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 □海外映画祭受賞
狼たちの午後   DOG DAY AFTERNOON(1975・アメリカ)
■ジャンル: 犯罪ドラマ
■収録時間: 125分

■スタッフ
監督 : シドニー・ルメット
製作 : マーティン・ブレグマン / マーティン・エルファンド
原作 : P・F・クルージ / トマス・ムーア
脚本 : フランク・ピアソン
撮影 : ヴィクター・J・ケンパー

■キャスト
アル・パチーノ(ソニー)
ジョン・カザール(サル)
チャールズ・ダーニング(モレッティ)
クリス・サランドン(レオン・シャーマー)
ランス・ヘンリクセン(マーフィー)
ジェームズ・ブロデリック(シェルドン)
キャロル・ケイン(ジェニー)
狼たちの午後
「少なくともソニーはあの一日は・・・あの一日だけは輝いたんだ」アル・パチーノ
人間にとって誰にでもある、一瞬でもいいから輝きたいという願望。銀行強盗=犯罪という最も目立ってはいけない行為が、目立つことが許されることになったTVカメラによって覆された時代。それが1970年代だった。どんな人間であっても一瞬輝くことが許される機会を与えてしまう時代。今の時代にまで通じる人間の本質に潜む願望の体現がこの作品にはある。
「鞭の苦痛の下で身もだえするのが、美徳だと思っている人々も確かにいた・・・しかし、私はそっとこう言いたい。いっそあなたの悪魔を育てて大きくした方がいいのでは?あなたにも偉大さへの道はまだ一つ残っている=v
ツァラトゥストラ −ニーチェ

■あらすじ


1972年8月22日猛暑の午後15時前。ニューヨーク・ブルックリンのチェイス・マンハッタン銀行に3人の青年が強盗に押し入った。ほんの10分でかたがつく強盗計画が、仲間の裏切りと手際の悪さから250人もの警察とFBIに包囲される事態になるのだった。約2000人の群集とテレビカメラが見守る中、8人を人質に銀行に立て篭もるソニー(アル・パチーノ)とサル(ジョン・カザール)。2人の長い長い午後が始まった。


■3人の若者達それぞれは、私たち自身の姿でもある


アル・パチーノ 狼たちの午後
この物語の重要な点は、銀行強盗の2人の青年はベトナム帰還兵だったという点である(実在の2人に関しては1人のみ帰還兵)。つまり銀行というまさに資本主義の象徴的な場所に乗り込んでいく2人は、かつてそんな資本主義によって繁栄しているとされていた民主主義を守るという名目のために、共産主義に侵食されかけていたインドシナ半島に乗り込んでいった2人だったのである。

かつては資本主義防衛の最前線に立っていた2人が、資本主義の破壊の最前線に立ったのである。自分の国を守るための戦争ではなく、第三国を守るためになぜか戦わされた2人にとって、資本主義とは週給100ドルたらずで生きていけと強制される貧困層と、そんな貧困層の苦しみを食い物にして楽しむ週給が何十何百倍ものニュースキャスターを筆頭とする富裕層が支配する閉塞感を生み出すシステムに過ぎなかった。

2人はあくまでも要領が悪く、しかし、極めて現実的に物事に対応している。それを見て要領が悪いと笑う現代人は、恐らく非現実的な物語の氾濫する現在の娯楽に毒されているのだろう。人間と言うものの本質を忘れた「無責任な傍観主義」に浸りきっている現代人に対して、人間の弱さ、愚かさ、浅はかさの本質を気付かせる稀有な作品である。

よほどの犯罪集団でもない限りスムーズに銀行強盗を起こせるはずがない。そして、この作品の主人公の2人は私であり、あなたであり、閉塞感の中でもがき苦しみ一歩道を踏み違えかねない大多数の1人に過ぎないのである。
そうこの物語の本質はごく普通の2人の青年が銀行強盗を起こしてしまった部分にあるのである。


■交差する貧富の差を映し出すオープニング


狼たちの午後
唯一オープニングにだけ音楽が存在する。そうエルトン・ジョンの「アモリーナ」(1970)に合わせて猛暑のニューヨークが映し出される。一匹の野良犬が残飯を漁り、何もすることなく道端に座り込む老人の姿が軽快な曲の調べと共に映し出される。そして、何気にソニー(アル・パチーノ)の妻子が映し出され、ソニーの今日一日を皮肉るかのように、妻子の頭上に「スター誕生」の文字が煌く。

