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ティファニーで朝食を   BREAKFAST AT TIFFANY'S(1961・アメリカ)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 114分

■スタッフ
監督 : ブレイク・エドワーズ
製作 : マーティン・ジュロー / リチャード・シェファード
原作 : トルーマン・カポーティ
脚本 : ジョージ・アクセルロッド
撮影 : フランツ・プラナー
音楽 : ヘンリー・マンシーニ

■キャスト
オードリー・ヘプバーン(ホリー・ゴライトリー)
ジョージ・ペパード(ポール・バージャック)
ミッキー・ルーニー(ユニヨシ)
パトリシア・ニール(2E)
マーティン・バルサム(O・J・バーマン)
ティファニーで朝食をティファニーで朝食を
まさにこの作品は「オードリーの聖典」。その影響力は、如何に多くの美女たちがこの作品のオープニング3分だけを見て、「マイ・フェイバリット」と言わせしめているかという影響力一つとっても明確である。ユベール・ジバンシーによるエレガントなファッションセンスが生み出したゴージャスな女性の基本がこの作品には全てある。そして、その豪華な外郭の中にはさらに普遍的な男女の機微が組み込まれている素晴らしい作品。その女性がエレガントならこの映画を観ずともマイ・フェイバリットに選んでも許せる。しかし、ただのノータリン女が、この作品をマイ・フェイバリットに選んでいたら許せないはず。それ程ホンモノの女≠フ聖典のような作品。

■あらすじ


ニューヨークで高級娼婦として生きるホリー(オードリー・ヘプバーン)。彼女は飼い猫に名前をつけずただ単に「キャット」と呼んでいる。そして、彼女自身も猫のように自由奔放に生きている。そんなある日、上の階に売れない作家の青年ポール(ジョージ・ペパード)が引っ越してくる。そして、ポールはすぐにホリーの不思議な魅力に惹きつけられていくのだった。


■現代人の心の空虚に響くエレガントな喪失感


オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーンの魅力がたっぷりと詰った宝石箱のような作品であることは間違いないが、男女それぞれ感じ方が違ってくる作品である。まず最初にこの作品が生み出す感情、それは男性にとって「退屈」女性にとっては「憧憬」、そして次に生み出される感情は、男性にとって「反発」女性にとっては「共感」である。
最終的にこの作品は、男性にとって「過去」女性にとっては「未来」へと向けられるのである。

主人公のホリーという女性は、高級娼婦(コールガール)であり、表面上は自由気ままに生きている。しかし、実際の所は弟と一緒に行き倒れ同然の所を獣医に救われ、14歳でその獣医と結婚し、やがて南部の退屈な生活から抜け出すべく家出した過去を持つ無教養な容姿端麗な女性である(彼女は決して両親について語らない)。

オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン
その日暮らしを続けるホリーは、ティファニーの前で朝食を取る行為に喜びと安らぎを感じている。
つまり彼女は何かのめり込める偶像を創作したい躁鬱の気のある女性であり、名無しの猫を飼っていることは、何一つ責任を持ちたくない姿勢の現れである。

名無しの猫を飼っている過去の名前を捨てた女性が、ティファニー=「金持ち」というブランドにこだわるバカバカしさ。しかし、このバカバカしさには現代に通じる何かがある。だからこの作品には素晴らしい価値があるのである。


■ホリーの本質に共感できる女性


オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン
ホリーと同じような女性と恋愛した経験を持つ私から言わせていただくと、雨の中でキスをするラストシーンは感動的だが、恐らくホリーはまた名前を変えて生きていくことになるのだろう。
躁鬱病の特徴は、同じ行為を繰り返す所にある。山の頂点とふもとの落差が激しければ激しいほどそこから一直線に飛び降りたくなるのが、躁鬱の厄介な特質なのである。

私は20代後半に、元芸能人のかなり綺麗な女性と約2年付き合っていた。この人は躁鬱であり、ホリーと同じ感じの女性だった。
このホリーは厳密に言うと自由気ままに生きる女性ではなく、自分が何をしたいか?何に喜びを感じるのか?何のために生きているのか?そういった事を考えることを放棄して生きている惰性の中で生きている女性なのである。

自由をつかむ為に考えることすら放棄しているので、一見自由に生きているように見えるが、その実彼女の生き方は、迷い猫そのものなのである。がりがりに痩せているのはファッションではなく、生活の不規則と不健康さゆえであり、アルコールと煙草(そして、ドラッグ)の加重摂取が生み出したものに過ぎない。

この作品が女性の感性を捉えて離さないのは、女性の鋭い感性が、そんなホリーの姿に若干の共感を抱かずにおれないからである。そして、男性という鈍感な生き物は、「美しい」か「ワガママ」という物差しでしか彼女を推し量れずじりじりしてしまうのである。


