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バス174   ONIBUS 174 / BUS 174(2002・ブラジル)


■ジャンル: ドキュメンタリー
■収録時間: 119分


■スタッフ
監督 : ジョゼ・パジーリャ
共同監督 : フェリッピ・ラセルダ
製作 : ジョゼ・パジーリャ / マルコス・プラード
撮影 : セーザル・モラエス / マルセロ・グル
バス174
一人のストリート・キッズの末路が、「ブラジルの暗部」を照らしだす。未来を担う子供が虐げられているこの国の経済成長とは何なのだろうか?家もなく愛情もない中で育った子供たちは殺されて当然の社会悪なのか?ブラジルを通して多くの国の現実「富の分配でなく、富の独占」が見えてくる。犯罪とはある意味被害者の連鎖反応なのである。加害者も何かの被害者であり、その被害者が新たな被害者を生み出す行為でもある。「安易に悪の捌け口を求める」のではなく「悪の成長」の過程を真摯に見つめるべきである。

■あらすじ


2000年6月12日リオデジャネイロで1人の青年が、バス強盗に失敗し11人を人質にバスに立て篭もった。ブラジル全国において3500万人が中継を見たという「バス174事件」である。この事件には当時マスメディアを通して全く見えてこなかった犯人像からブラジルの別の側面が垣間見えていた。実は犯人サンドロ・ド・ナシメントはストリート・チルドレンであり、警官による虐殺事件の生き残りでもあったのだ・・・


■真のドキュメンタリーの迫力


バス174
シティ・オブ・ゴッド』(2002)という傑作は、1960年〜70年代の軍事政権による独裁国家ブラジルのリオデジャネイロのファベイラ(スラム)に住む子供たちを描いた作品だった。そして、この作品は1990年代にファベイラから外に出たストリート・キッズたちの姿を描いた作品である。

ドキュメンタリーの持つ力。それは
「言葉で言い表せぬ圧倒的な現実の提示」である。目で見て理解しがたい圧倒的な現実を見せつけることによって、嫌でも関心を呼び起こすのがドキュメンタリーというものの役割である。そして、この作品はそういった迫力に満ちた作品である。

「子供にとって一番必要なもの」・・・それは愛情。この作品ほどこの当たり前の事実を理解させてくれる作品は少ないだろう。省みて日本においても、親が子に愛情を降り注がない家庭が増えてきている。この作品の中のブラジルの姿は明日の日本の姿でもあるのだ!


■本当の地獄とはこういう生涯のことを言うのかもしれない


バス174 バス174
サンドロは、何のために生まれてきたのだろうか?

2000年に起こったバスジャック事件の中から、バスジャック犯・サンドロ・ナ・メシナント(1979−2000)の実像が浮き彫りにされるにつれて、軽々しくは口に出来ないほどの不幸すぎる一人の青年の実像が浮かび上がってくる。サンドロの母親は、彼が6歳の時に目の前で惨殺された。親を失った彼は、やがてストリート・キッズになり、ギャング団に入りシンナーや覚醒剤で人生の侘しさを紛らわすことになる。

そして、1993年12月リオ市内にあるカンデラリア教会前で暮らしていたストリート・キッズたちが警官により無差別襲撃される事件が起きた。この事件により7人のストリート・キッズが惨殺される。そして、サンドロはこの事件の生き残りでもあった。(警官達のこの私刑行為が法的に裁かれることはなかった)

暴力はそれを受けた人間を暴力的にするという。サンドロは常に誰にも存在を認められないような環境で生き、暴力の中で生き延びてきた。そして、いつしか彼自身が暴力を行使する側に立っていった。


■オープニングの豊かな色彩感に埋もれた貧困


それにしてもオープニングのリオデジャネイロの空撮は、実に見事に全ての問題点を描きあげている。まさに「天国と地獄」の構図。貧困生活が日常となっているすぐ隣のブロックで、豪勢な生活が日常となっている状況がくっきりと示されている。

とくにぞっとするのは緑の中に豊かな色彩で押し寄せてくる貧富のコントラスト。「僕には幸せなんて無縁さ」と嘯く10歳を過ぎたくらいの少年。この国には、諦めという名の憎悪が渦巻いている。少し陳腐な例を挙げるとすると21世紀に生まれたリアル『北斗の拳』の世界である。

「弱い奴が泣きを見る世の中になっちまったんだよ」のセリフそのものの世界観。そういえばついこの間まで日本において「勝ち組、負け組」という言葉がもてはやされたが、この発想はまさしくこの世界観に通じるのではないか?


■見えない子供たちは、無関心と闘う


バスジャックされているバスの横を普通に自転車が走り過ぎていくという、警察による道路封鎖もいい加減な状況の中、サンドロは生まれて初めて浴びる脚光の前で、ドラッグの影響もあり混乱し、錯乱し、興奮する。しかし、ここで一つの現実が、彼にのしかかる。
サンドロは生まれてこの方「人に要求したことがなかった」のである。そのことによりバスジャック犯が何が望みなのか分からず困惑する警察。

この事実が悲しいほどの事実を突きつけている。サンドロは生きることに精一杯で、子供らしい「誰かに要求するという」習慣さえも知らなかったのである。このことは彼を居候させてあげた女性が、彼に部屋とテレビを与えてあげた時の驚きにも垣間見えている。
「これ僕一人で使っていいの?」

誰かが価値や存在を認めてくれなければ、自分はいないも同然になってしまう。誰かが光を当ててくれるまで自分の存在は無だ。そうサンドロは、誰にも存在すら認められない環境で生きてきたのだった。



■映画じゃないぞ!本物だからな!


