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ゲッタウェイ   THE GETAWAY(1972・アメリカ)
■ジャンル: アクション
■収録時間: 123分

■スタッフ
監督 : サム・ペキンパー
製作 : デヴィッド・フォスター / ミッチェル・ブロウアー
原作 : ジム・トンプソン
脚本 : ウォルター・ヒル
撮影 : ルシアン・バラード
音楽 : クインシー・ジョーンズ

■キャスト
スティーヴ・マックィーン(ドク・マッコイ)
アリ・マッグロー(キャロル・マッコイ)
ベン・ジョンソン(ジャック・ベニヨン)
アル・レッティエリ(ルディ・バトラー)
サリー・ストラザース(フラン・クリントン)
ゲッタウェイ
ペキンパーとマックィーンの美学が融合されたらどんな作品が出来上がるか?その答えがこの作品の中にある。銃弾の中での夫婦の再生と男の美学。そして、ペキンパーが初めて女の美学も描き出した作品。かっこいい男と女はどれだけ月日が経とうと格好いいものである。

■あらすじ


仮釈放の許可と引き換えに銀行強盗計画に参加することになったドク(スティーブ・マックィーン)は、仲間の裏切りにあい、さらには妻キャロル(アリ・マッグロー)も計画立案者ベニヨンと内通していた。逆にベニヨンを返り討ちにするドクだったが、ベニヨンの弟率いる殺し屋達が追跡してくる。果たしてドクとキャロルは、失われた愛情を取り戻し、逃げ切ることが出来るか!


■本物の刑務所に服役中のマックィーン


スティーヴ・マックィーン スティーヴ・マックィーン
本物の刑務所で10日かけて撮影されたシーンから映画は始まる。冒頭のクレジットの出し方、そのストップモーションがペキンパーらしく凝った作りでかなり良い。そして、刑務所内のドク(スティーブ・マックィーン)の生活の細かいカット割り、その時間軸を交錯させるカットも非常に有効的である。

特に出だしの柵の周りの自由なシカと、囚人の対比が素晴らしい。そして、所々に挿入される妻キャロル(アリ・マッグロー)に愛撫されるフラッシュバックが最高のコントラストを生み出している。ところでドクは、刑務所の中でサングラスをかけているのだが、
この映画こそ刑務所の中でサングラスをかける男像を初めて確立した作品といえるだろう。初めて見たときは刑務所でもサングラスかけれるのかと不思議な驚きを感じたものである。

冒頭の刑務所のシーンに登場する人々は、マックィーンを除いて全て本物の服役囚か看守である。シャワー・シーンもキャロルが面会所に来るシーンも全て本物である。特に出所のときに看守に「どうせお前は戻ってくるさ」と憎まれ口を叩かれるが、この看守も本物である。


■アリ・マッグローの褐色の肌


ゲッタウェイ ゲッタウェイ アリ・マッグロー
冒頭、ベニヨン(ベン・ジョンソン)を訪れるキャロルの胸元の開いたドレスが、その意味を物語っている。ペキンパーはさりげない映像において全てを物語る監督である。

そして、ドクと緑の豊かな公園で愛し合う二人。実に美しい。もちろんこのバックに流れるクインシー・ジョーンズの曲は秀逸である。
男と女が子供のようにじゃれあう姿。本当にペキンパーというのは大人の男女の子供のような姿を撮るのが好きな人だ。

4年ぶりのセックスに緊張するドク。このシーンを撮影することをマックィーンは嫌がったが、ペキンパーは刑務所から4年ぶりに出た男はこういう気持ちになるもんだとマックィーンを説き伏せたという。そのあと、卵と玉ねぎの朝食を作っているドクのシーンはマックィーンのアイデアである。

