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戦場にかける橋   THE BRIDGE ON THE RIVER KWAI(1957・アメリカ)
■ジャンル: 戦争
■収録時間: 155分

■スタッフ
監督 : デヴィッド・リーン
製作 : サム・スピーゲル
原作 : ピエール・ブール
脚本 : カール・フォアマン / マイケル・ウィルソン
撮影 : ジャック・ヒルデヤード
音楽 : マルコム・アーノルド

■キャスト
アレック・ギネス(ニコルスン大佐)
ウィリアム・ホールデン(シアーズ)
早川雪洲(斎藤大佐)
ジャック・ホーキンス(ウォーデン少佐)
ジェームズ・ドナルド(軍医クリプトン)
戦場にかける橋
人類に恒久平和なぞあり得ぬ。そんな理想を高々と掲げている人々は人類の本質が全く理解出来ていない。人類とは、「何故か突如として与えられた知性という諸刃の刃」を唯一持つものたちである。人類の歴史とは明確に「各地で頻発する戦争の歴史」であり、戦争だけを学べば人類の歴史の全てがわかるといわれているほどである。だからこそこの作品は、私達に完膚なきまでの無常観を伝えてくれる。それは戦争は決して亡くならないという事実以上に、社会生活の中でも私たちはこの主人公達のような矛盾溢れる状況に直面する可能性の中で生きているという事実からである。しかし、何よりもぞっとするのは、この作品を観てそれすら感じない類いの人である。「そう、あなた達は矛盾を抱えることすら出来ない生き方をしているのか?いやそもそも本当に生きてるのか?」

■あらすじ


第二次世界大戦中のタイとビルマの国境にある日本軍の捕虜収容所に、ニコルスン大佐率いる英軍の大隊が送られてきた。収容所所長斎藤大佐(早川雪洲)は、クワイ河に橋をかける作業を将校を含む全英軍収容兵に課した。それに対しジュネーブ協定違反であると反発するニコルスン。一方、2人の対立を尻目に米軍捕虜のシアーズ(ウィリアム・ホールデン)は収容所から脱獄を図るのだった。


■戦争というものの本質


戦場にかける橋
完膚なきまでに画面上に展開される戦争の本質の残酷さ。
戦争というものが如何にして、多くの人間の幸福の種を紡ぎ取るのか?その瞬間がこの作品の中に残酷なほど克明に描かれている。一人の人間に絶えず付きまとう「創造」と「破壊」の願望のせめぎ合い。その感情は恋愛、仕事、生活の中でも絶えず葛藤している。全ての登場人物が極めて人間的だからこそ生み出される不条理がこの作品にはある。

この作品のニコルスン大佐はまさに黒澤明監督の『生きる』の志村喬そのものであり、自分の全人生の存在の証明として彼は橋を作り上げたのである。そして、自らの手により戦争の狂気の中で橋を破壊してしまう無常観。それ以上に残酷なのは、彼以外は死に彼はまだ生きながらえたという事実。
戦争というものの本質は破壊であり、創造ではないことを改めて教えてくれる。

そして、ニコルスン大佐の自我は明確に橋の崩壊と共に崩れ去った・・・。

戦争の中で一人の人間の感情の起伏なぞいかに無力であり、一度発生した戦場の狂気は説明不可能な行動で支配される様が完膚なきまでに描かれている。この作品を越える戦争映画(この作品以前には『西部戦線異状なし』(1930)のような傑作も存在した)がいまだ誕生しない理由は、明確に
「戦場の兵士や人々の死に様の無残さに焦点を当てすぎている」ためである。


■戦争を無くしていく為のまず第一歩は?


戦場にかける橋 ウィリアム・ホールデン
本作には日本軍、イギリス軍、アメリカ軍の兵士が登場するのだが、それぞれの違いと同義性が見事に描かれている。
戦争の狂気は如何にして生み出されるのか?その本質は誇り≠竍人間性≠竍自由≠フ喪失から始まる合理主義であることが良く分かる。

ホールデンにとっての自由≠フ喪失、ギネスの誇り≠フ喪失、ジョイス(起爆装置を押す場所にいた青年)の人間性≠フ喪失が橋の爆破という終焉につながるのである。橋は爆破された。しかし、
作り上げた橋を爆破することは重要なことなのか?建設に命をかけることに対して、破壊に命をかける姿は崇高なのか?

