HOME
■サイト内検索

■洋画
 □カタカナ順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □クラシック
 □ドラマ
 □コメディ
 □サスペンス
 □アクション
 □ポリス
 □スパイ
 □犯罪
 □カー
 □ミュージカル
 □史劇
 □文芸
 □戦争
 □西部劇
 □アドベンチャー
 □パニック
 □ギャング、マフィア
 □SF
 □ホラー
 □スポーツ
 □香港
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □アカデミー賞
 □カンヌ映画祭
 □ヴェネチア映画祭



■邦画
 □ひらがな順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □名作
 □ドラマ
 □喜劇
 □サスペンス
 □アクション
 □刑事
 □時代劇
 □戦争
 □文学
 □パニック
 □東映ヤクザ
 □ギャング、ヤクザ
 □特撮
 □怪奇
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □海外映画祭受賞
夜の大捜査線   IN THE HEAT OF THE NIGHT(1967・アメリカ)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 109分

■スタッフ
監督 : ノーマン・ジュイソン
製作 : ウォルター・ミリッシュ
原作 : ジョン・ボール
脚本 : スターリング・シリファント
撮影 : ハスケル・ウェクスラー
音楽 : クインシー・ジョーンズ

■キャスト
シドニー・ポワチエ(バージル)
ロッド・スタイガー(ギレスビー)
ウォーレン・オーツ(サム)
リー・グラント(ミセス・コルバート)
スコット・ウィルソン(ハーヴェイ)
夜の大捜査線
人種差別に対する怒りが、そのまま「HEAT=熱気」となって映画に結集した。崇高な使命感は絶えず芸術作業を押し上げていく。目的が「金儲け」だけの映画を100本見ているよりも、こういった作品をたまに1本でも多く見たほうが、確実にあなたの人生有意義になるはずだ。10本に1本位は掘り下げる価値のある映画を見ることによって、「自分の頭で思考する習慣」が身につく。黒人差別に対して真っ向から立ち向かいつつも物語の娯楽性も失わない絶妙な作り手の姿勢の素晴らしさはまさに圧巻である。さすが、ブルース・リーのダチ、シリファント君の脚本だけある。

■あらすじ


アメリカ南部ミシシッピーの小さな町で殺人事件が起こる。巡査サム(ウォーレン・オーツ)は駅の待合室にいた黒人男性バージル(シドニー・ポワチエ)を連行する。町の警察署の署長ギレスビー(ロッド・スタイガー)は、露骨な人種的偏見で彼を犯人と決め付けるが、実はバージルはフイラデルフィアで腕利きの殺人課の刑事だった。そして、彼も捜査に協力させられることになるのだが・・・


■映画史上初の「白人よりも優れた黒人」が登場する映画


夜の大捜査線
1960年代という公民権運動真っ盛りのアメリカにおいて製作された志の高い意欲的な作品。
1955年にローザ・パークスという42歳の一主婦のバス・ボイコット事件から始まった公民権運動も、1964年公民権法制定により実を結ぶのだが、1965年にマルコムXが暗殺され、1968年にマーティン・ルーサー・キングJrが暗殺されてしまう。そんな二人の偉大なる黒人運動の代表的人物の暗殺の間の1967年に作られた作品である。

もっと深く人種差別の実態を描かないと!やサスペンスの部分が破綻しているではないか?といった意見の前にこの時代にこの作品を作った勇気を讃えるべきである。なぜポワチエではなくスタイガーがアカデミー主演男優として受賞したのか?とかいう批判精神も大いに結構だが、それ以上にこの時代においてこれだけのクオリティでこんな作品を作り上げたことに素直に驚嘆すべきだろう。


