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素晴らしき哉、人生!   IT'S A WONDERFUL LIFE(1946・アメリカ)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 130分

■スタッフ
監督・製作 : フランク・キャプラ
原作 : フィリップ・ヴァン・ドレン・スターン
脚本 : フランセス・グッドリッチ / アルバート・ハケット / フランク・キャプラ
撮影 : ジョセフ・ウォーカー / ジョセフ・バイロック
音楽 : ディミトリ・ティオムキン

■キャスト
ジェームズ・ステュアート(ジョージ・ベイリー)
ドナ・リード(メアリー・ハッチ)
ライオネル・バリモア(ミスター・ポッター)
ヘンリー・トラヴァース(クラレンス)
トーマス・ミッチェル(ビリー)
グロリア・グレアム(ヴァイオレット)
ウォード・ボンド(バート)
素晴らしき哉、人生!
どんな前向きな人間でも、生きていれば落ち込んでしまう時がある。そんな時に最も勇気付けてくれる作品の一つそれが本作である。どんなに辛くても挫けそうでも歩き続けることが、自分自身に何らかの価値をいつか生み出してくれる。それを実感を伴なわせて心に浸み込ませてくれる勇気と優しさ≠観る側に与えてくれる温かさに満ちた作品。

■あらすじ


ベタフォードという小さな町の青年ジョージ・ベイリー(ジェームズ・スチュワート)は、世界中を旅して周り、将来は建築家になる夢を見ていた。しかし、貧しい人達のために利益を度外視にして住宅金融を経営していた父親が急死し、彼が後を継ぐことになり夢を諦める。そして、幼馴染のメアリー(ドナ・リード)と結婚し、事業も波に乗っていた1945年のクリスマスイブ、叔父ビリー(トーマス・ミッチェル)のミスで大金を無くし、境地に立たされてしまうジョージ。そんなジョージの境地を見てここぞとばかりに追い込みをかける町のボス、冷徹な銀行家ポッター(ライオネル・バリモア)。すっかり人生に絶望したジョージは吹雪の中橋から身を投げようとする。そんなジョージの境地を見かねた神様は、彼のもとに二級天使のクラレンス(ヘンリー・トラヴァース)を派遣する。クラレンスはジョージが存在しない世界を彼に見せることによって、人生がいかに素晴らしいものかを実感させるのであった。


■クリスマスとはジーザス・クライスト生誕の日である


素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生!
キリスト教徒の多い国で過ごしたことのある人ならよく実感できるだろうが、日本のクリスマスとそういった国のクリスマスは全く町や人々の雰囲気が違う。日本においてはクリスマスは単なるイベントのように考えられているが、そういった国においては、宗教に基づいた厳粛さの伴なう日なのである。

つまり、クリスマスが近づくと否応なしに人々は、厳粛さに満ちた高揚感溢れる表情をしている。だからこそこの日は、特別なイベントをすることはなく、皆家族で過ごし町は静かなのである。そういった厳粛な空間を経験したものにとってはこの作品は、まさにあのクリスマスが近づく雰囲気を見事に捉えてる作品といえるだろう。

クリスマスは男女の恋愛を過ごす特別な日でもなんでもなく、ジーザス・クライストの生誕を厳かに感謝する日であり、クリスマスだから恋人と一緒に過ごしたいという若者たちの感覚は、メディアに洗脳された恥ずべき感覚としか言いようがない。ちなみに私自身は、クリスマスだからと言って特別なことは一切しない。

えてしてクリスマスを恋人と過ごすことに拘る若者たちには、何事も表面的なものから入りがちな人が多い。
モノの本質よりも、ただ単に明るい灯りの方に集まる昆虫のように、ただ揺ら揺らとうごめいている感じであり、クリスマスだからドラマティックだと感じるその心には空虚さが巣食っている。


■童話の絵本のページを捲っていくかのようなオープニング


素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生!
日本の一般的な若者の恋愛感覚の未熟さは芸能界を見ていたらすぐ分かることなのでこれ以上指摘する必要はないだろう。そんなつまらん事よりも本作を語る方が遥かに重要である。

オープニングから、1844年に作られた民謡「バッファロー・ギャルズ」をバック・ミュージックに紙芝居のようにタイトルが始まるこの高揚感が実に素晴らしい。まさにクリスマスのおとぎ話の絵本を開くようなわくわく感が映像からにじみ出ている。

