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現金に手を出すな   TOUCHEZ PAS AU GRISBI(1954・フランス/イタリア)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 96分

■スタッフ
監督 : ジャック・ベッケル
原作 : アルベール・シモナン
脚本 : ジャック・ベッケル / モーリス・グリフ / アルベール・シモナン
撮影 : ピエール・モンタゼル
音楽 : ジャン・ウィエネル

■キャスト
ジャン・ギャバン(マックス)
ルネ・ダリー(リトロ)
ジャンヌ・モロー(ジョジー)
リノ・ヴァンチュラ(アンジェロ)
ドラ・ドル(ローラ)
現金に手を出すな
フランス映画史上初めてのギャング映画である本作の魅力は、生活観と様式美の狭間を描いたところにある。本作はジャン・ギャバンの渋さ、ジャンヌ・モローのビンタを喰らう仕草の可愛らしさ、ルネ・ダリーの妙な存在感、マリリン・ビュフェルの絶世の美女ぶり、そして、何よりもリノ・ヴァンチュラのデビュー作とは思えぬ存在感といった多くの美味に味わえる贅沢な晩餐会である。

■あらすじ


老齢に差し掛かりつつあるギャング・マックス(ジャン・ギャバン)は引退を考え5000万フランの金塊を強奪し、仲間のリトンと共に美酒に酔いしれていた。マックスは若くて美人の恋人と結婚でもしようと明るい引退生活を考えていたが、リトロが愛人(ジャンヌ・モロー)に金塊の話を漏らしたことからマックスの思いもしない方向に事態は崩れていく・・・


■歴史的な傑作の中には普遍性に欠けるものもある


現金に手を出すな 現金に手を出すな
本作が現代のフランス映画に与えた影響は計り知れない。フランス映画で、アメリカのギャング映画とフィルム・ノワール映画の世界観をミックスさせて独自の世界観を作り上げた成功例として必ず取りざたされるのが本作である。

しかし、その一方で本作が現代の人に訴えかける普遍性があるかというと、ない部類も多い作品である。本作は、製作当時もしくはそれから15年の間に見てこそ価値のある映画であり、現在においては締りのないストーリー展開と起伏のない進行により凡作に見えてしまう嫌いもある。

よく噛んで食事しない傾向のある現在においては、よく噛まないと美味しさが分からない本作のような作品は水と油の関係になりやすいのである。だからこそ、現代の人々の失われつつある感性を磨く映画として大変重要な作品だといえるだろう


■ジャン・ギャバンの渋さの中から生まれる違和感


ジャン・ギャバン(1904−1976)の渋さは一種独特で、しかもハリウッドの役者のようにリズム感に乗ったギャングでもなく、ちょっと不器用なゆっくりした動きがまた魅力的なのだが、若い女性達とキスを重ねあうシーンに関しては、娘とキスをする老人という雰囲気が漂ってしまっている。

この映画のジャン・ギャバンには色気よりもむしろ義理堅い、老齢に差し掛かった男の哀愁があり、そういった部分の表現に関してはギャバンは抜群のものがあるが、年下の女性といちゃつく芝居に関してはなんとなくしっくりいかない描写が多い。ちなみに本作でジャン・ギャバンはヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞している。



■ジャンヌ・モローの存在感


現金に手を出すな ジャンヌ・モロー
ジャンヌ・モローの存在感について、本作はほとんど脇役扱いの踊り子として出演させているが、その生意気で信用の置けない女っぷりと、
決して美女とは呼べない風貌が、段々魅力的に見えてくるところなんかはやはりこの頃からモロー自身も、自分の武器が美しい風貌ではなく、美しくはない風貌だということに気づき始めていたのだろう。

この作品でのジャン・ギャバンとの出会いが、
かすかに上げられる左の眉、頭の傾け方とその角度、無意識に見える手の動きといった今後のジャンヌ・モローの象徴的な芝居の中の仕草に影響を与えた。

マックスにビンタされるときの彼女の表情がまた良い。常々思っているのだが、ジャンヌ・モローはビンタされる姿が似合う女である。そして、昔のフィルム・ノワールは殴る蹴るではなくビンタという極めて瞬間的な暴力で演出する品があった。特に、麻薬を助手席で吸引しようとして、リトロに手の裏の部分でビンタを受けた瞬間なんかは実際に顔全体にビンタを食らっているので痛そうで可愛そうだが、なんとなくその表情が愛らしいのである。


■あの美しき女性達は?


マリリン・ビュフェル 現金に手を出すな
本作において多くの美しい女性達が登場するが、一番美しい女性はマックスの愛人役をつとめるマリリン・ビュフェルだろう。ハリウッド女優的な優雅な美貌に溢れているデボラ・カーに似た女性で、ヒールを履けばギャバンよりも背が高くスタイルも抜群である。実は彼女は1946年のミス・アメリカに選ばれたアメリカ人である。


そして次に美しい女性が、故買屋の秘書を演じたデリア・スカラ(1929−2004)である。あの魅力的なショートカットとすれっからしぶりが良い。実際の彼女はイタリアで名を成したバレリーナであり、この映画の後にF−1レーサー・エウジェニオ・キャステロッティ(1930−1957)と付き合うが、彼がフェラーリでテストドライブ中にクラッシュにより事故死したという悲劇的な女性である。

あと前半のナイトクラブのショーのシーンは、実に丹念に演出されている。踊り子達がよくこういったシーンで登場する際に出てくる野暮ったい感じの踊り子達ではなく、本物の美女達による踊りというこだわりも、夜の遊び人として有名だったジャック・ベッケルらしいこだわりである。



