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ノストラダムスの大予言   CATASTROPHE 1999(1974・東宝映像/東宝映画)
■ジャンル: パニック
■収録時間: 114分

■スタッフ
監督 : 舛田利雄
製作 : 田中友幸 / 田中収
原作 : 五島勉
脚本 : 八住利雄
撮影 : 西垣六郎 / 鷲尾馨
音楽 : 冨田勲
ナレーター : 岸田今日子

■キャスト
丹波哲郎(西山良玄)
黒沢年男(中川明)
司葉子(西山信枝)
由美かおる(西山まり子)
ノストラダムスの大予言
実は「ノストラダムスの大予言」でもなんでもなく「五島勉の大予言」だったこの原作。ノストラダムスやハッタリ親父・五島勉よりも。ドクター・ストレンジラブ状態の丹波哲郎よりも、さらに食人族や、未来人よりも、ドングリコロコロのジジイよりも遥かに後年の日本人にとって有害だったのは、由美かおるの最低な芝居と不気味としか言いようのないカルト宗教的な砂丘の舞いだった。この人害により以降の邦画は、この程度の芝居と演出が許されるようになった。

■あらすじ


西山環境研究所所長・西山良玄(丹波哲郎)は高度成長による自然破壊が、人類に破滅をもたらすという事をノストラダムスの予言に照らし合わせて世論に訴えかけていた。そんな折夢の島に巨大ナメクジが発生した。更に赤潮や異常に能力の発達した子供が出現する。一方、世界中でもエジプトで吹雪が舞ったり、南海の海上が凍結するという異常な状況が頻発する。そんな中ニューギニアの異常現象を調査するために派遣された調査団からの連絡が途絶えてしまう。その行方を調査するために西山を始めとする第二次調査団が派遣されることになった。


■被爆者の方々に対する偏見を増長するとは思えないが・・・


当社が製作配給しました映画「ノストラダムスの大予言」は、その製作意図に反し、心ならずも原水爆で被害を受けた方々に対する配慮と認識が足りず、被爆者の方々に対する偏見を観客に与える部分がありましたことを深くお詫び致します。つきましては12月20日以降、その部分をカットして上映しますのでご容赦を賜りたくお願いします

1974年12月25日主要新聞紙紙面上に以上のお詫び≠ェ掲載された。東宝株式会社、株式会社東宝映画、東宝映像株式会社によるものである。大阪の被爆者団体による、被爆者の方々を怪現象として描いたことに対する抗議に対してなのだが、果たして抗議をした被爆者の方々はこの作品を通しで観たのだろうか?(ちなみに本作の公開は1974年8月3日から)

どこをどう見ると被爆者の方々に対する偏見を増長させる内容なのだろうか?むしろ核戦争に対する恐怖や世界がそうならないようにというメッセージが、子供にも容易に伝わりやすい内容なのではないのか?もはや形式的に繰り返されているような原爆反対のイベントに比べるとよっぽどメッセージとして万人に伝わりやすいのではないか?

放射能汚染による影響で精神に異常をきたしたニューギニアの現地人(顔にケロイド症状あり)が食人族になったり、核戦争後に生き残ったミュータントの造形に対する抗議だったのだが、この描写が被爆者に対する偏見を増長すると本気で思っているのだろうか?その物語の根底に流れる意図なぞ一切考えずに、表面的な事だけを捉えて、単略的に反応するその姿勢。

むしろこの作品をもとに、文部省推薦という本作のお墨つきも利用して、子供達にも被爆者の方々の実際の苦悩を合わせて啓蒙するようなフィルムを東宝に作成してもらいそれを最後の一分ぐらいに挿入してもらった方が、偏見を増長しない結果となったんじゃないだろうか?
こういった有無を言わさぬ削除要請こそが、国民に被爆者の方々について真剣に考えるきっかけを奪ってしまっていることを団体の人達は理解できないのだろうか?

議論をせずに圧力をかけるだけでは、ただの圧力団体と変わらない。まがりなりしも人権を云々言うのであるならば、国民に議論のきっかけを与えるような団体になるべきではないのか?これだけは真面目に言っておきたい。


■1999年7月はただ通り過ぎていった


「1999年7月。空から恐怖の大王が降って来る・・・」


この作品が公開された時、オレはまだ生まれていなかった。だからこの作品の存在を知ったのも21世紀に入ってからである。しかし、小学生の頃からノストラダムスの大予言は話題になっており、オレも20代で世界が滅ぶんだなとぞっとしたりもしていた。

ガキの頃は、真面目にガキ同士で、1999年7の月に世界はどういう形で滅ぶんだろうか?と語り合いながら皆一同に「北斗の拳」のようになるんだろうなと競って極真空手や少林寺拳法を習いに行ったもんだ。やはり弱肉強食の時代に備えてというガキの単純な発想によってのことだが・・・

