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第五福竜丸   (1959・近代映画協会=新世紀映画)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 110分

■スタッフ
監督 : 新藤兼人
製作 : 絲屋寿雄 / 若山一夫 / 山田典吾 / 能登節雄
脚本 : 八木保太郎 / 新藤兼人
撮影 : 植松永吉 / 武井大
音楽 : 林光

■キャスト
宇野重吉(久保山愛吉)
乙羽信子(久保山しず)
稲葉義男(見島民夫)
殿山泰司(助役)
田中邦衛(権田)
第五福竜丸
映画として評価する以上に、この人類にとって大切な歴史的事実を映像化したところにただただ賞賛である。それにしても前半の漁をする若者たちの活き活きしている描写。他の日本映画の取って作ったような漁師の描写が束になっても敵わない。まさに本作の漁師たちは映像の中で憎らしいほど生きているのである。

■あらすじ


1954年3月1日、無線長の久保山愛吉(宇野重吉)ら23名の漁師を乗せた遠洋マグロ漁船・第五福竜丸は、ビキニ環礁に差し掛かった時にアメリカの水爆実験に遭遇する。立入禁止区域外にもかかわらず、死の灰を浴びた漁師たちが、焼津港に帰港した時には原爆症により、全員の灰を浴びた肌が黒色に変色していた。


■あ〜あ、きよちゃんか


第五福竜丸
本作の中盤から後半にかけてのリアリティもさることながら、前半の漁師の若者たちの活き活きとした生活描写が素晴らしい。
「きよちゃん」というある漁師の恋人の名前でおどけあう姿が実に愉快で微笑ましい。そして、描写に無理がない。新藤兼人は青春群像を撮らすと実に素晴らしい。

日本映画は基本的に、「青春映画を撮りたがり、取って作ったような白々しい描写」が多いのだが、それはその時代その時代のアイドルが絡んだ青春映画が多いからというのもあるが、描写する監督が青春の感覚とは無縁な、既に枯れ果てている感覚で撮っている場合も多いからという理由もあるだろう。

しかし、新藤作品の場合は『裸の十九歳』(1970)でもそうなのだが、本当にあらゆる意味で若者が「ピチピチ」しているのだ。この青春群像の描写力は今の映画人も見習うべきである。


■マグロの野郎遠足でもしてやがんのかなあ?


宇野重吉
さすがに久保山愛吉さんを演じた宇野重吉(1914-1988)は、実に見事に実在の人物を演じあげている。もう霊が乗り移ったような名演ぶりで、見ていて圧倒され、ただただ最期の瞬間に至っては、純粋に「頑張れ!」と画面に声をかけたくなるほどの熱演を超えた魂の芝居である。

本当に宇野重吉という役者は、
画面を食い散らかさずにその存在感を示せるという稀有な存在感のある役者である。大概の役者はこういう実在の人物を演じる時に妙に力の入った芝居をしてしまうのだが、宇野重吉の場合は、力の抜き方がうまいのである。

彼の芝居はある意味武芸に通じる要素がある。力の抜き具合、引きどころと、前に押し出す時期を見事に見極めた芝居。実に淡々としているようでメリハリを生み出している彼独特の演じ方の特異性はそういった要素にあるのだろう。だから彼の芝居は次第に名人芸の領域に達していったのである。


■若くても邦衛はやはり邦衛


本作には他に魅力的な役者が多く出演している。新藤作品に欠かせない乙羽信子は勿論のこと小沢栄太郎、千田是也、三島雅夫、稲葉義男、清水将夫、内藤武敏、三井弘次、十朱久雄、殿山泰司、中谷一郎、井川比佐志。そして、『男はつらいよ』シリーズの初代おいちゃん・森川信もチョイ役で出演している。

しかし、何よりも驚いたのは新藤作品に田中邦衛(1932- )が出演していることである。しかも無名時代にただの漁師の若者役としてかなり出ずっぱりの状態で。それにしても20代にして早くも邦衛は目立つよなぁ。


「西から太陽が上がった!」
第五福竜丸事件


第五福竜丸 第五福竜丸
朝鮮戦争休戦後の1954年3月1日午前3時42分、太平洋のど真ん中にあるマーシャル諸島ビキニ環礁で、アメリカは15メガトンの水爆実験を行った。その爆発力は広島・長崎に投下された原子爆弾の1000倍以上にも達し、ビキニ環礁の東約160キロの公海上で操業中の静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の漁師23人が死の灰を浴びる。

やがて漁師たちは放射線による火傷により、顔はどす黒くなり、歯ぐきから出血した。急性の原爆症である。最年長者であった無線長の久保山愛吉さん(40)が半年後の9月23日に
「身体の下に高圧線が通っている!」「原爆被害者は私が最後にしてほしい」と絶叫しつつ死去した。

実験の事前通告が日本の海上保安庁や水産庁になかったにもかかわらず、アメリカ側は法的責任をうやむやにした状態で、1955年1月に200万ドル(当時7億2000万円)を日本側に支払うことで政治決着。原爆症の後遺症に苦しむ乗組員には1人当たり平均200万円が支払われた。

そして、原爆症と同じくらいの偏見の中、彼らは生きていかなければいけなかった。それは心無い者達による中傷である。発端はこうである。1954年3月16日、読売新聞の朝刊に「邦人漁夫、ビキニ原爆事件に遭遇」の見出しで、独占スクープ記事が紙面を飾った。しかし、その記事の小見出しに、
「死の灰≠ツけ遊び回る」という心無い記載があった。この記事によって生まれた中傷だった。

当時も今もメディアの暴走振りが、被害者の人権を傷つけても知らん顔振りなのである。


■時が経つほどに価値が出てくる作品


新藤は『原爆の子』(1952)よりもさらに踏み込んだ姿勢で核の恐怖を描きあげるために、作り上げたストーリーを脚本にするよりも、一切脚色を加えず、事実に忠実な脚本を書いて、役者に演じてもらおうと決意した。

そして、家財を担保に入れ、焼津でジリ貧状態の中、オールロケで本作を作り上げたが、公開当時ほとんど話題にならなかったという。戦争が終わり、朝鮮特需による高度経済成長の中で、そういったことに対して「知りたくない」という風潮が強かったからである。

そして、時が流れ原爆や水爆に被爆した人々に対しての記憶が遠のくにつれ、
本作は映画という一芸術形態を越えて、一つの歴史的認識を深める歴史遺産として永遠に貴重なる記録となっていくだろう。

− 2007年6月26日 −


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