■リトロの絶妙な存在感


現金に手を出すな
ルナ・ダリー(1905−1974)扮するマックスの相棒リトロの役柄が本作を良いものにしている。実質的にはマックスにとって疫病神に近い男だが、本質的にはマックスの弟的な存在なのである。マックスにとって、リトロは不利益になることが多いが居心地のいい親友なのである。

本作の深さは、こういったマックスの心情を納得させるリトロという役柄の存在による部分もかなり大きいといえる。



■そして、誰よりも存在感があったこの男


現金に手を出すな
リノ・ヴァンチュラ
(1919−1987)
イタリア生まれのリノ・ヴァンチュラは、幼年期に家族と共にパリに移住した。1950年にグレコローマン・スタイルのヨーロッパ・チャンピオンに輝いたが、キャリアの全盛期にリング上の怪我によりレスリングの出来ない身体となる。そして、その時期丁度次回作の悪役を探していたジャック・ベッケル監督と知り合い本作に出演することとなる。

共演したジャン・ギャバンがヴァンチュラの並々ならぬ存在感に感慨を受け、役者を続けることを薦めたという。以降は『筋金(ヤキ)を入れろ』(1955)『死刑台のエレベーター』(1957)『墓場なき野郎ども』(1960)『ギャング』(1966)『冒険者たち』(1967)『バラキ』(1972)と数多くの代表作に出演しフランスを代表する名優となる。リノはフランス映画界でも家庭を大事にする人で勇名だったらしく1942年に結婚した奥さんと3人の子供を大切にした。

本作でのリノ・ヴァンチュラの異様なオーラは、まさに奇跡と言ってよいだろう。これといった演技経験もない30路の男がこれほどの魅力を発散させるとは、ジャン・ギャバンが感慨を受けただけある。こういった人材を発掘したジャック・ベッケルの映画と演技に対する自由な発想は素晴らしい。


■フィルム・ノワールとは、生活観と様式美の狭間である


生活観と様式美とは、つまりマックスの交友関係と隠れ家の中で端的に表現されている。彼が冒頭食事をしているレストランや、高級クラブ、隠れ家で描かれる全てが
生活観をかもし出さない瞬間と生活観をかもし出す瞬間の積み重ねなのである。そして、その中に見事な様式美=粋な仕草が組み込まれフランス版フィルム・ノワールは形成されたのである。こういう要素はアメリカのフィルム・ノワールには出てこなかった。

特に隠れ家で相棒リトロと二人っきりで夜を過ごすシーンが何とも味わい深い。シャンパンを空け、グラスに注ぎ、ラスクを手に取りバターのようなものを大量に小気味よく塗りたくるシーンや、パジャマに着替え歯磨きをするシーンなどこの一連のシーンは映画史上に間違いなく残る名シーンである。ちなみに市川雷蔵の『ある殺し屋』(1967)は明確に本作の影響下で作られた作品である。

そして、フィルム・ノワールに欠かせないのが、テーマ曲である。本作の「グリスビーのブルース」も素晴らしい魅力溢れる曲調である。さらに言うと日本題の『現金(げんなま)に手を出すな』も素晴らしい。こういったいい意味でアバウトな題名のつけ方がフィルム・ノワールには欠かせない要素だった。


■ベッケルが描く男と女の深み


現金に手を出すな
今見てみれば最後の銃撃戦のプロセスは、正直あまり印象に残らない。金塊が炎の中で溶けてしまうというプロセスも殊更印象深くは描かれていない。これはベッケル自身が本作においてそういった要素を強調するつもりがなかったからだろう。

ラストに老眼鏡を胸ポケットから取り出すマックス。そして、愛人に微笑みかけるマックス。この表情が物語るところは明確に、孤独である。これから右腕にしようとした若い仲間を失い、迷惑ばかりかけられてきたとはいえ大事なギャング仲間の親友を失い、そして、若さの喪失感を実感し、愛人がマックスに感じていた魅力も失い。この愛人も自分から離れていくだろうという自嘲の思いがその表情ににじみ出ている。

実際この愛人が高級車クライスラー・インペリアルの助手席で毛皮のコート、宝石の数々を身に着けている姿を見ていると、この女性の男性を選ぶ価値観が分かろう物である。老ギャング・マックスを待ち受けるのは孤独である。

ずっとシーンを遡ってベッドルームで、「私を愛してる?」と聞く愛人。マックスが彼女の手首にキスをするときに手首の高価な宝石に目をやるときのマックスの表情。この表情一つが全てを物語っているのである。自分の人生がいかに羽ぶりのよさというギャング的な要素の下に作り上げられてきたかを・・・

彼の周辺に取り巻く状況がいかに空しいものであるかを感じさせる瞬間である。愛人に金をつぎ込みはするが、ある意味都合よく美女に利用されているマックスの姿が垣間見えるのである。こういった状況の描写があるからこそ、ラストの愛人の暢気な笑顔に対するマックスの自嘲気味の笑みに、愛人が「あれ?」という表情をつくるラスト・シーンが活きていくのである。

さすがにジャック・ベッケルは女の本質を良く理解している。
恐らく男と女が同席して本作品を鑑賞したならば、男のほうは、『ジャン・ギャバンは女にもてて格好いい』と言い、女のほうは心の中で『そりゃお金をばら撒いてくれる紳士的な男であれば誰でももてるでしょ』とせせら笑うだろう。

ベッケルの映画の素晴らしさはそういった男と女の姿を両性の視点において実に奥深く映像表現出来る点にある。
本作は男性にとっては素晴らしく粋で格好いい老ギャングが主人公であり、女性にとっては、粋と格好良さを装い続けるために羽振りがいいちょっと無理している老ギャングが主人公なのである。

いい女はこういう老ギャングの姿を見た後に、こういう人がいればいいが、一緒にずっとすごしていくのは御免こうむりたいと感じることだろう。

− 2007年5月12日 −


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