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ファイト・クラブ   FIGHT CLUB(1999・アメリカ)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 139分

■スタッフ
監督 : デヴィッド・フィンチャー
製作 : アート・リンソン / シーン・チャフィン / ロス・グレイソン・ベル
原作 : チャック・パラニューク
脚本 : ジム・ウールス
撮影 : ジェフ・クローネンウェス
音楽 : ザ・ダスト・ブラザーズ

■キャスト
エドワード・ノートン(語り部)
ブラッド・ピット(タイラー・ダーデン)
ヘレナ・ボナム=カーター(マーラ・シンガー)
ミート・ローフ(ロバート・ポールセン)
ジャレッド・レト(エンジェル・フェイス)
ファイト・クラブ
「お前は物≠ノ支配されてる」とタイラー・ダーデンは、オレ達に笑みを浮かべて語りかける。「いつか死ぬ≠チてことを恐れずに心に叩き込め!すべてを失ってこそ、真の自由が得られる」。消費社会が必要のない物まで消費させ、大切なもの≠山積みにしていく。一日一日その山積みになった大切なもの≠忘れようと、必要のない物を消費することに励むが、何故か確実に心には空しさが募る。そして、諦めよ、もしくは自ら死を選べの選択肢を突きつけられ、苦悩する。お前の人生は物(=名刺、電話、コンピューター、テレビetc)によって死までの暇つぶしを全うした素晴らしい人生だった。着陸します 座席を元の位置に!≠ただ無機質に繰り返し、やがて確実にやって来る飛行機が墜落します!≠フ言葉を待ち望みながら。

■あらすじ


大企業に勤務する語り部(エドワード・ノートン)は、高級マンションに居を構え、30代前半にして何不自由ない生活を送っていた。しかし、実際の所は、不眠症に悩まされ精神的に疲労していた。そんな時睾丸がん患者や末期がん患者の互助グループに偽患者として参加し、心の安らぎを手に入れる語り部なのだが・・・同じように偽患者として参加するマーラ・シンガー(ヘレナ・ボナム=カーター)の存在を知り、心の安らぎは速やかに失われてしまった。再びもやもやした毎日を送る語り部。そして、出張中に一人の魅力的な男性タイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)と知り合う。


■僕はジャックの無駄な人生です


エドワード・ノートン ブラッド・ピット
「ファイト・クラブはジャックの遊び心です」
「ツァラトゥストラはニーチェの遊び心です」

芸術は芸術家の遊び心です。そして、最後のペニスは、ミケランジェロの遊び心です。さあ、この壮大なる遊び心が生み出した空前の芸術作品を味わい噛みしめよう。

この作品の中枢に存在するのは、マルクス・レーニン・毛沢東であり、その本質はアンチ資本主義である。スペースモンキーは紅衛兵であり、タイラー・ダーデンは毛沢東だった。
「真の知識を得たくば、現実を変革する実践に参加しなければならない」という毛沢東の言葉そのものだった。だからこそ最高に笑える。そして、カタルシスを味わいながら、心の中で叫べる全てを破壊せよ!とりあえずと。

21世紀は間違いなく人類の破壊へのシンパシーの時代へと転換していく。この作品のすぐ後911テロが起こった。なぜいまだに多くの人々はこの出来事に興味を惹かれるのか?悲劇に対するシンパシーから?本当か?
哀しみ≠ニいう名の刺激、破壊される瞬間≠疑似体験したい願望も含まれてるんじゃないのか?

人類の歴史は、構築したものを破壊し、再構築していく歴史だった。そして、ダーデンは語る。
「おい、物に支配された貧乏人ども!どうせ物に支配されるなら、もっと高級な物に支配されたくないか?だが、オメェ〜には一生無理なんだよ!一生消費される安物に埋もれて死んでくんだよ!だからこう考えろ!手に入らないのなら、破壊しろ!」と。


■アメリカに文化大革命を興してみようぜ!

