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グラディエーター   GLADIATOR(2000・アメリカ)
■ジャンル: 史劇
■収録時間: 155分

■スタッフ
監督 : リドリー・スコット
製作 : デヴィッド・H・フランゾーニ / ブランコ・ラスティグ / ダグラス・ウィック
脚本 : デヴィッド・フランゾーニ / ジョン・ローガン / ウィリアム・ニコルソン
撮影 : ジョン・マシソン
音楽 : ハンス・ジマー / リサ・ジェラード

■キャスト
ラッセル・クロウ(マキシマス)
ホアキン・フェニックス(コンモドゥス)
コニー・ニールセン(ルッシラ)
オリヴァー・リード(プロキシモ)
リチャード・ハリス(マルクス・アウレリウス)
ジャイモン・フンスー(ジュバ)
グラディエーター
21世紀に甦るハリウッド・スペクタクル絵巻。まさに一つの神話の誕生である。この世界観の創作はまさに賞賛に値するとしか言いようがない。『七人の侍』の菊千代みたいな人間が居るわけないように、マキシマスのような人間も居るわけがない。それでいながら多くの鑑賞者に多くのメッセージを与えてくれる魅力的な主人公だからこそ神話なのであり、映画の醍醐味なのである。

■あらすじ


紀元180年、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスのゲルマン遠征を指揮する北方軍司令官マキシマス(ラッセル・クロウ)は、見事勝利を収める。その日マルクス帝はマキシマスに王位継承する決意をした。しかし、そのことを子息コンモドゥス(ホアキン・フェニックス)に伝えるや否や殺害されてしまう。そして、反乱の恐れのあるマキシマスも捕えられるが、処刑される寸での所を逃れた。一方故郷ではマキシマスの妻と愛息が火刑により処刑された。奴隷の身として剣闘士=グラディエーターに身をやつしながらもコンモドゥスに復讐を誓うマキシマスであった。


■一つの偉大なる神話の誕生


グラディエーター
リドリー・スコットは素晴らしい名匠である。この作品の魅力は、
「映画が紡ぎ出した神話性」によるものである。神話とは、神の介入による人間の生き死にを、シビアに誇張して描くものなのだが、この作品の全ての描写は、残酷描写も含めて、神話性という形状を借りた芸術性に満ち溢れている。

最近の人間は現実に追われ急き立てられ生きている。テレビから氾濫するCM、ニュース、バラエティ及び音楽の流行、ファッション・・・。それを追い続けて人生を終えていくのが人生か?とふと考えてしまうほどに、今の世を生きる他人から押し付けられた物に支配されて生きている。

しかし、古来昔から、昔の人々を魅了したものに支配されて生きたほうが、
真の意味において自分の人生の支配者になれるのではないかと考える人達も多いはずである。最新情報の波にのみ込まれて生きているということは、そのもの溺れているだけ・・・何も考えずに情報という名の大水に、飲みたい飲みたくないに関わらずのみこまれているだけ・・・

この作品の神話性は、そういった新しいもの=「コンモドゥス」に振り回されるのではなく、本当に自分が古来から信じられるもの=「五賢帝時代のローマ人の誇り、家族への愛情、農業への愛」の為に、戦い戦った男の神話なのである。
彼は運命に翻弄されたのではなく、その強い信念から人生の支配者として生を堪能したのである。だから最後も美しいのである。この神話は私達に問いかける・・・

あなたは自分の人生の支配者ですか?それともただ一日一日コロセウムで享楽の日々を、ただひたすら死ぬ日まで浪費している“時の奴隷”ですか?


