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チャイニーズ・ブッキーを殺した男   THE KILLING OF A CHINESE BOOKIE(1976・米)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 108分

■スタッフ
監督・脚本 : ジョン・カサヴェテス
製作 : アル・ルーバン
撮影 : フレデリック・エルムズ / マイク・フェリス / アル・ルーバン
音楽 : ボー・ハーウッド

■キャスト
ベン・ギャザラ(コズモ・ヴィテリ)
シーモア・カッセル(モート・ワイル)
ティモシー・ケリー(フロー)
アジジ・ジョハリ(レイチェル)
アリス・フリードランド(シャーリー)
チャイニーズ・ブッキーを殺した男
カサヴェテスがコズモに自身を投影し作り上げた作品。ベン・ギャザラの男のダンディズムを感じてほしい。この佇まいがそのもの男のやせ我慢の美学である。

■あらすじ


ストリップクラブを経営するコズモ(ベン・ギャザラ)は、店を購入するために借りた借金をようやく完済し、自分の城が持てたと大喜びで、クラブのダンサーを引き連れて闇カジノに繰り出した。そして、マフィアから2万6000ドルの借金を抱えてしまう事に。その時マフィアから借金を帳消しにする代わりにある仕事をしてくれと提案される。それは「チャイニーズ・ブッキーを殺してくれ」だった。


■ベン・ギャザラ・イズ・イコン・オブ・ダンディ


とにかく本作は、主人公コズモを演じるベン・ギャザラ(1930− )の男の哀愁につきる。ストリップクラブを経営していて、せっかく借金を完済し、ストリッパーではあるが彼を愛している黒人の美しい彼女までいるにもかかわらず、ホッと一息闇カジノに繰り出し、2万6000ドルの借金をこしらえてしまうのである。

やっと築き上げた安定への感触を、一瞬にして崩壊させてしまうこの男。でも痛いほどにこの男の行動も分かる。
人間安定を勝ち取ったときにこそハメをはずしたくなるものであり、そういった時にハメをはずさないとどこでハメをはずすんだ?と言う気持ちになるものである。

そんな駄目なオヤジ・コズモの表情一つ一つが男のダンディズムに満ちている。ギャザラ自身はこの役柄を演じるにあたり、相当役作りで苦労したらしい。そして、カサヴェテスがアドバイスしたと言う。ギャングとは、人々の夢を潰そうとしたり盗み取ろうとする奴らのメタファーなんだと。そう涙ながらに語るカサヴェテスを見て、ギャザラはこの作品が、カサヴェテスの監督として叶えたい夢に対する必死のもがきを投影していることを理解したと言う。

チャイニーズ・ブッキーを殺した男
ちなみに黒人の恋人レイチェルを演じたアジジ・ジョハリ(1948− )は、168pの身長に抜群のプロポーションで1975年6月にプレイメイト・オブ・ザ・マンスに選ばれた。当時デヴィッド・ボウイと付き合っていた。本作出演のきっかけになったのは、カサテヴェスがハンバーガー・ショップに行ったときにウェイトレスとして働いている彼女の母親(本作でもレイチェルの母親役で出演)に会ったことだった。


■異国の裏町のうらびれた猥雑感がまたよい


昔海外に住んでいたときに一年間ストリップクラブや夜の歓楽街に関わる仕事をしていた。広告業なので、昼間は大学や一般のレストランが相手なのだが、夜はこういった店が相手になる。ストリップクラブは基本的に夕方からダンサー達がポールダンスの練習に入るので、夕方前に仲良くなったダンサーと軽くカフェに行ったり、経営者とビジネスの話をしたりしていたが、雰囲気は本作の感じそのものだった。

私は芸術的なものを愛すると同時に、裏町のいかがわしい雰囲気=退廃的な町の雰囲気も愛したという多くの芸術家の人々の気持ちがよく理解できる。日本では夜の店は基本的に堂々とネオンを出せるが、海外においては実にうらびれた裏町にひっそりと密集しているものなのである。

本作は、そういった異国の裏町の匂いがする。そして、その匂いがなぜか温かいのである。



■ストリップクラブで働く人々の物語


チャイニーズ・ブッキーを殺した男 チャイニーズ・ブッキーを殺した男
本作の主役はファミリー(=ストリップクラブのダンサーとスタッフ達)である。マフィアとのごたごたを描いた作品に見えるが、実際はストリップクラブという言わば裏町の芸術活動にそれなりに誇りを持ちつつ演出・運営してきた1人の男の少しばかりの誇りを描いたドラマである。

