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大日本帝国   (1982・東映)
■ジャンル: 戦争
■収録時間: 180分

■スタッフ
監督 : 舛田利雄
脚本 : 笠原和夫
撮影 : 飯村雅彦
音楽 : 山本直純

■キャスト
丹波哲郎(東条英機)
あおい輝彦(小林幸吉)
三浦友和(小田島剛一)
夏目雅子(柏木京子・マリア)
西郷輝彦(大門勲)
関根恵子(新井美代)
篠田三郎(江上孝)
大日本帝国
「お先に参ります!天皇陛下!バンザーイ!」もうこの最後のセリフにこの作品のメッセージは全て集約されている。しのごの言わずにあなたこそ死ぬべきではなかったのか?東條も死に、現地人を殺害した結果を生み出した青年将校・江上も言い訳もせずに死を受け入れた。しかし、陛下と呼ばれた男だけは、醜態を曝し「敵だ!」と言っていた男たちに媚びへつらい生き延びた。日本のために命を張った人々のことを本当に敬い尊うならばこの男の行為を卑怯と呼ばずに何と呼べようか?「私は、昭和の戦争で死んだ兵士達・人々の悪行を含む全ての行為を思えば思うほどこの男の態度に卑怯さ以外の何者も感じない」だからこそ、この「お先に参ります!」の一言に痛烈な皮肉を感じずにはいられないのである。

■あらすじ


アメリカによる圧力が日増しに強くなる昭和16年の春。3人の若者達にとっても人生の転機の年だった。小田島剛一(三浦友和)はこの年陸軍少尉に任官した。町の床屋の小林幸吉(あおい輝彦)は、美代(関根恵子)という妻を娶り、一等兵として出征に臨んだ。クリスチャンの京大生・江上孝(篠田三郎)は、教会で京子(夏目雅子)という肺病の女性と付き合うようになった。果たして戦争が3人の若者を如何に変えていくのだろうか・・・?


■明確に天皇の戦争責任に言及した作品


大日本帝国
日本のテレビ・映画にとって戦争大作であればあるほど太平洋戦争においての「天皇の戦争責任」問題と、敵国に媚びへつらい延命工作を行ったという醜い事実に触れることを恐れる。そういった戦後の暗黙の了解の中、本作ほど巧妙に天皇を頂点とした戦時中の大日本帝国の本質を描いた作品はないだろう。

脚本の完成度が完璧に近い上に、迫力ある陸上の戦闘シーンや、三浦友和、あおい輝彦、関根恵子、西郷輝彦、夏目雅子といった役者陣の熱演が、舛田監督の薄っぺらな演出とセンスの無い映像を補ってあまりあった。それゆえに中途半端な市井の人々の描写や、中盤に三浦友和が死ぬシーンのカット割り、夏目と篠田のとって作ったようなロマンス、夏目が二役目でフィリピン人女性の役柄で登場するシーンなど見てるほうも歯痒くなってくるような拙い演出を見逃すことが出来た。

そもそもこの監督の最大の問題点は、
作品がどんなに大作であっても重厚感が全く出てこないところにある。それは必要以上に多くのエピソードを作品の中に組み込みすぎるところから生まれているのだが、このあたりの時代から日本の映画監督に多面的な芸術的素養が失われていることが、良く分かる。今も昔も役者の資質には素晴らしいものがあるのだが、演出家の多面的な教養の低下が、邦画の全体的レベルを下げてしまっているのである。

話は逸れたが、監督の力量不足を加味しても、この作品には、他の作品にはない深みが存在する。それは映画全般で語られるセリフが全て天皇批判に直結しているからだ。私は左翼思想(そもそも現在の20〜30代の若者に左翼?右翼?という枠組みを当てはめるのこそバカげているのだが・・・)の持ち主でもなんでもないが、この天皇批判はまさにストレートであり、昭和史に風穴をあける力強さに満ち溢れている。


■日本人の悪癖を誘発する意地悪な企み


『大日本帝国』この題名そのものが、既に一つの挑発だった。「大日本帝国」という一つの単語に右翼も左翼も高揚するその思想の陳腐さを徹底的に皮肉っているのである。

日本人は「物事の表面」に対して、すぐに大きな声を張り上げ支持もしくは不支持するという悪しき慣習を持っている。そんな痛い部分をこの題名はついている。とにかく、
何かの表面だけを見て深く理解しようとせずに「感情的になる」のが日本人の今まで犯してきた過ちの発端なのである。

昭和も50年も過ぎそろそろ冷静に物事を捉えようぜ。そういう挑発的な意味も込めてこの題名をつけたのだが、案の定、特に左翼系のマスコミ・知識人は上映中止を訴え大キャンペーンを行ったのである。そのことによりくしくも、軍国国家へ邁進した日本人の悪癖を、それに反対する左翼の連中が体現してしまったのである。


■我々日本人はそろそろ天皇一族に自由を与えてあげるべきではないか?