■リドリー・スコットは決して若者に媚びない


美しくも絵画的でさえあるこのコロセウムでの剣闘の全てにおいて、
「神話性」「躍動感」「瞬発性」「壮大さ」「非情さ」が散りばめられている。そして、この闘いを始め物語全体においての姿勢はあくまでも大人に対峙する姿勢であり、最近のよくあるハリウッド映画のような25歳以下に媚びる描写ではない。

このリドリーの格調高き映画製作に対する姿勢が、本作を久しぶりのハリウッド製歴史スペクタクルと言わしめた所以だろう。
本来若者は背伸びしたいものだ。しかし、最近は映画のほうが若者が背伸びしなくても済むようにと、馬鹿にした映画作りをしているので、背伸びをしたい若者は、多くの映画に落胆しているのである。

何でもそうだが、若者と同じ視点でなんてそんなもの誰も望んでないし、そういう媚びた大人が一番ダサくて拒まれるものである。最も流行なんかを必死で追いかけて、満足している類の若者には受け入れられるだろうが、忘れ去られるのもまた早いのである。


■ラッセル・クロウの素晴らしさ


マキシマスを演じるラッセル・クロウ(1964− )の男臭さがこの作品の格調を高めた。まさに神話の英雄に相応しく。言葉よりも佇まいを伝達手段としているのである。
この言葉数を必要としない演技力は、まさに並外れているとしか言いようがない。そして、グラディエーター全般に言えることだが、コスチュームが実に素晴らしい。やはり歴史劇においてコスチュームの重要性は、普通の映画の比ではないのである。

さらに髭を見事に蓄えたラッセル・クロウの外見上の役へのアプローチもさすがである。黒澤明も役者の芝居はまず外見からと常々言っていたが、
邦画の場合は、アイドルが忙しいスケジュールの合間をぬって、1分くらいでカツラをつけて武士を演じる感覚の作品が多いのである。まず技術以前に映画に取り組む姿勢が大切なのではないだろうか?

元々はこのマキシマス役はメル・ギブソンにオファーされていたという。ラッセル・クロウはこの作品の前に『インサイダー』(1999)の役柄の為に18kg体重を増やしていたのだが、マキシマスの役柄の為にわずか数ヶ月で体を引き締めたという。


■コンモドゥスの現代性


グラディエーター
皇帝コンモドゥスを演じるホアキン・フェニックス(1974− )は若くして死したリヴァー・フェニックスの実弟である。もうその名前の響きからして素晴らしいのだが、実際芝居の方も若い頃のレイ・リオッタを髣髴させる個性的な感性を秘めた役者である。

このコンモドゥス役はぴったりとしか言いようがない。偉大なる父帝に愛されぬもどかしさ。そして、
母と父から受けぬ愛を美しい姉に求めようとするが、その気持ちが空回りするほどに、遠のいていく姉の愛を求めて禁断の愛の虜になっていくその退廃的な姿。

どこまでも姉の唇を求めるそのコンモドゥスの姿は喉の渇きが癒されない悲しい人間の姿そのものである。誰からも愛されぬ人間はもはや肉親にすがるしかないのである。
近親相姦とは、その根本には誰からも愛されない失望から生み出された希望でもあるのだ。

そして、コンモドゥスの自分自身に対する自信のなさが、肉体を磨き上げるという行為を優先し、国を治めることよりもただその地位に留まる事を優先させる。ある意味、人一倍猜疑心と権力欲が強いという点においては、何か現在の日本の中枢にいる二世三世の政治家及び官僚、企業の社長・会長のオヤジ達の若い頃そのものではないか?
若い頃に恋愛してなさそうなところも・・・

ちなみに新帝ローマ凱旋のシーンへの場面転換は、レニ・リーフェンシュタールのナチス・ドイツ国威映画『民族の祭典』(1938)の描写そのものである。


■この気品溢れる長い首の美しさは賞賛に値する


ルッシラを演じるコニー・ニールセン(1965− )が非常に良い。このただただ美しいというよりもむしろ聡明な賢母のような眼差しがよく、子を守るためには手段を選ばなさそうな所も、極めてローマっぽいところである。実に複雑な弟コンモディウスへの愛情と、これまた複雑なマキシマスへの愛情。こんな女性になら弟が禁断の思いを抱いてもしょうがないと思わせる説得力がある。

基本的にリドリー・スコットはほぼ全ての作品において画一的な女性の描き方しか出来ない人だが、そういう枠組みには埋まり切らない、静寂の中で素晴らしいほどの存在感を示している。コニーは目の動きで巧みに物を語れる素晴らしい女優である。

コニーは、元々が古代ローマ史にすごく造形の深い人で、歴史考察のアドバイザーよりもよく知っていたという。ちなみにオーディションにはジェニファー・ロペスも参加したという。