ちなみに「バッファロー・ギャルズ」という民謡は1942年にアンドリュース・シスターズによって「二人の木陰(邦題)」という曲名でカバーされている。このカバー・ヴァージョンも最高にアップテンポな素晴らしいメロディラインの曲である。


■素晴らしい映像とは、想像力を掻きたててくれる映像である


絵本の延長戦上にあるかのような星の輝きによって神々がジョン・ベイリーについて語り始める本作の導入部分。この最初の星の輝きのシーンを見れば、想像力を刺激する映像というものがいかに技術とは関係ないものかが理解できる。
夢やファンタジーやワクワクするといった感情は、リアルとは全く反対の位置に存在しているのである。

最近はリアルさを求めすぎるがゆえに、映像自体がただ単に現実の反映≠ノ過ぎないものが多くなっており、想像力のかけらも掻き立てられなくなってしまっている。サイレント→トーキー→白黒→フルカラー→ミニチュア→CGこの流れの結果生まれたものは、現実に忠実な映像の乱立に過ぎなかった。


想像力をかき立てる創造物の数々が、人間から想像する喜びを失わせてゆき、安易に答えだけを求める惰性を植えつけてしまうのである。


■二人の名優の存在感


ライオネル・バリモア(1878−1954)は、キャプラ監督の『我が家の楽園』(1938)に出演した時とは180度逆の守銭奴の銀行家を違和感なく演じている(彼はドリュー・バリモアの大伯父にあたる)。当初はヴィンセント・プライスやチャールズ・コバーンがこの役の候補に挙がっていたという。

一方、往年のスター・H・B・ワーナー(1875−1958)も出演している。ロンドン生まれで1914年にサイレント映画『失楽園』でデビューし、1927年にセシル・B・デミル監督の『キング・オブ・キングス』のジーザス・クライスト(キリスト)役に抜擢される。以降キリストのイメージが定着してしまうが、フランク・キャプラ監督の常連俳優で『オペラハット』(1936)『失われた地平線』(1937 アカデミー助演男優賞ノミネート)『我が家の楽園』(1938)『スミス都へ行く』(1939)そして、本作へと連続出演している。

他にも『サンセット大通り』(1950)で本人役で出演したり、セシル・B・デミルの『十戒』(1956)にも出演している。キリストのイメージがつきすぎていた彼は、本作で酔っ払ってジョージ少年を殴ってしまう薬局のオヤジ役ガウアーのオファーを喜んで受けたという。
このジョージを殴った後、すぐに自分の非を認めて抱きついて許しを請うシーンは、非常にストレートではあるが、実に感動的である。


■観客の想像力を後押しするリズム感と押し付けがましいリズム感の違い


素晴らしき哉、人生!
この作品における、ジョージの少年時代の描き方は見事としか言いようがない。わずか10分足らずで要点だけを伝えることによって、ジョージ少年の本質を観客に伝えている。要点の伝え方の見事な作品の全ては、映像をリズム感よくつないでいる。

この時代の映画と、今の時代の映画の違いは、こういったリズム感に対する感覚にも色濃く現れている。昔の作品は、観客の想像力の後押しをするようなリズム感で映画は作られていた。しかし、
最近の作品は、観客の想像力の介入を拒むようなアップテンポな押し付けがましいリズム感に満ちた作りが氾濫している。


■グロリア・グレアム


素晴らしき哉、人生! グロリア・グレアム グロリア・グレアム
キャプラ作品が魅惑に満ちているポイントの一つとしてよく上げられるのが、登場人物の脇役までもが魅力的に描き上げるている点である。それは本作においてもそうであり。出てくるタクシーの運転手、警官、ドラッグストアーのオーナー、ヴァイオレット、黒人の召使い、ヒーホーのサムやら挙げていくときりのないくらいに魅力的な登場人物ぞろいである。

グロリア・グレアム(1923−1981)はカリフォルニア生まれの女優である。彼女は本作のヴァイオレット役で有名になり、1947年『十字砲火』でアカデミー助演女優賞にノミネートされた。1950年『孤独な場所で』でハンフリー・ボガートと共演。1952年『悪人と悪女』でアカデミー助演女優賞を受賞する。『地上最大のショウ』(1952)『復讐は俺にまかせろ』(1953)『オクラホマ!』(1955)等にも出演している。

