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紳士協定   GENTLEMAN'S AGREEMENT(1947・アメリカ)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 118分

■スタッフ
監督 : エリア・カザン
製作 : ダリル・F・ザナック
原作 : ローラ・Z・ホブソン
脚本 : モス・ハート
撮影 : アーサー・C・ミラー
音楽 : アルフレッド・ニューマン

■キャスト
グレゴリー・ペック(フィル)
ドロシー・マクガイア(キャシー)
ジョン・ガーフィールド(デビッド・ゴールマン)
セレステ・ホルム(アン・デットリー)
アン・リヴェール(フィルの母)
ディーン・ストックウェル(フィルの息子・トミー)
紳士協定
この作品は人種差別について深く鋭く描いた作品でありながら、それ以上に2人の魅力的なキャラクターを創造したという点でユニークである。フィルの友人のユダヤ人デビッドとキャリア・ウーマン・アン・デットリーである。特にアン演じるセレステ・ホルムの美しさ。恐らく同性にとっても格好いい女とはこういう人のことを言うのだろう。「男性の機微を知っているからこそ、男性に愛情以上の感情=友情≠感じさせる飛び抜けて魅力的な女性」こういう女性こそがホンモノのキャリア・ウーマンの化身というのだろう。「男を理解しようとしない女は、我が子を理解しようとしない母親と同じである」

■あらすじ


ジャーナリスト・フィル(グレゴリー・ペック)は、ニューヨークで「スミス・ウィークリー」の記事を専属的に書く仕事を引き受け、母と息子を連れて引っ越してくる。題材はユダヤ人差別≠ノついてだった。新しい切り口を探しているうちに彼自身がユダヤ人として生活することにする。そんな時に知り合い婚約したキャシー(ドロシー・マクガイア)とは、そのことによりギクシャクするのだが、そんなユダヤ人として過ごす日々の中でユダヤ人差別≠フ本質を知るフィルだった。


■差別意識とは、つまり相手を知らないことから始まる


紳士協定
シドニー・オリンピックが開催された頃、私はシドニーに住んでいた。約二年住んでいたのだが、来豪する多くの日本人に出会うのと同じくらいに帰国する多くの日本人に出会った。そして、その帰国時の考え方が大まかに二種類に分かれることを知った。「韓国人を嫌う日本人」か「韓国人に対してそういう感情のない日本人」かである。

それほどオーストラリアに住む日本人は否応なしにアジア人と関わりあうということなのだが、それは韓国人の立場においても同じであった。私の場合、最初にシドニーで付き合った女性が韓国でレースクィーンをしていた女性だった。その彼女の紹介で、
チャツウッドという町にある韓国人のおばさんが家主の下宿みたいなところに10人の韓国人の中の唯一一人の日本人という生活をしていたので、かなり感覚は麻痺していた。

多くの中の少数になると不思議に差別はされないもので、結構快適な半年間を過ごせた。勿論トラブルがないわけではないが、全く価値観が違う人々と過ごす一時は実に愉快である。


■まず異性間の交流から差別意識の撤廃は始まる


私は渡豪するまでは韓国にすごく興味があった。そして、帰国してから韓流ブームが起こってから韓国に対する興味は全く消えうせた。そういう私にとっても、日本に帰ってからも今はソウルでブティックを経営している元彼女や、新宿に住んでいる韓国人のモデルといった元恋人転じて今は友人が数人おり、自然と韓国という国とは縁が深い。

ちなみにレースクィーンをしていた女性は身長は170pあったのだが、体重は50kgあるかないかで、少々痩せすぎのともさかりえを美人にした感じの、いつもサングラスをかけていた女性だった。彼女はソウルの芦屋のような地区の生まれの女性でかなりおしゃれで情の深い女性だった。

私は今まで数人の韓国人女性と恋愛しているが、全員に対して言えるのは、お酒に強くて、煙草を吸い、ビリヤードが上手くて、そして、
お金は男が払ったら次のデートには女が払うという「格好よさ」があるところだった。日本人の女性にはこの感覚はほとんどない。男が払って当たり前のような顔をしているので、払っている方もなんとも釈然としない。

ちなみに私は、男性におんぶに抱っこの女性に限って自己主張だけ激しいというこの日本人女性の悪癖にうんざりしている。男性におんぶに抱っこなら自己主張はほどほどにしろ、自己主張したければおんぶに抱っこになるなと言いたい。

韓国人男性に関しては少々疑問の余地(徴兵制による精神構造の形成の功罪など)はあるが、女性に関して言えば、
韓国人女性は文句なしに素晴らしいと断言できる。「はじけるときははじける!」しかも「お金の使いどころを知っていて、情に厚い」である。


