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冷血 IN COLD BLOOD(1967・アメリカ) | |||||
| ■ジャンル: ドラマ ■収録時間: 133分 ■スタッフ 監督 : リチャード・ブルックス 原作 : トルーマン・カポーティ 脚本 : リチャード・ブルックス 撮影 : コンラッド・L・ホール 音楽 : クインシー・ジョーンズ ■キャスト ロバート・ブレイク(ペリー・スミス) スコット・ウィルソン(リチャード・ヒコック) ジョン・フォーサイス(アルヴィン) ポール・スチュワート(ジャンセン) |
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■あらすじ 刑務所で知り合ったペリー(ロバート・ブレイク)とリチャード(スコット・ウィルソン)は、同房で知り合った男から聞いた話を元に、カンザス州の豪農の一家を襲撃することにした。しかし、そこには43ドルしかなかった。そして突然ペリーとリチャードは何かに取り付かれたかのように一家四人を惨殺し始める。 ■「法には二種類ある。金持ちの法と貧乏人の法さ」 ![]() とことんまでドライな視点で描かれた本作は、『ティファニーで朝食を』のトルーマン・カポーティが6年の歳月を費やして書き上げたノンフィクション小説『冷血』を原作にした作品である。1959年に実際に起きた強盗殺人事件を題材に、カポーティは『アラバマ物語』のハーパー・リー女史の協力の下に最初の3年を犯人に対する獄中インタビュー等による6,000頁に及ぶ資料収集に費やし、あとの3年をその資料の整理につぎ込んみ書き上げた。 後に述べる犯人の1人ペリー・スミスの生い立ちとカポーティの生い立ちには実に共通点がある。彼の両親も子供の頃離婚しており、彼も教育をまともに受けずに独学で今の地位を築き上げた人だったのだ。それ故に、カポーティはペリーと獄中において親密だったという。 ■コンラッド・ホールとクインシー・ジョーンズ オープニングからコンラッド・ホールの撮影が冴えている。暗闇の長距離バスの中マッチの灯りで浮かび上がるペリー(ロバート・ブレイク)の顔が、マッチを吹き消すと同時にぱっと消えて、ライフル銃をじっと見つめるリチャード(スコット・ウィルソン)の姿が映し出される。もうこのオープニングから何故か鳥肌が立つ。 そして、見事な映像から映像への流れに魔法をかける役割としてクインシー・ジョーンズの音楽が素晴らしい効果をあげている。本作は驚くほど映像美とシーンからシーンのつなぎの恣意性に満ちた作品である。 ちなみにコンラッド・ホールは『明日に向かって撃て』(1969)、『アメリカン・ビューティー』(1999)、『ロード・トゥ・パーディション』(2002)でアカデミー撮影賞を受賞している。 ■思い出が人間に与える影響 人間は基本的に記憶する生き物であり、その人間がどういう人間か理解したければ、その人間にとって最も印象的な思い出を3つあげてもらうといい。それ位思い出と言うものは人間の人格形成及び行動パターンに影響を与えているものなのである。そして、本作においても実に効果的にペリーの思い出が何個か思い浮かべられている。 ペリーが、母親との良きロデオの思い出を思い出すシーンはとても美しいシーンだが、この甘く楽しい思い出が、もう1つの思い出である母親が売春をして若い男といちゃついているモーテルの片隅にペリー達子供4人がそれを悲しそうに眺めている思い出を残酷なまでに浮き立たせているのである。 観客はペリーという人間が明確に思い出と夢(ラスベガスで歌手として有名になる妄想のシーンが冒頭にある)に取り付かれた青年であることを知るのである。それはつまり過去と未来を見て、現実逃避して生きている青年の姿なのである。 ■映像の連続性が生み出す恵まれるものと恵まれぬものの格差 ![]() 本作において最も印象に残る要素として、編集の巧みさが挙げられる。必ず前者と後者の出来事が連続して違う形で継続していくのである。