HOME
■サイト内検索

■洋画
 □カタカナ順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □クラシック
 □ドラマ
 □コメディ
 □サスペンス
 □アクション
 □ポリス
 □スパイ
 □犯罪
 □カー
 □ミュージカル
 □史劇
 □文芸
 □戦争
 □西部劇
 □アドベンチャー
 □パニック
 □ギャング、マフィア
 □SF
 □ホラー
 □スポーツ
 □香港
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □アカデミー賞
 □カンヌ映画祭
 □ヴェネチア映画祭



■邦画
 □ひらがな順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □名作
 □ドラマ
 □喜劇
 □サスペンス
 □アクション
 □刑事
 □時代劇
 □戦争
 □文学
 □パニック
 □東映ヤクザ
 □ギャング、ヤクザ
 □特撮
 □怪奇
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □海外映画祭受賞
グロリア   GLORIA (1980・アメリカ)
■ジャンル: ドラマ/アクション
■収録時間: 121分

■スタッフ
監督 : ジョン・カサヴェテス
製作 : サム・ショウ / スティーヴン・F・ケステン
脚本 : ジョン・カサヴェテス
撮影 : フレッド・シュラー
音楽 : ビル・コンティ

■キャスト
ジーナ・ローランズ (グロリア・スワンソン)
ジョン・アダムス(フィル)
バック・ヘンリー(ジャック)
ジュリー・カーメン(ジェリー)
グロリア
グロリア、あんたはすごい。タフで、クールで……やさしいよ。

■あらすじ


マフィアの金を横領していた会計士とその家族が殺された。ただ1人生き残った少年を守ることになったマフィアの元情婦グロリア(ジーナ・ローランズ)。最初は、ふてくされて文句を言いながらも、やがて、少年に対して母性が目覚め始め少年をマフィアの魔の手から守っていくことになる。


■最も危険だった時期のブロンクスの魅力


この映画の舞台は、サウス・ブロンクス。ヤンキー・スタジアムというアメリカの明るい部分を象徴する建物のすぐうしろにこの殺戮と死の町は広がるのである。特に80年代はじめが、サウス・ブロンクスが一番すさまじかった時代だという。当時のサウス・ブロンクスは、白人はドラッグ・ディーラーのマフィアのみで、他はプエルトリカンと黒人だけが住んでいた。住民の30%が栄養失調、18歳以上の男性の失業率70%、女性の性病保有率70%というとてつもない危険地帯であった。

まさにバスにしがみつき無賃乗車する若者達のバックに見えるヤンキー・スタジアムという冒頭のシーンが、この映画の舞台の、非常にゆがんだ現状を伝えているのである。


■いい女には、汗だくが似合う


女が登場する。そのファッション・センスから彼女も昔は、グロリアと同じコールガールであったことが伺える。そして、彼女は1人では生きられない弱い女のようである。物語は、彼女の夫がマフィアの会計士で、その金を横領したことがばれて、一家が命を狙われている状況なのである。

彼女を見ているとふと思ったことは、ラテン系の女の魅力は、整形バリバリのところにあるのではなく実は限りなくナチュラルなところにあるのではないだろうか?昨今の女性の美についての認識は、たぶんに購買欲をそそらせる為に踊らされている節があると思える。

『ラテン女には、汗が似合う・・・』=『いい女には、汗だくが似合う』



■ふてぶてしさ満開のグロリアのくわえタバコ


ジーナ・ローランズ
会計士一家が住むマンションの住人であるグロリアの登場。ファーストシーンのくわえタバコにふてくされた中年女ぶりにチョイワルおばさんぶりをかなり感じるのである。

『グロリア』には、2人の女が出てくる。そして、この2人の女の対比が実に素晴らしいのである。マフィアの金を横領し、一家もろとも命を狙われている親友にグロリアが子供だけでも助ける協力をしてくれと言われたときのグロリアの台詞が『協力したいけど・・・・子供は嫌いなのよ。特にあんたの子はね』である。しかもその時のグロリアの姿はよく見ると、ハイヒールにトレンチコートにパジャマ姿なのである。子供を抱えファッションにも気を使い大声を張り上げて必死に生きる女と身だしなみにも気を使わず、くわえタバコでふてくされてコーヒーをせびりにくるグロリア。そんな2人の女の対比が素晴らしい。

「正直言ってぼくは自分ではやりたくなかった・・・。ぼくはあまりヒットしないような映画を作るのがすきなんだ。映画とはいえ、一家全員を皆殺しにするようなことは嫌いだった」
ジョン・カサヴェテス