■将来の恋愛をより輝かせてくれる為のこの恋愛


原作に描かれたホリーの生業は、バイセクシャルな高級娼婦である。そして、この作品の魅力は、そういった要素を全くかき消している部分にある。それはオードリーが匂わせない芝居をしているのではなく、元々脚本の段階から匂っていなかったのである。

この作品の本質は、他者依存で惰性で生きている女性が、その延長線上にあるお金持ちとの再婚を望むのだが、「そんな女性を妻にしたがる金持ちなどいない」という現実を突きつけられ、本当の恋愛をしてみようと決断する女性の美しい涙の瞬間にあるのである。

まず間違いなくホリーとポールという未熟な2人は、長続きしないだろうが、
この恋愛には真実の愛の瞬間があり、2人の新しい魅力を形成する一要素となっていく恋愛だった。そして、先の人生=恋愛にいきる恋愛だった。だからこそ多くの女性はこういう恋をしてみたいと恋焦がれるのである。


■世界中の女性が驚嘆したイブニングドレス


オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン
「いまのファッションを、女性たちは当然のように思って着ているが、もしオードリー・ヘプバーンがいなかったら、そういった服を今着てはいなかっただろう」
元セリーヌのチーフ・デザイナー、マイケル・コース

「ムーン・リバー」の美しい調べと共に、早朝ティファニーのショーウィンドウを眺めながらデニッシュをかじり、コーヒーを飲むジバンシーのノースリーブの黒ドレスで着飾ったホリー。僅かオープニングの数分間で誰もが認めざるを得ないオードリーの魅力が充満している。

オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン
この無駄を削ぎ落とした黒のイブニングドレスと三連の模造真珠のネックレス、特大のサングラスが、完膚なきまでにカポーティという偉大な作家が作り出した世界観を、全てリセットし、再構築したのである。原作の
「たとえティファニーで朝食を取るような身分になっても、自我だけは捨てたくないわ」という意味は、この瞬間から別ものになった。

ちなみにホリーのヘアスタイルは原作に忠実である。ブラウンの髪にブロンドのメッシュを入れ、その髪は前髪を少し残して、全体を高く結い上げ、ヘアに合わせて眉毛も薄めである。

ムーン・リヴァー ティファニーで朝食を
そして、あのヘンリー・マンシーニによる「ムーン・リバー」の美しい調べ。
特に窓辺に腰掛けギターを抱えてオードリーが歌うシーンは母親が赤ん坊に子守唄を聞かせるような透明感溢れる美しさに満ちている。

オードリーが歌うシーンは、ちまたで言われているように吹き替えではなくオードリー自身によるものである。この曲は、歌が上手くないオードリーのために作曲された曲で、わずか1オクターブで歌えるように書かれている。当初この「ムーン・リバー」を歌うシーンをスタジオ内試写で見たスタジオ上層部は、「つまらん歌だ」とカットしようとしていた。しかし、このカットに大反対したのがオードリー自身だった。

ちなみにオープニング・シーンの撮影にあたりデニッシュ嫌いのヘプバーンは、ちょっとかじるだけにしてもらったという。


■正しい女性の見方その一 ただただヘプバーンに見とれる


オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン
「私はティファニーに夢中なの」

「イヤリングは男が女に贈るリール(糸巻き)よね」


ホリーとポール。有閑マダムの世話になる男性と、男性から男性へ夜な夜な渡り歩いて生きているコールガールの女性。結局の所は似たもの同士であり、だから兄弟のようにわかり合えるのである。

「女から金を取るの得意でしょ!」「無駄使いはよせと言ってるんだ、金で身を売る女でもね!」「2秒で消えて!」

異性から金を吸い上げる習性を持った人間にとって、愛情は第三番目にのみ位置する。この作品の事実を言うと。一番目に外見、二番目に金、三番目に愛情が常に位置している。それはこの男にとってもこの女にとってもである。しかし、ココには目をつぶろう。なぜならヘプバーンの映画なのだから。

ところで世の中の魅力的な女性の中には、ホリーのような女性が実際に少なくない。私が数年前に自由な恋愛関係を保っていたモデルの女性もホリーと似ていた。出会ったその日に私のホテルに雪崩込んできて、積極的で、自由で、連絡が途絶え忘れた時に連絡の来る女性。

オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン
本作公開時に世界中で最も衝撃を与えたファッションがコレである。そうこの
カプリーヌ帽。横に垂らしたリボンが歩くたびに風になびいて顔をふさぐのだが、それを払いぬけながら歩くオードリーのエレガントなことエレガントなこと。


