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ブルークリスマス   BLOOD TYPE:BLUE(1978・東宝映画)
■ジャンル: SF
■収録時間: 133分

■スタッフ
監督 : 岡本喜八
製作 : 嶋田親一 / 垣内健二 / 森岡道夫
脚本 : 倉本聰
撮影 : 木村大作
音楽 : 佐藤勝

■キャスト
勝野洋(沖退介)
竹下景子(西田冴子)
仲代達矢(南一矢)
沖雅也(原田)
岡田英次(兵藤光彦教授)
田中邦衛(西田和夫)
ブルークリスマス
「一九七八年― もうサンタは愛も幸福も運んでこなくなった。そして、狂気の機関銃が世界の雪を青く染めた・・・新しい恐怖と愛の時代が始まった!」うん。最高に掴みはオッケーな宣伝文句だが、内容は遠く及ばぬものだった。竹下景子の可愛さにただただ惚れる作品。

■あらすじ


国営放送の報道部長である南一矢(仲代達矢)はある日友人の新聞記者から恋人の体内から「青い血」が流れているのを目撃したという相談を受ける。最初は一笑に付していた南だが、浮かび上がる新事実の数々にやがて南は事態の重大さを感じ始める。一方、国防庁の特殊部隊隊員である沖退介(勝野洋)は、恋人冴子(竹下景子)の体内に「青い血」が流れていることを知る。


■素材は素晴らしいのだが・・・


素材は凄く良いのだが、倉本聰が脚本の「台詞は一言一句変えないこと」に固執するその青臭さが本作を全くパワーの無い作品に変えた。その壮大なストーリーが何故か全く緊張感の無いものになってしまうのも、無駄に壮大なストーリーを再現しようとしたからだろう。

日本映画は基本的に大作映画においてのカラー撮影が下手で、情緒溢れる映像センスは素晴らしいが、どのカメラマンもダイナミズム溢れる映像を撮るセンスは乏しい。白黒の時代にはダイナミズム溢れる映像を得意とするカメラマンは多かったのだが・・・カラーの映画においてダイナミズムを表現しようとする日本映画はことごとく無残な結果に終わっている。

1970年代の日本映画の失敗作に共通するのは、消化しきれないほどの有名俳優と長編の脚本と大規模な展開という点である。まず映画を撮るにあたって、消化できる範囲に収めるように冷静に考えて撮らないとダメである。スケールが大きい作品であればあるほど、一瞬でもちゃっちさが露呈すれば見ている側は冷めるのである。有名俳優は必要性に応じて出演させ、長編の脚本は、決して全てのあらすじをなぞるようなダイジェスト的なものではなく、重要な部分だけを残した脚本にし、大規模な展開も、映像的サービスではなく物語上必然を感じさせる様に撮らなくてはいけない。

そして、本作は海外ロケなどせずに数箇所の舞台に固定して、もっと人間ドラマに焦点を当てて物語を進めていくべきであった。頻繁なる場面展開は映画において避けなければいけない。
ストーリーをせわしなく追いかける映画は見ている側を取り残して、歴史の年表のような独りよがりなものと化していくのである。


■本作の改善点


UFOを目撃すると「赤い血」は「青い血」になるという発想は素晴らしい。そして、「青い血」が人類にどういった影響を与えるかは分からないが、分からないものを恐れ、明確に排除していかなければいけないというポイントも実に天才的である。

しかし、先ほど記したようにそれなりに有名な役者を、めたらやたらに登場させているので見ている側の集中力が削がれる。勝野洋、高橋悦史、沖雅也、岡田英次、竹下景子、仲代達矢、中条静夫、大滝秀治、八千草薫、天本英世、岸田森、神山繁、稲葉義男、大谷直子、小沢栄太郎、芦田伸介、中谷一郎、島田正吾、田中邦衛とかなり豪華なのだが、重要性に欠ける役柄にまで彼らの大半は配されている。ちなみに竹下と邦衛は本作が初めての倉本脚本への参加だった。1981年より『北の国から』に2人とも出演することになる。

SFを特撮を使わなくて表現するというコンセプトはいいが、せめて青い血くらいはもっとプロとして色彩的にこだわるべきだっただろ?こんなレベルの青さだとインキを垂れ流しただけと失笑されてもしかたがない。映画は大道具のリアリティよりも小道具のリアリティが命である。

そして、ラストに至ってはとにかく世界中で繰り広げられる殺害を強調することを意識しすぎてただ無機質に殺されていく姿を羅列するだけで、芸がなさすぎである。しかも、ちゃっちい殺害の描写が羅列されても怖さよりも作品のみすぼらしさが引き立つだけである。


■南さんよく聞いてください!この電話は危険です!


っていうか君の方がかなり危険だよ。と本作を見た人々はこの岡田裕介(1949− )という男に突っ込みを入れていたはずである。っていうか誰なんだ?このド素人はひどすぎると思ったら例のごとく親の七光りだった。東映の元社長岡田茂の息子である。
「お前アラン・ラッドJrのように自分の力量を己で知れ!」まさに角川春樹並の天然大根役者が映画のムードをどん底まで引きずり落とした。

一方、本作の勝野洋(1949− )の一本気な芝居も見ていて、感情移入しづらく、竹下景子が気の毒になるラストの独断振りだった。印象としては発狂した勝野=沖退介が竹下=冴子を銃殺し、自分も殺されてしまうというどこが「愛の物語」だという終わり方だった。