本作の原題は「猛暑の午後」なのだが、元々最初につけようとしていたタイトルは「Boys in the Bank」だったという。しかし、監督のシドニー・ルメットがこのタイトルを「浮ついたコメディ」みたいだと嫌い「猛暑の午後」が選ばれたという。


■銃にすがる希望と銃からは希望は生まれないという矛盾


狼たちの午後 狼たちの午後
「計画したの?急な思いつき?」「計画無しで銀行強盗?」人質の銀行員

一挙手一投足が怪しいとしか言いようのないソニーとサル(ジョン・カザール)の姿が登場すると同時に銀行強盗が始まる。物語がスタートして僅か5分後のことである。ボロ車に座る2人の表情は、一瞬『ゴッドファーザー』(1972)のマイケルを連想させ頼もしいのだが、それもほんの導入部にだけ見せる頼もしさである。
こういう犯罪映画というジャンルにおいて何より必要なのは、ワクワクさせるような犯罪行為の始まりの予感の瞬間なのである。

いかにも胡散臭いサイズの包装された箱を抱えて銀行に入るソニー。ここまでは申し分なく格好いい2人だった。しかし、早速弱気の虫を起こすもう1人の相棒の登場からこの強盗達の計画の歯車は狂っていった。

そんな歯車の狂いを象徴するかのように包装をぶち破りながらバタバタと銃を取り出すソニー。銃に纏わりついた包装のヒモを振りほどきながら踊り狂うように叫び声を上げ銃を取り出すこの手際の悪さ。そして、この手際の悪さを演じ切れることこそが、本物の役者の力量を示す表現力の本懐なのである。

この冒頭のパチーノは本当に素晴らしい。
背後の観葉植物にすら怯え、戻ってきた弱虫の仲間にも「まだ何か用なのか!」と怯えるその姿の素晴らしいこと。こういう怯えの表現の見事さが、銃を持つその姿にリアリティを与えるのである。怯えてるからこそ銃にすがるこの男の姿。そして、銃にすがる希望と銃からは希望は生まれないという矛盾。


■アッティカとは?


狼たちの午後 狼たちの午後
「アッティカ!アッティカ!リメンバー!アッティカ!」ソニー

ソニーが外に出て叫ぶこのフレーズの意味は、この銀行強盗の一年前に起こったアッティカ刑務所暴動を指しているのである。この暴動については下に記しておこう。元々この暴動の根本にあったのは、黒人の解放運動だった。しかし、ソニーはイタリア系白人であり、実は弾圧者の側の人種である。

この「アッティカ」シーンの最大の皮肉は、ソニーが思いつきで言ったフレーズさえもが、群衆の中では思わぬ熱気を生んでしまったという点である。

そして、そんな熱気は猛暑の生み出す熱気とはまた違い実に持続性のないものだったという事実が、現代まで通じる流行を作り出し消費させる社会の本質を見事にあぶりだしているのである。
「情報と流行の氾濫により、問題提議は様々な所から生まれるが、人々は持続性を持って問題と向き合おうとはしない」そして、ソニーにとってのアッティカも、とりたてて興味もない問題の一つだった。

ちなみに銀行外のシーンのほとんどは寒い季節に行われたので、吐く息の白さを見せないために全ての出演者達は、テイクごとにその前に口に氷を含んで撮影に臨んだ。


ジョージ・ジャクソンのソレダド・ブラザーズ


ジョージ・ジャクソン ジョージ・ジャクソンの葬式
1971年9月9日にニューヨーク州にある凶悪犯罪者専用刑務所・アッティカ刑務所において、1000人もの囚人達が暴動を起こした(全収容人数2225人)。全米史上最大の死者を出すことになるこの暴動のきっかけは一人の黒人青年の死からだった。

同年8月21日、ブラック・パンサーの
ジョージ・ジャクソン(1941-1971 写真左上)がサン・クェンティン刑務所より武装脱獄を計画するが、失敗し看守に射殺された。この事件が引き金になり、収容囚人の半数が黒人であるにも関わらず約380人の看守全員が白人であり、囚人に対する人種差別的な虐待が日常化していたことに対する不満が遂に暴動へと発展した。

※ジョージ・ジャクソンは、1941年にイリノイ州シカゴで生まれる。少年期から強盗などを繰り返し、18歳でガソリンスタンドへの武装強盗により終身刑になった。1966年サン・クェンティン刑務所内でマルクス主義の黒人ゲリラ団を組織する。

1970年1月16日に囚人仲間2人と共に、黒人の囚人を何人も射殺していた白人看守を殺害した。この事件はソレダド刑務所内で起こったことから3人はソレダド・ブラザーズと呼ばれるようになった。そして、独房監禁中にジョンソンは二冊の本を書き上げ、その二冊は世界中でベストセラーになった。