実際1999年の7月が到来する前には、当時シドニーにいたオレは、世界が滅ぶんだからエッチしようと日本人女性とエッチに成功したりもしていたのだが(その成功をいい事にオーストラリア人にノストラダムスの大予言を説明したが、分かってもらえないというダサイ経験もしたが・・・)結局何も起こらなかった・・・。結局
五島勉という「恐怖の大王」が1973年から1999年にかけて詐欺まがいの恐怖の流言で私腹を肥やしただけだった。


■由美かおるというカタストロフィー


ノストラダムスの大予言 ノストラダムスの大予言
映画として面白いかはともかくとして、物語は非常に興味深い。ただし、私的には由美かおる(1950− )のシーンこそ全てカットしてもらってよかったと思うほど、この人の芝居は酷すぎる。とにかく台詞回しも間も悪すぎる。

「映画の演技は、注意深い準備と自然さとの微妙なブレンドだ。新鮮な思考と会話の演技は、それがまるで最初であるかのように、聞き、反応することから生まれる。・・・聞いて、反応すること。もしあなたが自分の台詞のことを考えていたら、その瞬間あなたは何も聞いていないことになる。他の人の目を見て、自分の反応を呼び起こすのだ、まるで初めて聞いていたかのように彼の言うことを聞くのだ」マイケル・ケイン

以上の芝居における基本的な部分を彼女と黒沢年男(1944− )は全く理解していない(少なくとも当時は)。とにかくお互いの会話を、一切の間を置かずにぽんぽんと壁あてのボールを取り合っているようにセリフを投げ合っている。しかも、由美に関してはセリフさえちゃんと喋れていないので、
もう由美かおるの芝居こそが、一つのカタストロフィーだった。


■丹波哲郎は三度死ぬ そして、熱弁を振るう!


ノストラダムスの大予言 ノストラダムスの大予言
「オレはこんな役柄を演じかったんだ!」

という声が聞こえてきそうなほどにハイテンションな丹波哲郎(1922−2006)フルスロットル。もはや芝居ではなく独演会とでも言えるほどの丹波節が轟き渡る。公開当時のスクリーンにおいては、何とも奇妙な光景が見られたものだろう。
満員の映画館内でシーンと静まり返りながら丹波節を拝聴する民たち。

丹波哲郎・・・何とも役者という存在を果てしなく超えた人だ。この男がいたからこそこの作品は成り立った事だけは確かである。例え由美かおるや黒沢年男といった俳優としてのカタストロフィー現象がこの作品を害しようともそんなものを吹き飛ばすパワーがこのオヤジ一人(+山村聰)にはあった。

それにしても日本各地で起こる奇妙な現象の数々が、微妙に気味悪い。やけに早足で歩く小学生。ジャンプ力が脅威的にある少女。
木の上に登りドングリコロコロを歌う開発大臣。その直ぐ後に小坂明子の「あなた」を歌うバスガイド(これは奇妙な現象じゃないか)。


■現在7人に1人が世界中で餓えに曝されている


ノストラダムスの大予言 ノストラダムスの大予言
更にこの作品を盛り上げてくれるのが、岸田今日子(1930−2006)のナレーションの声である。
稲川淳二なんかよりも100倍怖いこの声音。1960年頃の岸田さんに膝枕されながら怪談を読んでもらえたら・・・すごく幸せだな。もうこの無感情な声音が絶品だ。そこに冨田勲のなんとも不気味なシンセサイザー音楽。

物語の前半から早速丹波節が炸裂し、その緩急のない力説振りに念仏のように聞き流してしまう変なクセのつく作品だが。何気にその中に興味深い会話が内包されている。

「一年間で500万人が餓死。4.6秒に一人という割合かなぁ」というくだりである。このセリフを現在に置き換えてみると
「8億5000万人の餓えた人々が世界中におり、まさに7人に1人は餓えているのが現状の世界である。そして、毎日2万5000人が餓死している」なんかこの作品当時の現状よりも遥かに世界が悪い方向に走ってるんじゃないか?


■この作品から身につまされる部分は少なくない


ノストラダムスの大予言 ノストラダムスの大予言
問題の食人族の描写がニューギニア探検のシーンにて描かれる。たしかにそのケロイド状が意味するものは、原爆症であることは明確なのだが、映画の最初か最後に、被爆者の方々の偏見を増長しないように配慮した映像での説明が成されればカットされるべき範疇の映像であるとは思えない。

むしろこの生々しさが、核というものに対する恐怖を植えつける力があるように思えるのだが。ちなみに1980年11月3日月曜日の19時から約3時間にかけてテレビ朝日系列で全国放映されたときには、このシーンはカットされていなかった(最後のミュータントのみカット)。

「現に人間でも過剰な都市への集中化はストレスを生み、無気力・精神病が増えてきて、決して健全な人間生活の場とは言えなくなるでしょう」

小泉博が本作で言及するこのセリフは、現代人が苛まれている精神的な病そのものではないだろうか?密集する人の中で実感する孤独感、競争社会や成果報酬制度が生み出す過敏なストレス、押し寄せる過敏な情報の波の中で疲労困憊する心、そして、自然の喪失が生み出すゆとりの喪失。