バス174
「映画じゃないぞ、本物だからな!」

サンドロは、こうも叫んでいるのである。
「オレはメディアが作り出した虚像じゃないぞ!現実だからな!」と。テレビという媒体が生み出すものは、現実に人々を近づける効果よりも、現実から人々を引き離す効果があるらしい。多くの人はより他人事に対しては忘れやすくなり、自分の事には躍起になっている。

現在の世界の歪みは、躁鬱などの根源でもある、自分のことだけを考える人間が増えているからだろう。外に目を向けることによって人生はより豊かになる上に、人間関係もより豊かになるのだが、現在は、他人よりも自分自身にほとんどの時間を割きすぎる。

ある意味自分ひとりが幸せならという浅ましい感情が、結果的には全体的な不幸の蔓延を導いているのかもしれない。



■ブラジルは国家みずから若者を凶暴化している


The degree of civilization in a society can be judged by entering its prisons.
ある社会の文明の成熟の度合いは、その社会の囚人になることによって判断できる。
ドストエフスキー


約1億8000万人の総人口の中20万人の囚人がブラジルには存在する。そして、モラルの低い看守により暴行は日常茶飯事であり、監獄の収容人数も通常の3〜5倍を抱えている。本来更正する施設である刑務所は、
ブラジルで最も危険な犯罪者の隔離場所であり、憎悪の渦巻く世界でもあるのである。

だからこそ出所後、より凶暴となった生きる糧を持たぬ若者たちが、富裕層から憎悪の対象となるのである。結局はお互いを全く理解する土壌のない国なのである。生まれながらの金持ちは貧乏人の気持ちなぞ理解も出来ず、生まれながらの貧乏人は、金持ちの気持ちなぞ理解できない。相互理解よりも憎悪の構造である。

そして、
ブラジルのリオのカーニバルを始めとする黒人奴隷が生み出したサンバのリズムは、苦しすぎる現実逃避の讃歌でもあるのだ。サンバのリズムが世界中で最も明るい響きである理由も、それだけの苦しみの中生きてきたという理由でもあるのだ。こういった現実を理解しようとせずにただただ観光名物として理解してきた人類の愚かさ・・・。


■テレビから生まれている社会の二極化


このドキュメンタリーは、声高には叫んではいないが、ある意味マスメディアと言うものの暴走と、限界を示している作品でもある。つまるところメディアにとって視聴率が命であり、日本では特に顕著だが、スポンサーは神様である。

かつてシドニーで日本のテレビ関連の仕事をした時に感じたのは、テレビの世界には製作側に凄まじいほどの驕慢が渦巻き、人気番組を制作していれば、全ての驕慢が許されるという不道徳感に満ちている事実である。私はそれは悪いことではなく極めて人間的なことだと考えるが、その姿勢には虫唾が走るのでテレビは極力見ない。

そもそもテレビに期待すること自体笑止であり、テレビはデビューしたてのアイドルが枕営業をしなければ生き残れない程度の不道徳の極みで結構なのである。それが真に必要ないと感じれば自然に消滅するのだから目くじらを立てる必要はないのである。

本作において「サンドロを利用して、ショーのようにその死及び人質の死さえも望み実況中継していた」という好奇心を煽るメディアの姿勢が疑問視されているが、そういったものを見たいものは見ればよいし、そんなものにまみれて貴重な時間を食い潰すのはもったいないと感じる人は元々見ないだろう。

こと日本においてはテレビをほとんど見ない人が増加しているのは眼前たる事実であり、
私のようなテレビに強度な拒絶を示す人も、テレビに依存する人が増えているのと同じくらい増えているのである。実際、テレビというものの過信から社会の二極化は始まっているのである。


■尊厳のかけらもないブラジルの警官という職業


「リオで警官になるのは定職のない人たちです。たいていは長い失業期間のあと食べるため仕方なく警官をやっています」


最終的にサンドロは、警官に首を絞められ殺されるのだが、そこまでされるほどのことをしたのか?と純粋に首をかしげざるを得ない。そもそもこのブラジルの警官という存在が、基本的に失業している失業者の仕事だということに驚いた。誰からも尊敬されない仕事なのだろう。だからこそ行動に誇りの欠片もないのである。

ちなみにバスジャックの4時間後にサンドロは人質の女性一人を盾にしてバスから突如降りてきた。その瞬間に一人の警官が至近距離から狙撃するが、弾は不発もしくは外れ、一発のみがなんと人質の頭にヒットした。そして、この狂気の沙汰に驚いたサンドロも女性の背中に3発銃弾を放つ羽目になった。なんだそれは・・・こんなお粗末な人質救出劇は始めてである。


■イボネ・ベゼラ・デ・メーロ


バス174
結局サンドロ・ド・ナシメントの殺害容疑により三人の警官が告訴されたが、無罪になった。この救いようのないブラジル社会の闇を通して日本の現状を見直してみると、色々大切な闇の影を感じることができるだろう。
そして、観る人それぞれがそういったものを考えていくことが、自分の思考能力を高め、自分自身にゆとりを生み出し、ひいては日本社会にとってプラスになるに違いない。

最後に本作にも登場するソーシャルワーカーのイボネってなんか輝いてるいい女だよな。1947年に裕福な家庭に生まれ、裕福な夫を持ち、三人の子の親でもある彼女は、母親の影響と18歳から始めたNGOボランティアの影響で、もう何十年も一人で黙々とストリート・キッズやファベイラの子供達の救済活動に励んでいるのである。最後に彼女の印象的な言葉を引用しておこう。

「子供たちの攻撃的な性格には、原因があります。彼らは家庭で親から罵倒され、路上に逃れても警官やマフィアあるいは世間の人々から虐待されます。この子たちは、一度も家族に抱きしめられたり、愛されたことがないんです。そんな彼らに他人を信じたり、他人を思いやったりできるはずはないでしょう。」

− 2007年7月26日 −


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