前半のペリーとリチャートの犯人2人とクラッター一家(被害者となる一家)の描写において最も言えることだが、この二つに連鎖性を持たせることによって惨めさから豊かさ、そして惨めさへさらに豊かさへと転換していくのである。 この対比が見ているものにも痛いほどに、犯人と被害者のある意味の生まれ育ちの不平等感をあおるのである。しかし、ブルックスの見事なところは、そうして、犯人に同情させておいて、中盤から終盤においては犯人と警察を同じように対比させることによって、犯人の卑劣さを浮き彫りにするのである。 そして、さらに最期の最後で絞首刑の場において、犯人に同情させるのである。この見ている側の感情に揺さぶりをかける手腕は並ではない。感情を揺さぶられることによって、見ている側はこの事実の物語に対して強烈な印象を植え付けられるのである。 事実をそのまま描くのではなく、映画の要素を見事に使いきって描かれているからこそ、事実がより事実として受け止めやすくなるのである。最近の何月何日場所はどこどこといったテロップや無駄な説明に溢れかえるノンフィクションを題材にした作品にはこの姿勢が明確にかけているのである。 ■2人の死刑囚、ペリーとリチャード 実に主役の2人がいい芝居をしている。ペリーを演じたロバート・ブレイク(1933− )は子役からこの世界に入った人で本作の前にすでに『非情の町』(1961)で印象深いレイプ犯を演じていた。代表作は『雨のニューオリンズ』(1965)『夕陽に向かって走れ』(1969)『グランド・イン・ブルー』。本作のペリーの芝居の見事さにアンソニー・ホプキンスは『羊たちの沈黙』でハンニバル・レクターを演じるときに参考にしたという。身長163pと小柄でネイティブ・アメリカンとの混血児を演じたが実際はイタリア系である。 一方、リチャードを演じたスコット・ウィルソン(1942− )は同年『夜の大捜査線』(1967)のチョイ役から本作に抜擢された人である。当初はポール・ニューマンとスティブ・マックィーンで撮影される予定だった。 ■実際に殺人罪で逮捕されたロバート・ブレイク ![]() ちなみにロバート・ブレイクは2000年11月に24歳年下の女性ボニー・ベイクレーと結婚している。ボニー(当時44歳)は2001年5月4日にロスのイタリアレストラン「Vitello」の前で車の助手席にいるところを銃で撃たれ殺された。ブレイクと2人で食事をした後に、ブレイクがレストランに忘れ物を取りにいった間に殺害されたとの事であった。 実はこのボニー・ベイクレーはかなりの曲者な女性で、身分証明書やクレジットカード偽造などの犯罪歴や売春歴があった。しかもブレイクと結婚するまでに9回の結婚歴がある(どうやら結婚詐欺を行っていた)。彼女は、7歳の時から父親に性的虐待を受けて育った子で、母親も放任していたと言う。そして、彼女は高校卒業後女優になろうとハリウッドに出てきた。しかし、全くうまい事行かず、ずっと売春婦のようなことをしてしのいでいた。1990年代ジェリー・リー・ルイスの子供ができたと彼に訴えかけるが、DNA鑑定で事実ではないことが判明する。さらに長女(1981− )の売春の手配やドラッグ常習者だった。 ボニーの死の翌年ブレイクが実行犯として逮捕された。2人は結婚の2年前にジャズ・クラブで知り合った時に、ボニーとその晩モーテルで関係を持ったことからやがて子供が生まれたので、結婚することになったのだが、ブレイクは結婚に不本意を感じていたらしい。刑事裁判の結果、2005年ブレイクは証拠不十分により無罪になるが、民事裁判では4人のボニーの子供たちに3000万ドル支払う判決が出た。