このラストはプロセスとしてこうすべきだった。まず一発の銃弾で冴子を殺し、そして、自分も殺されてしまう。何発も撃たれるのではなく一発で。勿論それまでの苦悩を演じきらないとラストは効果的な感動を見ている側に与えられないことは言うまでもない。そして、白い雪の中で交わる赤い血と青い血・・・

沖雅也も重要な役割で出演しているのだが、セリフ回しが毎度のごとく一本調子であり、ハンサムな俳優だが、見ていて厳しいものがある。ちなみに高松夕子を演じている女優は新井春美(1954− )という1977年にNHK朝の連続テレビ小説『風見鶏』のヒロインを演じていた人である。


■仲代達矢の暴走


大谷直子
まず大谷直子(1950− )に軽く言及しよう。この頃の彼女はこういう不幸な役柄の似合う美女だった。
彼女の不幸さの中にはエロスが潜んでいた。

それでは忘れてはならない仲代達矢について言及しよう。当時の彼はキャリアの絶頂におり(というか彼のキャリアの絶頂は驚異的に長い)、本作においても他の役者の大根芝居の合間を駆け抜けるかのように目立ちまくってくれている。しかし、ニューヨークにおいて興覚めなシーンが唐突にやってくる。

国家的な兵頭博士の失踪をニューヨークの一般市民に尋ね歩くのである。っていうか倉本聰よ。これは脚本としてまずいだろ?このシーンは本作を見ている全ての人々にとって永遠に謎のシーンである。「下手するとこの男こそロボトミーされてしまうぞ」と皆が突っ込んだはずである。

「コーヒー一杯、そして、もうちょっとボリューム下がらないかなぁ?」

このセリフはナイスである。あのテーマソングのようにやたらと流れる「ブルークリスマス」。かなりいけてないこの曲が作中頻繁に流れるのである。しかもビートルズ並みの人気を誇るというこの曲を歌う世界的ロックバンドの名前が「ヒューマノイド」で、それを演じるは、なんともオーラの無い4人の外人。

はっきり言ってこの「ヒューマノイド」の存在は脚本において重要なんだからもうちょっと何とかしろよ?
このテーマ曲のダサさわやかさと「ヒューマノイド」と岡田裕介の負の三位一体は致命的だろ?仲代達矢が出ている前半と出番が少なくなった後半とでは物語の面白味も加速度的になくなったといえる。そういった意味では仲代達矢ではなく南の役柄を違う俳優が演じていたら本作はもっと恐ろしい評価になっていたかもしれない。


■倉本聰一党独裁映画


しかし、学生のデモの描写といいヒトラーのユダヤ人虐殺の描写といいなぜこうひねりも無くストレートなんだろう?倉本聰はこういうベタな描写が好きだが、こういうのはテレビでするものであって、映画でするには芸がなさ過ぎである。常々実感するのだが、倉本聰という脚本家に言われたとおりに脚本を一切いじらずに撮影をする監督の姿勢も理解できない。

そして、脚本について一切口を挟まない役者の姿勢にも疑問を感じる。たしかに2年かけてこの脚本を書き上げた事は凄いのだが、
この倉本聰を見ていると実にヒトラーや共産党首脳と同じ発想じゃないかと思う。自分が全て正しく誰の意見も聞くつもりは無いと。これじゃ映画という総合芸術には向いていないとしか言いようが無い。

学生デモの青臭い描写とヒトラーのドキュメンタリーの挿入が本作の作品としての風格を明確にちんけなものにしてしまっている。映画にとっての天敵は独りよがりなのである。

ちなみに岡本喜八は僅かながら倉本に抵抗している。それは米国大統領と国務長官が青い血の人間の処理を画策するホワイトハウスのシーンと、暴走族が特殊部隊に大虐殺される北海道のシーンの削除である。



■竹下さんに1000点!


竹下景子 竹下景子
しかし、竹下景子(1953− )はすごくいい。
何と言うかあの唇とマンボウのような表情が堪らない。基本的に私はスタイル重視の人なのだが、彼女に関してはスタイル無視でよろしい。「本当に来てくれるなんて・・・」というラストのセリフもばっちりでそんな彼女のツボにはまった芝居があったのだから、勝野洋には頑張ってほしかった。

それにしても冴子の処女喪失が演歌が流れる安っぽいラブホテルとはまた情緒溢れない悲しさである。こんな所で処女喪失させないで、普通のホテルの一室くらい手配してやれよ。と可愛そうになってしまった。それにしても何だよあの演歌は『トラック野郎』シリーズの一番星のエロ妄想シーンで流れてなかったか?

ブルークリスマス
しかし、本作で何よりも私の心を打ったのは、竹下と勝野のツーショットではなく、
天本英世と岸田森の2ショットだった。凄すぎるこの2ショット。当時日本で最も何かが起こりそうな予感を感じさせるリアル・クレイジーな2人の登場にほくそ笑んだヤツは私1人ではなかったはずだ。しかし、結果は仲代がニューヨークでベンチでドーナッツとコーヒー片手にまどろんでいる時に、遠目にはホットパンツから剥き出しの美脚女性が近づいて来たときと同じくらい、がっかりさせる役柄だった。


■興行的惨敗を喫す


本作は公開当時興行的に惨敗を喫し、最終的には『悪魔の手毬唄』(1977)の併映になったほどであった。本作を評して
「ミステリー・ロマンのロミオとジュリエット。現代のラヴ・ストーリーは、不条理の悲しみに彩られて」と当時のある映画評論家は評価していたが、そう感じるかどうかは見た人の判断に任せる。

ただ一言本作はクリスマスに見るべき映画じゃないことだけは胸を張って主張できる。

− 2007年6月20日 −


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