■間違いなく主演は二人である


シドニー・ポワチエ(1927− )とロッド・スタイガー(1925−2002)の素晴らしい演技。ぶつかりあう火花。両者の存在感なくしてはこの魅力的な世界観の構築は出来なかっただろう。ポワチエの洗練された骨のある黒人男性も勿論素晴らしいのだが、それに匹敵するほどにスタイガーの妻子もなく人生になかば諦めを感じている淋しい警察署長が、人種差別に対して考えを改めていくプロセスも実に魅力的なのである。

ロッド・スタイガーを見て、いつも感じるのは、実にいい目をしているということである。この作品は、『明日に向って撃て』(1969)のように二人が主役であることは間違いなく、
ポワチエが主役でスタイガーは助演だという見解は、スタイガーの不在が続編にいかなる結果をもたらしたかを考えてみると間違っている事が分かるのである。

当初スタイガーは絶え間なくガムを噛み続けるこの役柄に疑問を呈していたが、芝居を続けていくうちにガムを噛み続ける必要性を納得したという。そして、結局は撮影中263箱分のガムを噛み続けた(当初ギレスビー役はジョージ・C・スコットで考えられていた)。しかし、この差別主義に凝り固まる南部人を演じていたスタイガーが4年後には『夕陽のギャングたち』(1971)で差別される側のメキシコ人を見事に演じるのだからさすがである。

ちなみに私が中学生だった頃、『暴力教室』(1955)を見て、シドニー・ポワチエの格好良さにはまり、彼の作品をあさった時期があったが、
この人の魅力は、中学生にも分かりやすい正義感溢れるその鋭い眼差しと笑うと何とも優しい表情のギャップにある。そして、この魅力は本作においても遺憾なく発揮されている。


■レイ・チャールズの熱唱!


オープニングにレイ・チャールズが熱唱する「In The Heat Of The Night」のパワフルさと渋さ。
それは画面上の一つの円形の光が段々と大きくなり列車のライトとなり、円形が十字へと変形し騒音と共に通り過ぎていく見事なオープニングにより、さらに熱気が帯びてくる。圧巻のオープニングである。

この原作はジョン・ボール(1911−1988)のベストセラー小説「夜の熱気の中で」(アメリカ探偵作家クラブ新人賞受賞作)を、ブルース・リーのダチ、スターリング・シリファントが脚本化し、ノーマン・ジュイスンが映画化した。最も勢いに乗っていた時代のシリファントの大筋を押さえた構成力は実に見事だ。


■ウォーレン・オーツのちょっといい味


若い巡査の姿から物語は始まるのだが、この巡査サムを演じるのはまだ売れてない時期のウォーレン・オーツ(1928−1982)である。後にサム・ペキンパー映画でスターになる彼だが、そういった映画での渋い役柄ではなく、間抜けで怠け者の警官を演じている。

しかも、物語のキーパーソンとなる精神異常者的なダイナーの店員ラルフに、意地悪されているのである。この男サムが来る寸前になると蝿のたかるマズイ食べ物しか店先には陳列しないのである。そして、輪ゴムで蝿を殺したり、子供っぽい嫌がらせをしたりするとにかく小賢しいやつなのだ。

オーツは当時40前にしてまだ売れてない役者だったので、苦労人だけありこういう敗北者的役柄をさせたら抜群にうまい。
あのへらへら笑いの裏に隠れてる救いようのない絶望感の中でも、600ドルを貯めて銀行に預金している健気さなどは泣けてくるではないか?意外に彼がこの作品に登場する白人男性の中で一番まともだったのかもしれない。


■リー・グラント、不死鳥の如く!