マリン郡裁判所襲撃事件


マリン郡裁判所襲撃 マリン郡裁判所襲撃 ラッセル・マギー
先立つこと1970年8月7日、ジョージ・ジャクソンの17歳の弟ジョナサン(写真真上の左側のマシンガンを持つ青年と写真真左下のプラカードを持つ黒人青年)は、人種差別主義者の白人看守を殺害した容疑で裁判中のサン・クェンティンの囚人ウィリアム・クリスマスとラッセル・マギー(写真右)とジェームス・マックレイン(写真左)と共に、マリン郡裁判所に武装突入し、ハロルド・ハーレー判事(写真左)と4人(検事と3人の陪審員)を人質にとり、ソレダド・ブラザーズ3人の釈放を要求し、バンで逃走しようとしたが、警察に銃撃され、マギーを除く3人の犯人とハーレー判事が殺害された。

黒人解放のカーリー・ビューティ・アンジェラ・デイヴィス


アンジェラ・デイヴィス アンジェラ・デイヴィス アンジェラ・デイヴィス
この事件に関連してカリフォルニア大学の講師
アンジェラ・デイヴィス(1944− )がFBIに指名手配された。1944年にアラバマ州で生まれた彼女は、KKKの活動が盛んなこの地域において、学校の先生をしていた母親が公民権運動をしているのに影響を受けながら育った。

1961年ブランダイス大学でフランス語を専攻し、ソルボンヌ大学で1年間勉強し、帰国後公民権運動に積極的に参加することになる。卒業後西ドイツにて二年間留学し、1967年SNCC(学生非暴力調整委員会)とブラック・パンサー、アメリカ共産党に参加する。UCLAで哲学の講師をしていた。

アンジェラ・デイヴィス アンジェラ・デイヴィス アンジェラ・デイヴィス
しかし、1970年、FBIがアンジェラが共産党員であることをUCLAに教え、彼女は解雇されることになった。以降、ソレダド・ブラザーズの解放運動など、黒人の刑務所内の待遇改善の運動に傾倒することになるのだが、マリン郡裁判所襲撃事件に使用されたショットガンが彼女名義で登録されていたものだったために、共犯者として8月18日にFBIから10大凶悪犯罪者として指名手配されることになった。アンジェラは、2ヶ月間の逃亡生活の末、ニューヨークのモーテルで逮捕される(写真右上)が、18ヶ月間の収容生活の末裁判で無罪判決を勝ち取る。

釈放後キューバに滞在し、後に集団自殺で話題になったジム・ジョーンズの人民寺院の活動にも参加する。そして、1979年にソ連訪問し、レーニン平和賞を与えられ、モスクワ大学の名誉教授になった。現在はカリフォルニア大学教授として、人種差別、刑務所待遇改善、ゲイ差別、女性の権利拡張のために戦っている。

一方、襲撃事件唯一の生き残りのマギーは、逮捕時は被弾により重体だったが、回復し、裁判の末、終身刑となり現在もコーコラン州立刑務所に収容されている(元々1963年に強盗及び誘拐罪で終身刑を食らっていた。)。現在66歳である。

アッティカ刑務所暴動


アッティカ刑務所暴動 アッティカ刑務所暴動
露骨に人種差別的な白人が支配する全米中の刑務所内の待遇に対する黒人囚人達の不満の沸騰の中から起こった暴動が
アッティカ刑務所暴動である。暴動の始まりは、1971年9月9日午前8時20分に独房監禁中の囚人の待遇を巡り看守が襲撃を受けた事からだった。この襲撃の結果33人の看守と9人の民間人が人質に取られる事になった。

以後4日間に渡る囚人と刑務所長との刑務所内待遇改善の交渉が行われた。しかし、暴動に対する不問及び所長の解任について折り合いがつかず交渉決裂し、当時の州知事ネルソン・ロックフェラーは武力による刑務所の制圧を州兵に命令した。

アッティカ刑務所暴動 アッティカ刑務所暴動
9月13日月曜日の朝10時前に囚人たちにより占拠中の作業場に、警告無しにヘリコプターから催涙ガスが投げ込まれ、州兵及び看守による約5分間の一斉射撃が行われた。これにより、少なくとも39人が死亡した。このうち29人は囚人で、10人は看守らだった。

アッティカ刑務所暴動 アッティカ刑務所暴動 アッティカ刑務所暴動
刑務所内では奪回後、全裸で懲罰を与えたり、看守による報復的な暴行が絶えなかったという。そういった中、アッティカ刑務所の実態的な調査も行われたが、形式的な形に留まり、刑務所内の人種差別的なシステムも全く省みられなかった。


