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ドミノ   DOMINO(2005・アメリカ/フランス)
■ジャンル: アクション
■収録時間: 127分

■スタッフ
監督 : トニー・スコット
製作 : サミュエル・ハディダ / リドリー・スコット / トニー・スコット
原案 : リチャード・ケリー / スティーヴ・バランシック
脚本 : リチャード・ケリー
撮影 : ダニエル・ミンデル
音楽 : ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

■キャスト
キーラ・ナイトレイ(ドミノ・ハーヴェイ)
ミッキー・ローク(エド・モズビー)
エドガー・ラミレス(チョコ)
ルーシー・リュー(タリン・マイルズ)
クリストファー・ウォーケン(マーク・ハイス)
ドミノ
この映画がしたいことが、そのものハリウッド・セレブの手っ取り早い金儲け主義そのものなんじゃないか?大ヒットするためには子供騙しの残酷描写と汚い言葉と人間離れした度胸でクールさをよそおう!ってかそれって映画の中で「ドミノは、偽りだけらけの上流階級にうんざりして」の偽りだらけの上流社会そのものの考え方じゃないか?今のアメリカ映画は思想の陳腐さが目立ちすぎる。こんな暴力映画のストリップまがいの三文芝居で200万ドルの金を稼ぎ出すキーラ・ナイトレイがすでに説得力がない。

■あらすじ


ローレンス・ハーヴェイの娘ドミノ(キーラ・ナイトレイ)は、バウンティ・ハンターである。すごくクールでタフな。実生活はドラッグとアルコール中毒だったドミノを、北朝鮮が賛美する金正日並に美化して、白い粉のかけらも見せ付けずにトニー・スコットの勘違いスタイリッシュ・スタイルで描きあげる空前の空っぽ映画。あらすじはないも同然のトラッシュ映画である。


■ローレンス・ハーヴェイが見たら何と言うだろう?


キーラ・ナイトレイ
恐らく「これは映画じゃない」と言うだろう。そう明確に本作は何かと表現すると、
トニーオヤジが2時間ゲームしているゲーム画面を見せられているような作品である。その中には何の情緒溢れるものも、心に響くものもなくただゲーム感覚で無機質に事が進むだけ。さらに勘違い女キーラが強さの説得力0状態で無敵の女戦士を演じる。さらに東洋人失笑必死のヌンチャクシーンまで織り交ぜながら。

まさに現代に甦った「コナン・ザ・グレート」ならぬ「キーラ・ザ・グレート」である。

ちなみにドミノの父ローレンス・ハーヴェイ(1928−1973)は有名なシェイクスピア俳優でもあり、映画作品も厳選して出演するタイプの名優だった。しかし、女運は悪く3回結婚している。ちなみに『ヴォーグ』のカヴァー・モデルだったポーリーン・ストーンと結婚したのは1972年であり、ドミノが生まれた1969年には別の妻と結婚している最中であった。

父親の死が彼女に与えた影響は大きかったろうが、それよりも何よりも大きかったのが社交界好きで子供を省みない母親の存在だっただろう。母親の口ぞえによりモデルの仕事をしたりもしているのだが、今まで自分でなんら成し遂げたことのないドミノが、バウンティ・ハンターになろうと決意すると言う風に映画では言っているが、実際は全く違うらしい。


■ちょっと美化しすぎじゃねえか?


ドミノ・ハーヴェイ ローレンス・ハーヴェイ
実際のドミノ・ハーヴェイ(1969−2005)はごく一般的な金持ちの不良娘でナイトクラブのパーティー好きなドラッグ常習者であり、アルコール依存症だった。その事実がアメリカではかなり有名であり、実際にバウンティ・ハンターは数年ちょことしただけであり、1995年にはすでに引退していた。結局本作が映画化されるにあたり、実話を元にドミノの生き様を映画にしてみたところで、心を打つストーリーは出来ないと判断したプロデューサー達(トニーオヤジ含む)によってほとんどはフィクションとなった。

ドミノは実際の所は自制心のない、しかもバウンティ・ハンターの仕事もろくにしていない30歳を過ぎても両親に金の無心をして生きていた女性であった。そして、2005年6月27日にバスルームで死亡したのも何らかのドラッグの乱用によるものらしい。

ドミノはありきたりの上流階級の生活に飽き足らずにバウンティ・ハンターをした独立心溢れる女性で格好いいという彼女に対する評価を日本においてのみ聞くが、笑止千万である。両親のすねかじりもいいとこなドラッグ中毒者だった彼女の大半の人生を知らずに一部分だけを切り取って手放しに魅力的だと思ってしまうことは、実に人間の捉え方として単純すぎる。

しかし、「私の名前はドミノ・ハーヴェイ。私の仕事はバウンティ・ハンター」なんて最後決めセリフを吐いて、プールつきの大豪邸で泳いでる姿は首尾一貫なさすぎだろう。「私の名前はドミノ・ハーヴェイ。私は親のすねかじりです」が本当の所だろ?