■ドクター・ストレンジ・タンバ


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「そして、人口抑制のためには、言うには忍びないが、弱きもの、能力なきものは・・・人類を存続させる事こそが真の意味でのヒューマニズムだ!」

ドクターストレンジラブ化する丹波哲郎。それにしてもオゾン層の破壊により家屋が燃え、人々の肌が焼け爛れていく描写や、高速道路上で連鎖的に爆発していく車群の描写は悪くない。

ノストラダムスの大予言 ノストラダムスの大予言
しかし、シンナーやマリファナを吸って現実逃避するヒッピー族や、海面ダイブする暴走族の一団(コレで実際に岩に直撃しスタントマンが大怪我したという)の描写は、なんともスケールが小さくて奇妙ではあるが、その奇妙さには見逃せないポイントがある。

特にシンナーやマリファナを吸って現実逃避する姿というのは、極めて現在的ではないだろうか?大気汚染や自然破壊がもたらすものと同じく、社会の硬化が若者に閉塞感をもたらし、働き甲斐のある職場を失わせ、もはや生き甲斐さえも感じさせなくなっている現状がある。この現実に対して人々は真摯に受け止めないといけない。
今や「若者は働かない」とボケをかましてる時代ではないのだ。「若者は働かない」のではなく「働き甲斐のない獣扱いの職場環境にうんざりしている」のである。

しかし、死の航海に出る一団は、いつの時代においても全くセンスの欠けらもない山本寛斎のファッション・ショーを観ているようでセンス悪すぎとしか思えない。


■由美かおるの砂丘こんにゃく踊り


ノストラダムスの大予言 ノストラダムスの大予言
もはや伝説の域に達した由美かおるの砂丘での舞い。う〜〜ん。カルト臭せぇぇ〜。しかも、海辺で白のホットパンツに厚底ブーツというファッションで、絶対誰かと一緒に観たくないようなベタベタな追い駆けっこのシーンの果てに、気が狂ったように踊り狂う姿に丹波節がナイスにかぶさる。

「このような現象は日本各地に起こる。一般民衆にとっては不吉な天変地異の前触れとしか思えないのでありまして」

う〜〜ん。確かに砂丘で踊り狂う由美かおるの姿は不吉な天変地異の前触れとしか思えない≠謔ネ。でも「いやよ〜」と言って年男から逃げる時の声はかなりカワイイ。オレも由美かおると二人っきりで砂丘にいたらおっかけっこするかもな・・・男ってバカだよな。


■人類滅亡後に登場するミュータント


ノストラダムスの大予言 ノストラダムスの大予言
そして、核戦争後に人類滅亡後の大地に登場するミュータント。これがニーチェの言う超人なのか?それとも奇形した人類の成れの果てなのか?それはともかくとしてオレ的にはこの造形はなかなかナイスな造形だと思う。確かに原爆症を想起させるが、想起させるからこそ明確な反核のメッセージとなっているように思える。但し、これを公開する場合、被爆者の方々に対する誤解を解くために最後に一分くらいの啓蒙メッセージは入れるべきだろう。

この最後のシーンは、劇場公開においても一週間ほどでカットされているという。確かに今観てもグロテスクなのだから、何の断りも無く唐突に出てきたらインパクトありすぎではある。

そして、丹波&山村の熱篭もり過ぎの理想論がぶたれた後、
Gメン歩きで国会を背景に歩く丹波と他二人の姿でこの作品は終幕を迎える。確かに理想論過ぎる嫌いはあるが、若いうちに見ておいてもいい類いの作品だとオレは思う。特に人間の思い上がり≠これでもかという程叩きのめしてくれる内容は、若いうちにこそ観ておくべき価値があるんじゃないか?


■1974年は丹波哲郎の年だった


本作は、1973年11月25日に発刊され驚異的なベストセラーとなった五島勉の「ノストラダムスの大予言」を原作にしている。作家の半村良も映画化にあたり協力しているが、最も多くの影響を与えているのは、当時農林省食品総合室長だった西丸震哉の終末論である。

製作費6億5000万円をかけて作られた作品だが、1974年5月13日には東宝のスタジオで撮影中にセットが全焼し1億5000万円の損失を受けたと言う。その金額も製作費に含まれているのかは分からないが、特撮にそれほどお金がかかっているようには思えない。

ちなみに本作は文部省推薦映画であり、併映されたのは『ルパン三世 念力珍作戦』だった。1974年の邦画興行収入第2位(8億8300万円、1位は『日本沈没』3位は『砂の器』)を記録した。

当初続編として『ノストラダムスの大予言U 恐怖の大魔王』の製作も企画されていたが、被爆者団体からのクレームなどにもより立ち消えになった。ちなみに本作は、食人族、ミュータントをカットした上で1986年ビデオ発売寸前まで行っていた。しかし、突然発売中止になってしまう。

− 2008年2月16日 −


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