■ここに静なる存在があればこそ動の存在は輝きを増す


狼たちの午後 狼たちの午後
「どこの国にいきたい?」ソニー
「ワイオミング」サル

「飛行機は初めてだ。大丈夫か?」サル「車より安全だ」ソニー

「俺はホモセクシャルじゃない」サル

ソニーの相棒サル。一見すると口数の少ない冷静な男なのだが、物語が進むにつれて見えてくるサルの人物像は、自分ひとりでは生きていけそうにない程に、頼りなさげで、おどおどした人物像なのである。

そして、彼のセリフの一つ一つが彼の悲しい人生背景を匂わせている。刑務所に収容されレイプされたその過去(モデルになった人物も刑務所で輪姦された経験があった)や連絡する相手もいない天涯孤独さ、そして、人間付き合いの下手さ。「刑務所に入るのなら死んだ方がいい」というセリフの持つ意味の怖さ。

アメリカ社会だけではなく世界中が今も抱える刑務所の存在の矛盾。そこは更生施設でもなんでもなく強いものに弱いものが食われていく非情の巣窟であり、そんな場所に戻りたくないからこそ自暴自棄な犯罪が連鎖していく凶悪犯罪を生み出す現代も尚続く矛盾。

「タバコ吸わないの?」人質「肺がんになるから吸わない」サル

それにしてもサルを演じるジョン・カザール(1935−1978)の素晴らしい寡黙さとその寡黙さが醸し出す様々な表現力の素晴らしさ。
カザールの静が存在するからこそ引き立つパチーノの躍動する動。彼はアル・パチーノ(1940− )と10代からの友人であり、本作のサル役にもパチーノの推薦により、シドニー・ルメットの反対を押し切ってオーディションを敢行させた。元々ルメットは実話の通りにサルは18才の役柄でしようとしていたが、オーディションのカザールの素晴らしさに触発され、役柄の年齢設定を34才に変更することにしたのだった。

ちなみに「ワイオミング」のセリフはカザールのアドリブである。このテイクのあとシドニー・ルメットは腹を抱えて笑い転げたという。


■いちいち隙のないパチーノの目の動き


狼たちの午後 狼たちの午後
「オレはスターだ!」

とソニーと接したことにより小躍りするピザの配達員。そして、自分がスターかのように注目を浴びていることに気付かされるソニー。人間の本質である目立ちたい願望がいざ叶うと、やがてその重圧に疲労していくその姿の物悲しさ。
しかし、実際の所脚光を浴びるということなぞ、退屈な日常を生きる人々の気まぐれな暇つぶし的な支持のもとに成り立つものに過ぎないのである。

この作品の原作となったLIFE誌の1972年の記事にこう記されていた。「その青年は、アル・パチーノやダスティン・ホフマンに似た感じのハンサムな青年だった」と。パチーノが一時降板を示唆した時に、ホフマンにオファーが出されたという。


■クリス・サランドンの素晴らしいトランスセクシャル芝居


狼たちの午後 狼たちの午後
「私は肉体は男で、心は女だって」

1970年代から早くも本格的なトランスセクシャルに対する真摯な描写が本作には成されている。後ろでくすくす笑う警官達やとまどいを隠せない部長刑事やFBI。やたらにハンサムな優男が主張する「私は女よ」の一言の奇妙さ。そんな奇妙な自分だからこそ、生きているだけでも息が詰まりそうで死にたくなるトランスセクシャルの悲しさ。

性転換手術を渇望し、普段は女装して生きるレオンというトランスセクシャルを見事に演じたクリス・サランドン(1942− )は、アカデミー助演男優賞にノミネートされた。ちなみにこの時期のクリスの妻はスーザン・サランドン(1967−1979)だった。


■優しければ優しいほど無計画に事は進んでいく


ソニーとサルは明確に違うタイプの境遇の2人だった。ソニーには電話で話す相手も遺産を残す相手も存在していた。しかし、サルにはそんなものは存在しなかった。サルの徹底的な孤独に対して、そんなサルとさえも向き合えるソニーという人間の包容力。

一方で、ソニーをうんざりさせる妻と母親の存在。一方的に押し付けがましく相手の話を聞こうとしない2人が象徴する自己中心ぶり。家族の結びつきとは一体なんなのだろうか?親子とは?夫婦とは?そして、どんな形であれ友情とは?
この作品にはそんな人間には切っても切れない根本的な人間関係がある一方には存在し、ある一方には全く欠如している。

「サルも一緒?いっそ諦めたら」とレオンが言うのだが、実際の所ソニーの本質を理解していたのは、彼女(=レオン)だけだったのではないだろうか?このセリフにこの強盗行為の本質が、貧困から生まれたものではなく、
むしろ誰にでも優しさを振り撒きたい男性特有の無計画さから生まれたものであることを示唆しているのではないだろうか?