■差別の根底に流れるのは、コンプレックス


紳士協定
この作品は、アメリカの根底にあるユダヤ人差別を描いた作品である。そして、ユダヤ人差別や黒人差別、東洋人に対する差別は今も色濃くアメリカを始め世界中の国々で残っている。芸能界やスポーツ界に様々な人種が進出したことにより、差別の構図は緩和されたと思われがちだが、むしろ根本的な溝は深くなっている。

そして、顧みて日本においても、在日韓国人・朝鮮人及び、韓国人に対する差別意識は拡大しているという。特に最近の風潮として「当たり前のことを主張することはバカだ」という風潮があり、露骨に嫌韓的な煽りを好む風潮がじわじわと迫り来る予兆を感じるが、
「韓国人の女性(もしくは男性)とお付き合いしたら差別意識などなくなるよ」と言いたい。

恋愛が世界中から差別の壁を取っ払う最強の力だと私は、考えている。愛に普遍性はなくとも、愛を感じあい共有した時=「想い出」があれば、差別のバカバカしさに容易に気付くはずである。

そして、その差別に対するバカバカしさが、自分の国の成り立ちや歴史に誇りを持たないばかばかしさにも気付かしてくれる。今の日本は差別の風潮を見て見ぬ振りをしているように、近隣の侵略国に対して見て見ぬ振りをしているので、どうにも我慢がならない。
自分の国(今でなくとも過去に対して)に誇りの欠けらも持たない人間は、外国人から決して尊敬されないものである。

差別撤廃と愛国心は全く別問題である。


■ユダヤ人差別のその理由を知らなければ始まらない


この作品の日本公開は1987年である。アメリカで公開されたのが、1947年だから40年経ってようやく公開されたことになる。その事は戦後日本が如何に外に理解を向けなくても生きていけたかという証明でもあり、外国人と関わることが少なかったかという証明でもある。

この作品が公開された頃、日本人が本格的に海外というものに目を向けだした時代だった。だからこそ公開されたのだろう。実際1987年までに本作を公開していたところで、ユダヤ人をなぜキリスト教徒が迫害するのかということなどなかなか理解しにくいことなので、興行的に成功を収めることは難しかっただろう。

アメリカは80%以上のキリスト教徒が住む国である。なぜ彼らはユダヤ人を迫害するのか?それは約2000年にも遡る因縁である。キリスト教徒にとって最も重要な人イエス・キリストはユダヤ人の裏切りによって殺された。しかし、キリスト自身もユダヤ人である。にもかかわらずなぜ差別は起こったのか?

それはヨーロッパ中にキリスト教が広まるにつれ、ユダヤ人からキリストを引き離したいという思惑があった。その結果として379年のローマ帝国による「キリスト教国教化」がある。これが歴史上初のユダヤ人迫害である。この政策によりローマ帝国内のユダヤ人は全て公職追放され名誉剥奪された。そして、8回にわたる十字軍遠征、ロシアでのポグロム(ユダヤ人大虐殺)、ドイツのホロコーストを経て、
ユダヤ人にとってキリスト教徒による1700年間の迫害の歴史の中キリスト教とキリストは憎悪の対象となったのである。

この作品の中でキャシーが「ユダヤ人として生まれなくて良かったわ!」というのは、1700年の迫害の歴史を知っていればこそ、どうしても自然に出てしまう言葉なのである。特に1947年といえば、ナチス・ドイツが行ったホロコースト=「ユダヤ人大虐殺」の事実が世界中を驚愕させた頃なのである。

差別意識とは
「アンネ・フランクには同情するが、彼女でなくてよかったと思う気持ちなのだろうか?」私はそこまで厳密に差別意識を考えない。自分がその立場になって考えることが出来れば十分であり、その立場になることを嫌がるからと言って差別主義の根があると言われるいわれはないのである。


■魅力的な男性陣


本作の主人公フィルを演じるはグレゴリー・ペック(1916−2003)である。さすがにこの頃のペックは類い稀なるハンサムぶりである。この頃のペックはなんとなく同時代の三船敏郎とよく似ていた。この俳優は大根役者だと良く言われるが、それは明確な間違いであり、
スターとしてのペックのイメージの大きさが、どの役柄を演じてもペックであると意識させてしまうだけである。つまるところペックやスターと呼ばれるに値する俳優は、並外れた演技力を兼ね備えているからこそそのイメージが絶大だということである。

そして、その友人を演じるジョン・ガーフィールド(1913−1952)も実に素晴らしい芝居をしている。どちらかというと彼がセレステ・ホルムと共にこの物語の魅力的な役柄≠引き受けていた。ちなみに彼自身実際にユダヤ人であり、物語と同じような経験をしてきたので、この役柄に対しては大乗り気だったという。

