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裸の十九才 (1970・近代映画協会) | |||||
| ■ジャンル: ドラマ ■収録時間: 120分 ■スタッフ 監督 : 新藤兼人 製作 : 絲屋寿雄 / 能登節雄 / 桑原一雄 脚本 : 新藤兼人 / 松田昭三 / 関功 撮影 : 黒田清巳 / 高尾清照 音楽 : 林光 / 小山恭弘 ■キャスト 原田大二郎(山田道夫) 乙羽信子(山田タケ) 吉岡ゆり(山田初子) 鳥居恵子(林咲枝) 太地喜和子(友子) |
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■あらすじ 集団就職で東北の田舎町から東京のフルーツパーラーで働くことになった15歳の山田道夫(原田大二郎)は、仕事も続かず、それから4年間各地を転々とし根無し草のような生活を続けていくうちに、横須賀の米軍基地の宿舎で一丁の拳銃を盗む。「唯一の僕の友達」。そして、道夫19歳の秋、連続殺人を繰りかえすようになるのだった。 ■事実の重み ![]() 私は全く何の予備知識もなく本作を見たので、全て新藤兼人が創作した作品だと思ってみていた。こんな悲惨な話って存在するのか?と。あまりにも悲惨な生い立ちに実感できずにいた。映画を見終わってから、本作が永山則夫という人間をほぼ忠実に再現した映画であることを知った。そして、事実と知ってもう一度見てみると、何ともいえない感情がこみ上げてきた。 「事実の重み」である。「全く関係ない人々を道ずれにして自分の人生を破滅させようとする」若者の存在を、ここまで見事に提示されると、生半可に言葉と言うものを発しても嘘くさくなってしまう。 ■永山則夫 ![]() 永山則夫(1949−1997)は、北海道の網走に8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれた。生まれたときから博打狂いの父親によって家庭は極貧状態で崩壊していた。1954年に、母親が当時5歳の則夫を含む4人兄弟を網走の家に残し、青森県板柳町の実家に逃げ帰ってしまう。残された則夫を含む4人兄弟は屑拾いなどをしながらなんとか餓死寸前の状況で生きながらえる。 そして、1955年に、福祉事務所の仲介により板柳の母親の元に引き取られた。田畑もなく、生活保護を受けながら母親は行商をして子供達を養った。一方、長姉は24歳の時何らかの理由(映画の中では輪姦による)で精神に異常をきたし、精神病院に入院していた。小中学生の間、則夫は新聞配達をしながら家計を支えた。 ここまでの生い立ちを見ていて素直に感じるのは、なぜそんなに子供を作るのか?という事である。生活が苦しいのに子供を作り続けるその思考は、計画性の無さではなく、その場その場の享楽に溺れすぎという事ではないか?そして、新藤兼人の見事さは、東北の農村においての性交の本質を見事に描写している点である。 性交は愛の交わりではなく、何の喜びも無い生きている中で唯一実感できる喜び。一方、姉は輪姦されるのだが、ここにおいても性交は、閉塞感たっぷりの男性の悪気のない悪戯のようなレベルで描かれているのである。もちろん被害者の女性にとっては精神を破壊させられる要因になるのだが・・・ 本質は性交に対するこれらの人々の考え方にあるのである。実際のところ固い貞操間など無きに等しく、愛よりも享楽の作業として性交を捉える。つまるところ、自分の快楽を手にすることが精一杯で、他の事まで考える余裕が人生に無いほど当時の貧困層はあらゆるものに飢えていたのである。 よく都会の人は、「田舎の人」は素朴だと言う。しかし、私の両親も中国地方の山奥の生まれだからこそよく分かるのだが、田舎の若者には、じりじりした性的な衝動や何か社会から取り残されていらいらしている倦怠感が漂っているのである。本作はその素朴さに潜められた欲望の闇を見事に描いている。 ■決して消し去れない傷 この永山則夫の生い立ちはそっくりそのまま映画の中でも、描かれるているのだが、私は見ていてぞっとした。私がかつて一番愛した女性と全く同じような生い立ちなのである。彼女は1970年代後半に生まれているのだが、国は四国で、母はホステスあがりで父はやくざの組長だった。しかし、博打、覚醒剤で家庭内暴力が凄まじく、母親は他の2人の子を連れて父親と5,6歳の彼女1人を残して家出した。 本編で最後、逮捕された道夫が、拘置所の面会室で母タケと面会するシーンがある。長い沈黙の果てに道夫が言う「なぜだ母ちゃん、なんで(僕を網走に)置いていったんだ」答える母親、「道夫・・・堪忍してけれ、あめえもひもじかったべ・・・母ちゃんが悪かった・・・堪忍してけれ・・・」 私の昔の彼女もふとこの一言を呟く時があった。ぞっとするくらいに似ている。この映画はその女性には決して見せてあげたくないな。と思った。親に捨てられると言うことは、究極に子供に傷を残す行為であり、その傷は決して癒せないと言う不文律な恐ろしさがあるのである。 