大日本帝国
物語は壮大なテーマ曲のオーケストラが流れる中、満開に咲き誇る桜の樹の下で整列する陸軍士官たちの姿から始まる。誰もが身震いするほどに格好良いキリリとした軍服姿の青年将校達。そして、物語が進むに従い、日本軍の上下関係の本質と、軍隊と国民の関係の本質が醜く抉り取られていくのである。

結局は軍隊とは、死を前にした人間それぞれの生の醜さの露呈の結晶に過ぎないという事実を・・・。

この作品は、日本陸軍の闇を描き、そして、更にはアジア侵略(アジア解放と呼びたい方は呼んでも別によい)の実態と、戦争に対する責任を何ら取らずに生きながらえた一族に対する非難の姿勢までも見せているのである。
この作品における天皇は、あくまで蚊帳の外にありながら、いちいち重要な報告をされる存在意義が全く分からないオトコなのである。

そして、実際に戦争を執行していたのは誰だったかということが明確に映像上で示されている。言葉を変えて言ってみよう「私は戦争反対なんだが、相手が戦争を望むんだからしょうがない」そういって戦争するのは歴史的に独裁者の常ではなかったのか?「和平を望む」という言葉の響きは美しいが、和平を望むからには戦争開始の始まりがあったはずである。その始まりを命じたのは誰か?それこそが最も重要なポイントなのである。

このオトコがのうのうと平和を望むと言っている割には、太平洋戦争開戦の当の昔から大日本帝国による日中戦争は始まっている。平和を望む天皇が、天皇でありながら、中国出兵を臍を噛みながら眺めていたのか?もっと日本人は昭和の時代を冷静に見つめなおすべきである。タブーなど存在している時点で、日本人は成熟していないと宣言しているも同然なのである。

大体2007年現在、30代以下の人間がどれほど天皇という存在を意識して生きているのだろうか?「天皇制度は明確に廃止すべきではないか?」(絶対天皇一族も自由に生きたいはず!)しかし、廃止できないところに、日本という国がすでに自助努力さえも出来ない末期状態にあることを痛感させてくれるのである。


■素晴らしい陸戦シーンと陳腐な空戦シーン


大日本帝国 大日本帝国
本作は、真珠湾奇襲攻撃の映像などの空の戦いは、特撮担当が中野昭慶だけあって『トラ・トラ・トラ』の使い回しや、ちゃっちいミニチュアという最低レベルの特撮技術である。一方、陸上戦の出来は中華民国陸軍の全面協力の下に台湾及びサイパンロケで撮影しているだけあって、かなり迫力がある。

特に群衆シーンの迫力はなかなかのもので、自転車部隊の姿も映像的に意外性があって凄く面白い。邦画の戦争映画でこれだけ迫力溢れる戦闘シーンが存在する作品も少ないのではないだろうか?やはり戦争映画にはJACは不要である。



■国家の本質は、国民を騙すことにあるのだろうか?


「全国民が大石蔵ノ助になってアメリカをやるだけだ!」


とある日本の大臣が太平洋戦争開戦の直前に言っているのだが、これほど国民をバカにした発言はないだろう。まさにこの頃の日本の政治家及び官僚のメンタリティーは、ソ連のスターリンと全く変わらない人海戦術思想だったのである。

官民一体になり、マスコミも一丸となって国民を騙していく構造は現在も日本中を包み込んでいる本質である。「勝ってる勝ってるといわれてるが、一向に暮らし向きは楽にならない」まさに現在も日本の本質は変わっていない。


■素晴らしすぎる関根恵子の名演


関根恵子 関根恵子
「ねえお母さん。天皇陛下も戦争に行くのかしら?」

「あんたの顔にナムアミダブツって書いてあるよ!死んじゃってるよあんたの顔!」

「アメリカでも日本でもどっちでもいいから早く負けちゃえばいいのに」

「ちくしょう、ちくしょう、負けるもんか!」


この作品でイチバン格好いい女性は関根恵子(1955− )演じる美代だった。生きていく為には闇取引で法を犯し、警察に出刃包丁で楯突いたり、お腹が減ったと泣き止まない子供の頬を張ったりするのだが、その姿からは「母としての逞しさ」が窺えるのである。

この作品のこの母の姿を見ていると、本当の子に対する愛情は、過保護ではなくこういった母の姿にあるのではないだろうか?と感じる。人間は完璧ではなく、母も子に対して暴力を振るう時があって良い。要はその心なのである。
全てを一般論で「親が子に手をあげてはいけない」と一緒くたにしている現在は、実に人間性に対して不信感溢れる時代としか言いようがない。