エドワード・ノートン ブラッド・ピット
この作品の素晴らしさは、もし(現在の)消費社会のアメリカで文化大革命が起こったらどうなるだろうか?という観点で描いた点にある。
太っちょの毛沢東をむきむきの美男子ブラッド・ピットに置き換え、紅衛兵をスペースモンキーに置き換え、アメリカの物質社会に対する共産革命をお遊びで興してみようぜ。

そして、
消費の記憶=クレジットカードの記録を破壊してやれ!こうして全ての人民は平等になるのだ!全てのきっかけは路上の殴り合いだった。殴り合いが何を生んだのか?それは消費社会と同じく、物に支配されていたヤツラが暴力に支配されただけの話。物質に支配されていた奴らが、自分の赤い血と青くなった肌によって生を実感し、暴力に支配されていく。

結局は、
物によって去勢された羊が、暴力によって去勢された羊になっただけの話。そして、物にとりつかれるよりも、暴力にとり憑かれたほうが、遥かに刺激的だという事。自分を破壊する欲求が、その自分がよって立つ社会に対する破壊願望へと転化していく。

結果的にこの作品を鑑賞した人々は、
<それは禁止されているのであるから、そのことはまさに欲望されていたのだ>を知るのである。


■僕はジャックの冷や汗です


「銃を突っ込まれて話なんか!一瞬爆薬の恐怖を忘れて思った。ところで、その銃 清潔なのか?≠ニ」


物語は、恐怖に対して怯える語り部の脳の神経回路から始まる。タイラー・ダーデンの拳銃を口に突っ込まれる語り部。結論から言うと自分のペニスを頬張る語り部。オナニーが自己嫌悪ではなく、ナルシシズムを磨き上げ、やがて世界に対して放出する構図。

「人は愛する相手を傷つけ、傷つける相手を愛する」

「今の若者はポルノ雑誌よりもブランドを買うことに熱中する」


以上の言葉は、ナルシシズムの本質を突いている。
現在は、オナニー社会であり、自分を磨くためにお金をかけ、消費していく。女も男も鏡の前に立つ時間が長くなり、他人に身体を触られる時間も長くなる。そして、自分で身体を触る時間は更に長くなる。

しかし、何か物足りない?身体は接触するのだが、自分も他人も自分の内面と接触できない。だが山積みにされていく何か。いつか倒れようとするその山積み。そんな瞬間を何故か察知し、恐れおののく自分。身体の充実が薄れいく毎日。
本当に生きているのか分からなくなっていく他人のような自分に悩まされる自分。

この作品には、ごく当たり前の現代社会が抱える不安の本質が提示されている。
生産はただちに消費であり、登録である(ジル・ドゥールズ)の言葉に象徴される無機質さに支配された現代人の不安の本質。


■マーラ・シンガーが全ての始まりだった


ファイト・クラブ ファイト・クラブ
「彼の胸の谷間に顔を埋めて心ゆくまで泣く。至福の時間だった」

不眠症に悩まされる語り部は、コーネリアス(『猿の惑星』より)やトラヴィス(『タクシー・ドライバー』より)と名乗り睾丸がん患者や末期がん患者の互助グループに参加する。本当に不幸の最中にいる人々の中に入り、生を実感し、心の底から涙し、平穏な睡眠を手に入れる語り部だった。

ちなみにステロイドの多用により睾丸がんになり、睾丸を失い、ホルモン投与の影響で巨乳になったロバートを演じるのはミートローフ(1947− )である。彼は本業はロック歌手であり、1977年に発表したアルバム『地獄のロック・ライダー』は世界で累計3500万枚を売り上げる大ヒットを記録している。他にも1993年のシングル「愛にすべてを捧ぐ」も大ヒットを記録した。この人は現役バリバリのロッカーである。そして、このロバートの役柄も素晴らしく良い。

「腫瘍ができたらマーラ≠ニ名づけよう」

しかし、一人の女性の出現が、語り部の人生を変えた。マーラ・シンガーである。コインランドリーから服を盗んでは古着屋に売りつけ、老人に送られる給食をくすねたりして日々食いつないでいるやる気のないゴシック風メイクのヘビースモーカーの女。

他にも色々こすい事をして生きているのだろうが、語り部は、彼女の中に、自分自身の本質を見てしまった。他人の不幸を生きる糧にしているが、生きている人間には無関心。友達もいず、不眠症で、ぼうっとしている。だからこそ、ジャックは、自分の現実の姿を投影するマーラを嫌悪し、より理想とする自分を求めるようになるのだった。


■タイラー・ダーデンとは、語り部の理想だったのか?


