HOME
■サイト内検索

■洋画
 □カタカナ順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □クラシック
 □ドラマ
 □コメディ
 □サスペンス
 □アクション
 □ポリス
 □スパイ
 □犯罪
 □カー
 □ミュージカル
 □史劇
 □文芸
 □戦争
 □西部劇
 □アドベンチャー
 □パニック
 □ギャング、マフィア
 □SF
 □ホラー
 □スポーツ
 □香港
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □アカデミー賞
 □カンヌ映画祭
 □ヴェネチア映画祭



■邦画
 □ひらがな順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □名作
 □ドラマ
 □喜劇
 □サスペンス
 □アクション
 □刑事
 □時代劇
 □戦争
 □文学
 □パニック
 □東映ヤクザ
 □ギャング、ヤクザ
 □特撮
 □怪奇
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □海外映画祭受賞
眼下の敵   THE ENEMY BELOW(1957・アメリカ)
■ジャンル: 戦争
■収録時間: 98分

■スタッフ
監督・製作 : ディック・パウエル
原作 : D・A・レイナー
脚本 : ウェンデル・メイズ
撮影 : ハロルド・ロッソン
音楽 : リー・ハーライン

■キャスト
クルト・ユルゲンス(フォン・ストルバーグ)
ロバート・ミッチャム(マレル艦長)
セオドア・バイケル(シュウェファー)
ラッセル・コリンズ(ドク)
アル・ヘディソン(中尉)
眼下の敵
「男と男が敬意を示し合う姿」こんなオヤジたちの姿に素直に「カッコイイ」と言えなくなったら男として生きることを廃業した方がいいだろう。「男」とは?そして、「戦い」というものが持つ意味転じて、戦争の愚かさを描き出す見事さ。「戦争ファンタジー」である本作が、現在の「男らしさ」不在の戦争の本質を見事に示唆しているのである。

■あらすじ


第二次大戦中の南大西洋の洋上で、アメリカの駆逐艦ヘインズ号は、レーダーで敵の潜水艦をキャッチした。新任艦長マレル(ロバート・ミッチャム)が指揮する同じ頃、その潜水艦の艦長フォン・ストルバーグ(クルト・ユルゲンス)も敵艦との戦いに備え策を張り巡らしていた。お互いのプライドをかけての水面を隔てた戦いが今繰り広げられる。


■敵味方同士が讃えあう戦争ファンタジー


本作はあくまで「戦争」を題材にしたファンタジー映画だが、それがこの作品の価値を落とす要因には一切なっていない。勿論第二次世界大戦において、騎士道精神が発揮された事例もあるが、それは切迫した状況の中では極めて稀だった。

一方、各国で多くの残虐行為が大戦中に行われたのも事実である。そして、勇猛果敢な敵を殲滅するその姿にも一歩間違えれば残虐行為とあまり変わらない要素があった。そんな敵を勇猛果敢に殺していくような作品よりも、
このような現実的ではないが、人間的な感情を表面に出した戦争映画の方が魅力的ではないか?この作品が一種のファンタジーとして今も尚多くの人々を捉えて離さないのは、まさにそういった要素からである。


■男らしさを失って、男に何の価値がある?


完膚なきまでに男だけの世界観。
「男と男が死力を尽くして戦うその姿」。ナチス・ドイツの為に二人の息子を兵士として死地へ送り、自ら第一次世界大戦の経験を生かし、潜水艦の艦長として戦うオヤジ・ストルバーグ。彼はアルコールの力がないと眠れないほどこの戦争に嫌気がさしている。

一方、新婚の妻を今大戦で失い民間船舶の艦長から転進して、米軍の駆逐艦ヘインズ号の艦長として戦う男・マレル。ストルバーグよりもひと回り若いが、妻を失った悲しみ故に、艦長室に閉じこもって現実逃避に埋没している。そんな二人が海面を挟んで上下に対峙したのである。