グロリアはハードボイルド映画において怪しいムード漂う情婦役を得意としていたが、1960年にトニー・レイと再婚したあたりからキャリアに影が差してくる。このトニー・レイはグロリアの前夫ニコレス・レイ(1948−1952 監督)の息子である。
ニコラス、トニーの間にそれぞれ子供を設けるが、当時のハリウッドでは、というよりも今でも十分センセーショナルだが、夫の息子と再婚するのは奇怪であった。(1976年離婚)57歳で乳癌で死亡する。最終的には4度の結婚歴があった。

この作品のグロリアは、のちのフィルム・ノワールの雰囲気を漂わせつつも、古き良きアメリカ的なセクシーさを漂わせていている。


■心の貧しさも、心の豊かさと同じように伝染する


ヴァイオレットが通り過ぎた後に、その魅力的な後ろ姿に釘付けになるジョージと2人の男。この2人がとてもいい味を出している。1人は警官バート役のワード・ボンド(1905−1960)である。彼はジョン・フォード作品の常連であり有名な俳優である。

そして、タクシーの運転手役のフランク・フェンレン(1905−1985)。彼は『失われた週末』(1945)のシニカルな看護士役で印象をつけ本作に出演した。以降も『探偵物語』(1951)『OK牧場の決斗』(1957)『ファニー・ガール』(1968)などに出演する。この2人が実に飄々とジョージをサポートする役割を演じているのである。

そして、青年に成長したジョージに、父親が言う台詞が良い。
「(守銭奴の銀行家ポッターのことについて)彼は病人だ。心が病気なんだ。自分と違う人間を憎む」


■よき妻であり母であることは、そう簡単なことではない


素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生!
そして、ドナ・リード(1921−1986)が卒業パーティーに登場する。その美しさはまさに輝くばかりだ。ドナ・リードを見れば、今も昔も男性が自分の奥さんにしたがる女性の理想像は変わらないものだと感じられる。
夫が仕事で境地に立たされ、家庭内で八つ当たりした後に、「パパのために祈ってあげて」と子供達に言える女性こそ女房の鏡なのである。夫の八つ当たりに敏感に反応するような肝っ玉の据わっていない女なぞ、母になる価値すらない。

ココで良き奥様像からは程遠い女性の10か条≠示そう
@腕のどこかしらに2箇所以上の切り傷がある
A夜型人間
B無趣味
Cコスメフリーク
D我慢することを知らない
E美貌の持ち主で、その美貌により大金を稼いだことがある
Fしかし、手に職は全くない
G『男はつらいよ』の寅さん並みに若い頃から、大阪、東京と転々としてきた
H躁鬱の傾向があり、睡眠薬を服用している
I他者に依存する傾向があるにもかかわらず我侭


この中の5つ以上に該当する女性があなたの彼女だとしたら、まず良き奥様にはなれない。そして、良き恋人にもなれないだろう。

ちなみに妻メアリーの役は、当初オリビア・デ・ハビラント、ジンジャーロジャースが候補に挙がっていた。


■童貞君をけしかける飛び入りオヤジの面白さ

素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生!
卒業パーティーのチャールストン・コンテストで会場の床が開いてプールに落下するジョージとメアリー。それでも踊り続ける陽気な2人に倣ってプールに飛び込むパーティー参加者達。これぞ若さであり!若さのみが持ちうる開放感なのである。

それにしてもこの時代の踊りはすごくイヤミがなく取り繕ってなくてよい。
ある意味トランスとかで踊っている若者たちの雰囲気は、社交ダンスを踊っている中高年ばりに意識して高度な踊りを展開するので見ていてつまらないのである。やはり楽しそうに踊っている姿が本来の踊りの存在価値ではないだろうか?

メアリーとジョージが踊る時に「バッファロー・ギャルズ」がスロー・テンポで流れる。そして、プールに落ちびしょぬれになった2人が帰るときに、メアリーが効果的に『バッファロー・ギャルズ』を口ずさむ所がすごく効果的に可愛くておしゃれである。

ああいう機転の利く女性を見てしまうと、いい女の条件とはある程度はユーモアのセンスがないとつまらないと実感させられる。ユーモアのセンスとは、お笑い番組を見てゲラゲラ笑う才能ではなく、そういったものを見なくても笑うことの出来る才能のことを指す。

