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我等の生涯の最良の年   THE BEST YEARS OF OUR LIVES(1946・アメリカ)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 170分

■スタッフ
監督 : ウィリアム・ワイラー
製作 : サミュエル・ゴールドウィン
原作 : マッキンレー・カンター
脚本 : ロバート・E・シャーウッド
撮影 : グレッグ・トーランド
音楽 : ヒューゴ・フリードホーファー

■キャスト
マーナ・ロイ(ミリー)
フレデリック・マーチ(アル)
ダナ・アンドリュース(フレッド)
ハロルド・ラッセル(ホーマー)
テレサ・ライト(ペギー)
我等の生涯の最良の年
戦争が終わることによって生み出される帰還兵の社会復帰というテーマを、実に前向きに捉えた歴史的名作。とにかくマーナ・ロイの魅力を女性には盗んでほしい。こんな魅力的な女に男は惚れる。そして、フレデリック・マーチの魅力を男性には盗んでほしい。こんな魅力的な男にいい妻はくっつくものである。

■あらすじ


第二次世界大戦が終結し、同じ故郷に帰る3人が軍用輸送機に乗り合わせた。1人はアル(フレデリック・マーチ)という中年の男性。1人はしゃきっとした空軍大尉のフレッド(ダナ・アンドリュース)。そして、もう1人は両手を失い鉤状の義手をつけている水兵ホーマー(ハロルド・ラッセル)である。故郷に着いた3人はそれぞれの不安を抱えながら、別れていくのであった。


■マーナ・ロイの永遠の輝き


マーナ・ロイ マーナ・ロイ 我等の生涯の最良の年
とにかくこの人こそ理想の奥さんである。高校生のときにこの作品を見たときから私の理想の妻はマーナ・ロイである。賢くて、機転が利いて、夫を子ども扱いできて、夫をたてる所は見事に立てて、子育てもぬかりなく、しかも品のある美人ともう文句なしである。

マーナ・ロイという人は、仕草と表情と声音がキュートでな人だ。ある意味キャサリン・ヘプバーンの対極に位置する魅力を持った女優である。特に銀行の晩餐会で夫アルがスピーチをしなければいけないにもかかわらず、何杯目も酒をあおってるので、何杯飲んでるかをテーブルを覆う布地にホークで印をつけていくシーンなんかは大変可愛らしい。

マーナ・ロイ 我等の生涯の最良の年
結婚を考える現代女性の全てが本作品のマーナ・ロイを見る価値がある。彼女の佇まいから何かを嗅ぎ取ってほしい。夫になる人はあなたに何を求めているか?あなたが何を夫に求めるべきか?そういったこともこの作品のフレデリック・マーチが見事に答えている。

マーナ・ロイ(1905−1993)は当時41歳であった。本作によって『パーフェクト・ワイフ』のニックネームで呼ばれることになったが、実生活では4回結婚している。


■それにしてもみんながみんな輝いている


我等の生涯の最良の年 我等の生涯の最良の年
今の時代に、なかなかウィリアム・ワイラーのような本当に5人以上の共演者を輝かせられる監督はいなくなった。ほとんどの最近の豪華キャスト映画では、主役以外は輝いて1人か2人、最悪は誰も輝いていない場合が多いのだが、本作はマーナ・ロイ、フレデリック・マーチ、ダナ・アンドリュース、テレサ・ラッセル、ヴァージニア・メイヨ、キャシー・オドネル、ホーギー・カーマイケル、そして、ハロルド・ラッセルと総勢8名が見事に輝いている。

そして、女性陣の衣装がなかなか華やかで特にマーナ・ロイの衣装が素晴らしい。衣装を担当しているのはアイリーン・シャラフである。


■オープニングの出会いのごく自然な感じ


戦争を終え、故郷の町に帰ることになり同じ軍用輸送機に乗ることになった3人。「出征よりも帰郷の方が不安だ」と言いながら、故郷の風景に一喜一憂する3人。軍隊の中での階級も所属も全く違う。フレッド(ダナ・アンドリュース)が空軍大尉で、アル(フレデリック・マーチ)が陸軍軍曹、ホーマー(ハロルド・ラッセル)が海軍一兵卒なのである。