ゲッタウェイ ゲッタウェイ
マッグローは当時運転免許を持っていなかったので、マックィーンから教えてもらったと言う。ちなみに、この作品の撮影中にマックィーンとマッグロー(1939− )は実際に恋に落ち1973年結婚するのである。当時マッグローはパラマウント映画社長ロバート・エヴァンスと結婚していたがマックィーンと結婚するために離婚した。エヴァンスはマッグローを繋ぎとめるため『華麗なるギャツビー』と『チャイナタウン』のメインロールを提示したが、全て断ったと言う。身長177pと『ヴォーグ』のモデル出身だけあって長身である。1978年にマックィーンと離婚している。

撮影当時のマッグローはこう語っている。
「スクリーンで観るたびに素晴らしいなあと思う俳優が世界で2,3人いるけど、スティーヴはそのうちの1人なの。・・・この業界ではみんなゲームをやっているのよ。でもスティーヴはやろうとしない。彼は自分だけのルールというものを持っているの。彼って本当に魅力ある男性よ」


■こいつは必ず死ぬぜ!


ワイルドバンチ』(1969)を最初に見たとき、一人の男がずっと気になっていた。そう物語の前半で人質と賛美歌を歌いすぎて撃ち殺された男だ。その男を演じたのがボー・ホプキンスである。そして、この男が銀行強盗する仲間の一人として登場した。中学3年の頃に続けざまにこの映画を見たときにこの男の登場に熱狂したものだった。

今度こそ活躍してくれと期待するが、やはりすぐに死んでしまった。当時はこのぼろ雑巾のような殺され方が残念だったが、今ではこの男の死に様が心地よい。ちなみにペキンパーの命令で、強盗計画をしているマックィーンの前で櫛で頭をとく芝居をしたらマックィーンがぶち切れて「そんなものしまえ!」と言ったという。実際そのシーンをペキンパーは使用している。それにしてもマックィーンと言う男はどこまでも自分より他の役者が目立とうとすることが許せない役者だった。


■この男はピクニックをするような男じゃない


アル・レッティエリ
アル・レッティエリ(1928−1975)。醜くだらしなく太った肉体に、フセインのような口ひげとカバのような顔、それでいて鋭い眼光。とにかく悪党の中の悪党である。
おそらくアルを知らない人が見たらそのまんまのリアル悪党が画面に出ているとしか思えないぐらいの悪党ぶりである(もっともアルの友人はイタリアン・マフィアが多かったらしい)。アルの凄さは悪党ぶりを見せるためにより残酷になるのではなく、より現実的に細かい仕草そのものから悪党に同化しているところである。同年に『ゴッドファーザー』(1972)に出ているとは思えないまた違った存在感である。

この男と獣医の夫婦のサイド・ストーリーは、その獣医の妻のバカ女ぶりに賛否両論があるが、私はこの常軌を逸した二人の関係がとてもよいと感じている。ちなみのこの女を演じたのがサリー・ストラザース(1948− )で、こう見えて当時まだ20代半ばだった。身長155cmと小柄であるが、『ファイブ・イージー・ピーシズ』(1970)を見たペキンパーによって抜擢された。

実にペキンパーらしい細かさだが、ルディの初登場シーンで13の数字が出てくる。運河でルディが漕ぐペダル・ボートの番号である。さらにルディは黒猫を抱くことになる。このことはルディの悪運を示してる。


■今見ても魅力的なアクション・シーン


スティーヴ・マックィーン スティーヴ・マックィーン
銀行強奪シーンからカーアクションのプロセス。そして、途中で身元がばれ、パトカーにショットガンを撃ち込み逃亡するシーン。さらにはラストの大銃撃戦と今見てもペキンパー・スローと細かいカットの組み合わせが見事なので退屈しない。

さらにペキンパーは一瞬の撃ちあいのシーンにおいても素晴らしい表現力を持った監督だ。特にルディを撃ち殺す(実は生き延びているのだが)シーンとベニヨンを撃ち殺すシーンの手際のよさとスローの見事さはうならせられるものがある。
ペキンパーのスローモーションの使い方は、死にゆく悪人でさえもその死への舞いによって美しく見せるところである。

ゲッタウェイ ゲッタウェイ
本作のアクションシーンにさらに倍増する魅力を与えているのが、マックィーンの重火器の使い方のうまさである。ショットガンや銃のキックなど、全てがさすが海兵隊あがりの本物である。昨今のハリウッド、日本映画の俳優の銃を持つ仕草のマニアっぽさと嘘くささがよく分かる絶好の比較の対象だろうこの人の銃さばきは。

それにしても、ラストの銃撃戦でカウンターの親父の尻ポケットに『50代のセックス』というポルノ本が突っ込まれてるところがなんとも憎らしい演出だ。


■オレンジのビートルを運転した男は?


