。特に子供にとっては、ディズニー映画の英語は発音が綺麗なので、素晴らしい英語に対する潜在性が養われるきっかけになることでしょう。 ボーモント本人自体も凄くカワイイ子で、この作品の後ディズニーの『ピーターパン』(1953)のウェンディの声も担当しました。そして、後に教員資格を取り、教師として教鞭を取りました。 ![]() 1930年代からウォルト・ディズニーは、ルイス・キャロルによる原作のアニメ化を考えていました。その原作の持つ様々な要素をアニメ化する難しさから結局は戦後に製作開始されます。300万ドルの予算をかけ、約5年かけてアニメーションは製作され、1951年7月26日公開されました。 しかし、当時は、全くヒットしませんでした。60年代にヒッピー達を中心にカルトムービーとしてじわじわ人気を集め始め、やがて1970年に世界中でリバイバルされるにいたり絶大なる人気を集めることになりました。ただし、70年代の厭世的なアメリカの風潮の中で幻覚剤のトリップ的な感覚でこの作品を支持した人が多かったのも事実です。 しかし、21世紀の今、この作品は、そんな陳腐な視点を超えた子供の世界と大人の世界を結びつける素晴らしい作品の一つとして認知されつつあります。 − 2008年1月3日 − |
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