大切なものをこの戦争で失った二人の男が、ひたすらに乗組員達を纏め上げ、「勝利」の為にまい進していくその姿。そして、同士討ちに終わった戦いの後は、ノーサイドで敬礼しあう二人。
「男同士讃えあう姿」それは女には決して踏み込めない領域であり、賢い女性ならそういった男の領域を尊重する。

男という生き物が、いかに子供じみているか?そして、その子供じみた要素の多くがいかに素晴らしい浪漫を生み出してくれているか?
男から子供の要素をもぎ取ったら一体何が残るんだ?こう言ってしまうと御幣があるかもしれないが、結婚制度、カップルの概念が存在するのもお互いの弱点を補うためではないのか?

今の時代、あまりにも男性が女性の要素を、女性が男性の要素を兼ね備えようとしすぎる。明確に絶対的な真理はただ一つ「男は永久に男であり、女は永久に女である。だからこそその道を邁進すべき」ではないのか?


■なぜこの作品は男心を捉えて離さないのか?


最終的に、戦闘で優位に立ったドイツ=ストルバーグ側は、アメリカ=マレル側に5分の猶予を与えるのだが、その5分の猶予を利用され、騙まし討ちを喰らい共に沈没することになる。そんな中、そういったことは置いておいて、お互いを讃えあい助け合うその不条理ぶり。
この描写こそ、「勝利の不文律」である戦争の要素と、そうではあっても「勝敗が決したならばお互い無益な殺生は避ける理想的な姿勢」の非現実的な交錯なのである。

この男の無邪気さが戦争の中から失われ、徹底的な効率化に取って代わられたのが、この作品の数年後に起こるベトナム戦争の姿であった。ロバート・マクナマラ米国防長官によるグラフと数式を多用したボディ・カウント式の導入。それは敵兵の命をグラフの数字に置き換えた20世紀でも有数の蛮行であった。

この作品の男たちの情に左右される一つの要素を徹底的に削り取ってみた戦争が、ベトナム戦争の姿そのものであった。21世紀において、更に加速しつつある
「戦争を数字の計算と考えているその風潮」に逆行する世界観がコノ作品にあるからこそ見ているものは、どきっとし、さらに若い世代の心をも掴んで離さないのである。そう実はこの作品は、歪みきった戦争の形=「人の死が見えてこない数字に置き換えられた戦争」に対する警告だったのである。


■クルト・ユルゲンス

クルト・ユルゲンス クルト・ユルゲンス
「この戦争にはいい所がない」

「機械が回転し、電気が答えをはじき出し、魚雷発射だ。人間が間違う余地がない。人間的な過ちは失せ、戦争から人間味が失せた」

「この戦争に栄誉はない。勝っても醜悪だ!死ぬ者は神に見捨てられ死ぬのだ・・・道理は曲げられ目的も不明確。単純な男には向かん」


クルト・ユルゲンス(1915−1982)が実に素晴らしい芝居を見せてくれる。包容力満点の歴戦のツワモノといった役柄を実に自然に演じあげている。それでいて精神的な疲れも常に漂わせているところなど役柄の作りこみにソツがない。彼はドイツのババリア地方生まれの生粋のドイツ人だが、1944年に反ナチ思想の持ち主として、強制収容所に送られた。敗戦後彼は、オーストリア国籍を取得し、ドイツ国籍を放棄したという。この作品におけるナチスに対する憎悪剥き出しの姿勢は、彼のこういった過去を反映しているのである。

しかし、ただ一つ不満があるとしたならば、この作品に関して言えば、最後にストルバーグがマレルと会話を交わすという異文化交流の側面がある以上、英語ではなくドイツ語で芝居をしてもらいたかった。
尤も、あのいちいち潜望鏡を見るたびに皮手袋を装着するストルバーグのプロイセン貴族ぶりは何とも憎らしいほどにドイツっぽくて素晴らしいのだが・・・


