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ある殺し屋   (1967・大映京都)
■ジャンル: アクション
■収録時間: 82分

■スタッフ
監督 : 森一生
原作 : 藤原審爾
脚本 : 増村保造 / 石松愛弘
撮影 : 宮川一夫
音楽 : 鏑木創

■キャスト
市川雷蔵(塩沢)
野川由美子(圭子)
成田三樹夫(前田)
小池朝雄(木村)
渚まゆみ(茂子)
小林幸子(みどり)
ある殺し屋
この映画の様式美=スタイリッシュさを理解してみると、今の映画に欠けているものが分かるはずである。市川雷蔵という日本を代表する時代劇俳優が、現代劇に出演したらなんとフレンチ製のフィルムノワールのような傑作が出来上がった。その事は最も日本らしいものの中にこそ、世界的に通用するものが多く含まれていることの証明でもある。

■あらすじ


小料理屋を細々と営む塩沢(市川雷蔵)には、裏の顔があった。それは針一本で獲物を始末する非情の殺し屋の顔である。そして、ある日ふとしたきっかけで圭子(野川由美子)という少女が転がり込んできた。そして、塩沢に惹かれ弟子入り志願したやくざ者・前田(成田三樹夫)と3人で大仕事をすることになる。しかし、圭子と前田は裏で密通していたのだった・・・


■市川雷蔵が魅せる現代劇


ある殺し屋
「雷ちゃんは当時すごく現代劇をやりたがっててねぇ」
森一生のこの言葉が本作の力作振りを物語る。とにかくこの作品の市川雷蔵(1931−1969)は気合が入っている。実にニヒルで無口である意味日本人が好きなタイプの格好良さに包まれている。ボロアパートに胡坐をかいて煙草を吸う仕草や、寝転がって週刊誌を読む姿一つ一つとってもなぜか魅力的である。これこそスターのオーラだろうか?

この人は稀代まれなる時代劇スターであるがゆえに、思いもされなかったが、実は一流の性格俳優の素質も持っていたかもしれない。

「雷ちゃん、あれがよかったのは、雷ちゃんの持ってたいままでの時代劇の演技の筋が、案外あのなかにいきていたからじゃないかな」と森一生が雷蔵に言った時、彼は少し怪訝な表情をしたという。ここに雷蔵の並みの俳優との違いを感じることが出来る。この人は自分の評価を大切にする人なのだと。恐らく市川雷蔵と言う人が私を含め今も若い世代に魅力的に映るのはこのこだわりと頑固さだろう。彼はまず自分で自分の芝居振りに関して厳しく評価できる人なのである


■雷蔵が生み出す日本を突き抜けた雰囲気


本作は日本映画の枠を超えて、フイルムノワール的なフランス映画の臭いのする作品である。鏑木創の素晴らしい音楽と宮川一夫の天才的なカメラワーク、そして、当時最高峰の大映の舞台美術の見事さもあるだろうが、やはり雷蔵の持つ雰囲気がこの臭いを生み出したのだろう。

つまりこうである。時代劇を演じ続けていた雷蔵が、現代劇に登場することにより、外国から来た俳優が日本で現代劇を演じるかのような新鮮味が生まれ、そのことによって、箱庭的なこじんまりした雰囲気を突き抜けた映画になったのだろう。

本作での、市川雷蔵の役柄は、普段は料理屋を経営する裏家業は針一本で獲物を仕留める凄腕の殺し屋である。
この針一本でと言う日本的な殺しの美学もまた本作の「静の美学」を生み出す要因になったのである。日本映画が魅力的に思える瞬間は「動の美学」よりも圧倒的に「静の美学」に集中しているのである。

そう考えれば予断ではあるが、「動の美学」で世界を魅了した黒澤明という監督は、明確に日本映画から果てしなくかけ離れた存在なのである。


■この二人の意外な魅力

市川雷蔵 野川由美子
「女は、色と仕事のけじめがつかねえ、ゴメンだ」
と去っていく成田三樹夫。
「ふんっだ!あんなヤツはこっちでお断りだよ」と捨てゼリフを残す野川由美子どっちも最高に格好いい。

ちなみに本作の野川の起用は市川雷蔵の要望によるものだった。彼は『黄金の七人』(1965)でロッサナ・ポデスタの大ファンになり、彼女なら男を手玉に取る「可愛い悪女」が演じれるとふんだらしい。そして、まだ溌溂としている野川由美子(1944− )が実に役柄を魅力的に演じあげている。もちろん演じているというよりはお得意な役柄をこなしているという感じだが、ここに成田三樹夫(1935−1990)が絶妙に絡んでくる。

