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原爆の子     (1952・近代映画協会=劇団民芸)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 100分

■スタッフ
監督 : 新藤兼人
製作 : 吉村公三郎 / 山田典吾
脚本 : 新藤兼人
撮影 : 伊藤武夫
音楽 : 伊福部昭

■キャスト
乙羽信子 (石川孝子)
滝沢修(岩吉爺さん)
宇野重吉(孝司)
北林谷栄(おとよ婆さん)
奈良岡朋子(孝司の妹)
原爆の子
戦後初めて製作された原爆を題材にした映画。周囲に反対される中この映画に主演した乙羽信子の意地。女優と言うものは女を演じることに優れた人という意味ではなく、女の意地を突き通すことに優れた人という意味であることが理解できる作品である。

■あらすじ


広島で被爆し両親と姉妹を失った石川孝子(乙羽信子)が、7年ぶりに広島を訪れる。焼け野原から復興しようと頑張っている人々の中に、ずっと家の世話をしてくれていた岩吉爺(滝沢修)が乞食と成り果ててる姿を見つける。原爆により体中焼けただれ半盲目の状態の岩吉爺にとっての、生きがいはただ一人残された親族である7歳の太郎だけだった。孝子との再会にとまどう岩吉爺であったが・・・


■ピカドンのタブーを初めて打ち破った作品


原爆の子
本作は広島に原爆が投下された日から丁度7年目の1952年8月6日に公開された新藤兼人第二作目監督作品である。この作に関して言えば、いい映画、悪い映画というレベルを超えている作品なのでそういう評価をするべきではない。原爆投下後の広島を初めてオールロケを行い撮影した作品である。1952年という年は4月28日にGHQの占領地政策が終了し日本に主権が回復された年である。そんなタイミングを見計らって今まではタブーであった原爆を直接取り上げた作品が本作であるが、完成後翌年カンヌ国際映画祭に出品するもアメリカと日本の外務省が圧力をかけ受賞妨害工作を試みたという。

広島のピカドンという当時タブーな題材を新藤兼人は原爆の子供達がつづった作文を編集したホロシマ・ピースセンター理事長で、広島大学教授長田新の「原爆の子」を題材に、近代映画協会と劇団民藝による自主制作で、新藤自身による脚本、元宝塚のトップスターで大映所属の乙羽信子が大映の反対を押し切って参加し、民藝の清水将夫、滝沢修、北林谷栄、宇野重吉などが出演した。


■美しい日本の大地にたいする愛着


原爆の子 原爆の子
古い作品を見ていると日本の魅力がさりげなく示されているものである。自転車で自然の中を走りぬける乙羽信子はすごく輝いている。冒頭ののどかに体操を小学生達とする石川先生(乙羽信子)と広島に行ってからの懸命に生きる広島の人々を見つめる乙羽信子のギャップが素晴らしい。広島を題材にしている映画のはじまりがこれほどのどかな始まりの意外性はさすがである。

新藤をはじめある意味この頃の日本人は、どんなに生活が苦しかろうとすごく日本の大地に愛着を持って生きているのだなと、実感出来る見事なオープニングである。
今の日本人の映画や生き方に欠けているもの。それは大地に愛着を持つということであろう。

新藤兼人は語る。
「私が『原爆の子』に執着したのは、私が広島で生まれ、広島を我が街と思ったからである。私自身がピカの一発を受けた思いが強かった。一発の爆弾で一つの街が吹き飛ばされるようなことを誰が想像したであろうか。しかも無警告、一般市民に対してだ。・・・広島は地獄だった。ピカッと光った熱線に焼かれ、ドンと音がして吹き飛ばされ、電車に乗っていた者はそのまま焼かれ、生き残った者は焼けた皮膚を垂らして幽鬼となってさまよった。ここは戦場ではないのだ。一般市民の街なのだ。私は戦争から帰り、広島を見て、茫然とした。広島がないのだ。七つの川が光っていて、海がじかに見えるのだ。どれほどのものが一挙に失われたか、私に分かるのは、私が少年の日、毋に連れられてしばしば映画を見たり、うどんを食ったりした思い出があるからだ。・・・人間は、家族と共に家に住み、生活をして絆をつくり、あたためあう。世界の人間がそうして生きている。それをぶっつぶすヤツに、私達は一言も抵抗出来ないのか?」


■乙羽信子(1924−1994)