■オールロケーションの魅力


グロリアは、映画の中でずっとスーツを着ているというイメージがあるが、実は映画の中ではポスターのようにそうおしゃれな女性としては描かれていないのである。

結局グロリアは、親友の男の子を自分の部屋にかくまってあげるのである。何気にグロリアの部屋の窓からヤンキー・スタジアムが見えるところがすごくいい。カサヴェテスの生活感あふれる何気ない演出が、ここはサウス・ブロンクスなのであるとよく理解させてくれてとても良い。

女は男よりも基本的に長生きする。そして、女は男と違い、子供を産む苦しみを乗り越えることが出来る。そして、女は男よりも、体力が劣るように作られている。つまり、女には獣のような生き方は適していないということだ。女とは、『タフさ』と『クールさ』・・・つまり『利己的』で『冷静な』部分があるのだ。


■女の弱さが、女のかっこうよさに通ずる


ジーナ・ローランズ
電話越しに親友の夫の会計士から息子のことを託されその一家が殺害されるのを電話越しに知るところから、最初の登場シーンから一転して、グロリアのか弱い女性的な魅力があふれ出てくる。子供との逃避行が始まるのである。

しかし、子供とは無縁の生活を送ってきた上に、追ってきているマフィアとも知り合いというややこしい状況に、子供をほっぽりっぱなしにして逃げようとするグロリア。「私は一緒に行けないの 太りすぎて走れないのよ 家にお帰り すぐそこよ 私は見てやれないの 早く行って 私には犯罪歴があるから 警察へは連れて行けないの あんたを助けちゃ 私がやばいのよ!」

そうこのシーンが、グロリアが今後ますます輝いていく布石になるのである。人間の、そして女の弱さを描かなくして、女のかっこよさの追求などありえないのである。『弱い人間だからこそ、強くもなれるのである。そして、強くなった瞬間より輝きもするのである』


■映画史上最も銃の連射が似合う女グロリア


ジーナ・ローランズ グロリア
結局は子供を助けて、マフィアに対して銃で追い払ってしまうグロリア。

『そう、女という生き物は、だからではなく、しかしの連続で生きている生き物なのだ』

この銃を撃つグロリアを見た後に、極妻の女優陣を見てしまったら、演出の幼稚さと女優陣の芝居に対する感性の低さをただただ実感してしまうだろう。

いかにもサウス・ブロンクスとは、無縁の女優ジーナ・ローランズがこんなにもスラム街の一角で、銃を連射するシーンが様になるとは・・・並みのハリウッド・セレブ達だとかなり嘘くさい絵になるだろう。真の存在感とは、こういう女優の存在感を言うのである。


■グロリアに恋をする少年


逃避先の錆びれたモーテルで、少年がグロリアに、初恋を打ち明けるシーンのグロリアがとってもいかす。そうグロリアは母親代わりになるには格好良すぎるのだろうか?少年が年上の女性に対して、恋心を抱く瞬間が実にうまく描かれた映画でもあるのである。

少年のアプローチにどっきりとするグロリアがまた可愛らしいのだ。中年女の可愛らしさを実に自然に描き出すところにこの監督とこの女優の凄さがある。タフでクールな女を描くためには、実はその女の弱くてキュートな姿も見せていかなければいけないのである。この作品のグロリアがタフでクールで格好良く見えてくるのもそういった見事な描写があったからなのである。


■完璧さを表現するよりも不完全さを表現する難しさ


グロリア
そして、グロリアは、少年の素直な心に触れ合った瞬間から、母性の目覚めとともにタフになっていくのである。このショットのグロリアもとてもカッコイイのである。そして、リュック・ベッソンの『レオン』がいかにこの映画を参考にしたのかが、こういったシーンでよく分かるのである。ただし、主人公の魅力から言うとグロリアの方が、殺しに関しては堅気なだけ魅力的なのである。

今の映画であればこのあたりからヒロインがありえないぐらい強くなるのであるが、この映画は監督がカサヴェテスだけあってそうではないのである。完璧すぎない銃捌き・・・それでいて格好悪くもないところが、この映画を象徴しているのではないだろうか?