「時差の一時間を足したり引いたり、こうして人生の時間が減っていく」

「機体が大きくかしぐと僕は事故になれ≠ニ祈る。でなきゃ空中衝突でもいい」


マーラ・シンガーと出会う辺りから、語り部の前に、タイラー・ダーデンがサブリミナルで登場するようになる。空港の通路ですれ違うまでに少なくとも5回。語り部が仕事場でコピーを取っている時や医者がオフィスを去る時、マーラが教会から去っていくのを見送る時など。そして、ホテルの一室でテレビを見ている時のCMの中のウェイターの中にもヌケヌケと登場している。

既に語り部は、理想の姿を追い求め始めていたのだった。やがて明確に分離していくことになる。そして、それは二重人格ではあるが、ある意味理想のために自分の可能性に向って一心不乱に疾走する姿だった。まさにこの姿にはニーチェのこの一言こそ相応しい。

「しかし、もっとも厄介なものは、もろもろのちっぽけな考えだ。まことにちっぽけな考えを抱くよりは、悪を行なう方がまさる!・・・そして、私はそっとこう耳打ちしておくいっそあなたの悪魔を育てて大きくした方がいい!あなたにも偉大さへの道はまだ一つ残っている!=v


■この作品の本質はオナニーと・・・


ブラッド・ピット ファイト・クラブ ファイト・クラブ
「家庭にあるものでどんな爆弾でも製造できる」

「前を通るよ。ケツを向けようか?それとも息子を向けようか?」

「パーフェクトを目指すことなんてない。切り替えて自然な生き方をしろよ」


出張から語り部が帰ると、自宅が爆発事故にあい全ては吹き飛んだ。そして、タイラーと再会する語り部。タイラーは言う。「一つ頼みがある。俺を一発殴ってくれ」と。ファイト・クラブとは、痛みを体感して、生を実感するための究極のSM倶楽部。ただし、殴られる相手が男であり、女王様ではないという話。そして、そこには上下関係はない。

自分を傷つけるだけではなく、自分を傷つけ、相手を傷つけ、生の実感を共に分かち合い連帯感を強めていくプロセス。そうそこには自虐以上の連帯感があった。相互でペニスをしごき合い共にイク感覚を我慢する行為。
実は『ファイト・クラブ』という作品は、如何にしてホモセクシャルは増加するかというプロセスを描いた作品でもあった。


■資本主義の本質は、汚物の混入にある


ブラッド・ピット ブラッド・ピット ブラッド・ピット
「お前は物≠ノ支配されてる」

タイラー・ダーデンは、映写技師として子供達が楽しむアニメにポルノのワンカットを混ぜてその反応を見て楽しんでいる。そして、高級ホテルのウェイターとしても働いているが、ポタージュに小便を混入したりしている。更には人間の脂肪で作った石鹸を高級な石鹸として販売している。

意識的に様々な汚物を混入しているタイラーだが、その本質は食肉や高級料亭や特産物の偽造と全く変わらない。個人がそれをすればテロであり、大掛かりにそれをすれば消費社会の先頭を走れるのである。
結局の所ばれずにテロ行為を繰り返して利益をあげるのが、資本主義の本質に他ならない。

大して威張れるシステムでもないが、ばれるまではトップを走れるシステムである。そして、ばれないように利益を一部の人間にあてがい上から徹底的に腐っていくシステムである。


■1+1が2になるように生きろなんてクソくらえ!


ファイト・クラブ エドワード・ノートン
「効率化が最優先です。無駄は犯罪≠ナすからね。キミもそう思うだろ?」

痣だらけの顔で会社に出社する語り部。会社の会議で上のセリフを言われた時に、血だらけの歯茎を見せ付ける。最近早速ボロが出始めている効率化≠フ弊害。
その最たるものは、派遣会社の存在。要するに奴隷商人のことだろ?本来労働者に渡るお金が、不当に摂取され続けるシステム。

ファイト・クラブ ファイト・クラブ ヘレナ・ボナム=カーター
「あんなすごいファック小学校以来だわ」

「なぜあんな女がいいんだ?」「どん底まで落ちる女だからさ」


マーラ・シンガーを演じるのは英国出身の女優ヘレナ・ボナム=カーター(1966− )である。祖父は元英国首相という裕福な名家(父親は銀行頭取)で育ち、2001年からティム・バートンとは長年の恋愛関係にあり、二人の子まで儲けている。