夜の大捜査線
被害者の未亡人ミセス・コルバート役で、当時赤狩りにより映画界を干されていた、かつて1952年のカンヌ映画祭主演女優賞(『探偵物語』)にも輝いていた事もあるリー・グラント(1927− )が復帰した。突然夫を亡くした悲しみを表現したシーンは、ほとんど彼女とポワチエのアドリブだったという。

彼女が最初バージルの手を拒むのは、黒人への嫌悪ではなく、男性に支えられることによって崩れ落ちそうになることを拒む自尊心からである。彼女は北部出身であり人種的な偏見がないからこそ、バージルの手を拒み、そして、気持ちが落ち着くにつれ、彼の手の温もりを受け入れるのである。
白人の未亡人を慰める男性が、黒人という設定も当時としては初めての設定だったはずである。

一方、コルバートの財布を盗んで捕まる男がいるのだが、この男ハーヴェイを演じるのは同年『冷血』(1967)で話題になるスコット・ウィルソンである。さすがになかなかの存在感を示している。


■差別は憎しみの連鎖では決してなくならない


夜の大捜査線
「なぜ君がその植物が好きなのか教えてあげよう。君のような黒人と同じで手がかかるからだ。肥料をやったり世話が大変だからだ」

ここでこの町の支配者でもあるエンディコットは、露骨にバージルを屈辱する。しかも、バージルから殺人事件の尋問を受けていると感じるやいなや「生意気な!」とバージルの頬を打つのである。それに対してすかさずエンディコットの頬を打ち返すバージル。ポワチエがのちに言う
「この作品は黒人が白人を殴り返した初めての映画」の瞬間だった。

そして、エンディコットは屈辱に涙を流し、バージルは「絶対にあいつをめちゃくちゃにしてやる!」とギレスビーに吼えるのである。そこでギレスビーが言うセリフがすごい。
「君は考え方まで俺たちと同じだな」と。実に皮肉な伝え方で、憎しみの連鎖が生み出すものの空しさを伝える見事なシーンである。そして、一瞬ギクッとするバージルの表情・・・この映画の深みを感じる瞬間である。

しかし、このエンディコットを始めとするこの町の住人の差別意識は「黒人びいきめ」の一言に集約されるのである。この言葉に秘められた圧力。まさに日本での「アジアの他国に対する差別」とそれに対しての、アジアの一部の国の人々の「日本差別」の構図に通じるものがある。


■冒頭のクエンティン・ディーン


クエンティン・ディーンというわずか3年間の間だけ女優としてのキャリアを残した女性が、本作によりゴールデン・グローブ助演女優賞にノミネートされたのだが、正直芝居よりも冒頭の肉感的な肉体の印象ばかりが残る。当時のプロダクション・コードに引っかからないために窓枠で乳房を隠しているのだが、ある意味そのことが「ジリジリする」良い効果をあげている。

そして、コカコーラの瓶で胸の谷間を冷やすのだが、他にもこの作品コーラ瓶がやたらに登場する。冷房もほとんどない南部ミシシッピーの熱気を伝えようとしているのだろう。


■根深い差別が取っ払われていく瞬間のリアリズム


ギレスビーがバージルを家に招くシーンに漂う何とも言えぬ倦怠と情感。今まで緊張感に満ちていた二人の関係がぐっと接近する瞬間である。このシーンの剥き出しのギレスビーの姿が心を打つ。
ギレスビーは告白する。妻子もなく、友人もいない寂しさ・・・「家に訪れてくれる人もいない・・・」。そして、バージルに同情されたギレスビーは、「黒人に同情される必要はない!」と強がるのだが、弱々しいギレスビーの姿を見た今となってはバージルもショックは感じても怒りは感じない。

ギレスビーは生まれてこの方、ほとんど他人と距離を置いて生きてきたのであり、感受性の高いバージルはそういった彼の性格を察知しているので、何故か「差別に対する」怒りがこみ上げてこないのである。ここがこの作品の素晴らしさでもあるのだ。
「根深い差別に対して、必要以上に繊細になることは良くない」そして、こうも言っている。「お互いの違いに目をつぶる必要などない。むしろ目をつぶる方が差別を増長させるだけなのだ」

このシーンの二人のの会話のすべてはアドリブで撮影された。
差別が取り除かれていく瞬間とは、差別していた人間が、自己嫌悪に浸る瞬間なのである。このシーンのギレスビーはまさしくそれなのだった。だからこそあの素晴らしいラストシーンにつながるのである。