そういった問いかけ以上にこの作品の凄さは、
橋を作ること自体が、自然の調和に対する人類の驕りかもしれないと暗に匂わせているところにある。「何でも思うがままにしようとするそのワガママさ」。いわばシアーズたち工作員一行は、徒歩で橋の懐に侵入するのだが、彼らは実は自然の代行人でもあったともいえる。

大自然のクワイ川に戦争という目的のために橋を建て、「後世に名を残せれば」と無分別に考える自然に対する侵略者でもある人類に対する戒めを行う為に彼らは派遣された。
我々はどこまで自然を破壊し、人工建造物を作り続けるのか?自然を破壊する行為に終わりはないのか?自然なくして人類は生きながらえられるとでも勘違いしていないか?調和という言葉についてなぜ真剣に考えてみないのか?

結局自然に対する破壊行為が、人間間の争いをエスカレートさせているのではなかったのか?
戦争の歴史の本質にあるものは、環境及び生態系の破壊であること。そして、「調和」ある生き方の放棄であることを思い出さなければ、「ああ・・戦争というものはしちゃいけないものなんだ」と念仏のように唱えていても、かなり空しい空念仏に終っている今までと同じである。


■人間には言葉ありきなんだ


「楡の木で作った橋脚は600年も長持ちしました」


我々は自然に対する畏敬の念をことごとく利用しつくしてきた。自然に関する知識が「即利用して人類のために使おう」ではいけない。この物語の本質にあるものは徹底的な
コミュニケーションの不足である。自然と人類の対話がほとんどなされていないように、戦争の本質が、コミュニケーションの不足を敵味方同士はもちろん味方同士でも生んでしまう危険性を描いている。

それは物語の前半で、ニコルスン大佐が時間さえかけて訴えかければ、どんな人間とも歩み寄ることが出来るというガンジーの非暴力運動にも通じるメッセージを訴えかけているからこそ、後半の対話不足が生み出した結末がさらに観るものの心に響いてくるのである。

ニコルスン大佐と斉藤大佐、ニコルスン大佐と工作員たち、工作員内でも河を挟んでジョイスとウォーデン、対話不足の例を上げればキリのないほどである。そして、
この本質は、携帯電話、パソコン、便利な交通網でコミュニケーションを助けるはずのものが、決定的な対話不足を生み出しているという現代人の「対話不足」の本質と共通しているのである。

東南アジアのジャングルで生み出された対話不足が生み出した人間の不幸が、この日本で生きる人々の小さな幸せを同じように不幸へと変えているのである。
物がないからこそ生み出される一体感と、モノが溢れているからこそ生み出される孤独感。今の時代の方が「ココロとココロをつなぐ橋」さえも存在しない状態なのかもしれない。


■何故最近の役者には風格が伴なわないのか?


アレック・ギネス アレック・ギネス
物語も素晴らしいが、この作品登場する役者も素晴らしい。特にこの2人アレック・ギネスと早川雪洲が素晴らしい。ポスター等のパブリシティーではウィリアム・ホールデンが主役となっているが、それはあくまで集客力の為であり、現在となってはこの作品を観てホールデンのシーンで退屈こそすれ、一番印象的だったと思う人はいないだろう。

とにかくアレック・ギネス(1914−2000)には風格がある。そして雪洲にも風格がある。最近の一連の硫黄島の映画を観ても分かるが、そこには風格はない。そして、恐るべきことにスター性は少しあっても重厚さはほとんどない。最近の役者に重厚感と風格がないのは、役者のせいばかりともいえない。むしろ作り手と鑑賞者に問題がある。