■とてつもなくエレガントなオードリーのパーティー・スタイル


「バカ・・・平凡よりましよ」

「モデルよ・・・退屈のシンボルね」


ホリーの自宅で行われるパーティー。パーティーを描くことが死ぬほど好きなエドワーズらしくこの作品でも、ぐだぐだとパーティー・シーンが続く。エドワーズの一つの欠点は物語のメリハリのなさである。しかし、、それは置いておいて、このシーンでオードリーは実に魅力的なアイテムを持っている。

それはやたらに長いタバコである。まさに女性の自由奔放さを表すアイテムの一つ。ある意味乗馬ムチのようでもあり、
「オードリーはこの作品で指揮棒の先にタバコを挿して、そんな指揮棒を振り回しながら世界中の女性を新しい美の世界へ誘ってくれた」でもある。

ティファニーで朝食を オードリー・ヘプバーン
注目して下さい。ホリーのリビングルームにあるソファーを。これ実はバスタブを半分にカットして作り上げた特製ソファーです。かなりオシャレな一品です。座り心地は微妙ですが・・・


■イチイチ・キャラクターに目くじらを立てる必要なぞない


ミッキー・ルーニー
『ピンク・パンサー』でケイトーを生み出したエドワーズらしく。このオヤジの東洋への憧憬転じてかなり差別的なユニヨシ氏が登場する。演じるはミッキー・ルーニー(1920− )。このオヤジの存在は、かなり際どく映画のムードを壊すとも、映画の眠気覚ましになるとも言える。

テレビに出演する外人タレントを見て散々バカにしている日本人の感覚と同じ感覚で見れば、全く目くじらを立てる必要もない一種の誇大化された人間描写であり、逆にルーニーがここまで真剣に演じてくれた事に感動さえも沸き起こる(日本人は小説にも登場する。ちなみに小説の舞台は1943年)。

エドワーズというアジア人を茶化す映画を撮り続けてきた男に、不愉快を感じるならばピンク・パンサーのテーマ曲にも憎悪を示すくらいの一貫性を持つべきだろう。私とすれば喜劇の中で描かれる笑いとしての人種的にバカにした描写なぞ笑って済ませられる範疇である。


■パトリシア・ニールの格好いい姐御ぶり


「あなたはスタイリッシュな女性だからスタイリッシュに別れよう」

「じゃあ、有給休暇をあげるから二人で私の小切手で旅行にでもいってらっしゃい」


体よくパトロンの有閑マダムを追い出そうとする都合のいい男ポール。この作品で最も格好いい女は実はこのマダムだったのかもしれない。夫に退屈しきり、自分の芸術的感性で若い男性にチャンスを与えながら、ロマンスも楽しむという人生謳歌の姿勢。それでいながら、別れ話を持ちかけられても、泣いてすがりつきも、叫びもせず、
「ただのお遊びなんでしょ?その子とも」という余裕ぶり。

最近の女々しい中年男性諸君もこの女性の毅然とした態度を見習うべきだろう。このマダムを演じるのは大女優パトリシア・ニール(1926− )である。この翌年に『ハッド』にてアカデミー主演女優賞を受賞することになるのだが、この人さすがに演技力のある女性だ。

「ぼくの助けが必要なところにも惹かれた」

恐らくポールが去ったとしても、彼女を必要とする男性は多く存在するだろう。それ以上に、彼女無しでポールが生きていけるのか?この方が問題である。マダムはポールの保護者であり、母親だったのだから。そもそもこのポールを演じるジョージ・ペパード(1928−1994)は、エドワースも暗に匂わせているように役不足であり、彼は作家というよりもただのマザコン青年にしか見えない。


■かくしてティファニーは世界的に名を響かせた


ティファニーで朝食を オードリー・ヘプバーン
「今日は今までにしなかった事をしましょうよ!」


この発想が実に素晴らしい。「今までしなかった事をしましょう」という発想。ティファニーでコーンキャンディのおまけの指輪に文字を刻み、図書館に行き、雑貨屋で万引きする。お互いの今までしなかった事を交互でした上で、
最後に万引きしたお面を取って=「今まで心を覆っていたものを取って」キスをする2人。

心から利害関係無しにキスをするという2人に共通して今までしなかった事をする瞬間。2人の中に、この時から新しい何かが生まれ、今までの何かが死んだ瞬間だった。

このデートのシーンで流れる音楽が実に幻想的で美しいのだが、その時にティファニーでホリーが言うセリフが印象的だ。
「ここに不幸なんてないでしょ」「40歳前の女にダイヤは不要ね」の二つのセリフ。不幸がないことを幸せと勘違いし、40歳前の女にダイヤは不要ねといいつつもお金持ちとの再婚を切望するこのヒロインの迷走ぶりを明確に示すセリフである。