そして、なかなかキスをしない2人(特にジョージに対して)にいらいらしたバルコニーで新聞を読んでいた(二人に全く関係ないオヤジが)「とっととキスをしろ!」とどなるシーンが最高に笑える。
基本的にフランク・キャプラという監督は観客の代弁を気の聞いた飛び入りの登場人物にさせるのが大好きな人である。そういう所も今に至って彼の映画が愛されるゆえんではないだろうか。


■撮影中のトラブルも映画の中に生かすキャプラの器量


素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生!
クリスマスイブに叔父ビリーのミスで天国から地獄に突き落とされてしまったジョージ。それにしても叔父ビリー役のトーマス・ミッチェル(1892−1962)はこういう頼りないが、人のいいオヤジを演じさせれば抜群に上手い。ちなみにこの役の候補としてバリー・フィッツジェラルド、ウォルター・ブレナンが挙がっていた。

叔父のビリーが酔っ払ってジョージに自分の帽子はどこ?と帽子をかぶっているにもかかわらず聞くシーンでビリーがフレームアウトした次の瞬間、大道具が道具をひっくりかえして大きな音がフィルム上でも反響している。それに対して、トーマス・ミッチェルは機転をきかして、何かにぶつかったように「I’m all right!」と叫んでフォローを入れ、そのフィルムは実際に使われたのである。
その時になんともいえない素の表情のジェームズ・スチュアートがまた良い。

ちなみに、サムからかかった電話口で初めてジョージとメアリーがキスするシーンがある。そのシーンの撮影にあたりジェームズ・スチュワートは、「熱いラブシーンは久しぶりだから」とかなり緊張していたという。実際撮影に入って、2人は見事な芝居を見せたのだが、セリフが1ページ分まるまるぬけていたのである。緊張のあまりスチュワートが1ページとばしてしまっていたからなのだが、
「すごい演技だ。セリフは必要ない」とキャプラ監督は1テイクでオッケーを出したという。


■永遠の輝きとは現実的なものより幻想的なものから生まれる


素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生!
ビリーの失敗が招いた破産と逮捕の危機に、叔父や妻や子供達に悪態をつきまくるジョージ。そうこの極めて人間味あふれる主人公の大げさな感情表現が、今もクリスマスイブの神話としてこの作品を光り輝かせている理由なのである。

映画がリアリズムを追求していなかった時代だからこそ永遠の輝きを手に入れられたのである。そうダイヤモンドの輝きは現実的というよりも幻想的であるからこそ女性にとって価値があるように、この作品も幻想的だからこそ普遍性を持ち得たのである。

そして、このジョージの最大の危機からこの映画は、最高に光り輝いていくのである。白黒時代の映画は、和洋を問わず実に単純な内容で観客の心を揺さぶるストーリーと展開を提供してくれる。省みて現在の多くの映画は複雑な内容で観客の関心を失わせるストーリーが氾濫しているのである。


■このオヤジの存在があったればこその名作


素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生!
映画史上最高に魅力的な役柄。それは羽のない二級天使。この作品が最高に素晴らしい点は、この老人の存在にある。
ほとんどのキャプラの作品において、意識的に若者と老人の共犯関係が作り上げられている。『スミス都に行く』の議長とスミスの関係や、『我が家の楽園』のアリスと家主であるアリスの叔父の関係などでもそうなのだが、キャプラの優れているところは、世代間の閉塞的な作品を作らないところにある。まさに全世代参加で作り上げられる奇蹟だからこそ心温まるのである。

本作品でもこの《二級天使》老人の役割があったからこそ最高の輝きは得られたのである。この二級天使クラレンスを演じるはイギリス出身の名脇役ヘンリー・トラヴァース(1874−1965)である。彼はこの映画に先立つ1942年に『ミニヴァー夫人』でアカデミー助演男優賞にノミネートされた名優である。『愛の勝利』(1939)『ハイ・シエラ』(1941)『教授と美女』(1942)『心の旅路』(1942)『疑惑の影』(1942)などにも出演しており、1930年代から1940年代にかけていい人≠ニいえばこの人というぐらいいい人を演じ続けた。

当初トラヴァースは、叔父のビリーか薬局のガウワー、ジョージの父の役を演じる予定だった。


■人生で重要なもの それはプロセスであり、目的である


ジョージが吹雪の中橋から飛び降り、自ら命を絶とうとする。しかし、その前にクラレンスが橋から飛び降り、それを見たジョージが、クラレンスを救うために飛び降りることになる。この運命の逆転工作が実に見事である。
結果としては橋から飛び降りたことは一緒なのだが、目的が自殺から救済に変わったことによって結果がもたらした影響が変わったのである。