マーラ役には、当初コートニー・ラブやウィノナ・ライダーも考えられていた。そして、FOXサイドはリース・ウェザースプーンを第一候補に挙げたが、フィンチャーが「若すぎる」と拒否した(リース自身も「ダークすぎる」と拒否していた)。そして、『鳩の翼』(1997)を見て注目していたヘレナにマーラ役を依頼したという。


■オマエの潜在能力を手に入れろ!

ファイト・クラブ ブラッド・ピット
「いつか死ぬ≠チてことを恐れずに心に叩き込め」

「すべてを失って真の自由を得る」


この作品のポジティブなメッセージはここにある。全てを失った時に、無駄なものも大切なものも失った時に、オマエは気づく。オマエが求めていた理想の人間に必要なものが、既に自分の中にあったことに。
余りにも物に囲まれすぎることが、人間自身を過小評価させ、物の虜にしていく。

だが、実は無駄なものを引っ剥がしてみると、どんなヤツにでもかなりの潜在能力があるんじゃねえか?この作品の一つの本質はココにある。


■踊らされるな。踊るなら自らの意思で踊れ!


ブラッド・ピット ブラッド・ピット
「キミが上司ならこういう場合どうするかね?」
「僕ならばその紙の事は黙ってます。それを書いたのはヤバい奴で、キレたら何をするか分からないサイコ野郎。きっとアーマライトAR10ガス・カービン銃を構えて、この会社に乗り込みオフィスにいる奴らを無差別に撃ち殺す」

ちなみにこの作品の撮影が終了(1998年12月)した後、すぐにコロンバイン高校乱射事件が勃発している(本作の公開スケジュールはこの事件により遅延した)。もっとも二人の殺人者が所有していた銃はアーマライトではなかったが、爆弾を使用して500名は殺害しようと目論んでいたという(実際は12名の生徒と1名の教師を射殺して自殺する)。

「宣伝文句に煽られて、要りもしない車や服を買わされてる」

「俺たちの戦いは魂の戦い。毎日の生活が大恐慌だ」


同じものをめぐって列を成してそれを手に入れようとする人々。同じような服装の同じような考えの奴らが、ただ群れて主張を繰り返す。
自分ひとりじゃ何も出来ませんという主張を。そして、仲間と群れ、恋人と群れ、群れてる仲間に自分という人間について理解して欲しいと渇望する。

自分は他人を理解しようとした事が一度もなかったにも関わらず、世界の中心が自分であるかのように、全ては自分からの視野だけで物事を見て、判断し、やがて植物のような人間に成り果てる。
ただ光合成して生きてるだけ。


■エドワード・ノートンの素晴らしさ


ファイト・クラブ エドワード・ノートン
「ワークアウトするよりも、男なら自己破壊しろ」

GUCCIの広告にある筋骨隆々の美しい男性の裸体を見てタイラーは言い放つ。そして、タイラーはファイトクラブに集まったヤツらに宿題を出す。

「赤の他人に喧嘩をふっかけるんだ。喧嘩を売って負けるんだ」

「6週間後に獣医の勉強をしてなきゃ。ぶっ殺す」


物を使って殺し合うのは簡単だが、素手で殴りあうことは難しいというアメリカ社会の抱える徹底的な闇の部分が見事に茶化されている。そして、その後のシーンで、コンビニで働くアジア系の元学生を銃で脅迫するのである。如何に銃で物事を進めることが簡単か・・・そして、こういうシーンが生み出すカタルシスの危険性。

語り部は会社を退職する時に、相手を脅しはするが、相手に対する暴力ではなく、自分自身を殴りつけるという行為によって、一年分の給料とコンピューター、そして48回分の旅券をせしめる。とにかく全編においてノートンの演技力が半端ではない。自分で自分を殴りつける芝居などは名人芸としか言いようがない。

