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偉大な生涯の物語   THE GREATEST STORY EVER TOLD(1965・アメリカ)
■ジャンル: 歴史劇
■収録時間: 199分

■スタッフ
監督・製作 : ジョージ・スティーヴンス
原作 : フルトン・オースラー
脚本 : ジェームズ・リー・バレット / ジョージ・スティーヴンス
撮影 : ウィリアム・C・メラー / ロイヤル・グリッグス
音楽 : アルフレッド・ニューマン

■キャスト
マックス・フォン・シドー(イエス・キリスト)
ドロシー・マクガイア(マリア)
チャールトン・ヘストン(ヨハネ)
デビッド・マッカラム(イスカリオテのユダ)
ホセ・ファラー(ヘロデ・アンティパス)
サル・ミネオ(ユーライア)
偉大な生涯の物語
歴史劇を絵画的表現で描ききった作品。そして、その結果生まれたものがいかに集中力を要するものかを証明してくれる。芸術とは極めて刺激的なものではなく、冗長なものなのである。人間の五感に響くものではなく人間の魂をじんわりと揺さぶるものが芸術なのである。そして、本作には五感に響くものよりも魂を揺さぶる絵画的な贅沢な表現が満載されているのである。本質的に本作はキリストの生涯を描くというよりもキリストの存在した時代を身震いがするほどの映像的絵画的表現で再現して見せたのである。

■あらすじ


神の子イエス・キリスト(マックス・フォン・シドー)はやがて12人の使徒と共に伝道をし、数々の奇蹟を起こしていく。エルサレムに入場するもイスカリオテのユダの裏切りにより、捕らえられ処刑されることになりゴルゴダの丘に十字架に磔にされ息絶えていく。しかし、死して尚キリストは奇蹟を興すのである。


■ハリウッドの描いたイエス・キリスト


本作品は、ハリウッドが描き続けてきたイエス・キリストという題材を取り上げた作品である。本作の前にセシル・B・デミル監督による『キング・オブ・キングス』(1927)とニコラス・レイ監督による『キング・オブ・キングス』(1961)がある。それにしても本作におけるキャスティングの豪華さは不必要なばかりである。しかし、何よりも驚くべき事実は、このスター達の方からこの作品への出演を渇望したという事実である。マックス・フォン・シドー、チャールトン・ヘストン、『大いなる西部』(1958)のキャロル・ベイカー、シドニー・ポワチエ、ジョン・ウェイン、『シェーン』(1953)のヴァン・ヘフリン、ドロシー・マクガイア、ホセ・ファーラー、『理由なき反攻』(1955)のサル・ミネオ、デヴィッド・マッカラム、テリー・サヴァラス、アンジェラ・ランズベリー、シェリー・ウィンタース、『冷血』(1967)のロバート・ブレイク、パット・ブーン、ドナルド・プレザンス、マーティン・ランドー、ロディ・マクドウォールという総勢19名のスターが出演している。

<ことばは神>(ヨハネの福音書1章より)
初めに、ことばありき。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇は決してこれに打ち勝たなかった。


■油絵のような色彩感覚の映像美


とにかく本作品の映像の構図が実に見事で美しい。油絵のような強い色彩感覚である。ここで新約聖書における重要人物であるヨハネをチャールトン・ヘストンが演じるのだが、彼独特のダイナミズム溢れる存在感はなぜか本作においては影を潜めていた。おそらく「イナゴと蜂蜜」を主食とするとされているガリガリのヨハネを演じる違和感を筋骨隆々のヘストン自身が演じることに戸惑いがあったからだろう。まさに牛若丸を松田優作が演じるようなものであるのだから。チャールトン・ヘストンという俳優は脇役としての存在感を示すことはあまり得意としない役者である。

ちなみに撮影を担当したウィリアム・C・メラーは、『陽のあたる場所』(1951)『日本人の勲章』(1955)『ジャイアンツ』(1956)『昼下りの情事』(1957)で有名なカメラマンだが、本作品の撮影中にセット上で心臓麻痺で死去した。本作は実際は全て1963年に撮影された。そして、2000年前のエルサレムの再現のロケ地としてアリゾナに広大なセットが建てられた。

冒頭のヘロデとヘロデ・アンティパスのシーンなどは、『アラビアのロレンス』(1962)から『ドクトル・ジバゴ』(1965)の合間にデヴィッド・リーンが演出したものであった。アレック・ギネスも出演予定であったが、結局は実現しなかった。

<荒野の試練>(マタイの福音書4章より)
すると悪魔が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」イエスは答えて言われた。「聖書には『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによるなり』と書いてある」


■永遠の命の糧のために働くべし


偉大な生涯の物語
よくキリストを評して言われることだが、長髪で無精ひげで使徒を率いて練り歩くその姿はヒッピーそのものだっただろう。それにしても、新約聖書の世界観がいかに『スター・ウォーズ』の世界観に影響を与えているかがこの作品の世界観を見ているとよく分かるものである。

「朽ちる食物のために働くな。朽ちぬ永遠の命の糧のために働くがよい」

「泥棒に盗まれるようなものに価値はあるのか?その泥棒を捜し外套もあげなさい。欲しがるものは惜しまずに。彼は心が貧しくて求めてるのだ」「皆がそうしたら泥棒の天下です」「彼らは闇を歩く、光になってあげなさい。裁かずに。人を裁くと同じように裁かれます」



■空と海の美しさの調和


偉大な生涯の物語
キリスト一行が港町に出る一コマも実に美しい。
空が美しいと自然と海も大地も人々も輝くものなのである。総督ピラトを演じるは、TVシリーズ『刑事コジャック』で有名なテリー・サヴァラスであるが、彼はこの役柄のために髪を剃り上げた。本作以降スキンヘッドは彼のトレードマークとなった。