2人の子供を養いながら、性転換手術を望む恋人を持ち、サルやもう1人の役立たずの共犯者ともつるんでいるというソニーは、どちらかというと人間的に温かい部類の人ではないだろうか?人一倍温かい人間だからこそ、計画性のない犯罪を起こすのではないだろうか?

つまりこの犯罪は貧困から生み出されたというよりも、ソニーの人間的な優しさが生み出した奇妙な犯罪なのである。


■正義が見せる二面性 愚直か冷酷


狼たちの午後 狼たちの午後
「殺すなら仕事ではなく心から憎んで殺してくれ」ソニー

本作において登場する3人の官憲サイドの主要人物である部長刑事のモレッティ(チャールズ・ダーニング、1923− )とFBIのシェルドン(ジェームズ・ブロデリック、1927−1982)とマーフィー(ランス・ヘンリクセン、1940− )。

特にチャールズ・ダーニングが印象的な熱演を見せている。いかにも暑苦しいしがない刑事であり、こういったでかいヤマに対応したことがなさそうな強盗事件に対しての手際の悪さ極まりないその姿に、親近感さえも沸くほどである。特にソニーがピザ配達員を前に群集に金をばら撒くシーンで、半ば呆れ顔でハンバーグを頬張りながら黙視するダーニングの表情が絶品である。

一方、FBIの2人は冷静沈着であり、安定感のあるプロフェッショナルそのものなのだが、そこに垣間見えるものは、なんとも居心地の悪い安定感なのである。この作品にとって重要なもの。
それは正義と称するものがたまに見せる人間味の薄い冷酷な一面と人間味溢れる愚かな行為(ソニーとサルの銀行強盗)との対比なのである。


■さりげない存在感を示す役者達が映画の質を向上させる


狼たちの午後 キャロル・ケイン
ここで人質役について語っておこう。こういった作品において重要なのが人質のさりげない存在感である(目立ちすぎてもいけない)。まずは一番魅力的なジェニーを演じるキャロル・ケイン(1952− )である。この年「Hester Street」でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、TVドラマ「TAXI(1981−1983)」でエミー賞に2回輝いている。ロシア系ユダヤ人の彼女は、両親がジャズ歌手と建築家という芸術一家だった。『アニー・ホール』(1977)『プリンセス・ブライド・ストーリー』(1987)『3人のゴースト』(1988)『キャプテン・ウルフ』(2005)などに出演し、最近では大ヒットしているブロードウェイ・ミュージカル『ウィキッド』に出演している。

次にソニーと共に銀行の前に出たりとかなり目立っていた人質シリヴィア。シルヴィアを演じるのはベテラン女優ペネロープ・アレン。アル・パチーノとは『スケアクロウ』(1973)『リチャードを探して』(1996)でも競演している。ちなみにチューイングガムを絶えず噛んでいたミリアムを演じるマルシア・ジーン・カーティスも『哀しみの街かど』(1971)でパチーノと共演している。


■スパイシーで意味深なシーン


「くそ!ジェット機はまだか?いつも音ばかりだが今度は乗るぞ」
ソニー

母と別れたあとにソニーがFBIのシェルドンに妙なアイコンタクトをするシーンがある。これが意味したものは何なのだろうか?ソニーはサルが殺されるのを見殺しにしたのだろうか?こういった不可解なシーンが見るものに様々な解釈を与え、作品に奥行きを与えてくれるのである。

70年代の作品には捉えがたい人間の内面の葛藤が存在していた。



チェイス・マンハッタン銀行強盗事件


ジョン・ウォトヴィッツ ジョン・ウォトヴィッツ ジョン・ウォトヴィッツ
アル・パチーノが演じたソニーのモデル、
ジョン・ウォトヴィッツ(1945−2006、写真上全て)は1945年3月9日にニューヨーク・シティで生まれた。少年時代はソフトボールをし、切手を集め、新聞の政治記事をスクラップするような成績はオールAの優秀な少年だった。