歯切れに関しては悪くなるのは、中年女性が主役なのだから当たり前なのだ。それよりも、歯切れの悪さが、グロリアの凄みでゆうにカバーできている部分を見落としてはいけない。

そして、逃げ延びたホテルのバスルームで、タバコをくゆらせながら少年にグロリアが尋ねるのである。「あんたの母親になるって話まだ断る?」それに対し、少年は「なっても構わないよ ママは死んだし、なってもいいよ あんたは僕のママで パパで 家族だ それに親友だね。そして恋人だよね」と・・・。


■ミルクとは縁無しの女よ


2人を追っているのマフィアのボスでもあり元愛人のトニーに直談判するときのグロリアが、またかっこいい。「子供の話を母親って好きでしょ。誰にも母親はいる。私は母親じゃないわただのアバズレ。ミルクとは縁無しの女よ」

この彼女のふてぶてしさ、自分よりも大切なものを見つけた人間だけが、他人に見せれる格好良さ。女の美しさがほとばしり出る瞬間のひとつが、恋をしている瞬間と良く言う。ただし、それは自分が大切にされていることを感じる類の恋愛ではなく。自分が大切にしたいと思う母性的な恋愛の瞬間においてである。つまり前者は、他者完結における不安定さがつきまとい、後者には、自己完結による安定さがつきまとうのである。よって古来から賢い女性は、愛する相手を望み、愚者は愛してくれる相手を望むのである。

恋愛は、与え続ける価値を見出せた相手と初めてするものである。

「ぼくは女性に向って、こう言いたかったんだ。女性は必ず子供を好きになる必要はない―えも女性の心の奥には子供と結びつく何かがあって、それがいい意味で女性と男性を区別してるんだって。心の奥で子供を理解するってことは、深い本能的なものだ。一種の狂気と言えるかもしれない」
ジョン・カサヴェテス


■「チェッ」とするグロリアに惚れた!


グロリア グロリア
そして、ピッツバーグの墓場での2人の再開で物語りは終わるのである。人間が最も安らぐ瞬間とは、こういう瞬間を言うのだろう。抱き合い愛情表現を分かち合える、グロリアには、今までそういう人間関係は存在しなかった。でもグロリアには、今この少年がいる。彼女は、タフでそして、優しい人なのだ。

とにかくジーナ・ローランズの表情が、どんな瞬間においてもセルジオ・レオーネの映画に出てくるタフガイ並みに格好いいのである。丁度ブラッド・ピットが『オーシャンズ12』で見せたような「チェッ」という表情をするのだが、ジーナは実に微妙な表現力を持った女優なのである。

「ジーナはとても不思議な女性だ。そして僕が雇える役者の中では最高だ。・・・始めるにあたって、彼女はこういうことを聞く。「私はこの映画で誰を好きになるの?その人物が好きで、自分はどんな人物なの?」。・・・彼女は始め役作りをすると、後は完全に脚本通りに演じるんだ。即興はほとんどしない。自分の頭や感情の中では即興しているのにね。誰もが勢いにまかせて演じるけれど、ジーナはひたむきで純粋なんだ。映画的にどうかとか、キャメラはどこかとか、見栄えがいいかなんてことは気にしない―ただ本物らしく見えるかどうかだけを気にするんだ」ジョン・カサヴェテス

当初この作品は完成後に一時はお蔵入りしかけたが、試写を見たスピルバーグが絶賛したことにより公開が決定した。結果的に低予算で400万ドルの興行収入を挙げ、ヴェネチア映画祭グランプリに輝き、ジーナ・ローランズはアカデミー主演女優賞ノミネート、ヴェネチア映画祭最優秀女優賞を受賞した。

ちなみにカサヴェテスは『その後のグロリア』も執筆している。それは10年後のグロリアとフィルの再会が新たなギャングとの戦いに巻き込まれる物語である。


− 2007年2月10日 −


当サイト内で使用している画像・映像キャプチャー等は、あくまで映画文化の熟成及び芸術復興を標榜する当サイトの意図により、
「映画を文章だけで云々することの不誠実さ」と「目で感じる芸術及び娯楽」である映画に対する敬意の姿勢で使用しております。よって著作権等は、全て各製作者・会社に帰属します。
画像・映像キャプチャー等の使用に関して表記の問題がある場合、又は削除依頼がある場合は迅速に応対させていただきますのでご連絡ください。
このサイトは、100%非営利に、純粋に「映画解釈の究極」を求めて運営されています。取り上げるべき作品・感想等ございましたらどんどんメールください。
当サイトはリンク・フリーです。
Copyright (C) 2007 Geijyutsu Taizen. All Rights Reserved.
Mail:webmaster@summaars.net