一介の町の床屋である夫幸吉(あおい輝彦)が、戦争体験により、兵士としての使命感に苛まれ、負傷が癒えたら戦地に戻ると言い張った後に、
「あんたのものなんだから・・・」と自分の肉体でもってもっと大切なものに気付かせるシーン。この妻の行動により、「大日本帝国軍人」化していた幸吉の心は、揺り戻されたのである。だからこそ、彼は二回目の出征においても、生き残れたのである。

愛する女性とセックスに励む幸吉の姿にこそ健全な男の姿が投影されている。そして、そのあとには大砲のシーンがなぜか毎回繰り返されるのである。それはともかくとして、関根恵子・・・本当にいい女である。


■戦争の一つの本質


高校の歴史の授業でもあえて触れないほどの壮絶な戦いであるアジア諸国での日本軍の壮絶な戦闘を本作は取り上げている。徐々にただの床屋が殺人を経験し、兵士になっていく姿。そして、
小隊同士の遭遇だと殺しあえないが、大軍同士だと殺しあえるという戦争の本質。

ある心理学者が指摘していた。ベトナム戦争以前は大隊同士の戦争だったからこそ戦争による精神的な崩壊は少なかった。しかし、ベトナム戦争以降は小隊同士の戦争に転換していった。このことにより兵士一人一人の心の重圧は凄まじいものになり多くの兵士達は精神的に崩壊していったと言う。


■今も変わらぬ浄瑠璃寺の美しい風情


浄瑠璃寺 浄瑠璃寺
一般の男達が戦地へ赴いている一方で、古都奈良において平穏無事な恋愛旅行を満喫する2人、江上(篠田三郎)と京子(夏目雅子)。浄瑠璃寺、興福寺、薬師寺といった奈良生まれの私にとって年に何回も訪れる見慣れた風景が映し出される。話は逸れるが、中でも浄瑠璃寺の石段に座り江上のデッサンを描く京子のシーンが実に美しい。そして、あの場所はいまだにそっくりあのままである。

江上は京都帝国大学の学生ゆえに出征を免れているのだが、彼には神風特攻隊というより過酷な運命が待ち構えているのだった。奈良旅行の夜、宿で江上が言う一言。
「僕が死ぬ時、天皇陛下万歳ではなく、京子さん。あなたの名前を呼んでもいいですか?」この作品のキーになるセリフである。

若者から自由を奪い。死地へと送り込んでいく国家の醜さを残酷なまでに描いた瞬間。
人間を殺すことを目的として鍛え上げられた若者より、腑抜けな若者のほうが遥かにマシではないだろうか?


■日本人が誤解しやすい戦時中の日本人の勇敢さの本質


大日本帝国 大日本帝国
中盤以降、日本が形勢不利になるにつれて、日本軍の醜い行動が列挙されていく。撤退する小船に乗ろうとする敗残兵を蹴落とし、軍刀で切り捨てていく上官や、サイパンで島民を見殺しにさっさと食糧など全て奪い去り逃げていく日本兵、投降しようとする人を撃ち殺す将校、手助けしてくれた現地人を秘密漏洩を防ぐ為に撃ち殺す兵士・・・そういった救い様のない描写が描かれていく。

「土でも草でもなんでも食って生き抜いて見せるのが俺達の戦争なんだ!」

「私を斬る前にまずアメリカ兵を斬れ!」

「自分は死ぬ為の戦いはしたくありません」


そして、そこには
戦場における勇気が実は勇気でもなんでもなく、追いつめられた上で選択肢のない狂気の行為に過ぎないという本質を描いた日本軍の暴走行為が、容赦なく描かれている。


■三浦友和という役者を過小評価すべからず


大日本帝国 三浦友和
愛する人を失い戦争の本質に気づいた小田島(三浦友和)は投降しようと、サイパンの砂浜に降りていく。そこにはアメフトに興じる米兵カップルの姿があった。眩しそうにそれを眺める小田島。彼に気づかない2人は全裸になり海へと飛び込む。傍にあるラジオからは軽快なジャズが流れる。

そして、ふとアメフトのボールに目を向ける小田島。なんとボールと思っていたものは日本兵の頭蓋骨だった。怒りに我を忘れた小田島は彼らの銃を手に取り、狙撃する。そして、涙を流しながら砂浜に頭蓋骨を埋めようと穴を掘るその瞬間、息も絶え絶えの全裸の女性に撃たれ絶命するのである。

映像に力がないので、強烈な印象は残さないが、このシーンには、なんとも不思議な感覚に満ち溢れている。それにしてもこの作品の三浦友和(1952− )は実に素晴らしい芝居をしていた。この人は演技力に関して誤解されやすい部分があるが、それは誠実な役割が多い為であり、演技力に関して言えばこれからまだまだ円熟味を増す俳優だろう。

そして、彼が愛する女を演じた佳那晃子(1956− )。悪くないのだが、今一つ役柄に恵まれない人である。しかし、本作においても美しい。しかし、時代からは浮き上がっている。


■なんなんだ二役目の夏目雅子は??