乙羽信子 乙羽信子
鳥取県米子市に生まれる。小学生のときより日本舞踊を習い宝塚歌劇団に。同期には越路吹雪、月丘夢路がいる。戦後宝塚で娘役で淡島千景と人気を二分する。1950年退団し、大映に入社する。彼女のチャームポイントは宝塚時代からえくぼであった。1951年新藤兼人監督の第一作『愛妻物語』でスターの仲間入りを果たす。そして、大映の反対を押し切り本作に出演し、大映を退団した後は宝塚時代とは全く逆のリアリズム路線に傾倒する。1978年新藤と結婚する。

私の乙羽信子という女優のイメージはおばあちゃんというイメージが強かったが、若い頃はこれほどチャーミングで綺麗な魅力的な女性だとは想像もしなかった。ましてや、私が高校時代に秘かに崇拝していたのが手塚治虫の『リボンの騎士』のサファイア王女と淡島千景なのだが、その彼女と宝塚時代に人気を二分していたとは思いもしなかったが、この作品の彼女を見ているとそれも理解できる。

とにかく本格的な芸術を演じる人達にはこだわりがある。そして、新しいものに対するチャレンジ意識がある。だからこそ私は1950年代の宝塚出身の女優に特に惹かれるのだろう。しかし、昨今の宝塚あがりの女優にはあまり惹かれないのはなぜだろうか?生き様が格好良くないのが最大の理由だろう。


■子供は太陽の下でこそ輝く


原爆の子 原爆の子
はっきり言わせていただこう。現代の子供よりこの頃の子供の方が輝いていた。
子供が太陽の光の下で体を動かさなくなったら、子供である価値はなくなるのである。この『原爆の子』の主役は子供達である。この作品の子供達の芝居はどれもこれもすごく魅力的なのである。それは子供がすごく子供らしいからだ。最近の日本の子役は、子供と言うよりも子供の芸能人にしか見えないのである。オーバーアクションが凄まじく学芸会を見せられているようで気持ち悪いのである。そういう子役を見て、自分の子供もそういうのに育て上げようともくろむ親もいるわけなのだから最近の日本が、一つの終焉に向かっているのは歴史的に容易に想像つくだろう。

「みなさん。お休み中は うんと遊んで うんと勉強して 丈夫ないい子に なってください」
石川先生が子供達に言う言葉だが、昔の言葉の響きはすごく心地よい。


■英百合子(1900−1970)


広島の呉市出身の伝説の名女優がリアル・広島弁を披露してくれます。1920年から松竹キネマ蒲田撮影所に入社しサイレント映画の売れっ子女優になる。西欧風のオシャレな女性役を得意とし、30代以降は母親役を得意とした。ハナブサユリコという名前は最高にモダンでナイスな名前である。名前の魅力度から言えばミケランジェロ・アントニオーニ並みである。そして、この作品でも石川先生の叔母の役で短い出演ながら女性の優しさを演じている。

石川先生が広島に向かうフェリーの中で出会う馬喰は俳優座の東野英治郎である。日本が誇る最高級の名優の1人である。


■ピカドンの炸裂した瞬間の描写の妙


原爆の子 原爆の子
今は亡き基町原爆スラムや当時の広島市の町並みが映し出される。1952年当時の広島の姿がここにあるのである。回想のシーンで登場する石川先生の母せつ役の細川ちか子(1905−1976)は、有名な新劇女優で、のちに新藤兼人が監督する『さくら隊散る』の主人公で広島の原爆の犠牲となった俳優丸山定夫(1901−1945)とは20代に一年間同棲して付き合っていた。細川自身も東京出身の政治家の娘で夫も藤山コンツェルンの藤山愛一郎(1897−1985)である。

回想の1945年8月6日の原爆シーンでは、衝撃的な胸もあらわな女性達の姿が映し出される。1952年らしからぬ原爆被爆の表現にある意味新藤の凄みを感じた。まさか原爆の回想シーンでこういう映像表現をするとは・・・・日本映画らしからぬヨーロッパ・テイストたっぷりの見事な表現力である。そして、一瞬だけ映し出される大滝秀治(確かではない)の顔のドアップ。

そして、絶品の乙羽信子のナレーション。
「あの日 この銀行の石段に腰掛けて 物思いに沈んでいた名も知れぬ人は、強烈な放射線に焼きつけられて 今だに ここで考えています」


■滝沢修(1906−2000)


1947年に宇野重吉、森雅之、北林谷栄らと劇団民藝の前身民衆芸術劇場を「多くの人々の生きてゆく歓びと励ましになるような」民衆に根ざした演劇芸術をつくり出そうと旗あげされた。1950年より劇団民藝となり現在に至る。ちなみに現在も本作に出演している北林谷栄、大滝秀治、斎藤美和、奈良岡朋子が重鎮として活躍している。1951年『炎の人−ヴァン・ゴッホの生涯−』のゴッホ役、『セールスマンの死』で神がかりな名演をみせる。肉体鍛錬と声帯鍛錬を怠らぬ完璧主義者で、劇団員の演技指導にはかなり厳しい人だった。一方で、ゴッホ好きだけあって、絵画の腕も相当なもので、公演パンフ用の写真を全て自分で撮るほどのカメラ好きだったという。