■ロバート・ミッチャム


ロバート・ミッチャム ロバート・ミッチャム
「レーダー電波の向こうに頭脳を感じる」


もちろんロバート・ミッチャム(1917−1997)も実に素晴らしく。実際のところ2歳しか年は離れていないにもかかわらず、クルトの老獪さに対して若々しさを発散させている。そのもっさりした風貌からは想像もつかないほどに機敏に指示を出すその姿に、演技力の確かさを確認できる。

やはりこの二人の対比されたキャラクターがこの作品の根幹を支えていることを考えると、この二人の名演は賞賛に値するものだろう。


■編集の素晴らしさと特殊効果の見事さ


眼下の敵
それにしても前半部分の釣りをしている米兵の姿をカメラで捉え、そして、その釣り糸をカメラが追っていくとそこにドイツ軍の潜水艦の姿があるという描写は実に見事である。この作品は、とにかく編集が素晴らしく、アメリカ軍とドイツ軍を公平に描くという編集屋泣かせの展開を見事に消化している。

さらに魚雷攻撃、爆雷攻撃の迫力の凄まじさ。魚雷の静≠フ緊張感と爆雷の動≠フ恐怖感が見事に対比的に描かれている。だからこそ双方の戦闘における駆け引きは鮮やかさを増していくのである。爆雷の爆音が爆音であったからこそ、どんな鑑賞者にも潜水艦の不利が理解でき、その起死回生の一発にカタルシスを感じるのである。


■男と男が認め合う瞬間


沈みゆく艦上で目と目が合う両軍の指揮官ストルバーグとマレル。そして、敬礼を交わすその姿。もう身体の底から震えるほどに男臭い格好いいシーンである。その視線が合うプロセスの組み立て方が絶妙すぎる。そして、一度は燃え盛る艦上から脱出しようとしたマレルが踵を返し、火に包まれ撃沈寸前のストルバーグにロープを投げ救出するシーン。もう言葉は必要ないです。

「私はこれまで死ぬ運命に逆らってきたが、今回は君のせいだ」ストルバーグ
「では今度はロープを投げるまい」マレル
「いや、投げるね」ストルバーグ

この最後の洋上で大海原を見つめ煙草を吸いながら会話する二人のその姿。男と男の熱い心が、触れ合った瞬間を描いた見事なシーンだった。

ちなみに本作はもう一つのエンディングも撮影されている。それは両方の指揮官が死ぬエンディングだった。


■モデルになったのは駆逐艦「カミカゼ」の死闘


原作は英国海軍中佐D・A・レイナーが、自らの体験に基づいて書いた小説だが、大まかな話のモデルとなったのは、太平洋戦争末期1945年7月16日の日本の駆逐艦「カミカゼ」とアメリカの潜水艦「ホークビル」ら5隻の間で行われた激闘だった。マレー東岸で行われたこの戦闘は、実際に劇中で行われたように至近距離から発射された魚雷を、まさに「カミカゼ」が神業的に並行して回避したり、「カミカゼ」が強烈な爆雷攻撃で反撃したりと、映画に勝るとも劣らない激戦が2日間をかけて約10時間に渡り繰り広げられた。


本作の撮影は、全編に渡りアメリカ海軍の協力のもとハワイのオアフ島で行われた。そして、1957年アカデミー賞特殊効果賞(音響)に輝いた。

− 2007年8月19日 −


当サイト内で使用している画像・映像キャプチャー等は、あくまで映画文化の熟成及び芸術復興を標榜する当サイトの意図により、
「映画を文章だけで云々することの不誠実さ」と「目で感じる芸術及び娯楽」である映画に対する敬意の姿勢で使用しております。よって著作権等は、全て各製作者・会社に帰属します。
画像・映像キャプチャー等の使用に関して表記の問題がある場合、又は削除依頼がある場合は迅速に応対させていただきますのでご連絡ください。
このサイトは、100%非営利に、純粋に「映画解釈の究極」を求めて運営されています。取り上げるべき作品・感想等ございましたらどんどんメールください。
当サイトはリンク・フリーです。
Copyright (C) 2007 Geijyutsu Taizen. All Rights Reserved.
Mail:webmaster@summaars.net