つまるところ人生は結果よりもプロセスであり、目的なのである。というキャプラの明確な思想が反映しているシーンである。
ちなみにこの作品の雪のシーンは全て作られた雪が使用されている。この作品は記録的な熱波がカリフォルニアに襲い掛かった1946年夏に撮影されているので、うだるような熱さの中、冬のいてつくような寒さの中にいるかのような芝居をしているのである。

濡れた体を乾かしながらクラレンスにジョージは言う。
「この世は金次第だ。私など死んだほうが値打ちがある。・・・いっそ生まれて来なければ・・・生まれて来なければ良かった」

そして、クラレンスは、ジョージにジョージが存在しない別の現在を見せるのである。


■天使クラレンスは「トムソーヤの冒険」を大切に持つ


「お〜っと誰かが手に入れた。ベルはどこかの天使が翼を得た信号なんだよ」


この天使クラレンスは、マーク・トゥエインの『トムソーヤの冒険』を片時も離さずに行動する。天使と言えば美しい美女か美少年のイメージが普通なのだが、少年の純真さをもったオヤジというこのキャラ設定の巧みさ。やはり昔の人々の方が想像力は逞しかったのだろうか?


■ハッピー・エンドで満たされながらクリスマスを迎える喜び


素晴らしき哉、人生!
「1人の命は多くの生活にかかわっている。その者が欠けると、全てが変わる。」


自分の存在しない世界のあまりにも酷い変わりように「クラレンス!元の世界に戻りたい!もう何も恐れないから!」と橋の上から叫ぶジョージ。「もう一度生きたい!」自分が再び元の世界に戻ったと知るや否や発するジョージの「メリークリスマス!」の感謝の声!本当に素晴らしい瞬間である。
1人の人間が再生する姿が与えてくれる勇気と感動・・・本当に純粋に心が温まる作品である。

そして、ジョージが自宅に戻ると、メアリーが町中の人に訴えかけてくれており、町中の人達がジョージの苦境を救ってあげよう、今までお世話になった分、今こそ恩返しをしようと一人ひとりがなけなしのお金を寄付してくれる。「メリー・クリスマス」と寄付する人々の多いこと多いこと・・・。薬局のガウアーさん、ヴァイオレット、母の召使いのおばさん、ヒーホーのサム・・・そして、傑作なのは、ずっとしかめっつらをしていた会計監査官や逮捕状を持ってきた執行官も寄付をするのである。そして、執行官が逮捕状を破りにこりとして、みんなで合唱がはじまる。

蛍の光≠ナある。(原曲はスコットランド民謡)。蛍の光≠ヘ日本では別れの歌であるが、原曲は長いときを隔てて再会し酒を酌み交わそうという再会を祝う歌なのである。


■キャプラほど喜びを分かち合うわいわいがやがや≠フ上手い監督はいない


そして、合唱の中ジョージは、一冊の本を見つけるのである。クラレンスが大事に持っていた『トムソーヤの冒険』を。

本を開くとそこに文章が書かれていた。
「友あるものは救われる。翼をありがとう。−クラレンス」という文章が。それを一緒に眺めていた妻メアリーがジョージに「これは?」と聞くとジョージは「親友からのクリスマス・プレゼントだよ」と答える。と同時にクリスマス・ツリーのベルがチロリンと鳴る(クラレンスも天使になったのだ!)。

もう最高にハッピーなラストである。これ以上ハッピーな映画はないと言うくらいファンタジーに満ちたラストである。とにかくキャプラは賑やかなラストが好きな寂しがりやさんであり、観ている私達もわいわいがやがやというラスト・シーンに喜びを感じているのである。
つまる所人間というものは本質的にわいわいがやがやと喜びを分かち合う時に純粋な喜び≠感じる性質があるのかも知れない。


■出征していたジェームズ・スチュワートの復帰作品


素晴らしき哉、人生! 素晴らしき哉、人生!
この作品は、フィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンがクリスマス・カードと共に友人に送った短編『The Greatest Gift(偉大なる贈り物)』から誕生した。RKO社がその映画化権を獲得し、ケーリー・グラントの出演作として企画したが頓挫し、フランク・キャプラがこの短編の映画化に興味を示した。そして、主人公ジョージ役をジェームズ・スチュワートにオファーする。