そんな日本演劇界最高峰の芝居がこの作品でたっぷりと拝めるのである。被爆し顔が焼け爛れて半盲目状態の老人岩吉爺役である。この滝沢修という人、
実生活でも筋金入りの戦争反対の人で1940年には治安維持法で逮捕され1年4ヶ月投獄されているのである。とにかく映画を引き締めてくれる絵になる存在感である。その歩き方からすごく良いのである。そして、岩吉爺のバラック小屋の隣に住むバラック小屋の老婆おとよを演じるのは北林谷栄(1911− )である。この人当時41歳にして、早くも老婆役を見事に演じきっているのだからすごい人である。


■祭りこそ日本人の大切にしていかないといけないもの


安芸のえ 国でのえ〜 文化の基(もとい)〜 ホイセ コラセ〜 聖武の帝の日が〜♪
やはり日本の祭りばやしが一番良い。現在の商業化された祭りよりもこの頃の方が祭りは祭りらしく素晴らしかったのだろう。
我々現代に生きる日本人は多くの魅力的な生活の延長線上の体験が出来ないでいるのである。

どこかの自然あふれる場所に、年に数回の会員制で、純日本的な祭りを行う催しごとを行うのもすごく面白いだろう。もちろん祭りごとにかかわる人々が中心になり、古来からの祭りを純粋に楽しむと言う趣向である。それはともかくとして少なくとも日本の失われつつある風土の文化を大切にしないとまずいことだけは確かである。

石川先生が泊まる友人宅のシーンで友人の夏江役で斉藤美和が出演する。彼女も劇団民藝の女優さんである。彼女の母親は日本の盲目女性の教育制度の向上などの社会地位向上のために人生を捧げた
斉藤百合(1891−1948)女史である。3歳の頃にはしか後の栄養失調が原因で全盲になる。11歳のときに両親に捨てられるが、預けられた岐阜聖公会訓盲院の院長夫妻に娘のように育てられる。そして、1918年に盲目でありながら東京女子大学に入学し、日本で始めて全盲で大学に入学した女性となる。1935年に女性視覚障害者のためのホーム「陽光会」を設立し、ヘレン・ケラーとも交流を持つ。そんな母親を持った女優が斉藤美和である。原爆により子を産めない体になった夏江は、助産婦をしている理由を言う台詞がかなりよい。

「子供が産めんのじゃけぇ。せめて人の産む手伝いでもせにゃね」

そして、夏江の夫役で同じく劇団民藝下元勉が出演する。彼はこの作品の後加藤嘉と離婚した山田五十鈴と結婚するのである。


広島の原爆


エノラ・ゲイ
1945年8月6日午前8時15分にB‐29が8900メートル上空から一個の原子爆弾を投下した。原子爆弾は、島病院のほぼ上空約570メートルで炸裂。被爆者は約32万人で昭和20年12月末までの死者は約16万人であった。

元々1945年5月11日に、アメリカ政府は原爆投下目標を京都・広島・横浜・小倉の4都市に絞り込んでいた。その後、京都への投下は、文化遺産・歴史の長い古都なので、戦後の国民の反感が大きすぎるとの配慮から、京都市が除外されて新潟市が加えられた。さらに1945年6月14日に京都・横浜を目標から外し、その後新潟も外され、長崎が再登場した。最終的な投下目標は、広島・小倉・長崎に決定された。一説によると京都は第三番目の原爆投下予定地だったとも。

8月6日ポール・ティベッツ大佐(1915− 写真左から2番目)を機長とするB‐29エノラ・ゲイ(ティベッツの母の名より命名。乗員12名)が午前8時15分に世界初の原子爆弾リトルボーイを自動投下した。B-29の通常爆弾最大積載量は5トンであるから、B-29の3,000機分の通常爆弾が一度に投下されたことに相当する。比較として東京大空襲(1945年3月10日)の攻撃B-29は344機であるから投下された爆弾(焼夷弾)は総計2,000トンであった。すなわち、広島原爆(15,000トン)はこの東京大空襲の約8倍相当の規模のエネルギーを、東京の十分の一程度の都市の上に一時に投下/放出したことになる。写真左が原爆を投下したフェレビー少佐。写真右端の副操縦士ロバート・ルイス大尉は、きのこ雲を見ながらメモ書きで
「オー・マイゴッド!われわれは何てことをしてしまったのだろうか?いったい何人を殺してしまったのか。100年生きてもこの数分間を忘れられないだろう」と書き残した。ルイスは後年精神病院に収容され1983年に死去した。