重厚感と風格は、ある程度ゆったりとした映像感覚が必要である。最近の映画の主人公は、皆急かされて生きているようで、そういう視点で見てしまうと全てがちゃっちい。
人間にとって、急かされて生きている姿ほど人間の風格が損なわれている時はないのである。

まさに、この作品もゆったりと流れていたクワイ河の流れのように悠々とした映像感覚の中で生み出された二人の役者の風格が、導火線を発見した途端に、急かされ、風格を失っていくからこそ魅力的なのである。
最近の映画は、開始1秒後から導火線を発見している映画がほとんどである。


■雪洲が堂々とセッシュウした瞬間


戦場にかける橋
ギネスの凄さは歩き方一つとっても見事に感情に反映させている点にある。しかもごく自然に。このギネスの重みに対抗できるのは、やはり雪洲しかいなかったのだろう。
しかし、物語の開始早々雪洲に「セッシュウ」させるところなぞ映画好きには心憎い演出である。

印象の薄いホールデンの役柄は元々脚本家のカール・フォアマンがハンフリー・ボガートを念頭に描いていたものである。しかし、ボギーが諸事情により参加できず、ニコルスン大佐役で考えられていたケーリー・グラントをシアーズにと考える。一方、ニコルスンは重厚なローレンス・オリビエにオファーを出すがはねつけられ、ギネスにお鉢が回ってきた。

当初ギネスは、この原作が反英国的だということと
「私は観客が2時間半も堅物の大佐を見たいとは思えない」と考え、さらには『オリバー・ツイスト』(1948)でデヴィッド・リーンと衝突していた事もあり断っていた。そして、チャールズ・ロートン、ジェームズ・メイソン、ラルフ・リチャードソン、ノエル・カワード、アンソニー・クエイル、レイ・ミランドたちにオファーが出されたが、結果的には、親友のジャック・ホーキンスのアドバイスによりギネスは役柄を引き受けた。


■日本が生んだハリウッドスター第一号・早川雪洲


早川雪洲 戦場にかける橋 早川雪洲
本名早川金太郎。1889年に千葉県の富裕網元の末っ子として生まれる。海軍大将に憧れ、海軍予備校を卒業するも、海軍兵学校に入校出来なかった為、得意な英語を生かし1910年単身アメリカに渡りシカゴ大学に入学する。1913年帰国の為に立ち寄ったロサンゼルスで日本演劇を観劇し、その拙さに激怒し、演技経験がないにもかかわらず強引に押しかけ入団し主役になったという。そして、尊敬する西郷隆盛の別名「南洲」にちなみ雪洲と名乗る。

1914年に日本人劇団の同僚の女優青木鶴子(1891〜1961)と結婚する。彼女との子はいなかったが、女優のルース・ノーブルに生ませた子を含め3人の子がいた。戦争中鶴子は3人の子を引き取り帰国したが、ハーフの子供たちの容貌により戦時中大変苦労したという。

戦場にかける橋 戦場にかける橋
1915年パラマウントに移って主演したセシル・B・デミル監督の『チート』(1915)が大ヒットし、東洋人初のハリウッドスターとなる。1918年自らのプロダクションを設立し22本の映画を製作する。当時のギャラはチャップリンとほとんど変わらないくらいに高給取りだった。しかもハリウッドの豪邸を購入し、無名時代のルドルフ・ヴァレンチノはそこで使用人として働いていたほどだった。

しかし、そんな順風満帆な雪洲に暗雲が立ち込めた。1920年代に全米で高まった排日感情である。そんな風潮に嫌気をさし、1922年にプロダクションを解散し、雪洲はハリウッドを去る。サイレント時代に56本の作品に出演していたのだが、今後はヨーロッパを拠点に活動することになる。戦争中は鶴子に子供を任せ自身はフランスのパリで生活していた。1937年に日独合作の国策映画「新しき土」にも出演している。

1949年、ハンフリー・ボガート(1899〜1957)と『東京ジョー』で共演する。そして、1957年に本作に出演するのである。斎藤大佐役でアカデミー助演賞にノミネートされるも、『サヨナラ』のレッド・バトンズが助演男優賞を受賞する。結果的に雪洲は生涯に101本の映画に出演し1973年東京で死去した。