やがて家計を助けるために高校を卒業しすぐに銀行に勤める。そして、1966年ベトナム戦争のため徴兵される。その頃から付き合っていたチェイス・マンハッタン銀行に勤めるタイピスト・カーメンと1967年に結婚し、2人の子を得た。しかし、結婚生活は新婚初夜から大波乱だった。カーメンの家族から与えられた1000ドルの小切手を義父に投げ返したり、妻に支配的な態度を取り、やがては1969年に離婚している。

離婚後のジョンは、ニューヨークのホモセクシャル・バーに入り浸っていたという。そんな折1971年イタリアの祝祭にトランスセクシャルの
アーネスト・アロンと知り合う。ここで多くの誤解を生んでいるのは、アーネスト・アロンは当時から女性の装いをしていたことである。

つまり、ジョンは、ホモセクシャルとしてではなくトランスセクシャルのアロンを女性として愛していた可能性が高いということである。そして、2人は1971年12月4日に結婚した。300人ものゲストと豪勢な立食パーティが行われ、そこにはジョンの母とアロンの父も出席し、終始ビデオ撮影もさせていた。

ジョン・ウォトヴィッツ ジョン・ウォトヴィッツ
1972年8月22日、ジョンは、
サルバトーレ・ナトゥリル(1954−1972)とロバート・ウェスタンバーグと共にチェイス・マンハッタン銀行に銀行強盗のため押し入る。ジョンはかつて銀行で出納係の経験があったので手際よく強盗は終了するだろうと考えていた。しかし、支店長の機転により早々に警察に通報されてしまう。

7人女性行員と1人の男性支店長(1人の警備員は後に解放)を人質を取り14時間立て篭もることになる。ちなみに実際の強盗においては21万3000ドルを手にしていた。
(強盗を行う寸前に参加しなかったロバートはのちに共犯として逮捕され、19ヶ月刑務所に服役した。)

ジョンが銀行強盗のアイデアを思いついたのはその日の午前中に『ゴッドファーザー』(1972)を見たことからだった。ちなみにパチーノもカザールもこの作品に出演している。相棒のサル(バトーレ)はやせぎすの18歳の青年で、一説にはイタリアン・マフィアの構成員だったという話もあるが明確ではない。10代の多くを窃盗などで更生施設で過ごしてきた。

そして、麻薬所持と強盗用具の所持により刑務所に収容される。その時に多くの囚人から連夜強姦されたという。この経験がサルの精神的なトラウマになり、銀行強盗の前に彼はジョンに「俺は死んでも刑務所には戻らないぜ」と言っていたという。ジョンとサルの出会いについてはジョン自身も決して語らず依然謎である。ちなみに3人のうち彼だけが犯罪歴のある犯人であり保釈中だった。

ちなみに実際のサルは黒のビジネススーツを着て強盗に及んだ(映画の中では赤みがかった茶色)。実際に2人組によって放たれた銃弾は一発のみであり、それは劇中にソニーのよって放たれたシチュエーションでサルが放ったものだった。

ジョン・ウォトヴィッツ ジョン・ウォトヴィッツ サルバトーレ・ナトゥリル
21万3000ドルと共にリムジンに人質たちと乗り込みJFK空港に向かうが、運転席に実は38口径の銃が隠されていることをジョンは見逃していた。空港に着いた時、運転手のFBI特別捜査官マーフィーが「何か食料はつめこんどかなくて大丈夫なのか?」と質問し、2人が油断した瞬間に、38口径をサルの胸に撃ち込んだ。サル(写真右上)は即死し、ジョンはその場で取り押さえられた。サルの死体を引き取りに来る親族はいなかったという。

1973年4月23日ジョンは懲役20年の刑に処された。1975年、本作の映画化にあたり7500ドル(と興行収入の1%)を得て、そのうちの一部である2500ドルをアロンの性転換の手術の為寄進した。晴れて手術後にアロンは
エリザベス・エデンと名乗るようになる。

ちなみに本作を見たジョンは
「事実は30%くらいだ」と語っている。ジョンは「私の元妻はこんなに太りすぎでもないし、バカな女でもない。しかも離婚してから2年後にアロンと出会っているのであって二重結婚していたというという描写に関しては異議がある。あれじゃただの不義理な野郎じゃないか?」更に「(銀行に立て篭もっている時に)私は母や元妻とも話す機会はなかった」「更に相棒のサルをFBIに売った覚えはない」と語っている。

一方で、アル・パチーノとクリス・サランドンの役作りについては賞賛していた。2006年に脚本を担当したフランク・ピアソンが語ったところによると、彼は何度もジョンに面会を求めたが、ジョンは拒絶したと言う。ジョン曰く「7500ドルの映画化権に不服だった」からとのことである。