だからこそ本作はミスター・ソフィスティケイションに費やす時間が長いのである。場末ながらもストリップショーというものにそれなりの誇りを感じながら生きているダンサーやスタッフ達。皆それぞれに焦燥感や、苛立ちを持ち、そういった感情をぶつけ合っているが、そういった混乱も父親のような大らかさでコズモは、なぐさめまとめていくのである。

コズモがストリップクラブにいるときの眼差しの、厳しさの中にもわが子を見守るようなやさしさがすごくよい。コズモがやっと店を自分のものにし、ダンサー達を闇カジノに招待するときに一軒一軒迎えにいくのだが、その家族ぐるみの付き合いが、実にコズモという男の本質を示している。

コズモは成功した実業家でもなんでもないが、ストリップクラブを経営しており、それに少しばかりの誇りを持っている。たまには面接に来た女の子といい仲になったりもするが、根の部分には、人生にうまくいっていない人を何とかしてあげたいという強力な父性が伺えるのである。だからこそ、彼はダンサー達に慕われているのである。本作はコズモが愛している「クレイジーホース」の物語でもあるのである。



■スコッセッシと作り出した世界観


しかし、本作におけるマフィアの描写は実に滑稽である。アル・パチーノやマーロン・ブランドみたいな感じのマフィアは一人も出てこない。服装も実に地味で、そういった意味においては『グロリア』のマフィアとよく似ている。実際はこんなものかもしれないなと言う感じがまたよく。こっちのマフィアの方が、有無を言わせぬそのやり方ゆえに現実味を感じさせてより怖く感じる。

特に闇カジノで多額の借金を背負った人々が待たされる一室のシーンが実にユニークで、実際カサヴェテスもこういった経験をしたんじゃないか?というくらい本当か嘘か分からないリアリズムに溢れている。本作はカサヴェテスが友人マーティン・スコセッシと雑談しながら思いついたアイデアをマフィア・シーンのプロットの中に組み込んだという。


■チャイニーズ・ブッキーを殺した男


「チャイニーズ・ブッキー」と聞いてさぞかし、強面の中国人のマフィアの大ボスなんだろうなと予想していたら、なんとプールで若い娘と遊びに講じるよぼよぼの爺さんであった。その見た目の迫力指数は0に等しく、しかもあっさりとコズモにヒットされてしまうお粗末さである。

本作のブッキー暗殺シーンは全く淡白かつおそまつ極まりない描写であり、そこがまたコズモらしさを感じさせる。実際のこういった出来事はこんな感じで起こってるんじゃないかと妙に納得させられる映像の淡白感がカサヴェテスの魅力である。

映像を淡白に、感情は自然に。それがカサヴェテス・スタイルである。


■老芸人の肉声とダンサーの肉体


チャイニーズ・ブッキーを殺した男 チャイニーズ・ブッキーを殺した男
本作において、下腹部に銃弾を浴びているコズモはおそらく死ぬことになるだろう。そして、ストリップクラブもマフィアの手に落ちるかもしれない。こうして一つの夢のお城は落ちてしまう。やがて月日が経ちダンサーやスタッフ達はコズモを懐かしむだろう。「あの頃は良かった」と。

そして、コズモこそカサヴェテス自身なのである。私の死をもって始めて評価されるかもしれない。
人間は何かを作っていくにあたって、人間と人間の向き合いをして作っていかないと、お金や集客ばかり目を向けていると無機質なものしか出来上がらないよとコズモ=カサヴェテスが言っているようである。

だからこそ、ミスター・ソフィスティケイションは、伴奏もない肉声で歌い続けるのである。そして、ダンサー達も自分の肉体の全てをさらけ出すのである。
この老芸人の肉声とダンサーの肉体は、まさにカサヴェテスの映画を作り出す根幹である即興性の象徴なのである。

そういった意味においてはコズモのいらだちは、カサヴェテス自身のいらだちの投影なのである。


■カサテヴェス曰く


チャイニーズ・ブッキーを殺した男チャイニーズ・ブッキーを殺した男チャイニーズ・ブッキーを殺した男チャイニーズ・ブッキーを殺した男チャイニーズ・ブッキーを殺した男チャイニーズ・ブッキーを殺した男チャイニーズ・ブッキーを殺した男チャイニーズ・ブッキーを殺した男チャイニーズ・ブッキーを殺した男
「あの映画の面白味と挑戦は、僕が生きている世界とは異なる独立した世界を描くことにあった」


とカサヴェテスは語っている。ちなみに本作は135分バージョンで当初はリリースされたが、わずか7日で不人気のため上映打ち切りになった。そして、1978年にカサヴェテスは再編集を決意し、108分の長さの再編集バージョンを作った。この再編集バージョンは135分をただ単にカットしたものではなく、使用されなかったシーンなども挿入された違ったものになっているという。

− 2007年6月11日 −


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