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張込み   (1958・松竹大船)
■ジャンル: サスペンス
■収録時間: 116分

■スタッフ
監督 : 野村芳太郎
製作 : 小倉武志
原作 : 松本清張
脚本 : 橋本忍
音楽 : 黛敏郎

■キャスト
大木実(柚木刑事)
宮口精二(下岡刑事)
高峰秀子(横川さだ子)
田村高廣(石井)
高千穂ひづる(高倉弓子)
内田良平(山田)
張込み
高峰秀子の美しさを逆説的に描いた作品。ごく平凡な人妻を演じるその姿からほとばしりでる色香。女性のかもしだす美しさの定義を丁寧に説明した作品である。美とは表面的なものではなく押さえつけられた部分からにじみ出るものであるという一つの定義。今を生きる我々にはこの溜めの部分がないので恋愛が情欲に溢れる狂おしいものにならないと言う悲劇。そういったものをこの高峰秀子が教えてくれるのである。現代に生きる男と女に。もっと恋愛を押さえつけてみたら・・・絶対に新しい恋愛の魅力が、そして、新しい感情の渦が湧き上がってくる筈だと。

■あらすじ


警視庁の下岡刑事(宮口精二)と柚木刑事(大木実)は、質屋殺しの共犯石井(田村高廣)を追って猛暑の中佐賀へ発つ。そこには三年前、上京の際別れた女さだ子(高峰秀子)がいた。今は銀行員横川の後妻になっているさだ子の家の前の旅館で2人は張込みを開始した。生活に埋没する女と石井の間に情熱的な恋愛関係なぞ存在したのだろうか?そして、石井はやってくるのだろうか?


■旅情溢れる海岸線に沿って走る機関車


張込み
慌ただしく鹿児島行きの蒸気機関車に乗り込む下岡刑事(宮口精二)と柚木刑事(大木実)の姿からこの物語は始まる。デビッド・リーン監督の『旅情』(1955)のような電車の窓から見える美しい海の風景が心をワクワクさせてくれる。タイトルがでるまでの約10分を通じて実際に移動する刑事の20時間の行程を凝縮し実感させてくれる演出は見事である。

本作においての宮口精二は『七人の侍』のような無口でニヒルな役柄ではなく、よくしゃべる飄々とした役柄である。実直な大木実の役柄に対して見事にバランスのとれた先輩刑事振りを演じている。こういった部分は黒澤明の『野良犬』(1949)とよく似ている。


■何故か生まれていない時代の日本にノスタルジー


張込み
昔の日本の風景の美しさ。こういった街並みが失われたことから個性なき横並びの現代は始まったと言えるだろう。銭湯やラジオ放送の歌謡曲を皆で集まって聞く風情、運河、売店のランニング姿の小僧、バスの案内係・・・と当時の日本の風情が見事に描かれている。この映画の中でいかに扇子と団扇が生かされているかという事を考えれば、季節感を服装や景色でのみ表現すると言うことの芸のなさと映像的効果のなさを理解できることだろう。


■さあ、張込みだ!


「さあ、張込みだ!」で始まるタイトルがかなりよい。この作品を包み込む空気は、2人の刑事(特に柚木)の殺人犯・石井の元恋人で今は銀行員の後妻さだ子に対する父性的感情である。この女性の生活を今更殺人犯の元恋人に潰させはしないと言う心意気なのである。この感情がやがてさだ子の豹変する姿を見るに当たり柚木に影響を与えるのである。

高峰秀子が淡々と日常的な主婦の姿を見せる。『裏窓』を意識したかのような向かいの旅館からの張込み=覗き。自分ひとりの気を抜いた瞬間を他人に覗かれているとしたら、あなたの今の姿は、その覗く見る他人に幸せそうだと受け止められるのだろうか?

2人の刑事が張込みをする旅館の女中2人も魅力的な女優が演じている。山本和子と小田切みきである。山本和子の娘は元宝塚歌劇団であり舞台女優・毬谷友子である。それにしても山本和子と言う女優はなかなか魅力的なルックスの女優である。下岡刑事が旅館に滞在している理由を嘘八百並べ立てていると、ひょんなことからその嘘がばれそうになるシーンでの2人の女中と2人の刑事の掛け合いがストーリーには関係ないがよい。
こういった小さな点から主人公の人間的な魅力は構築されていくのである。


■田園地帯を歩く日傘を差す着物美女


張込み 張込み
佐賀の田園地帯を歩く着物姿の高峰秀子がすごく美しい。当時33歳のこの生活に疲れたというよりも、枯れ果てた人妻の魅力が、監督の意図かそうでないかは分からないが画面せましと渦巻いている。
首筋、二の腕、足首から漂う色香が、生活に疲れたという表情によりより強調されて、男性の見守りたい気持ちをくすぐるのである。このさだ子を演じる高峰秀子は見事に男性の父性愛をくすぐる人妻を演じているのである。

人間とは押え付けられている他人にすごく興味を持つ生き物なのである。この作品はサスペンスと言うジャンルを借りた明確なる一人の女の現実を描いた作品なのである。(写真右上。野村芳太郎監督と高峰秀子)


■素足の美しさ・・・これは日本女性の美の特徴である


高峰秀子 張込み
平凡な人間が一番多いよ!世の中には

「ふけているよな年よりは・・・」「平凡な・・・」と言った言葉の記号で表されているさだ子の日常生活を撮影するカメラはクレーンを使用したかなり大掛かりな撮影であった。特に買い物シーンのカメラの視点がよい。

