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コントロール   CONTROL (2004・アメリカ)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 105分

■スタッフ
監督 : ティム・ハンター
製作総指揮 : ジョン・トンプソン
脚本 : トッド・スラヴキン / ダーレン・スウィマー
撮影 : デニス・レノア

■キャスト
レイ・リオッタ (リー・レイ・オリバー)
ウィレム・デフォー(マイケル・コープランド)
ミシェル・ロドリゲス(テレサ)
スティーヴン・レイ(アーロ・ベナー)
キャスリーン・ロバートソン(エデン)
コントロール
思わぬ拾い物ほど芸術的な喜びはない。あまり評価されていないものから至宝の輝きを見つける喜び。そんな喜びを感じさせてくれる作品である。完璧ではないがいろいろと素晴らしいものがこの作品には含まれている。

■あらすじ


死刑を宣告されたリー・レイ(レイ・リオッタ)は、極悪人の思考回路を善良化する新薬の投与と引き換えに死刑は取り消しされる。新薬「アナグレス」を開発したコープランド博士(ウィレム・デフォー)の投与する治療によってだんだんと罪の意識と悔恨の念が芽生えてくるリー・レイ。それはリー・レイの芝居なのか?それとも本当なのか?そういった中、事態は急展開していく。


■レイ・リオッタとウィレム・デフォーの夢の競演


レイ・リオッタ
レイ・リオッタとウィレム・デフォーの夢の競演。共に1955年生まれの俳優であり、悪役や癖のある役をさせたら最高峰の芝居をする名優2人が競演することの期待感は、ブラッド・ピットとジョニー・デップが競演する以上である。そんな似たもの2人が全く対極の芝居をしているところが本作の魅力なのである。それにしても冒頭のレイ・リオッタいかつすぎ。


■あらゆる意味で見る側の期待を裏切ってくれる


あらゆる意味で見る側の期待を裏切ってくれた作品が本作である。限りなく冒涜に近い日本版のTVCMを見ているとただの死刑囚に特殊な薬を投薬して、果たして本当に改心するか?どうか?といった内容。つまりリー・レイ(レイ・リオッタ)が凶暴な知性で見事周囲を出し抜いて暴走するB級アクションを期待させるのだが、実際はとんでもなくいろいろ考えさせられるA級ドラマである。

もちろんストーリーの中には、凶暴性を抑圧し、慈愛の心を目覚めさせるという新薬「アナグレス」の人体実験と引き換えに命だけは助けられた凶暴な死刑囚リー・レイが投薬を続けるうちに人間性が芽生えていくその姿は本当なのか?それとも刑を免れるための芝居なのか?という要素もあるが、実際には物語の半ばで、本心から人間性に目覚めていることは分かるのである。

それ以降の物語のキーは、リー・レイと彼によって脳に障害を受けた被害者に対する贖罪、リー・レイが初めて一人の女性を愛し始める恋愛、研究員エデンを恋人にしてはいるが、失った息子への想いと、別れた妻への想いを胸に抱くコープランド博士(ウィレム・デフォー)の迷いといった人間的な感情のドラマが進行していく。


■レイ・リオッタをずっと意識してきたウィレム・デフォー


新薬の開発者コープランド博士を演じるウィレム・デフォーがよい。
さすがに「レイには同い年ということもあり、ずっと気にしていたんだ」というだけあって、抑えた役どころを見事にこなしている。この人の役柄が本作の核であり、この役柄の芝居が大げさであれば、現実味のないドラマに成り下がっただろう。

マイケルの愛人役のエデン(キャスリーン・ロバートソン)の役割も実に現実感溢れる女性である。人生の目的を金や名誉と考える類の女性である。彼女の出演は監督ティム・ハンターの製作したテレビシリーズ『ビバリーヒルズ青春白書』つながりだろう。とりたてて良いと言う訳でもないが、役柄に即したキャスティングである。一方コープランド博士の元妻を演じたポリー・ウォーカー(1966− )の本来の美しさがあまり画面上から感じられなかったのは残念である。しかし、芝居はさすがにハリウッド女優には出せない情感に満ちていて良い。

実際こういったレベルの作品でこそ、本来の俳優の持ち味が活かされるものなのである。よく予算が少ない作品うんぬんと論ずる人がいるが、そういった観点で映画を見るのはよくない。最も予算が少ない作品が優れた作品が多いのも事実なのだから。
予算が超過すればするほど製作に多くの人々の思惑が絡むので思想性に乏しい、ただの資本回収目的の作品に成り下がることも多いのである。

しかし、何故か3台の黒塗りアウディが登場するのだが、スポンサーなのだろうか?たしかにアウディも悪くはないが、こういう不適さを出すシーンならばメルセデスのCLSあたりが良いと思うのだが・・・ちなみにこの作品ブルガリアで撮影された。