この階級の差が帰郷後の社会において全く反映されないところが、実にシビアである。
ともかく3人の男達がこうして出会い。そして、別れていき、出会いと別れを繰り返していくうちに深い絆で結びついていくのである。その過程が実にすがすがしくて人間賛美に溢れている。


■迫りくる赤狩り、そして、原爆投下への疑問


我等の生涯の最良の年
アルが帰郷したその日に息子に、戦利品をあげるシーンがさりげなく興味深い。
アルが「ジャップ、ジャップ」と言うのに対し、息子は「ジャパニーズ」といっているのである。さらに「日本人は家族との絆を大切にするんだ」とまで言い切るのである。戦争終結一年後にこんなセリフを言わせるアメリカという国のワイラーという監督の感覚の先鋭さには驚くばかりである。

さらにその後のセリフでは原爆投下についての疑問まで言わせているのだ。わずか原爆投下一年後にこんなシーンを作り上げるこのワイラーという男と脚本家達。昔の映画人は非常に教養と批判精神に溢れていた。現在のエセ反骨精神と拝金主義の映画界を見て泣けてくる程の素晴らしさである。

そして、もう一つのシーン。フレッドの働くカフェにホーマーがやってきたときに、隣の席の男が、「なぜ戦争が起きたかもっと深く理解すべきだ」というようなことを言い、フレッドとホーマーに殴られるシーンがある。このシーンは実に皮肉である。1946年の4年後の朝鮮戦争を予見するかのような、「おいっ、この戦争は終わったがまだまだお前たちは利用される恐れがあるんだぜ」と語っているのである。

こういった戦争一年後にして、物事の本質を捉えたセリフを映画の中に散りばめられる能力は素晴らしいとしか言いようがない。ちなみに批判とは愚痴ではないのである。


■離婚しても次があるじゃないか


テレサ・ラッセル テレサ・ラッセル
本作においてのフレッドとアルの娘ペギー(テレサ・ラッセル)の恋愛は実に興味深い。1946年の時点で、男性と女性の相性が悪ければ離婚をして、次に相性の合う相手を見つけ出せばよいと言う。すばらしい結婚の概念を主張しているのだ。

アルとミリー夫婦のように喧嘩と忍耐の中から深い愛情が培われていく可能性を示しつつ、フレッドとメアリー(ヴァージニア・メイヨ)夫婦のように、金銭感覚や異性に対する感覚の違いは埋めがたい障壁と断言しているのである。
「いつ富める≠フさ」「現実に気づいた時だ」の2人のセリフに象徴されるように、メアリーには、男性は養ってくれて当たり前。忍耐を共有するのは嫌。と言った風にフレッドには受け入れがたい感覚で生きている人なのである。

メアリーのようなタイプの女性を何人か見てきたが、
えてしてこのタイプの女性は精神的に病んでいくものである。その理由は明確であり、他人が何かしてくれて当たり前という感覚で生きている人は、周りが自分の思い通りに行かなければ、精神的に疲労するのである。さらに、こういうタイプの女性は甘い餌に飛びつきやすいので、傷つきやすい状況に身をおきやすいのである。


ハロルド・ラッセル(1914−2002)


我等の生涯の最良の年 ハロルド・ラッセル
両手に鉤状の義手をつけたホーマーを演じて映画初出演にしてアカデミー助演男優賞に輝いたハロルド・ラッセルは、カナダのノヴァ・スコシアでうまれた。父の死に伴いアメリカに移住し、日本軍のパールハーバー攻撃に憤慨して志願入隊したと言う。

1944年空挺部隊隊員だったハロルドは訓練中のやけどで彼自身も両手を失う。そして、陸軍のドキュメンタリー・フィルムにフックをつけてトレーニングするハロルドが出演し、それを見たウィリアム・ワイラーが、本作の登場人物を変更し、1万ドルのギャラでハロルドに出演してもらうことを決定した。

1992年に妻の医療費が必要となったためにオスカー像を競売にかけ6万ドルで売る。ちなみに最初の奥さんは、本作と同じく幼馴染で1944年に結婚している(1978年死去)。