戦後60年経った2005年に、ポール・ティベッツは広島の被爆者と直接対談をし、原爆を投下した事について「私は謝罪する気は有りません。私にとってあれが任務だったですから。だから謝罪しないし、これからもそれは変わりません」と被爆者の目の前で語った。


■悲しくも壮大な広島の焼け野原


原爆の子 原爆の子
石川先生が原爆に遭遇したときに勤めていた幼稚園の生徒の生き残りの3人のうちの1人三平と弟芳夫は、実際に広島に住む素人の子供である。この2人が広島の街々を駆け抜けるスピード感が実に素晴らしい。
映画というものの原点は実は生の人間の躍動を描き出すところにあるのではないかと現代の映像作家達が忘れ去っている重要な点を思い起こさせてくれる見事な映像である。そして、何気に建設中時の平和資料館の貴重なショットが拝める。

三平のオヤジが原爆症で臨終するときの医者の役で民藝時代の芦田伸介(1917−1999)が出演している。


■宇野重吉と奈良岡朋子


あしたのジョーの泪橋ならぬ「萬代橋」が登場する。この橋は原爆投下当時最も壮絶を極めた橋の一つであった。その橋から飛び込みして遊ぶ子供達。すごく生き生きとして、白黒の作品なのに現代の子供達よりも生き生きしている。奈良岡朋子(1929− )と宇野重吉(1914−1988)が兄妹で出演している。かなり豪華な2ショットである。奈良岡は今も仲代達矢と共演の舞台『ドイビング・ミス・デイジー』で大活躍している。しかし、彼女が常々宇野重吉を崇拝しているのを知ってみるとこの2人の競演の芝居はさらに興味深くみえてくるのである。

原爆によって父母を失い、妹咲枝が片足が不自由になったにもかかわらずお嫁にいけることを涙を流して橋の上で話す宇野重吉の抑えた芝居のうまさはさすがである。そして、その時の乙羽信子の一筋の涙も素晴らしく美しい。しかし、乙羽信子は、津島恵子と似ているなと思う瞬間がこの作品では多い。

そして、物語は岩吉爺の話に戻る。爺は原爆で息子とその嫁を失いあとは身よりは太郎という息子夫婦の7歳の子供だけだった。しかし、爺は半盲目なので生活力がないと言うことで、太郎を孤児院から引き取れない。しかし、物乞いをしながらも生きているのはいつかきっと太郎と一緒に暮らせるようになるという願いからだった。そんな中、石川先生は2人共それが無理なら太郎だけでも島で引き取って大事に育てると言ってくれるが・・・爺はなかなか太郎と離れる決心がつかない。

太郎は石川先生に引き取ってもらうべきと爺を説得するおつねに爺は言う。「なんぼでも生きるんじゃ!こがいな姿 この顔を世間の人に見てもらわにゃのう」やがて爺は太郎を手放す決心をする。ここからの太郎との別れのプロセスが実に見事に心を打つのである。原爆というものに対して語っていた上記の新藤監督の思いが反映されたシーンになっている。

ここは戦場ではないのだ。一般市民の街なのだ。・・・人間は、家族と共に家に住み、生活をして絆をつくり、あたためあう。世界の人間がそうして生きている。・・・そういったものが原爆一発によりいかに多く破壊されたことか!新藤監督含め出演者の方々、そして、広島の方々が見せたかったのもこの部分なのだろう。


■原爆という殺人兵器の特異性


広島の原爆の、特異なところは、戦場近くの市民ではなく一般の市民の生活をいとも簡単に破壊してしまったところにあるだろう。その中には3種類の悲劇を生み出しているのである。爆弾に殺された人の悲劇と、爆弾の後遺症に苦しみながら死ぬ人の悲劇、そして、生き延びた人の悲劇。航空機の発明と爆弾の発明と原子力の発明が、20世紀までに想像もつかない人類史上最悪の行為を実行させることになった。つまり戦争とは無関係の一般人を大量虐殺することである

エノラ・ゲイが落下した原爆は、そう言った人類史上最悪行為のパンドラの箱を開けてしまう行為だったのである。そして、そのパンドラの箱を開ける原因となったのは、当時の日本政府とアメリカ政府なのである。飛行機の爆音が上空にこだまし、それを見上げる山口先生と夏江の姿が、実に象徴的である。


− 2007年4月8日 −


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