チンピラまがいの若造を実に味わい深く演じるのである。この二人の存在が本作にかなりの魅力を添えている。私は常々最近の日本のやくざ映画、ギャング映画が面白くない理由を、こう見ている。
チンピラを20代の若手俳優に演じさせるからである。面白いやくざ映画のチンピラは必ず30代の俳優によって演じられるものなのである。


■セリフは少なく、見せすぎず


「色はなるたけ殺そう」
そう森一生はカメラマンの宮川一夫に撮影開始前に言ったという。だからこそ飛行場のシーンも墓地の横の薄汚れたアパートの壁も、雷蔵の飛び蹴りまでも炸裂する最後の夜明け前の乱闘シーンもセピヤ色やグレーの色調なのである。そして、そうしたところに原色を唐突に挿入するから映像にめりはりが生まれるている。

そして、本作の全編が神戸でロケ撮影された。宮川一夫にかかれば殺風景な埋め立て地も墓場もボロアパートもラブホ街もこれほどスタイリッシュになるのである。現在の映画監督とカメラマンよ。カット割りよりもまずいい絵を撮るべきだ。

007全盛期の1967年、スタイリッシュな男の物語が好まれた時代に、こういう概念でスタイリッシュな作品を撮った森一生の観念は実に素晴らしい。何もスタイリッシュがおしゃれなものに囲まれ、おしゃれな会話をし、セクシーな女たちに囲まれるだけじゃないことを教えてくれている。必要最小限に削ぎ落として、クールに立ち振る舞うことからもスタイリッシュな男の物語は産みだせるということを。

「セリフが多いと、心理が描かれないような気がしますね、逆に。だから映画の場合、誰もいない道が一本うつってるだけで、画面がものを言うてることがあるでしょう。それは文学にはないもんですよね。映画にしかない」

「省略して、殺すところは見せずに、殺した感じになるとか、昔はみなそういうやり方でしたよ。直感的な描写は少なかった。いまはもう犯して裸にして殺して無残、ていうやつが多いですが。みんな見せちゃうのが映画じゃないんです。・・・その間に、思考力がなくなるんでしょうね。想像力も。」


これらの二つの森一生の言葉に、本作の魅力は集約されている。


■決めセリフが決まる$「界観


ある殺し屋 ある殺し屋
昨今の映画(世界的に)を見ていてつとに感じることは、重要なセリフのあざとさである。
映画の重要な要素の中に「決めゼリフを決める」という不文律があるが、最近はこの不文律をクリアしていない映画が多い。それは役者の力量不足という事情もあるだろうが、それ以上に映画の中でセリフが占める面積が多すぎ、もしくは登場人物が多すぎ、もしくはせわしないカット割りの映像が多すぎのいずれかの事情によるものだろう。

つまり言葉攻めで言葉の麻痺を生み出しているか、登場人物攻めで言葉の価値を落としているか、映像攻めで言葉に価値を奪っているかのいずれかなのである。

「遠慮はしないが、迷惑だ」

「あんたのような風船玉ならどこへも飛んでゆけるだろ」

「お前ら若いなぁ〜一寸先も見えちゃいねぇ」

「お前達が考えたようなことは、俺も昔他人と組むたびに考えたことよ」

「色と仕事のけじめもつかねえヤツは御免だな」


本作の決めのセリフは全て決まっている。本作において雷蔵はトータルで5分も話さないのだが、だからこそクールなセリフも決まるのである。


■森一生ご満悦の作品


ある殺し屋
ちなみに本作において前半に雷蔵の小料理屋のお手伝いをしている少女役で小林幸子が出演している。しかし、それよりも何も、東映やくざ映画において「この女が出ればかならずレイプされる」と言われた渚まゆみが、すごく綺麗な着物姿の女性として「レイプされずに」出演している所が凄くうれしい。

東映やくざ映画ではことごとく幸の薄いまゆみちゃんが実に明るくピチピチしてる姿は、物語から外れてはいるが、嬉しくさせてくれた。


本作は森一生のお気に入りの作品らしい。「時代劇、現代劇ということやなしに、自分の感覚にピタッと合ったシャシンでしたな」「なんか感情がスース、スースいくでしょう。あそこが楽しみですな」森一生は、このシリーズは2作で終わらすべきではないと大映上層部に訴えかけたが、なぜか興行成績も悪くないのに却下されたという。

ちなみにさすが競馬狂の雷蔵だけあって、現代劇にここぞとばかりに競馬場のシーンを挿入している。


− 2007年6月24日 −


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