剣闘帝コンモドゥス(161−192)


ホアキン・フェニックスが演じたこの皇帝は、実在の人物である。先帝マルクス・アウレリウスの子であり、ローマ帝国史上最悪の皇帝のひとりとされる(ちなみに彼の誕生日はあの暴君カリグラと同じ)。彼の即位が五賢帝の時代(97〜180)に終わりを告げた。年老いた父と共同統治する形で177年に政権に就き、ゲルマニアの前線に出て指揮を執っている。180年より父の死によりローマ皇帝となる(本作のように彼が手を下したわけではない)。

コンモドゥスはその治世中においてほとんど国政を省みず、召使の解放奴隷サオテルスに全権を任せる。好き放題させていたので、権力闘争と汚職が蔓延した。コンモドゥスは、パラティウム宮殿で絶えず宴会を開き、美の誉れ高い300人の人妻や娼婦、300人の若い男性達を集め男女見境なく乱交の日々を送っていたという。さらに自ら「ローマのヘラクレス」と称しコロセウムで剣闘試合に参加し、1万2千人の剣闘士を殺害したという。

そんな内部崩壊寸前のローマ帝国の中枢部に危機感を持った姉ルッシラ(150−182、本作でコニー・ニールセン、『ローマ帝国の滅亡』ではソフィア・ローレンが演じる)とクィンティアヌスは、コンモドゥス暗殺を謀るもサオテルスの殺害には成功するも皇帝の暗殺には失敗し、カプリ島で処刑される。この事件をきっかけにさらにコンモドゥスは猜疑心が強くなったという。

192年12月31日、コンモドゥスはドレッシング・ルームで、愛妾マルキアと親衛隊長ラエトゥス、側近のエクレクトゥスによって暗殺される。ナルキッソスという屈強な男に襲われ、死闘の挙句首を絞め殺させたという。享年31歳だった。その後ローマは僅か一年の間に6人もの皇帝が次々と即位するという大混乱の時代に突入することになる。


■帝政ローマ軍VSゲルマニア軍


「泥の汚れは血より落ちやすい」

オープニングのローマ軍のゲルマニア遠征。マキシマスが故郷の麦穂を掌にそよがせるシーンから壮大なハンス・ジマーの音楽と共に戦場に場面展開するのだが、リドリーの描く大群の兵士達の描写はクロサワ的であり実に壮大で見事である。そして、
リドリーカラーのダーク・ブルーが相変わらず美しい。

まさに戦場において一種神聖なる残酷さを漂わせる色使いである。組織化された軍隊と蛮族といういわば過去から現在に至るまで、世界中で繰り広げられている戦争の一体系を見事に描写している。

特に視覚的に驚かされるのが火矢部隊の効率的な準備の見事さである。一列に並び足下に火種を線上にさぁ〜っとおこすのである。そして、CGではないローマ時代の兵器の数々の重厚さと相成って、壮大なる古代の闘いの絵巻物語が繰り広げられる。スローモーションの使い方も的確でありまさにパーフェクトな描写である。


■二人の顔の傷


ゲルマニア征伐に成功したマキシマスであったが、コンモドゥスを新帝として認めなかったがゆえに反逆罪で処刑される羽目になる。寸でのところで処刑人を逆に返り討ちし、故郷に向けて逃亡するのである。しかし、この2400キロを走破して帰るシーン、リアリズムが全く伝わらなかった。30キロくらい走って、故郷に戻ってきたかのような淡白さであった(神話にはこういったほんの一部の杜撰さは許されてしかるべきである)。

ちなみにゲルマニア征伐が終了した後、コンモディアスと対面する時に、ラッセル・クロウの右頬に傷跡が残っているのだが、これは実際に冒頭の戦闘シーン撮影中に木の枝で切った切り傷である。

一方、マキシマスの召使キセロを演じたトミー・フラナガン(1965− )はスコットランド出身の役者だが、この人の顔面の壮絶な切り傷も、実際のものである。昔パブで暴漢に襲われナイフで切りつけられ、瀕死の状態で病院に運ばれたという。そして、
数ヵ月後包帯を取った自分の顔を鏡で見て、自殺まで考えていたところを親友のロバート・カーライルが必死に慰めてくれたという。