本作は実に残酷なテーマ性を秘めており、それは過ぎ去った日々は取り戻せないのと同じように、幼少期に刻み付けられた傷は、決して消し去れないという人間の恐るべき真実を提示しているのである。 しかし、大阪に出てきた道夫が、安宿のおばさんに勧められて女を買うのだが、「かわいいこだっせ」と言われたような女からは到底かけ離れたババアで、童貞を失ってしまうのである。これは全くの私感だが、童貞を喪失する相手によってかなり人生のツキは変わってくるかもしれない。そういう観点から言えば私はついてるのかも知れない。 ■「どっから来たんだ?」「あっち」「なにやってるんだ?」「マラソン」 ![]() 1965年3月、永山則夫は板柳から東京のフルーツパーラーに集団就職する。上京後は職を転々とし、どこも長続きしなかった。1968年9月横須賀の米軍基地に侵入し、護身用の小型ピストルと実弾50発を手にいれた。「友達に出会ったように思った」という。1968年10月から11月にかけて、東京都区部・京都市・函館市・名古屋市と各地を転々とし4件の連続射殺事件を起こす。1969年4月逮捕される。そして、1997年に刑が執行される。 私はこの男が死刑を免れるべきだったとは決して思わないが、その生い立ちに大いなる同情を禁じえない。勿論この男が見ず知らずの4人の男性を殺したことは絶対に許されるべきではなく、その無差別殺人に対して私が身内であるならばすぐにでも最も苦しむ死に方を課してくれと願うだろう。 しかし、1970年の公判で永山が引用した以下のウィリアム・ボンガーの『犯罪と経済状態』からの引用「貧乏は人の社会的感情を殺し、人と人との間における一切の関係を破壊し去る。すべての人々に見捨てられた者は、かかる境遇に彼を置き去りにせし人々に対し、もはや何らの感情も持ち得ぬものである」 1977年発表された『反―寺山修司論』の一文である「われわれの仲間が先の反論で指摘しているように検事の死刑求刑の論理である。ある個人の全生活史から『犯罪』という一断面をとりあげ、それですべてを判断することは、その人間を抹殺することである。『少年非行』の著者ヒーリーがいうように、『犯罪』というものはほんの一瞬であり、その他は犯行する人間も他の市民となんら変わりないのだ」 上記の2つの文章は、永山=道夫からの十分に思考し吟味するに値するメッセージなのである。 ■閉塞感が生み出す性行為の余韻 ![]() 「おっかあ、銭っこだ〜」そう言って中年の人夫にレイプされたあとに、さらに4人の若者に輪姦され、気が狂った姉は、呆然とした体で母親にトランプを差し出す。こういうシーンは、本当にホラー映画なんぞよりも1人の女性の精神が破壊されていく過程が描写される行為なので見ていて辛いものがある。 ちなみにこの初子役を演じた吉岡ゆり(1948− )は、大阪出身の第8回ミス・エールフランスコンテスト準ミスになった人で本作以外はテレビドラマの端役以外それといった活躍はしていない。 ![]() 本作には乙羽信子(1924− )の裸体や、多くの女性の裸体・性的描写が散見させられるのだが、どれも美しい愛に満ちた描写からはかけ離れた一時の忘却のための肉欲への埋没といったすえた匂いがしてくる生々しい映像である。 普段は死んだように枯れ果てた女が性交の時だけ生き生きとする描写がある意味ぞっとする。 ■太地喜和子 ![]() 「あんたあたしの名前聞かないわね」「聞いたってしょうがないじゃないかすぐ別れるのに」「でもさあ男は大抵寝た女の名前聞くのよ。へっ、あの女とはああだった≠チて覚えときたいんでしょう生きてる証拠にさ」 太地喜和子が東京の街で立ちんぼをしている集団就職崩れの女で登場する。本作で一番素晴らしいカメラショットである2人で白いベッドでまどろむシーン。やがて彼女も腐れ縁のやくざ者と一緒に去っていくのである。「私こいつに惚れてんだよ!」と捨て台詞を残して去っていく。こうやって男と女は共に老けていきお似合いの老醜をさらしていくのである。 この頃の太地喜和子は、幸せをかなぐり捨てた女を演じるのが抜群にうまかった。不幸を睨みつけながら生きているような女を演じているのか実際そうなのか分からないところが彼女の最大の魅力である。 ■なにかもう何もかもピチピチしてるじゃないか? ![]() 新藤兼人らスタッフは青森へ行き、永山則夫の母・兄弟に会い、中学の先生や友達などから取材した上で本作を作り上げた。新藤は本作についてこう語っている。「私たちが描こうとしたのは、事実の永山則夫ではなく、永山則夫に集約された何千万という永山則夫である」 本作が原田大二郎(1944− )のデビュー作だが、その初々しさがいい意味で魅力的だった。ちなみに本当の永山則夫は160pの小男だったという。ただし、本作の冒頭で道夫が、足下にじゃれついた犬を蹴飛ばすシーンがあるのだが、映画といえどもこういうシーンを撮る必要はないだろう。 − 2007年6月23日 − |
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