■ミシェル・ロドリゲスがこれほどいい女優だったとは・・・


ミシェル・ロドリゲス ミシェル・ロドリゲス ミシェル・ロドリゲス ミシェル・ロドリゲス
テレサ役を演じるミシェル・ロドリゲスが珍しくフェミニンな抑えたいい芝居をしている。この作品で彼女の違った魅力を開花させた監督の演出は素晴らしい。元麻薬中毒者という役割を強調して演じなかったところがよかった。それにしてもミシェルは笑顔がかわいい。こんなに素敵な笑顔を持っている女優だとは本作を見るまで全く気付かなかった。彼女は今後作品次第ではおお化けに化けていく可能性があるだろう。特にマイケル・ジャクソンのスリラー使用ジャンパーを着ているミシェルはすごくキュートである。

「過去と未来を同時に見ると焦点が合わない。だから現在に集中することにしたの」テレサがリー・レイに遊園地のデートで言うせりふ。


■人生の本当の目的を見失いがちな現代


最後の回想シーンの素晴らしさ。特にテレサがリー・レイを見捨てなかったという事が分かるこのくだりは実に素晴らしい。このくだりこそが一つのどんでん返しではないだろうか?そして、最後に最愛の息子を失い、別れていたコープランド博士とその元妻が一緒に青少年保護センターを運営する姿で物語は終わる。
科学万能主義の博士が、科学を捨てさり心と心の交流を選ぶという選択が素晴らしい。

本作はお金と科学と機械に支配されつつある現代人への見事な警句である。我々はもっとゆったりと生きていくべきではないのか?一日に効率よりもゆとりを求めるべきではないか?ゆとりある人生を張りのない怠け者の人生と感じるその心はかなり機械的ではないのか?

人生の目的は・・・お金に支配されるため?それとも科学と機械に囲まれてロボットのように生きるため?土と不便さを恋しく思わないか?緑豊かな自然より冷たい壁に囲まれて生きて生きたいのか?神経的に疲れたり、考え込んだりする理由は明確にゆとりが人生から欠けているからじゃないのか?
そういったことを真剣に考える段階に人類は到達しているのではないだろうか?


■急速な変化よりもゆっくりとした変化・・・


それにしても冒頭のリー・レイのいかつさと、後半のリー・レイの人間味溢れるムードのギャップさすがである。レイ・リオッタに正統派のラブストーリーを年齢的にも演じてもらいたいものである。円熟味と女性に対する男性の色気も十分出せる役者である。元々はマット・デイモンがこの役を演じる予定だったが、降板しレイは代役を即決したという。結果としてレイとマット・デイモンでは芝居の厚みも狂気の濃さも違うのでレイで正解だった。

まさに本作は薬物依存症が日本よりも顕著なアメリカ社会を見事に反映している作品である。そういった部分を皮肉った形でプラシーボ(偽薬)効果をうまいこと使用しているところは見事である。現代人の性質の一つが、何かに依存するという痛いポイントをついている。

しかし、実に素晴らしい作品であるが、実際には私的経験から言わせていただくと覚醒剤中毒者や他人に暴力行為を働く類の人間はなかなか更正できないことも事実である。その人物の性格が培われてきた今までの生活環境や生い立ちと言ったものが作り上げたものを変えることは本質的に難しいのである。この新薬は、実際的には刑務所での更正プログラムにより出所し、出所後は生まれ変わったかのようになるというショック療法と同じ効果をもたらすが、2ヶ月も経てば元に戻る人が大半なのである。
躁鬱病の人間が直らないのも躁鬱が習慣になっていることと同じく、犯罪行為も習慣になるのである。更正するためには周りの理解よりも、自分自身が変われると思う強い気持ちが必要なのである。人間は勝つ習慣よりも負ける習慣の方が納得いく。そして、そのことについて悩む必要はない。勝ちはたまにしかやってこないのが人生なのだから、何か興味のあることを見つけてそれを自分に加えていく事で0+1=1になるように変っていけるのである。

現代の精神科医の大いなる勘違いは、人が変るためには、その根本から変えていかないといけないというコンピューターの設定を変更するかのような愚かな理論である。本当のところ、その人に新しい趣味・習慣・興味が追加されることによって、人は変っていくのである。急速な変化よりもゆっくりとした変化の方が元に戻る事がないということも、大切な要素なのである。躁鬱病はこういった事を考慮して治療すれば治る病である。ただし、せっかちに努力せずに直りたいという人はまずその考え方を改めないと一生直らないだろう。その考え方は病ではなく考え方=性格なのだから。


本作は、監督の力量不足や、脚本の甘さも見受けられるのだが、全体的に言うと、レイ・リオッタとウィレム・デフォーの存在感と芝居の旨さ。そして、ミシェル・ロドリゲスの可愛さ。といったものに助けられ、さらには、物語の主題をしっかりと描ききっているので、弱い部分は気にならない。

それにしてもレイ・リオッタとウィレム・デフォーというあくの強い競演の映画で涙腺が緩むとは思わなかった嬉しい喜びに満ちた作品である。

− 2007年3月22日 −


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