■そして、男と男としての友情の確認


夜の大捜査線
「みんな私をミスター・ティップスと呼んでいる!(They call me Mister Tibbs!)」から始まったバージルとギレスビーの緊張感溢れる関係も事件の解決と共に別れを迎える。

昨日の自分の行動を詫びるかのようにバージルの荷物を、持ってやるギレスビー。そして、列車の前でバージルに荷物を渡しそっけなく「サンキュー。バイバイ」と言って握手する。それに対しバージルは「グッバイ」の一言。そして、去っていくギレスビー。列車のタラップを登るバージル。

「バージル。気をつけてな。(Virgil,You take care,You hear?)」

しかし、振り向いて声をかけるギレスビー。ギレスビーから発せられた温かみのある言葉に、「イェー」と答え笑みを浮かべるバージル。そして、ギレスビーも満面の笑みで彼を送り出すのである。
昨日の差別発言の露呈が生み出した本当の意味での和解と友情の確認の笑顔の交換がそこにはあった。

さすがは公民権運動で知り合った映画のプロ達が自然発生的に撮りあげた作品である。和解のプロセスもねっとりとした嘘くささではなく、爽やかな真実味ある表現をしている。この二人の和解に、
微妙な距離感が存在するのは一人の大人として当然のスタンスだろう。真の友情が芽生えたからこそ、お互いに踏み込まない距離感も存在することになるのである。つまり差別とは距離感の喪失から生まれているものなのである。


■映画というか人生に熱気が感じられた時代


今も現役のノーマン・ジュイスンは語る
「現在の映画製作事情とは対極にあった。今日映画が作られている動機は発表されている限り、基本的に一つだ。週末にどれだけ稼げる映画が作れるかだ。確かに我々だってカネを稼げる映画を作りたいと思ってた。だが我々は何より観客に時代の進化を感じてほしかった。人間の価値は頑迷を超えるのだと・・・今は収益の目標達成に追われて話題作りばかりを先行させ、アーティストらしい情熱は忘れている監督、役者ばかりだ・・・」

本作の撮影は、イリノイ州でロケ撮影された。実際は蒸し暑い場所ではないのだが、南部でのロケをポワチエが嫌がったという。実際南部でロケをしたのはエンディコットの大農園のシーンにおいてだけだった。その4日間もポワチエはかなりの緊張感を強いられたという。

結果的に本作は260万ドルで製作され、興行収入1090万ドルを稼ぎ出した。さらに1967年度アカデミー作品賞、主演男優賞(ロッド・スタイガー)、脚色賞 スターリング・シリファント、音響賞、編集賞(ハル・アシュビー)に輝いた。スタイガーは、全米批評家協会賞主演男優賞、NY批評家協会賞男優賞、ゴールデン・グローブ男優賞(ドラマ部門)、英国アカデミー賞男優賞(国外) ロッド・スタイガー(ポワチエと共に)と賞を総なめした。

− 2007年8月1日 −


当サイト内で使用している画像・映像キャプチャー等は、あくまで映画文化の熟成及び芸術復興を標榜する当サイトの意図により、
「映画を文章だけで云々することの不誠実さ」と「目で感じる芸術及び娯楽」である映画に対する敬意の姿勢で使用しております。よって著作権等は、全て各製作者・会社に帰属します。
画像・映像キャプチャー等の使用に関して表記の問題がある場合、又は削除依頼がある場合は迅速に応対させていただきますのでご連絡ください。
このサイトは、100%非営利に、純粋に「映画解釈の究極」を求めて運営されています。取り上げるべき作品・感想等ございましたらどんどんメールください。
当サイトはリンク・フリーです。
Copyright (C) 2007 Geijyutsu Taizen. All Rights Reserved.
Mail:webmaster@summaars.net