エリザベス・エデン エリザベス・エデン エリザベス・エデン エリザベス・エデン
ジョンは7年で保釈されたが、保釈違反の為に再逮捕され、1987年4月10日に再保釈された。しかし、同年9月29日にアロン(1946−1987)はエイズによる肺炎で亡くなった。ジョンにとってこの強盗事件は彼女の(デンマークでの)性転換手術の費用を捻出するためだった。というのも結婚以来アロンは何回も自殺未遂を繰り返し、果ては精神病院の入退院を繰り返していたからである。

ちなみに銀行強盗を起こす3日前の8月19日はアロンの誕生日だった。翌日アロンは自殺未遂を起こし、精神病院に収容されていた。強盗中にジョンはアロンと会いたがったが、アロンは拒絶した。代わりにジョンは違うゲイ友達パット・コッポラとの面会を要求し、銀行のドアの前でキスを交わしたという。(上部4枚。全てアロンの写真。左から二枚目はジョンとの結婚式の写真)

ジョン・ウォトヴィッツ ジョン・ウォトヴィッツ
2006年1月2日にジョン・ウォトヴィッツは癌により死去した。最後に事件後に人質に取られていた人達の言葉を記そう。まずは支店長ロバート・バレットの言葉。「本来は強盗に入ってきた2人の若者を憎悪すべきだろうが、次第に仲間意識を持つようになっていた」

出納係のシャーリー・ベルも「もし彼らが週末に我が家に泊り客としてきたら、すごく愉快だったでしょうに」ちなみに救出されたシャーリーは、第一声としてこう質問したと言う
「サルは大丈夫なの?」と。(上部左は死の数年前のジョン。上部右は警察と交渉するジョン。)


■ストックホルム症候群


狼たちの午後 狼たちの午後
「サル。飛行機は初めてでしょ。お守りをあげるわ」人質マリア

この作品において強盗2人と人質8人の関係は明確にその本来の関係から、長時間閉鎖的な空間で共に時間を共有することにより、違ったものに変貌していった。犯人の境遇に同情したり、逃亡の成功を祈ったりするような強い同情及び共犯関係が生み出されていった。この人質の特別な感情を
ストックホルム症候群と呼ぶ。

本作は1974年に起こったパトリシア・ハースト事件によって当時話題になっていたストックホルム症候群を取り上げた世界で初めての作品でもあった。


ノルマルムストリィ強盗事件

ストックホルム症候群 ストックホルム症候群 ストックホルム症候群
「ストックホルム症候群」の言葉の発祥は1973年8月23日(火)にスウェーデンのストックホルムで起きた銀行強盗立て篭もり事件である。開店まもなく午前10時15分に1人の男が銀行に乗り込んだ。脱獄囚
ヤン・エリク・オルソン(1941− )である。この時、銀行内には2人の警察官がいたが1人を銃撃で負傷させた。そして、オルソンはエルヴィス・プレスリーの「ロンサム・カウボーイ」を歌いだしたという。

やがて銀行にいた50名から女性行員3名と男性行員1名の合計4人を選び人質にとり、仲間の
クラーク・オルフソン(1947− 写真上真ん中、銀行内に向かうオルフソン、写真右上、女性の人質2名と男性の人質1名とオルフソン)と73万ドルと2丁の拳銃と防弾チョッキ、ヘルメット、車を用意させた。オルフソンは16歳から銀行強盗を繰り返していて1966年には殺人未遂罪で懲役8年の刑を食らっていた筋金入りの犯罪者だった。
ヤン・エリク・オルソン ヤン・エリク・オルソン クラーク・オルフソン
人質の1人クリスティン・エンマーク(23歳)は救出後「犯人達からは常に安全を感じていた。それよりも警察の暴力的かつ威圧的な対応の方が危険を感じた」と警察を批判し、犯人達に強い同情を示していた。他の人質3名とも一様に犯人に好印象を抱いていた。そして、こうした人質の心理状況を「ストックホルム症候群」と呼ぶようになった。

犯人はスウェーデン首相と電話で交渉し、クリスティンも電話で首相に犯人の要求を聞いてあげてくださいと嘆願していた。そして、オルフソンは外に聞こえるようにロバータ・フラックのヒット・ソング「キリング・ミー・ソフトリー」を歌ったりして警察を挑発していた。(写真右上と真ん中、投降するオルソン。写真右上、後日別件で裁判所に出廷するオルフソンとその妻)