ジェームズ・スチュワートは、代々戦争経験者の家系に生まれていたので、『フィラデルフィア物語』(1940)にアカデミー主演男優賞をとり一気にスターになるが、1941年3月アメリカ空軍に志願入隊した。そして、終戦までに空軍大佐になった。その間20数回の実戦経験をしたという。第二次世界大戦で大佐にまで上り詰めた映画スターは彼1人である。

基本的に空軍は彼に後方支援的な事務仕事をあてがおうとしたが、スチュワートが前線を希望したため前線任務にも参加する結果となったのである。実に皮肉なことだが、彼は本作の中では第二次世界大戦に出征していない役柄である。1941年からの空軍勤務を終え、彼はスクリーン復帰第一作としてこのユニークな内容の映画への出演に同意したものの、
出演契約書の中に彼の戦時中の功績を宣伝に使わないという項目を含ませたのだった。


■戦争という闇の中から生み出された光明


素晴らしき哉、人生!
そして、ヒロインのメアリー役には『オペラハット』(1936)『我が家の楽園』『スミス都へ行く』に出演したジーン・アーサーが候補に挙がるが、アーサーは興味を示さず出演を辞退。彼女に代わってドナ・リードが起用された。

ちなみにフランソワ・トリュフォーも、スティーブン・スピルバーグもこの作品を人生のベスト・ムービーに掲げている。実際この作品のある部分は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ(1985−1990)に実に見事にアレンジされ引き継がれているのである。

「戦争の残忍さというのは本当にリアルなもので、それは戦うことの勇敢さとかヒロイズムをなくさせる全く粗野で乱暴なものだった」「(従軍から戻り)“戦争もの”は絶対に撮らないつもりだった。戦争は恐ろしい。大嫌いだ。あんなものは大昔に亡くなっているべきだった。人を撃ったり、爆弾を落としたり。私も戦争で活躍したが、決して楽しい体験じゃなかった。だから戦争映画は嫌だった。」フランク・キャプラ

「一生に一度の映画である。深みのある作品になった。意図したよりも多くのことを感じ取れる作品になった。この映画は我々の想像や期待以上に、ずっと奥が深い作品に仕上がったと思う。それがまさにこの映画の素晴らしさなんだ。」キャプラ

「ある意味で全ての映画は自叙伝だ。色んな人間の人生の断片を集めて一本の映画を作る、それを出来るのが映画監督なのだ。一人の移民少年としてアメリカにやって来た時から、私はここに住む人々を愛してきて、皆が各々に持っている唄を、映画を通して歌い上げたかった」「私は、ウォルト・ホイットマン(詩人)が世界中の人に向けて歌った“あなたが何者であろうと、あなたの内にはあらゆる人が持つ尊厳の全てが存在している”というメッセージをこの映画に託したかった。またジョバンニが五百年程前に言った“暗黒の世界というものはほんの影に過ぎない。その背後の手の届く場所には喜びがある。暗黒の中にも一筋の光と至福があり、それは目に見えるものだ。どうかその一筋の光を見て欲しい”という、人の心を動かさずにはいられない言葉もこの映画に託したかった」キャプラ


■死にたいと思ったときに観れば最も感動する作品


日本では平成10年から現在まで毎年自殺者が3万人を超えている。その内訳は圧倒的に高齢者の自殺なのだが、現在の日本こそ高齢者の貧富の差、そして、道徳観念の崩壊が進んでいるのではないだろうか?私達こそ、ジョージのいないポッターズビルのような世界に住んでいるのではないだろうか?と実感させられるのである。

フランク・キャプラは語る。
「誰しも一度は死ぬことを考えたことがあるはずだ。だからこそこの映画は時代を超えて愛され続けるだろう」と。

この作品の素晴らしいところは、何といっても悲しみの感情から涙を誘わせるのではなく、喜びの共感から涙を誘わさせるところにある。

今ではアメリカでクリスマスといえばこの作品が放映されるくらいの名作中の名作になっているが、公開当時はクリスマスに公開されたにもかかわらず52万ドルもの赤字を出して散々な結果に終わっている。1946年度アカデミー作品賞、主演男優賞(ジェームズ・スチュワート)、監督賞、編集賞、録音賞にノミネートされたが、受賞には至らなかった。

− 2007年11月15日(修正) −


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