ちなみにエドワード・ノートンは本作の役柄のために約8キロ減量したという。その前の作品『アメリカン・ヒストリーX』でビルドアップした後にもかかわらずである。


■消費社会への反発が新たに人間性を去勢する

ブラッド・ピット ブラッド・ピット
「3日間飲み食いせずに頑張れたら仲間に加えて訓練を」「自分の葬儀代300ドルも」

「宇宙に打ち上げられたサルスペース・モンキー≠セ」


ファイト・クラブがいつしかテロ集団へと変貌していく。最初は悪戯から始まり、やがては大々的な破壊工作へと加速度的にエスカレートしていく。生きる目的を失ったヤツラが、戦いを通じて集まり、より明確な目的意識を提示されることにより、それに盲従していく。

まさに21世紀前半とは、消費社会の本質(人間の意欲を削ぎ、自意識を去勢していくという事)に気づいたヤツラの反発心で、沸騰される時代かもしれない。そんな彼らに安易な目的意識を与えることによって、自意識は違った形で去勢されていくという不気味な流れ。

消費社会が、人を去勢するという点においては同じだが、消費社会への反発が、破壊をものともしない人間に去勢していくというぞっとする本質を本作は見事に描いている。


■幸せのタイミングが悪かっただけだね


ファイト・クラブ
着陸します 座席を元の位置に!∞飛行機が墜落します!

そして、イスラム原理主義者のようなスペース・モンキー達によって、ビルの群れが爆破されていく。一方、語り部も自ら顎を打ち砕き、タイラーの理想像を消し去る。そして、語り部は、タイラー・ダーデンとなり、ビルが崩れていく中で、マーラに愛の告白をする。

「出会いのタイミングが悪かったんだ」

自分を受け入れた。そして、タイラーも克服した。だからこそ何故か最後に登場するマーラの姿が普通に見えた。そして、二人は手をつなぎ物語は、終わりを迎える。タイラーが挿入したペニスを露出するポルノのワンカットと共に。全てはただタイミングが悪かっただけ。幸せのタイミングも・・・

勿論二人の立つビルも崩壊していく。そう人間は死に直面した時に本当の幸せが分かる。愛する女と手をつなぎ死に絶える姿こそ、本当の幸せではないか?
どうせこのまま生きていても時間が座席を元の位置に戻す≠セけなんだから。


■空前の大失敗作が、今では空前の大傑作


ファイト・クラブ ファイト・クラブ
本作の原作はチャック・パラニューク(1962− )が書き上げた長編小説(1996年発表)である。その版権を1万ドルで購入した20世紀FOXにより製作される。当初監督の候補として、ピーター・ジャクソン、ブライアン・シンガー、ダニー・ボイルがフィンチャーと共に挙がった。

ピーター・ジャクソンは本を受け取るも読みもしなかったと言う。ダニー・ボイルは本を読み興味を示したが、他の映画を選んだ。一方、本を気に入り、自ら版権を購入しようとしていたフィンチャーだったが、彼は『エイリアン3』の時の20世紀FOXとのいざこざから乗り気ではなかった。しかし、必死の説得により2300万ドルの予算で映画製作が決定する。

最初からタイラー・ダーデン役の候補にブラッド・ピットの名が挙がっていたが、ラッセル・クロウも有力だった。しかし、前作『ジョー・ブラックによろしく』の興行的な失敗を取り戻そうと、新しい役柄を演じたがっているピットの意欲的な姿勢がかわれ、彼は1750万ドルで役柄を引き受けた。

一方、語り部役の候補としてマット・デイモンやショーン・ペンが挙がった。しかし、フィンチャーはエドワード・ノートンを推薦した(『ラリー・フリント』(1996)を観てノートンに目をつけていた)。当時ノートンは『リプリー』(1999)と『マン・オン・ザ・ムーン』(1999)の主役をオファーされていたが、本作の役柄に興味を持ち、250万ドルで契約した。

1998年1月からノートンとピットはボクシング、テコンドーなど格闘技のレッスンを受けた。更にピットはタイラー役のために前歯を削り取った。6月8日より撮影開始し、12月に撮影は終了した。最終的には6300万ドルの予算になった。138日間という異様な長さに渡る撮影期間の果てに、普通の作品の3倍の量(約1500巻)のフィルムが消費された。結局劇場公開されるが、3700万ドルという元さえも取れない大赤字作品となった。

− 2008年1月29日 −


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