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生きものの記録   (1955・東宝)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 113分

■スタッフ
監督 : 黒澤明
製作 : 本木荘二郎
脚本 : 橋本忍 / 小国英雄 / 黒澤明
撮影 : 中井朝一
音楽 : 早坂文雄

■キャスト
三船敏郎(中島喜一)
志村喬(原田)
千秋実(中島二郎)
佐田豊(中島一郎)
根岸明美(栗林朝子)
千石規子(中島君江)
上田吉二郎(朝子の父)
生きものの記録
ある生きもの(中島喜一)が、純粋に「核の恐怖」を考えた結果、家族の崩壊と自己の精神の崩壊を招いてしまった。古来人類は昔から多くの脅威に曝されて生きてきた。古くは野生動物、疫病、天災によって・・・しかし、20世紀の脅威は人類自身でもたらされたものだった。この事実が人類から諦めを奪い、そんなものに滅ぼされてたまるかという気持ちへと駆り立てて、自制につながればいいのだが・・・どうやらそうでもない。彼が狂ったのは何故か?それは狂った世の中で同じように狂うことに耐えられなかったからか?そうではない、彼が狂ったのは、彼のエゴと生命力の強さが、自分が「核の恐怖をコントロール」出来ないことに耐えられなかったからである。

■あらすじ


一代で鋳物工場で財を成した中島喜一(三船敏郎)は、何かにとりつかれたかのように原水爆の恐怖から逃れることに躍起になっていた。最初は東北の広大な土地を買占め、地下防空壕を作ろうと計画したが、頓挫した。やがてブラジルこそ安全な土地と、家族全員でのブラジル移住を強引に実行に移そうと、工場などの資産を全て投げ出す決意をした。そんな父の暴走に対して長男を始めとする親族は大反対するのだった。


■本当に狂っているのは果たしてどっちだろうか?


生きものの記録
21世紀に差し掛かり世界中で核兵器を保有している国は、公式には8カ国存在する。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国、北朝鮮、インド、パキスタンである。他にもイスラエルはほぼ99%保有国であることは間違いないと言われている。

20世紀は「核の世紀」とも言われているが、真の意味において21世紀こそが「核の世紀」になりかねない程に核保有国は拡大の一途である。そして、テロリストも核兵器が容易に手に入る状況。さらには日本を始めとする脆弱な原子力発電所の建設も危険な要因の一つである。ちなみに日本においては、原子力発電所の職員の死亡率は恐るべき程高いことをメディアは何故か取り上げたがらない。

現代において、大概の人々は核の恐怖に飼い慣らされ、この恐怖を見て見ぬフリをする習慣がすっかりついてしまった。北朝鮮で独裁政権が存続していてもいいじゃないかという同じ次元で、核戦争など起こりようがないし、原子力発電所で深刻な事故が起こるはずはないと、何の根拠もない安心の上に生活している。

ましてや私を始めとする70年代生まれの人々は勿論のこと、今地球上にいる半数以上の人々が生まれた時から核兵器が存在した時代に生まれている人々である。核の恐怖を声高に叫んだ所で、実感は湧かなくて当然である。


■ある種の映画は、理解する為に知識の補充が必要とされる


この作品の舞台は1950年代半ばの日本である。1945年に広島と長崎に原子爆弾が落とされ、そして、1949年にソ連が原子爆弾の保有宣言をした。
ここから核兵器をちらつかせた人類史上最も愚かな冷戦時代は始まる。そして、この作品に最も影響を与えた事件が1954年3月1日に起こる。

そう久保山愛吉さんを含む船員23人を被爆させた第五福竜丸事件である。この事件により久保山さんは死亡し反核運動の機運は高まった。本作はそんな流れの中で作られた作品である。
だからこそ今の異常な感性のままで見ると、「核の恐怖」に対しての過敏なまでの反応に、物語から取り残されてしまうのである。

つまりこの作品は、ある程度の「核の恐怖」に対する認識をしてから見ないと意味合いが理解できない作品なのである。
つまり行きずりの女(男)と行きずりの関係になるのではなく、ずっと狙いをつけてた女(男)を落とすという歩み寄りの姿勢=視点で鑑賞しなければならない作品である。


■「核の恐怖」を排斥する答えをこの作品は明確に示している


つまり本作は、映画としては決して万人受けする傑作とは言いがたい。しかし、この作品には「核の恐怖」に対する本質が存在する。
私を含む一般の20代から30代の核に対する観念は1945年の過去として捉えられがちである。そう「核の恐怖」というものは基本的に過去の記憶に押し込められ、未来よりも過去の匂いを連想させる。

しかし、「核の恐怖」は本質的にこの作品当時と同じく今も何も続いている。むしろ拡散しているだけ今の方が遥かに危険である。人類の滅亡の可能性は殆どなくなったが、局地において使用される(もしくはチェルノブイリのような形で核の恐怖が実演される)可能性は日増しに高まっている。

だが、危機感だけは益々薄くなっている。この事実にこの作品の本質がある。老人は全てを捨ててでも原始的なブラジルの農場生活を選択しようとした。彼は工場経営者であり、いわば資本家でもあった。しかし、彼は資本を放棄しようとしていた。ところが息子達がそれを許さなかった。