ティファニーで朝食を ティファニーで朝食を
今、ティファニーでお菓子のおまけのような指輪に刻印をしてくれるのか?と大阪のティファニーで働く友人に聞いてみたところ彼女はこう答えた。「絶対ムリね」と。現実はそんなものである。そして、もう一つ質問した。「この映画のようにそんな指輪を持ってきて刻印してくれと言ってきたカップルは今までいるか?」と。すると彼女はこう答えた。「時々いるわよ」と。何気に私は感動した。

ちなみにこの作品は19世紀から伝統を誇るティファニーの店舗内で初めてロケが敢行された作品である。撮影にあたり営業時間を避けて、夕方5時から早朝まで、2週間にわたって五番街の交通が遮断された。そして、店内のシーンも主役2人に対応する店員役のジョン・マクバイヴァー以外は盗難を恐れ、全て実際の店員をエキストラに撮影は行われた。


■雨の中で口づけを交わす二人


オードリー・ヘプバーン ティファニーで朝食を

「女は口紅をさしてからじゃないと、こういう手紙は読まないものよ」

「人が人のものなんて、檻はお断りよ!」

「ホリーでもルラメーでもないわ。猫と同じ名無しよ!誰のものでもない一人ぼっちよ」

「人のものになりあう事だけが幸福への道だ。自分だけは自由の気でいても、結局は生きるのが恐ろしいんだ。自分で作った檻の中にいるんだ。その檻はテキサスでも南米でもついて回る。自分からは逃げられないからだ」


最後のタクシーの中でのホリーとポールのやり取りは実に刺激的である。「束縛されるのは嫌い!」「じゃあ猫のように生きたいのか?」「孤独は嫌、でも檻の中はもっと嫌」「キミは自分自身を鎖に繋いでるんだよ」という内容なのだが、現代においてもこの会話は、女性はおろか男性にとっても刺激的な会話ではないだろうか?

「あなたは何を求めて生きてるのか?」そして、2人は初めて感じた愛に突き進んでいく。雨の中。もちろん人生は単純ではない。2人の恋愛に倦怠が必ず襲い掛かるだろう。そして、ホリーもポールも昔の気楽な生活が懐かしくもなるだろう。しかし、
結果的に破局を迎えようともこの一つの恋愛の存在は、永遠の美しい記憶になるのである。

あなたはどう思いますか?美しい恋の記憶を多く持つ人を、不幸だと考えますか?その分苦悩の経験が多いとしても・・・

オードリー・ヘプバーン ティファニーで朝食を
このキャットは撮影にあたって9匹の猫を使用したという。公開後世界中で空前のオレンジ色のとらねこブームが起きたという。ホリーの感情を表現する体現者でもあるキャットは重要な出演者の一人だった。

この眉毛がプリントされたアイマスクもすごくオシャレだが、何よりもオシャレなのは、男物のカッターシャツをパジャマ代わりに着ていたオードリー。この作品以降女性が全裸に男物のカッターシャツを着るのが流行した。


■もしマックィーンがポール役だったら・・・


オードリー・ヘプバーン ティファニーで朝食を ティファニーで朝食を
本作の原作は『冷血』などで有名な作家トルーマン・カポーティが1958年に発表した「ティファニーで朝食を」である。カポーティは、ホリーをマリリン・モンローが演じるという条件で、映画化権を6万5000ドルでパラマウント社に売却する。当初は、モンロー主演、ジョン・フランケンハイマー監督で企画されていたが、肝心のモンロー自身が、師匠リー・ストラスバーグの
「コールガールは君の新しいイメージのために良くない」との忠告に従い降板する。

モンロー降板により、キミ・ノヴァクにホリー役のオファーが出されるが、彼女もコールガールの役柄を拒否し、結局ヘプバーンの登板となる。当時ヘプバーンはホセ・ファラーとの第一子を出産したばかりだったが、わずか三ヵ月後の1960年10月9日から撮影開始された。

ティファニーで朝食を ティファニーで朝食を
250万ドルの予算のうち75万ドルがオードリーのギャラとして支払われた。一方共演者のポール役にはスティーブ・マックィーンが濃厚となったが、TVシリーズ「拳銃無宿」の契約が残っていたので実現不可能となった。12月21日に撮影が終了し、試写会にて作品を観た原作者カポーティは、原作とかけ離れた内容に椅子から転げ落ちたという。

結果的に1961年アカデミー賞劇・喜劇映画音楽賞、歌曲賞を受賞し、主演女優賞(オードリー・ヘプバーン)、脚色賞、美術監督・装置賞(カラー)にノミネートされた。現在までに世界中で公開され1億4000万ドルの興行収入をあげている。

− 2007年9月29日 −


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