そして、黛敏郎の音楽が素晴らしい。極めて日本的な風景の中にジャズを織り交ぜていくこのセンスには脱帽する。昨今の映画の退化ぶりの一つの要因として挙げられる点は音楽のセンスのなさと画一性である。
着物姿のさだ子を追跡するシーンで使われる音楽など、のちに『ウエスト・サイド物語』(1960)に使われる冒頭の曲の曲調に実に似ていてクールである。


■九州の田園地帯と温泉地帯


張込み 張込み
本作では、田園地帯と高原地帯と温泉地帯という日本の魅力を満喫できる。最後の温泉のシーンに至っては、本来の舞台である佐賀県の川上峡温泉は、ひなびた感じがなかったので大分県の宝泉寺温泉で行われた。ちなみに本作に登場する張込み先の旅館・備前屋とさだ子の家は松竹大船のセットである。


■自分で自分を殺してしまったのよ


張込み
安定した生活ではあるが、張り合いのない生活の中にふと飛び込んできた昔の恋人。そして、女は情熱を取り戻す。
情熱と言うものは女性を輝かせるものであると同時に女性の理性を失わせるものなのである。

「自分で自分を殺してしまったのよ」
今度は一緒に着いていくわというさだ子。過去にさかのぼって人生の再起を図るその心がすでに、悲しい結末の予兆なのだが、さだ子がそう思ってしまう気持ちが痛いほどに理解できる。野村芳太郎・橋本忍コンビは、こういう明確な負の感情の流れを描き出すことに長けている。

そして、そのやり取りを草むらの影から聞いている柚木を演じる大木実がすごく良い。柚木自身も今結婚について悩んでいるのだ。2人がもはや遅すぎた愛を貫こうとする姿勢に心打たれたこの刑事は、張込みによって、多くのことを学び一つの決断を導き出すのである。そう結婚という苦労の荒波に飛び込んでみようと。


■キスシーンは古い映画の方が優れていた


張込み
しかし、このキスシーンを見せ付けられると、現在世界的にキスシーンの描写の下手さ加減が蔓延していることを思い知らされる。このキスシーンでは、さだ子のほうから石井の唇を奪いにいくのだが、今の女優より昔の女優の方がやはり感性が優れているとしかいいようがない。おそらく誰が見ても違和感のないぞくっとするキスシーンだろう。彼女の芝居にはまったくとってつけたところがない。
化粧をしているにもかかわらず化粧っけのないその雰囲気こそが高峰秀子なのである。この情熱的なキスの数時間後に訪れる身をよじり涙する姿が本当に見ている側の心を打つのも、このキスシーンの見事さがあったからなのである。


■温泉という非日常性の中に飛び込む現実


張込み
「今からだとまだ間に合いますご主人がお帰りになられる時間までに」と言う柚木。
「この女は数時間の命を燃やしたに過ぎなかった。今晩からまたあのけちな夫と先妻の子供達との生活に戻らなければならない。そして、明日からはあんな情熱が潜んでいようとは思えない平凡な姿でミシンを踏んでいるだろう」

柚木は、そう心の中で独白しながらも彼女にかける言葉もなくただただ去っていくのである。石井とさだ子を見ていると現在がいかに上滑りした純愛に満ちているかにきづかされるのである。昔の人は純愛などという言葉を信じていなかったのだろう。そして、バブルの前あたりから純愛と言う勘違いが蔓延しだし、名前負けした恋愛遊戯を演じる俳優が増えたのである。このことにより、飛躍的に芸術のレベルは崩壊していったのである。
哲学なきドラマが蔓延している源流はこの風潮にあるのである。

柚木は、最後東京へと護送する石井に「すんだことは仕方がないよ。今日からやり直すんだ」という優しい言葉をかける。「きっと新しい人生が開けるよ。君も若いんだ」という言葉を最後にこのドラマは終わりを迎える。この言葉は結婚を決断し、新たな生活を迎える彼自身の意気込みでもあるのだろう。松本清張の原作は温泉場で終わるのだが、これはこれで良いラストシーンである。

終わっていた過去が、ふと蘇えり、その過去に心惹かれ、そして、過去は静かに遠のいていく。そういった出来事はどんな人にでもある。過去と言うものは常に美化され、ふと自分の過去に人生を埋没させて見たくなる。だからこそそういった状況の人妻・さだ子の気持ちが分かりすぎるほど分かるので、この作品は厳粛な哀しみに包み込まれるのである。

原作は文庫本で30ページに満たない短篇(1955年)だがそれを脚本家の橋本忍がみごとなドラマに仕立てた。松本清張自身、この映画を高く評価していた。それにしてもこの作品、犯罪の明確な動機も、捜査過程もそれ程重要な描き方を行っていないのである。それでいて一級の緊張感溢れる人間ドラマとして成り立つところがすごいのである。この作品がなければ『砂の器』は生まれなかっただろう。

小説を映画化するという作業において、最も必要なことがその小説の持つ空気を脚本の中に瞬間冷凍し、映像上に解凍することなのである。そして、そういった行為の中で最も重要なのは、複雑な構成物である小説に対して、単純化された構成物である映画と言う媒体の事実を冷静に捉えることなのである。

だからこそ、『座頭市物語』のような数行の原作や、本作のような30ページにも満たない短編作の方が映画化に成功するのである。小説は緻密さを求められ、映画は濃縮を求められるのである。

− 2007年3月10日 −


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