「核の存在」が生活に密接に繋がれば繋がるほど人類は、核の存在を正当化し、核拡散もしょうがないなと舌打ちで済ましてしまうようになるという「核に支えられた資本主義経済の実態」を1950年代にクロサワ達脚本家は予見し描いた作品だった。だからこそこの作品には、普遍性を超えた強烈なまでの自己主張に満ち満ちており観る人によってはとっつきにくい印象を与えるのである。


■クロサワ演出の肝である誇張を、大根芝居と勘違いする愚かさ


生きものの記録 生きものの記録
本作において、当時35歳の三船敏郎が70歳の老人の役柄を演じ上げている。その芝居に関しては多分に誇張された模倣の表現が意識してとられている。
クロサワ映画の基本は「誇張された剥き出しの目を強調するメイク」にあるので、こういった芝居をとやかく言うのは、歌舞伎を知らぬものが歌舞伎の演じ方をとやかく言うのに似たほどバカバカしい。

一方で、千秋実、千石規子、根岸明美、志村喬、上田吉ニ郎、そして、佐田豊といった役者が個性的な芝居で脇を引き締めている。特に前半の佐田豊の雰囲気は、後年の『天国と地獄』(1963)そのものであり、見ていてある意味面白い。それ以上に面白いのは、個性的な千石規子が物語の全般を通して全く目立たないように目立っている点である。


■なぜ作者はソレを説明しなかったのか? ―藝術を理解する一つの基本


生きものの記録 生きものの記録
『七人の侍』(1953)等でクロサワとコンビを組んでいた音楽監督・早坂文雄(1914−1955)はこの作品の作曲中に結核により急死した。冒頭に「ウルトラQ」の出だしのような音楽が流れるのだが、この作品にこの音楽がマッチしているのかどうか正直私には分からない。それくらい個性的な音楽である。

そんな奇妙な音楽と共にこの物語は始まる。「ある資産家の老人が、ある日突然原水爆に怯えた」ことが、唐突に事実として観客に告げられる。いわゆるカフカで言うところの「変身」の遣り方である。
《ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した》というノリだ。

老人がなぜ怯えることになったかという点については全く語られていない。その理由は明確にそんな事は、この作品に何の重要でもないからである。ココに最近の多くの作品と古き名作の薄いようでいて厚い壁の存在が見受けられる。今の作品は「物語をやたら丁寧に集中力なく作り」昔の作品は「重要な要点だけを述べて後は観客の想像力に委ねている」。厚い壁はその違いから生み出されている。

前者は、鼻くそをほじりながらせんべいを食って観ていても理解できる作品を生み出し、後者は集中して頭をフル回転しないと理解できない作品を生み出す。つまり前者は消極的作業を要求し、後者は積極的作業を要求するのである。これが「壁」の実態であり、感性の優れた現代人が古き映画を愛する答えなのである。


■原子力に依存している我々は、核抑止力に依存している大国と大差ない


生きものの記録 生きものの記録
「死ぬのはやむを得ん だが殺されるのは嫌だ!」


老人が怯えるあの雷の閃光の凄まじさ。そして、ジェット音の不愉快さ。ほぼそれだけの感覚的描写で本作は「核の恐怖」を描いている。後年に登場する海外の作品のようにミサイルも軍人も綺麗な美女との悦楽も描かれていない。しかし、この作品からは明確に「核の恐怖」が伝わってくる。

「核の恐怖」とは、庶民にとって被害者という視点で描かれがちだが、
この作品は、まだ原子力時代の到来の前に既に、庶民も核保有国の指導者も変わらないという視点を投げかけているのである。つまり、原子力という禁断の果実と共に仮想の繁栄を誇らなくてはならないほど行き詰まっている文明社会の到来を先取りした作品が本作なのである。


■工場を燃やす行為と地球を燃やす行為の対極さ


生きものの記録 生きものの記録
「何よあんたは偉そうに口先ばっかり!何も本気で考えたこともないくせに!自分のことしか考えないのはあなたたちよ!」
老人を唯一支持する末娘

「この患者を診ていると、正気でいるつもりの自分が妙に不安になるんです。狂っているのはあの患者なのか?こんな時世に正気でいられる我々がおかしいのか」老人が収監された精神病院の担当医

「ところでその後地球はどうなりました?・・・ああっ!地球が燃えとる。ああっ地球が燃えとるぞ。燃えとる。燃えとる。ああとうとう地球が燃えてしまった!」老人

凄まじいとしか言いようのない精神病院に収監されたミフネの芝居。あの薄ら笑いの不気味さ。そして、最後のセリフの不気味なまでの力強さ。「地球が燃えている!」の一言の後、斜路ですれ違う原田(志村喬)と老人の赤ん坊を抱いた妾がすれ違うラスト。

この老人を本当に理解しようとした人々は、親族よりも他人(原田)であり、妾であったという皮肉。この妾だけが老人の金を当てにせずに生きていた(父の使い込みに対する姿勢、へそくり)。そして、志村も勿論歯医者として独立している。

依存するものは、得てして物事の本質から目を背けがちになるという実態が描かれたラストだった。老人を狂わせたのは、他でもない老人の資産にぶら下がることだけを考えて父でさえも排斥しようとした浅ましい親族(末っ子は除く)だったのである。

− 2007年11月12日 −


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