■カーマイケル、メイヨ、コクラン


ヴァージニア・メイヨ 我等の生涯の最良の年
ホギー・カーマイケルがピアノでいろいろな曲を弾いてくれる。このホーマーの叔父ブッチという役柄とブッチのバーは本作において実に重要な役割を果たしている。3人の再会の場でもあり、ホーマーがピアノを弾くという行為によってハンデを乗り越える勇気を与えてくれる場所でもあるのだ。

我等の生涯の最良の年 ヴァージニア・メイヨ
映画の中でのホギーの役割自体が、3人のまとめ役でもあるのである。そして、ヴァージニア・メイヨとスティーブ・コクランが『白熱』(1949)でキャグニーを裏切る関係そっくりな関係で、本作に出てくるのも面白い。それにしてもメイヨという女優は、こういう軽薄な女をやらせると実に見事である。しかし、本来はすごく踊りのうまい人なのである。


■どんな状況でも自尊心を失わないことの大切さ


ホーマーがウィルマ(キャシー・オドネル)に自分の全てをさらけ出すシーンは実に心打たれるシーンである。「義手をとってしまうともう自分では何もできないんだ。泣くことくらいしか。赤ん坊と同じなんだよ」と自尊心の強いホーマーがウィルマに言う。本当に両手を失った人間が語るこのセリフの重さは計り知れない。彼は同情を求めて言ってるのではなく、自分も言いたくない現実をウィルマに知らせることによって、ウィルマを突き放そうとしたのである。

ホーマーはウィルマを愛してるが故に彼の不自由が彼女の自由を奪わざるをえない事を恐れていた。一方、ウィルマは彼の不自由を愛で共有していけるのだと訴えかけているのである。そして、現実愛というものは不自由さを共有する気持ちでなければ到底持続できないものなのである。愛情の天敵は過度の自己主張なのである。


■我等の生涯の最良の日


我等の生涯の最良の年 我等の生涯の最良の年
それはホーマーの結婚式である。ホーマーの結婚式に集う一堂。最初の出会いから2時間半たちホーマーの義手に違和感を感じていたフレッドとアルが実に違和感なくホーマーの人生の門出を喜んでいるのだ。そして、フレッドとペギーのキスをもって本作は締めくくられる。

戦争によって、アルは、家族との絆が薄れたことを恐れていた。そして、フレッドは一般社会ではうだつのあがらないソーダー水売りが戦争のお陰で大尉にまで昇進した居心地のよさからまた元の社会に戻ることを恐れていた。ホーマーは許婚をはじめとする家族に対して、両手のなくなった自分の姿をさらすことを恐れていた。

そんな戦争が終わったことにより生まれた恐れが、アルにとってはより強い家庭の絆とやりがいのある仕事、フレッドにとってはペギーとの愛、ホーマーにとってはウィルマ(キャシー・オコナー)との結婚といった形で
恐れが喜びに変わるのである。

我等の生涯の最良の年 我等の生涯の最良の年
そして、何よりも3人の深い友情の絆が生まれたことも大きな喜びの一つだろう。本作の素晴らしさは戦争という過酷な体験の果てにある社会復帰に際して、人生謳歌的な視点で物事を再構築して前進していく人間の素晴らしさを高らかに詠ったところである。

こういう前向きな作品はいつの時代にも見る側の心を打つものなのである。少なくとも本作のハロルド・ラッセルを見て、やれ欝だ・・・精神安定剤を・・・などとグダグダ言ってる人は根本から自分を変えていかないと、一生後ろ向きに走り続けることになるだろう。


本作は1946年度アカデミー作品賞、主演男優賞(フレデリック・マーチ)、助演男優賞(ハロルド・ラッセル)、監督賞、脚色賞、劇・喜劇映画音楽賞、編集賞を受賞し、実質的にオスカーの主要部門を独占した作品である。ちなみにマーチはオスカー受賞当日会場にいなかったので、キャシー・オドネルがオスカー像を代理で受け取っている。

− 2007年6月3日 −


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