「仲間が罪を犯したらしかれ だが、悔い改めたら許すのだ。人が自分にして欲しいことを他の人にもしなさい。我らの神は救いの神で復讐の神ではない。救いは信仰のみによる。希望は愛からのみ生まれる」


■イエス・キリストを演じた男


マックス・フォン・シドー
マックス・フォン・シドー(1929− )
身長193p。民俗学の教授の父と教師の母を持ち裕福な家庭に生まれる。少年期はすごくシャイで物静かな少年だった。1948年にストックホルムの演劇学校に入学。翌年には端役で映画デビューを果たす。1955年にイングマール・ベルイマンと知り合い『第七の封印』に出演。以降ベルイマンとコンビを組み共にスウェーデンを代表する映画人となった。本作によりアメリカ進出を果たし『エクソシスト』(1973)や『コンドル』(1975)など多くの作品に出演。1987年の『ペレ』でアカデミー助演賞候補になった。

本作で神の子イエス・キリストを演じたシドーは8年後に悪魔に魂を売ったペリン神父役を『エクソシスト』で演ずることになるのである。昔からそうなのだが、マックス・フォン・シドーという役者は絶えず神を中心に芝居をしていた役者さんなのである。


■奇蹟に対するユニークなアプローチ


ラザロの奇蹟において流れる「ハレルヤ」のコーラスの壮大さは素晴らしい。この音楽に対しては、明らかに映像は追いついていなかったが、それはさておいても魂の底から揺すぶられる音楽とはこういうものであろう。

「隣人を己のように愛しなさい」

映像的には美しい部分が多いのだが、ユーライア(サル・ミネオ)の不具を治したり、老人の盲目を治したり、ラザロを生き返らしたりという奇蹟については、監督の姿勢として、その事実をことさら強調するわけではなく見ていた側の捉えた事実として描いているので、映像的に感動的とは決していえない煮え切らなさに包まれている。

残念なことに本作品においての物語の進行はあくまでも重厚と冗長の狭間で展開している。そのため新約聖書に興味のない人間にとってはほとんど面白みのない作品となっている。ジョージ・スティーブンスの本作に対する姿勢が娯楽よりも布教にあることは明確である。

「光のあるうちに光の中を進みなさい」「剣を取るものは剣にて滅ぶぞ」



■最後の晩餐と最後の審判


偉大な生涯の物語
最後の晩餐の演出は厳粛そのものである。イスカリオテのユダを演じるデヴィッド・マッカラムがこれ以上ないというほどのいい芝居を見せてくれている。彼の目の輝きそのものが裏切り者の雰囲気をかもし出している。彼はわずか1年前の『大脱走』で自分の尊敬する師をかばい射殺される役柄を演じたばかりであった。
目の輝き具合ひとつで忠義の重い人間と、そうでない人間を演じ分けるところはさすがである。彼は『ナポレオン・ソロ』によって過小評価されすぎている役者である。

ピラトの審判のシーンで「イエスを磔にせよ!」と煽動する悪魔の存在をドナルド・プレザンスが演じている。尚、イエスと共に十字架を運ぶクレネのシモン役にシドニー・ポワチエ、処刑を見守る百人隊長をジョン・ウェインが演じているが、この配役は明確におまけである。(ジョン・ウェインの出演シーンの多くは鞭打ちのシーンを含めカットされているので、うっかり見ているとどこで登場しているのか分からないはずである。本作よりも約60分長いのがオリジナル劇場版なのである)


■アルフレッド・ニューマン


この作品の音楽の壮大さも一つの魅力である。20世紀FOXの冒頭に流れるファンファーレや『街の灯』(1931)『大自然の凱歌』(1936)『デッドエンド』(1937)『怒りの葡萄』(1940)『聖処女』(1943)『荒野の決闘』(1946)『紳士協定』(1947)『三十四丁目の奇蹟』(1947)『イヴの総て』(1950)『聖衣』(1953)『ショウほど素敵な商売はない』(1954)『慕情』(1955)『七年目の浮気』(1955)『王様と私』(1956)『南太平洋』(1958)『西部開拓史』(1962)のアルフレッド・ニューマンである。


■娯楽性よりも知性と感性


偉大な生涯の物語
それにしても、ゴルゴダの丘のシーンは絵画そのものの厳粛さに包まれているシーンである。これほど美しい磔のシーンはなかなか存在しないだろう。しかし、百人隊長のジョン・ウェインの顔のアップは一切カットされ、セリフも「この男は真に神の子であった」の一言である。意識しなければファンでも気づかないジョン・ウェインであるが、そのローマ軍甲冑姿は格好良い。


ジョージ・スティーヴンスが6年の構想の末に作り上げた作品だけあって、3時間19分とういう制約された時間の中でイエス・キリストの人生を分かりやすく描いた点と言うことにおいてはかなり素晴らしい偉業である。そして、画面上の絵画的な構図が、素晴らしく芸術的である。ここまでキリストを古典的に徹底して描ききった作品は珍しい。そして、それでいてキリストの人物描写が極めて人間的であるところがユニークである。

本作の内容が宗教であるだけにそこに娯楽性を求めすぎるのは良くない。
宗教と退屈は紙一重である。本作品は娯楽というよりもむしろ知性と感性のための一時なのである。アメリカ人を始め世界中の人々に影響を今も尚与え続けているイエス・キリストという人物の生きていた世界を知ることは知的に重要なことである。


− 2007年4月24日 −


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