さらにペックの息子トミー役を演じるディーン・ストックウェル(1936− )が実に溌剌と難しい役どころを演じていて素晴らしい。


■それ以上に魅力的な女性陣 「女が惚れる女の生誕」


紳士協定 紳士協定 ドロシー・マクガイア
本作は女優陣もこれまた素晴らしい。ドロシー・マクガイア(1918−2001)という美人とは言いがたいがとてもチャーミングな女性が演じるキャシーの役柄が、実に見事で、差別を上から見下ろし、どうにかしたいと考えているただのお気楽人間の俗物振りを段々さらけ出していくのである。

この人の絶妙なヒール的感覚が存在したからこそこの物語に、現実感が存在したともいえる。そういった意味においてはこの人が、この作品でもっとも高度な芝居をしていたと言えるだろう。それくらいに彼女の感覚の多くは、観ている側にもじんわりと身につまされていく事例ばかりなのである。

ペックの母親を演じるアン・リヴェール(1903−1990)もこの人しかいないと言うほど素晴らしい気丈な母親を演じ上げていた。

「私は男は寝かさない主義なのよ(私は男を一人ぼっちにしておけないタチなのよ)」

しかし、何よりも良かったのが、アン・デットリーを演じるセレステ・ホルム(1917− )だった。とにかくあのプロポーズのシーンの凛とした美しさ。それでいてとても陽気な女性で、もし1948年に日本公開されていたら月丘夢路や淡島千景なんかも当時惚れさせたんじゃないだろうか?と想像させるほどの格好いい女だった。

この人のプロポーズの顛末が尻切れトンボになっている点がこの作品に対して感じる不満だった。


■知性を感じさせるからこそ、真摯に時代と向き合える


「人を即断する方でしょ。特に女性を。隣に座った時にわかったわ」


この作品の素晴らしい点は、男女の恋愛を根本に「人種差別」の本質を描きあげた点である。さらにキャシーに
「一度失敗すると怖くなるの」「人間って傷つくと何かにのめりこむでしょ」というセリフを語らせることによって、観客に若さだけで人生を突っ走れる単純さだけでは生きていけない年代の女性であることを印象づけたこともこの作品に知性の深みを与えている。

「早く電話しろ!いい悪いなんか恋愛に関係ない。誤る時は常に男からなんだぜ!」

そして、その恋愛の中に関わっていくユダヤ人の友人デイブと、ファッション担当の編集長=「キャリア・ウーマン」のアン・デットリーの存在があったことも重要である。本作はいわば魅力的な30代という年代を迎えている4人の大人の物語なのである。

しかし、何よりも素晴らしいのは、大人の物語の始まりが、フィルと息子の散歩であるところである。この息子の存在、そして、母の存在が、前記の4人の世界観に狭さではなく広がりをもたらしている。


■女が女に惚れる女 アン・デットリー


セレステ・ホルム 紳士協定 セレステ・ホルム
「ところで教えてこれはと思う男性はなぜみんな結婚してるの?」アン
「男運は悪くても見る目は確かだよ」デイブ


逆に言うと「これはと言ういい男を多く見ているからこそアンはいい女」なのだ。
本当にいい女は大まかに二種類のみ。女らしい女と男の気持ちが分かる女。アンにはこの二つが見事に交差している感じがある。だからこそ彼女は魅力的なのだろう。「女が女を惹きつける女」それが、「美しい女のチャンピオン」である。

「どうしてキミを男はほっとくんだ?」「良すぎてダメなのよ」

「女のグチくらい男に退屈なものはないわ」

「もし私に子供がいたら私は考え方が同じ人と育てていきたいと思うわ」


アンが時折言い放つ言葉は、言葉のみがお酒の勢いで空回りしているようなどこぞの銀座の水商売のママが書いた言葉よりも遥かに輝いている。言葉の価値とは、「本質を捉えてるかどうかであり、キャッチコピーのような巧みさではないのである」


■人種差別に対する辛辣なセリフの数々


「汚いもの(ユダヤ人差別の姿勢)は汚いという時期が来ている」
フィル

「ユダヤ人でないことが有利だからだ。だからユダヤ人は逆にそれに誇りを持つようになる」ユダヤ人の物理学者(そのモデルは明確にアインシュタイン)

「何もせずに見てるのは愚劣なルールへの同調だ!」

「差別者を怒ることはできても、傍観者を怒ることはできない」


■私は8週間ユダヤ人だった


「私と同じでユダヤ人じゃないのよ!」


虐められて泣いて帰って来たフィルの息子トミーに思わずそう言ってしまうキャシー。そんなキャシーに対して蔑んだ目で見るフィル。差別の根本の根深さを感じさせる素晴らしいシーンである。フィルの息子への愛情が、キャシーにこう言った言葉を吐かせてしまうのだが、だからと言ってそういう言い方をしてもしょうがないと言い切れないところが実に複雑だ。

「大人にもいるんだ。叫けばずに難しい言葉で言う連中が!」フィル

「偏見をもたない人たち、むしろそういった人たちが、実は差別主義者を増長させておるのだ。ユダヤ人を迫害せず。それがバカな事だと思っている善良な人たちがだ。そこにこの問題の本質は隠されている。つまり善良なだけではダメなんだ」フィル

「(キャシーを指して)ああいう人たちは善良な人々の群れから出るのが怖いのよ。抗議もひそひそ声、結局あなたや編集長に闘わせてるわ。・・・一年に2度偏見に反対と言うだけ。それで十分差別に戦ってるつもりなのよ。大切なのは行動よ!どんな些細な行動でも」アン


■生きるということはどういうことか?