「戦争は殺すか殺されるかなんじゃ!」


そして、軍人の鑑として登場するのが、真珠湾攻撃から終戦まで戦い抜いて太平洋戦争を生き抜いた男大門(西郷輝彦)である。海上で救援ボートで救いを求めている敵兵であろうとも、協力してくれた現地人であろうとも冷淡に殺していく男である。

しかし、フィリピンのシーンにおいて興覚めなのが、この女優の出現である。それは夏目雅子が二役目を演じているのだが、彼女の演じるフィリピン娘マリアは、肌を浅黒く塗るという何ともフィリピン人をなめているとしかいいようの無いくだらん役柄で、彼女の存在感ゆえに涙も誘うが、こういった最低な演出がこの作品の価値を著しく落としている。実際こういった点が舛田らしいと言えば舛田らしいのだが・・・

本当のフィリピン人を使わなくとも、違う女優に演じさせたら良いだろう。特に彼女が京子と似ている必要性を全く感じないのだから。それにあの白々しい「アメアメフレフレ・・・」は、鳥肌が立つくらいこっぱずかしいシーンだ。
恥ずかしい割りには実りのない芝居を役者に要求する監督を私は、才能のない監督と定義する。


■究極の天皇批判ここに極まれり!


大日本帝国 大日本帝国
「大元帥陛下が我々を見殺しにされるはずがなかでしょう。私らは天皇陛下の御盾になれと命じられて闘うてきたとです。そう命じられた方が、我々を見捨ててアメリカと手を結ぶなんちゅう事は絶対ありません。日本政府はポツダム宣言を受諾したとしても、天皇陛下は例えお一人になられたとしても、必ず私らを助けに来てくださるはずです」


この大門のセリフが天皇に対する最高の皮肉となっている。スクリーンの前の観客に向って熱弁をふるう彼の姿はただ一人の人間のみを見つめているのだ。そうこの作品を見ていたかもしれない昭和天皇の姿を・・・

「仏様にくらべれば、この地上の帝王(天皇)など実際小さなものだ」

絞首刑を待つ東條英機(丹波哲郎)はそう家族に言い放つのである(実際、東條は東京裁判中に国家神道を否定していた)。そして、お経を唱えながら13階段を上がって行くのである。

「お先に参ります!天皇陛下!バンザーイ!」

本人の知らぬ間に地元住民の虐殺を止めれなかった江上は、自分自身は一人も殺していないのだが、将校としての責任を痛感し、一切弁明をせずに「先に参ったのである」。しかし、肝心の天皇陛下は、後から行くことはなかった。この何万の民を死地に追いやった男は、決してその後を追うことはなかったのである。

飄々と彼は40数年も無神経に生きながらえたのである。もしかしたらこの男の天性の無神経ぶりが日本国民の悲劇を生み出したのかもしれない。そして、この作品の公開当時も昭和天皇は生きていたのである。天皇裕仁はどういった感情でこの作品を見ていたのだろうか?恐らく宮内庁がこの作品の存在さえも寸止めしていたのだろうが・・・


■熱演と熱唱の融合は全てを陳腐にしてしまう


そして、逞しく生きる母子と帰還兵の再会でこの作品は終わりを迎える。それにしても関根恵子の迫真の芝居を台無しにする大音響で流れる五木ひろしの主題歌。この歌が悪いとかそういうことではなく、センスの無さ極まりない演出である。熱演にうるさい曲など重ねる必要は全くない。

一気に感動が安っぽさに転換する瞬間である。そろそろ映画人も気づかなくてはいけない。ある一つの感動するシーンを演出するとしよう。目で見て実感できる役者陣の名演と重ね合わせて、更に歌詞でその感動を重複させようとする行為は、人間の感性を知らぬ不要な試みであることを。

人間とは自分で感じ取ることを好み、押し付けられた感性は受け入れたくないものである。
善意の押し付けと同じく、感動の押し付けは全てを陳腐にするということくらい理解しておかなければ映画人として、失格以前の問題である。

本作は1982年邦画興行成績第三位(14億円)に輝いた。ちなみに試写を見た作曲家黛敏郎は「これは非常に巧みに作られた左翼映画だ」と脚本を担当した笠原和夫に指摘したと言う。一方、映画監督の山本薩夫氏は逆に「非常にうまく作られた右翼映画」と評したという。

− 2007年10月15日 −


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