■二人の偉大なる巨星ハリスとリード


この作品には突出した二人の名優が出てくる。リチャード・ハリス(1930−2002)とオリバー・リード(1938−1999)である。

ローマ皇帝マルクス・アントニウスを演じるリチャード・ハリスは、元々は『ローマ帝国の滅亡』(1964)でコンモドゥスを演じる予定だったが、アンソニー・マン監督との作品に対する見地の違いから降板した。そんな彼が本作において皇帝を演じている。歴史上偉大なるローマの賢帝を風格のみならず、悲しい一人間としての姿を演じあげていた。

「最近はロバート・ショーのような重厚感溢れる役者がいない」と嘆いているリドリーでさえも絶賛の隙のない名演振りである。

一方、元剣闘士であり今は奴隷商人のプロキシモを演じるオリバー・リードは、『第三の男』(1949)の名匠キャロル・リードの甥であり、『脱走山脈』『三銃士』などで有名な名優である。1999年5月2日、本作の撮影3週間分を残したまま、心不全で急死した。マルタ島のロケ地にて、島の港町ヴァレッタの酒場で心臓発作が原因だった。

プロキシモというくせのある男を、これまたくせのあるオリバー・リードが見事に演じあげていた。未撮影部分については、脚本を書き換えた上で、さらに300万ドルの費用をかけてリードの顔をデジタルでスキャンして、彼に似た体格の代役の頭部をそれに差し替えるなどして切りぬけたという。


■剣闘士の悲しい本質


王位継承に絡みローマ市民権を剥奪され奴隷として剣闘士にまで堕ちたマキシマスは、自分が誇りに思い闘ってきたその国の民が、ゲルマンの蛮族と全く変わらぬ人が殺し合い野獣が殺しあう姿に熱狂するその姿に幻滅する。元々ローマでの剣闘試合は禁止されていたのだが、コンモドゥスが復活させていたのだ。

「俺はこんなヤツラの為に闘ってきたのか?」
しかし、マキシマスは彼らの人気を勝ち取らないと生き残れないという剣闘士のシビアな現実を目の当たりにし、剣闘士としての人気を勝ち得ることにする。唯一つの目的の為に・・・。これってある意味、虚構渦巻く日本のテレビに出演する人々に似ているのである。

剣闘士のそれと同じく、
勝つためには手段を選ばず、身体を含め使えるものは全て使って上に取り入り、いつか使い捨てられるその日まで人間性よりも奴隷根性を助長させて、自分の性格を歪めることによってゼニを稼いでいくのである。

そして、
「彼らの不幸や奴隷根性、口先だけの上滑りな言葉、流行を見て」テレビという見世物を楽しんでいる人々がいるのである。他人の悲劇を面白半分にテレビのチャンネルをザッピングしながら眺め、自分の人生の退屈さを紛らわせることは懸命なことなのだろうか?

この作品の主人公は極めて現代的な社会構造の蜘蛛の糸に絡めとられているのである。だからこそこの作品は神話としての普遍性を持ちえているのである。


■ダイヤモンド!共に戦えば生き残れる!


コロセウムでの剣闘シーンは壮絶な美しさに満ち満ちている。たしかに残酷ではあるが、
一度でも「ギリシア神話」などを読んだことがある人には理解できるだろう。神話とは本来が残酷な物語なのだ。

チャリオットに乗ったアマゾネス剣闘士達と隊列を組んで立ち向かうシーンなぞは身震いのするほどの格好良さである。コロセウムで第二次ポエニ戦争の負ける側の役割を演じさせられるマキシマスら剣闘士の一団が絶体絶命の中、彼が仲間に問いかける
「兵士の経験があるか?」「あなたの軍に仕えてました」と答える剣闘士たち。「よし、ゲートから何が来ようとも、共に戦えば生き残る望みも生まれる!」

そして、襲い掛かるアマゾネス軍団に対し
「ダイヤモンド!」と戦闘隊列の変更を叫ぶマキシマス。なんだこの格好良さは・・・つまり男臭い甲冑に身を固めたやる気まんまんの汗臭さたっぷりの男の魅力がここにはある。ちなみにこの剣闘シーンでラッセルは足の骨と尾てい骨を骨折している。