■文句なしに印象的な「クワイ河マーチ」


この作品のもう一人の主役は間違いなく「クワイ河マーチ」である。日本ではユニークな替え歌で誰もが知る曲だが、元々は、1914年にケネス・アルフォードに作曲された行進曲「ボギー大佐のマーチ」がオリジナルである。

第二次大戦中は「ヒトラーは玉が一個しかねえ」という替え歌で連合軍兵士に親しまれていた曲だった。当初リーンはその替え歌を歌わせる予定だったが、プロデューサーのサム・スピーゲルが「歌詞の内容が粗野すぎる」と口笛に変更になった。



本当の「戦場をかける橋」の姿


戦場にかける橋
第二次世界大戦中の1942年から1943年にかけて日本軍は泰緬(たいめん)鉄道=iタイのノーンプラードゥクとビルマのタンビュザヤを結ぶ総全長415kmの鉄道)建設を行った。この作品のモデルとなった橋はミャンマーとの国境に近いタイ・カーンチャナブリー市街を流れるクワイ河にかかっている。この鉄道工事のために東南アジア一帯から連合軍捕虜約6万人、各地から集めた現地人約17万7000人が動員され通常のスピードの3倍もの速度で1年3か月で完成した。

虐待、過労、食糧不足、病気による犠牲者は、分かっているだけでも連合軍捕虜だけで1万2619人。現地人は8万5000人が命を失ったと言われている。そのため泰緬鉄道≠ヘ
「死の鉄道」と形容された。しかし、それと同じくらい悲劇的なのは、インパール作戦の失敗で敗走した日本兵だった。その無残な姿に連合軍の捕虜ですら、食糧を与えたほど壮絶で悲惨な状況だったという。

実際の橋建造の物語の主人公はフィリップ・トゥーシー英軍中佐(1904−1975)とタマルカン捕虜収容所所長斉藤曹長(?−1990)であった。物語と違い斉藤は、非人道的な待遇を捕虜に与えなかったので、トゥーシーも戦後の戦犯裁判に出廷し彼を弁護したという。斉藤はトゥーシーを非情に尊敬しており、戦後には文通のやり取りをしていたという。その文通には
「あなたが私の人生哲学を変えてくれました本当に感謝しております」「私はキリスト教に入信しました」等記載されている。1975年にトゥーシーが死去した時に、斉藤は現地を訪れている。


■リーン初の大作映画。この作品からリーンの大作伝説は始まる


戦場にかける橋
壮大なロケーションもこの作品の最大の魅力である。とにかく戦争から10数年しか経っていないという事もあり、映像がホンモノの迫力に満ちている。そして、この作品以降大作映画を撮っていくだけあってリーンの壮大なる映画的スケール感が素晴らしい。特に橋が爆破されるシーンは圧巻としか言いようがない。

本作は、実際はスリランカのセイロンでオールロケーションが行われている。撮影のために8ヶ月かけて、35頭の象と500人の労働者を使って橋が建設された。この橋の建設だけで25万ドルの費用がかかったという。


■最後にもう一つ何か≠しておく事がいつも必要だ


この作品は実に色々な側面から鑑賞するに値する作品なのだが、中高年の管理職及び経営者にとっては、このニコルスン大佐のリーダーシップぶりに注目するだろう。

「部下達には自分の仕事に誇りを持たせることが肝心だ」

このセリフに象徴されるように、いかに効率的に部下を働かせるか?そして組織とは、まず明確なゴールをリーダーが示す必要があるという重要な要素。その中ではシアーズのような個人プレーは許されないという現実。
誇りを胸に一体感をもって物事にかかればどんな大事業も成し遂げられるという事実。

しかし、一方で強力なリーダー・シップは壮大な計画を実現させるが、最も重要である計画の再検討及び状況に応じた判断が出来なくなり、ほとんどの場合は独りよがりな計画になってしまうという悲しい事実。この橋をはじめ強力なリーダー・シップの下で築き上げられたものには、どうしても人々は人間的温かみ=愛着≠抱けないのである。