銀行強盗を終えたドクとキャロルが逃亡する時に、家のバンガローに突っ込みながら何とか逃げた後に交差するオレンジのフォルクスワーゲン・ビートルを運転していた男は、マックィーンが『大脱走』(1963)で共演したジェームズ・ガーナーである。ガーナーは運転がうまいので、丁度セットに訪れていた時にスタントマンとして25ドルで雇われたと言う。しかし、これほどの大スターがこういった雇われ方をする例は稀である。


■ロッカー詐欺に会うキャロル


ゲッタウェイ ゲッタウェイ
キャロルがロッカー詐欺にあい現金のつまったかばんを盗まれ、ドクと共に詐欺師を追跡するこのシーンの絶望感のなかの緊張感がまた素晴らしい。列車の中で追跡するのだが、発車寸前に一端下車したドクが、貨物用カートが通り過ぎている間に、列車に乗り込みスーツの上着のすそが偶然見える長まわしのショットは見事としか言いようがない。こういった偶然の魅力的なショットが撮れる所にペキンパーの最大の魅力が秘められている。

駅に残されじっと待つキャロル(この姿が実に良い)。マッグローはこの作品においては本当に素晴らしい芝居をしている。
「テキサス中の役人と寝ても、また出してあげる。私が捕まったら同じ事をしてくれるでしょ?」本当に愛情の深さを感じる名シーンである。

ちなみに元々は詐欺師役を演じたリチャード・ブライトを、ルディ役にペキンパーは考えていたという。しかし、マックィーンが反対したので実現はしなかった。


■違った形の夫婦愛


ゲッタウェイ ゲッタウェイ
夫の為にベニヨンと情事を重ねていたキャロル。夫の銀行強盗に協力し、最後までめげずに夫についていくキャロル。ある意味キャロルは男の理想的な良き妻である。泣き言を一切言わずに黙々とドクと共に逃げる彼女もある意味格好良い。そして、そんなキャロルをマッグローは魅力的に演じていた。

ドクが自分を出所させるためとはいえ、キャロルがベニヨンと情事を重ねていたという事実にやり切れず、車を道路わきに止めて、キャロルを平手打ちするシーン。たしかに女性に対するあらゆる暴力的行為は許されてよいものではないが、このシーンは凄く感情溢れるシーンである。愛しているからこそ男は妻を平手打ちする。キャロルにも言い分があるが、ドクはやりきれない気持ちを平手打ちで表現せずにはおれなかったのである。

愛情の深さゆえに、ショックを受けるこの姿を私は、男の弱さとも、暴力性ともとらない。
逆に人生に一回妻を本当に愛するがゆえに平手打ちをするくらいに情熱的に愛された方が女にとって幸せではないだろうか?子供に対してもそうだが、暴力を全て否定する生き方は、人間の大切な感情が去勢される生き方でしかないと私は考える。

ちなみにこの平手打ちのシーンは、マックィーンの完全なアドリブである。

これほどの名演を見せたマッグローは73年にこう語っている。
「私は自分の演技に我慢ならなかった。映画自体は良かったけど、自分自身を好きになれなかったの。見ているのさえ辛かった」


■ゴミ溜めから取り戻す愛


ゲッタウェイ ゲッタウェイ
特にドクがパトカーをショットガンで破壊した後、キャロルの運転する車に後部座席から乗り込もうとするが、キャロルの発進が早すぎたためすってん転んだ後に、罵倒されるが、無言できっと見据える姿は身震いするほど格好良すぎる。
映画の中ではセリフの必要のない場面を作る勇気も必要なのである。