負ける筈のマキシマス達が生き残り、お褒めの言葉をのたまう為にコロセウムの闘技場に降りて来たコンモドゥスに対して名乗りを上げるマキシマスの格好良さ。「私の名はグラディエーター」そして、背を向けて去ろうとするも咎められ真の名前を名乗るマキシマス。
「私の名前はマキシマス・デシマス・メレディアス。北方軍総司令官フェリキス隊の将軍。真の皇帝アウレリウス陛下の僕。息子を殺された父親。妻を殺された夫。今生か来世でその復讐を果たす」その時のコンモドゥスの表情の愉快なこと。まさにカタルシス溢れるシーンである。


■男と男の熱い友情


剣闘士の死闘を潜り抜けていく中で剣闘士同士友情が培われていく。マキシマスと友情で結ばれるジュバとハーケンが実に男臭いいい芝居を見せている。黒人の剣闘士ジュバを演じるのは『ブラック・ダイヤモンド』(2006)のジャイモン・フンスー(1964− )である。彼はアフリカのベニン出身のモデルあがりの俳優である。

一方ハーケンを演じたラルフ・モーラー(1959− )はシュワルツェネッガーのダチで、元ミスター・ユニヴァース出身の肉体派俳優である。ちなみにハーケンはゲルマニア人の設定である。いわばマキシマスによって奴隷になった人ということである。

そして、コンモドゥスは、伝説の剣闘士ガイアとマキシマスに究極の決闘を課すのである。虎が四方から襲い掛かるというまさに生き地獄そのもののシチュエーションの中で・・・。この物語の展開の見事さは、ローマ歴史劇の中でも群をぬいている。


■人間が対峙した時にこそその人間の本質は示される


「おれが殺す相手はあと一人だけだ」


白い甲冑をつけたコンモドゥスとマキシマスのコロセウムでの一騎打ちが素晴らしく、見事なカタルシスに満ちている。しかもその前にマキシマスが監禁されている地下壕にてすでに致命傷を与えているのである。このあたりの非道さが神話そのものである。

勝つことのみが全てと信じるコンモドゥスと、そうではないことを知っているマキシマス。この2つの考え方の違いが、多くの愛情に包まれた人生を得たか否かを考えると、多くの現在の鑑賞者は自分自身の生き様を省みぞっとする人とふっと笑みを浮かべる人の2者に分かれるだろう。

「目先の利益に捉われるな」と小学生の時に習う言葉。その重みがこの映画には明確に示されている。


滅ぼされる運命の中必死にもがくマキシマスの姿。そして、
コンモドゥス自身も思わぬ腹心の裏切りにより晴天の霹靂ともいえる一瞬の滅亡を迎えてしまうその瞬間の皮肉さ。まさに見事なラスト・シークエンスである。やがて鳴り響く心地良いリサ・ジェラードの歌声が、素晴らしいこの物語に「神話性の確立」の役割を果たしている。こういう音楽のセンスはさすが「場面に適切な音楽は、映画につけられた最後のセリフのようなものだ」と言っているリドリー・スコットだけある。


■21世紀の神話に与えられた栄誉


「ローマ帝国について様々な文献があるが、そのどれが正確なのかといった疑問がある。だから私が一番重要視したのは“あの時代の精神に忠実であること”だけで、事実に固執する必要はないと感じた。私たちが作っていたのはフィクションで、考古学を研究しているわけではないんだからね」
リドリー・スコット

本作は1億300万ドルの製作費によって、18週間の撮影期間をかけ製作され、4270万ドルかけての宣伝活動が行われた。そして、世界中において4億5700万ドル(国内興行収入1億8700万ドル)の興行収入をあげた。

2000年度アカデミー作品賞、主演男優賞(ラッセル・クロウ)、衣裳デザイン賞、視覚効果賞、音響賞五部門受賞。助演男優賞(ホアキン・フェニックス)、監督賞、脚本賞、撮影賞、作曲賞、美術賞、編集賞全七部門ノミネートされた。

− 2007年7月23日 −


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