紳士協定
「ある男が食事の席でユダヤ人をネタに冗談を言った。だが皆は笑わず軽蔑した。だが、結局それだけだ。だからフルーム・インやトミーの事が起こるんだ」デイブ
「その冗談を止めることから始まるのね・・・いつもただ見ていただけだった」キャシー

「男が妻に望むのはただの同棲者ではない。愛する女でもないし子どもの母親以上のものなんだ。相棒なんだ。世の荒波に出合ったときに一緒に乗り切るようでないとうまくいかない」デイブ

歪みきった現実を見て変えようとしなければ、それは同調していることも同然だとこの作品は力説している。そして、この作品の普遍性はユダヤ人差別を通して、差別に対する人間の本質を見事に描き出しているところにある。
人はいつもワイドショーを眺めるかのように悲劇の傍観者であり続けていいのだろうか?いい加減そういったことに喜びを見いだす人生から脱却すべきではないのだろうか?

あなたの大切な時間は、他人の不幸を傍観する事に喰われてしまってるんじゃないですか?

傍観者であり続けることが、結果的には、人生の傍観者として誰からも相手にされない、気薄な人間関係しか生み出さないのではないだろうか?そんな人生・・・生きているだけ無意味である。



■エリア・カザン レッド・パージ・タイクーン


「あのね。フィル。急にもっと長生きしたくなったよ。世の中を見ていたいのよ。今はずっと混乱の時代が続いているから、激動の世紀かも知れない。未来の世紀から見たらきっとビックリするような。その頃にはアメリカもソ連も原爆もないよ。すてきだわ。みんなの世紀。世界中の人が自由に一緒に生きてる。最初だけでも見てみたいわ」


心臓病を患っている気丈な母親のセリフである。しかし、この作品の数年後にハリウッドを襲う究極の人間性に対する差別行為である「赤狩り」により母親役のアン・リヴァールはハリウッドから追放されることになる(本作に出演しているアルバート・デッカーも赤狩りの犠牲になっている)。ちなみに本作の監督エリア・カザンは元共産党員であり、1952年多くの映画人を密告することによってハリウッドで生きながらえた人である。

エリア・カザン(1909−2003)は、自伝にてその当時の密告行為についてなんら反省はしていない。彼はその分良い作品を生み出そうと考えたのだろう。自己正当化する気持ちが『波止場』(1954)『エデンの東』(1954)という傑作品を生み出し、赤狩りの波が静まるに従い何も生み出せなくなった所など、まさに皮肉である。

ちなみにエリア・カザン自身はこの作品について
「あまりこの作品を作っている時に情熱を感じなかった」「ロマンスが強引過ぎた」と好きな作品ではないと打ち明けた。


■セレステ・ホルム、オスカー戴冠


セレステ・ホルム 紳士協定
1947年にローラ・Z・ホブソンが発表したユダヤ人差別問題をテーマにした小説『紳士協定』が原作である。当初グレゴリー・ペックはこの微妙な題材の主役に懐疑的だったが、その後考えを改め快諾する。監督のカザンは当初ニューヨークロケを希望していたが、結局FOXスタジオで撮影される。

製作が実際進行し出すと、FOXの責任者ザナック(ユダヤ人ではない)に対して、他の撮影所の責任者(ハリウッドの首脳部はほとんどがユダヤ人である)から逆にユダヤ人差別を誘発するのではないか?と製作中止の圧力をかけたが、ザナックは聞き入れることなく製作を進めた。

200万ドルの予算をかけて製作された本作は、1947年5月の終わりから3ヶ月かけて撮影され、編集はザナックが全権を持って担当した。結果1948年の興行成績8位を記録し、この年FOX製作の作品の中で最大ヒット作となった。1947年度アカデミー賞作品賞、助演女優賞(セレステ・ホルム)、監督賞を受賞し、主演男優賞(グレゴリー・ペック)、主演女優賞(ドロシー・マクガイア)、助演女優賞(アン・リヴェール)、脚色賞、編集賞にノミネートされた。他にも1947年ゴールデン・グローブ作品賞、助演女優賞(セレステ・ホルム)、監督賞、特別子役賞(ディーン・ストックウェル)を受賞している。

− 2007年9月22日 −


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