■ジグソーパズルのような新感覚映画?うそこけ


ドミノ ドミノ
本作は1995年にトニー・スコットが36万ドルでドミノ・ハーヴェイから購入した自伝をベースに映画化したものなのだが、実際のところ前述したようにほとんど美化されたつまらん物語だったので、ほぼオリジナルでアクション・コメディとして再構築された。

そして、完成した作品は見事に破綻した映画だった。全てはゲーム感覚の映像感覚による映画の要素の崩壊が失敗作になった原因だった。
「ジグソー・パズル」とトニー・スコットは本作を表現したらしいが、センスの悪いパズルをはめ込んでいくと出来上がったのは、意味の分からん独りよがりの女の姿だけだった。

オープニングは『民衆の敵』(1931)風に登場人物が全員紹介されてクールなのだが、こういったセンスの映像が約2時間続く。トニー・スコットがいかに独りよがりな人間かが分かる。元々映画を撮るにあたってトニーオヤジは演出や映像のセンスはなく、脚本の良し悪しで作品の出来が左右されるタイプの人なのだが、恐らくいいオヤジが俺が流行の最先端に立ってやると奮起したのだろう。

結果は、クラブでみんな踊っている最中に、「ヘ〜イ、今から最先端の音楽聞かせてやるぜ〜!」とオヤジが叫んでさぶがられている感じである。「わかんねぇ〜くせに無理すんじゃねえ!オヤジ」って感じである。
若い彼女に自分も若いことを証明したいがために撮った様なものである。

それにしてもなんでビリー・オーシャンなんだよ?実感わかねえし。せめてビリー・アイドルにしろよ。


■キーラ・ナイトレイってやばいだろ?


キーラ・ナイトレイ キーラ・ナイトレイ キーラ・ナイトレイ
キーラ・ナイトレイ(1985− )の芝居も全く駄目で、これは芝居と言うよりも学芸会レベルである。「ファック」や「マザーファッカー」を連発することが、クールな芝居だと考えてるのは馬鹿すぎる。
この女優の感情表現の単純さはまさに驚異的な程陳腐である。こういう楽な芝居で大金(本作のギャラ200万ドル)を稼いでいると間違いなく名女優にはなれないだろう。

しかし、もう銃向けられても余裕ぶる主人公って構図はやめて欲しいよな。アニメやMTVじゃないんだから。あとは緊張感溢れるシークエンスを見せるために、腕ごと切ったり、10人くらいで拳銃を向け合ったり、いきなりぼこぼこにしたりとそういうのもういい加減やめようぜ。空しくないか?

ここで一つ忠告。女性にとって、本作のキーラが格好いいという男は相手にするな。絶対女を見る目ないから。ただしジャクリーン・ビセットみたいな美人のお母さんが欲しいというマザコン男は許してやれ。一方男性にとって、本作のキーラが格好いいという女は相手にするな。ただしミッキー・ロークに痺れるという女は許してやれ。

本作最高に大根なキーラの芝居を見たければ本作の1時間10分後にキーラが「カメラ止めろ!」と叫ぶシーンを見てみてくれ。この映画自体を止めたくなるはずだから。


■役者の大根芝居も判別できない無残な映像効果


この映像エフェクトのお陰でどの役者の芝居もぶつ切りにされ、
映像のために消費される物質となってしまった。どんなにいい芝居をしようとも映像エフェクトの多用によりキーラのへぼ芝居と同化させられてしまうのだからたまったものではない。

しかし、ミッキー・ロークといいジャクリーン・ビセット、ルーシー・リュー、ミーナ・スヴァーリといい、勢ぞろいする大根役者にとっては丁度良かったかも知れない。惜しむべくはクリストファー・ウォーケンである。元々作品は選ばずに交友関係で安請け合いする役者なので、本作も出てしまったのだろうが、ウォーケンもそろそろやばいかもな。

しかし、いくら大根女優といえどもルーシー・リューとジャクリーン・ビセットに一番魅力を感じてしまう私はまじでやばいかもと実感している。ルーシー・リューいつ見ても演技は最低だが、あのすましたエロスがたまらん。そして、ジャクリーンそこにいるだけで許す。


■自分の映画ぱくるなよ


最後は『トゥルー・ロマンス』(1993)と全く同じ展開にまさに失笑するしかない。結局は三つ巴のバカ丸出しな展開か?まったく芸がないよな?ストーリーが破綻すれば殺しあって生き残るパターンだろ?それにしてもトニーオヤジ自分の作品をぱくるなよ。

しかし、最も失笑できる展開は終盤大型車が回転して吹っ飛んだ後に、ドミノがチョコと愛し合う展開である。まさに何だそれ?である。
最近の映画はなぜ急に愛し合うのか?とそのプロセスが全く理解できないほどに衝動的なラブシーンというか動物の交尾みたいなシーンが多すぎる。

ストーリーが破綻しているので、斬新でもなんでもなくただ単に最低レベルのMTVを二時間見せられてるようなものである。全く何も残らない作品。
ちなみに本作の予算は5000万ドルで62日間で撮影されたが、世界中で稼ぎ出した金額は2000万ドルだった。クエンティン・タランティーノは『シン・シティ』と並んで2005年のお気に入りの映画であるとコメントしている。

− 2007年6月19日 −


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