■あくまでもリアリズムにこだわる ![]() あくまでもリアリズムの追求に拘ったリチャード・ブルックスは、実際に事件があった殺害現場で本作の殺害シーンを撮ったと言う。さらに法廷シーンも実際にこの事件で使用された法廷を使用し、陪審員も6人は当時陪審員を担当した人々に演じさせた。 さらに絞首台も本物を使用しようとしたがそれは認められなかったという。ブルックスの当時の再現にこだわる姿勢が撮影現場の俳優達に異様な臨場感を生み出させた。被害者役の俳優も、ロバート・ブレイクもスコット・ウィルソンも怖いくらいに本人の役柄にのめりこんでいったという。そして、そののめり込みによって本作の異様な臨場感は生み出された。 ■「彼らはたまたまそこにいただけだ」 「動機の認められぬ殺人<Jンザスの病院が殺人犯4人を研究した。彼らの共通点は脈略のない殺人を犯した点。自分の肉体や性的能力に劣等感がある点。虐待を経験した点。片親がいなかったり他人の手で育てられた点。彼らは空想と現実の区別がつけられず犠牲者も知りもしなかった。罪悪感はなく犯行に対する感情は皆無。彼らは警察や精神科医にこう語っている。殺人を犯す前に殺人への衝動を感じた≠ニ」 本作は、現代にも通じる衝動殺人を取り上げた作品である。刑務所でいかに犯罪者同士が知り合い、次の犯罪の情報交換をしているか?といった怖さや、お互いの虚勢がいかにして意識していなかった殺人へと結びつくかといった点が分かりやすく描かれている。 それはつまり「相乗効果の犯罪2人が融合した第三の人格が犯した犯罪」である。1人の無力な人間が、2人集まることによって良い効果を生み出すこともあれば、こういった状況を生み出すこともあるのである。 ■犯行の再現の見事さ あえて犯行のシーンを物語の最後の方に持ってきた脚本の見事さ。実際は前半で犯罪に及ぶ過程が描かれているが、肝心の犯行シーンは描かれず、犯行寸前後にすぐに時間は進み、被害者が発見される叫び声に物語は展開していくのである。つまり一家4人が惨殺されたことについての正確な情報がないまま犯人2人の行動と犯人を捜査する警察の行動に見ている側は集中せざるをえなくなるのである。 そして、段々分かってくる犯行の全貌。そこでペリーが護送されるパトカーの中で自白する中で、「話に乗ったときはやるとは思わなかった。ディックの話は空想じみてた。それがだんだん現実味帯びてきた。計画に命があるみたいにとまらなくなった。小説と同じで先を知りたくなった。結末をね」というセリフと共に犯行シーンが映し出されるのである。 そこでほとんどの人がリチャードが暴走して殺害に至ったと考えていた事実は実は間違いであり、ペリーが惨殺のきっかけを作ったことを知るのである。何ともいえない緊張感としか言いようがない。血が飛び散ったりするわけではないのだが、光と影、そして、音という人間に最も影響を与える要素を見事に使って衝動的殺人を再現している。 結局は映像とはストレートな視覚的効果を求めるとろくなものにならない。 ■世界一衝撃的な絞首刑シーン ![]() ペリーが絞首台に連れて行かれる前に、牧師に父に対する想いを語るシーンは、伝説的な名シーンである。外では雨が降っている。そして、ガラス越しに話すペリーの顔に雨だれが反射して、まるでペリーの涙かのように雨の残影が頬をつたっていくのである。このシーンはあきらかに映像の芸術的領域への昇華である。 ![]() そして、最期の死刑執行のシーンである。もうこのカメラのショットといいブレイクの芝居と言い臨場感が半端ではない。本当に見ているこっちにまで絞首刑の恐ろしさをひしひしと感じさせてくれる。絞首刑のシーンにあたって本作は被害者の殺害されるシーンをフラッシュバックなぞさせない。ペリー本人の心拍音の響きと共に戸板が落ちペリーがぶら下がる姿で映画は終わるのである。 実際に処刑に当たって映し出されるのは死に向かってひたすらおびえるペリーの姿である。ちなみに処刑寸前に彼は何か言い残すことはと尋ねられこういい残すのである。「たぶん俺は謝りたいんだ。しかし、誰に謝れば?」 本作は1967年アカデミー監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞にノミネートされたが、受賞にはいたらなかった。2人を捜査する警部役で『ハリーの災難』(1955)伝説的TVドラマ『ダイナスティ』(1981−1989)のジョン・フォーサイス(1918− )が出演している。 − 2007年6月5日 − |
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