クラーク・オルフソン クラーク・オルフソン
8月28日ガス弾が投入され30分後に犯人2人は投降した。131時間にも篭城は及んだ。初日の銃撃以外に犯人の発砲も警察の発砲もなかった。裁判においてオルフソンは「私はオルソンに協力したのではなく、人質の安全を確保するために説得に入っただけだ」と主張したが退けられる。

オルフソンという男は、映画スターのような甘いルックスと平気で嘘を主張する図太さで、マスコミの寵児となり、数え切れない犯罪歴によりスウェーデンで最も有名な犯罪者の一人となった。

1975年の脱獄を皮切りに、スウェーデン史上最高の銀行強盗を行い逮捕されるも、強盗した25万ドルはいまだ発見されていない。1980年釈放され、漁師と酒場で喧嘩し重傷を負わせ、他の余罪もあり2年の実刑に、釈放後ベルギー人女性と結婚し、ベルギーに移住するも、1984年25キロのアンフェタミンの密輸未遂で逮捕され10年の刑に処され、1991年釈放される。更に1999年デンマークへの麻薬密輸の罪で逮捕。14年の刑に処されるも2005年釈放される。しかし、この懲りない男は2008年7月20日にも再逮捕されている(上部二枚ともオルフソンの写真)。

一方、主犯のオルソンは懲役10年の刑に処された。後に刑務所内でファンレターを送ってきた女性と婚約し、出所後結婚し現在はタイに移住している。

現在
「ストックホルム症候群が生み出した神話」として、犯人の1人と人質の1人が結婚したと言われているが、これはスウェーデン語に対する誤訳であり、現実は結婚はしていない。


■「狼たちの午後」フォーメーション


太陽を盗んだ男』(1979)に多大なる影響を与えたフォーメーション=7人の人質に囲まれてとんずら≠決行したソニーとサル。とにかくこのシーンの緊張感は並ではない。そして、6人の人質と2人の犯人を乗せた車は無事JFK空港に到着するのだが、サルは一瞬の隙をつかれて射殺されてしまう。

禿げ上がったサルのおでこに見事に命中する弾丸。と同時に取り押さえられるソニー。
一気に縮まっていた犯人と人質の距離が遥かかなたまで遠ざかった瞬間である。人間はこうも立場によって共感をしたり無関心になったりもしてしまう生き物なのだろうか?私はそれは違うと考える。

なぜならば6人の人質の救出される様やちらっと犯人を一瞥する娘の表情からは、こういった特殊な空間の中でのみ生まれる濃縮された人間と人間の一つのシンプルな関係が垣間見えてくるからだ。ソニーもサルも人を殺めたわけではなかった。そして、人質達に危害を与えたわけでもなかった。もし私がこういった状況に置かれたら間違いなく犯人に同情するのだろう。

最近の犯罪にどこまでこういった人間性が潜んでいるのだろうか?ストックホルム症候群よりも、そんな症候群が生まれる余地もない凶悪犯罪が連続する現在の方がよほど危険な状況かもしれない。


■多くのアドリブの中から作られた本作


シドニー・ルメット 狼たちの午後
3週間の予定のリハーサルが終了する10日前にアル・パチーノが降板を希望した。その理由はホモセクシャルの関係が物語を支配する作品であり、レオンとの直接の絡みもしたくないとの事だった。特に路上での別れのシーンでキスをするのをパチーノは嫌がった。そして、電話で別れをつげるシーンに変えようと切望したので脚本家のフランクはただ「クソ野郎」と言った。

結局パチーノの要望が通り、電話で別れるシーンに変更になった。パチーノとサランドンは、綿密なストーリーラインの背景をフランクに指示された上で、2人なら実際に会話しそうな内容を打ち合わせした上で、アドリブで芝居をした。他の多くのシーンもアドリブで行われた。

もっともまず数週間役者達はリハーサルをした上で、撮影に臨んだ。綿密なリハーサルが功を奏し、10週間の撮影日程の予定が、7週間で終了した。ちなみに銀行内のシーンはブルックリンの倉庫で行われた。

本作は1975年アカデミー脚本賞(フランク・ピアソンは12のシークエンスを書いたのみだった!1925年ハーバード大学を卒業し、タイム誌の記者に『キャット・バルー』(1965)『暴力脱獄』(1967)でもオスカーにノミネートされていた。1995年にゲイリー・シニーズ主演でTV映画『プレジデント・トルーマン』の監督をつとめた)を受賞し、作品賞・監督賞・主演男優賞(アル・パチーノ)・助演男優賞(クリス・サランドン)・編集賞にもノミネートされた。さらにLA批評家協会賞作品賞と監督賞を受賞。そして、全米興行収入4666万ドルをあげた。

− 2009年2月9日 −


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