キャロルという女は、男が罵倒したときに一緒になってキイキイ言わない女である。これほど賢く格好いい女はそうざらにいないだろう。

そして、ごみ収集車に隠れた二人は、郊外のゴミ捨て場にゴミと一緒に捨てられるのである。まさにキャロルは額から血を流し、ドク同様ゴミ同然の状態である。
そんな中でゴミまみれになった二人が愛を取り戻して、より強い絆で結ばれるのである。このプロセスはヒルの脚本にはなくペキンパーが考えたシチュエーションである。全くペキンパーという男は、ものの捉え方がすごく自由な人である。

ゴミ同然の状態。そして、なんでも捨てて終わりの現代社会の中で、この悪党夫婦は、お互いを捨て去らずに再生していくのである。

それにしても、本作はドクとキャロル夫婦とクリントン獣医夫婦と言った二組の夫婦が対比的に登場するのだが、生真面目に生きてきたクリントン夫婦の方が崩壊していくところが、正直ペキンパーという人は嫌な奴だなと思う部分である。


■ペキンパーとマックィーンの三度目の正直


サム・ペキンパー サム・ペキンパー スティーヴ・マックィーン
前作『ジュニア・ボナー』(1972)で興行的失敗を経験した二人は同年に、再度組んで仕事をすることにする。以前、ペキンパーとマックィーンは『シンシナティ・キッド』(1965)で組んで仕事をしたが、ペキンパーが製作側とケンカをし3日間の撮影後にクビになる。その別れ際マックィーンに、「君とは是非もう一度やりたい」と言い残したという。

当初はピーター・ボグダノビッチ監督で本作を撮る予定だったが、キャロル役にヴォグダノビッチの当時の恋人シビル・シェパードを要求したため降板させられる。そして、ペキンパーが監督することになるが、当初はキャロル役をステラ・スティーブンスかダイアン・キャノンに依頼していたと言う。原作者ジム・トンプスン自身が脚本を担当していたが、マックィーンがドクが逃げ延びる脚本の結末を気に入らなかったことからウォルター・ヒルになった。しかし、結果的にはドクは逃げ延びる脚本になる。

音楽をペキンパーの常連ジェリー・フィールディングで完成していたが、マックィーンの強い要望でクインシー・ジョーンズのジャジーな雰囲気に変更された。

ちなみに、本作はサム・ペキンパーは大好きな作品『俺たちに明日はない』(1967)を意識して撮影した。一方マックィーンは崇拝する『ハイ・シェラ』(1941)のハンフリー・ボカートを意識して演じたと言う。

ペキンパーがマックィーンについて語る。
「奴のことを好きな人間はあまりいないみたいだが、私は好きだね」


■逃げ延びるラストシーン


ゲッタウェイ スティーヴ・マックィーン スティーヴ・マックィーン
多くの映画評論家がなんと言おうとも、ペキンパーの意図はメキシコは贖罪の地であり、この苦難の逃亡劇によりドクとキャロルの罪は洗い清められたというハッピーエンドである。
ペキンパーは暴力を二人で乗り切る夫婦愛の形もあってはいいんじゃないかという意図において本作を描いている。

ちなみにラストのぼろトラックのおやじと金の交渉をするシーンは全てアドリブであるが、このシーンも爽快で当時の70年代の暗さがない所が良い。

またこの映画はストーリーの順を追って撮影されているので、その分感情の推移が画面上に良く出ているともいえる。

ちなみに1970年代は本当に素晴らしいロードムービーが世界中に多く存在したが、本作も本質的にはロードムービーである。二人の夫婦の愛の再生の物語。そう本作は明確にラブ・ストーリーなのである。つまりペキンパー版『ある愛の詩』なのである。

1994年にキム・ベイシンガーとアレック・ボールドウィン夫婦(当時)でリメイクされたが、本物の夫婦愛で、本作の本物の夫婦愛を凌いでやろうとした意気込みは買うが、マックィーンとボールドウィンでは役者が何枚も違いすぎた。

− 2007年5月15日 −


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