強力なリーダー・シップの積み重ねが生み出したものは得てして偉大なる事業よりも、その中に私利私欲が入り込み強大な犯罪行為に陥りやすいのは、今の日本社会を見ていても理解しやすい。
実際21世紀に入り、これからの人間は、ゆとりを持って生きていくすべを学ばないと社会全体が機械の歯車のような無機質なものになり、「なんのために生きているのか?」わからなくなるだろう。


■一体何のためにそれをやり遂げたのだ?


アレック・ギネス
「私は何のために?」


ニコルスンはそういって失神し、起爆装置の上に倒れこみ、全ては無に帰するのである。戦争の実態はことごとく人間の尊厳を打ち砕くものであるという本質を一瞬で描き上げたすばらしいラストシーンである。

ニコルスンがもし失神しなければ彼は爆破したのだろうか?その問いは極めて意味のない問いである。彼の失神は爆風の勢いよりも
「太陽が眩しい」的に精神が真っ白になったがためなのだから。だからこそ彼は帽子を無意識のうちに拾い失神したのである。

戦場にかける橋 戦場にかける橋
そして、最後に取り残された軍医が放つ言葉
「狂っている!どう考えてもコレは狂っている!」。そう狂気は下へと感染していった。つまるところその当時の指導者の狂気もその前の世代の狂気から始まっているのである。そう考えれば、現代のアメリカ社会の崩壊過程と、国家的戦争犯罪はその前の世代から培われた狂気なのである。そして、今の日本も・・・

ラストの少し前に、シアーズとニコルスンが顔を見合わせ「YOU!」「YOU!」と反応しあうシーンも何とも印象深い。ちなみにサム・スピーゲルは5バージョンのラストを撮影させていた。その他のバージョンのラストとは一体どういうものだったのだろうか?

「ニコルスンと同じように勇気という言葉に酔いしれておけ!」シアーズ

「死に方の事しか考えない。人間らしく生きることが一番大切なのに!」シアーズ


■ハリウッド中の監督が辞退した題材が歴史的な芸術品となった


戦場にかける橋 戦場にかける橋
原作は後に『猿の惑星』を発表するピエール・ブール(実際に日本軍の捕虜となった経験が有る)が1952年に発表した同名作である。それを赤狩りでハリウッドを追われる事になったカール・フォアマンとマイケル・ウィルソンが脚色した。当時赤狩りの最中だったので、この事実は秘密にされていた。

この作品は監督選びに苦慮した作品だった。ジョン・フォード、ウィリアム・ワイラーも候補に挙がり、ハワード・ホークスは脚本を読み「男だけの映画なんてつまらない」と辞退し、フレッド・ジンネマンは原作に理解を示せず辞退した。オーソン・ウェルズも監督兼出演でオファーされたが、脚本を読んだ後に辞退を決心した。結果的に誰もがやりたがらないので大作を撮ったことがないリーンが引き受ける形となったのだった。

当初ウォーデン少佐役をジョン・ギールグッドにオファーされたが、「誰でも出来る役」と辞退した。さらに看護婦役で岸恵子(当時デビッド・リーンは追っかけまわしていた)にオファーがだされたが、辞退された。紆余曲折の末完成した作品は、結果的にアカデミー賞を独占する作品となったが、前述の脚本家の変わりに名義を貸していたピエール・ブール(彼は英語の読み書きは出来ない)がアカデミー脚色賞に輝いた。そして、1984年にようやくフォアマンとウィルソンにアカデミー脚色賞が授与された。

300万ドルかけて製作された本作は結果的に2720万ドルの興行収入をあげ、日本でも1957年度洋画興行収入第一位に輝いた。1957年アカデミー賞作品賞、主演男優賞(アレック・ギネス)、監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞、編集賞を受賞し、世界中の賞を総取りした。

− 2007年10月1日 −


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