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地獄の掟に明日はない   (1966・東映東京)
■ジャンル: 東映ヤクザ
■収録時間: 91分

■スタッフ
監督 : 降旗康男
脚本 : 高岩肇
撮影 : 林七郎
音楽 : 八木正生

■キャスト
高倉健(滝田一郎)
十朱幸代(岩村由紀)
三國連太郎(郡司源一郎)
今井健二(北島信吾)
河津清三郎(山崎武雄)
佐藤慶(権藤勇造)
南田洋子(あけみ)
地獄の掟に明日はない
どんな平凡な作品の中でも、健さんはどこまでも輝く。原爆症で「いつ死ぬか分からない」という緊張感は、見事に表現されていなかったが、風光明媚な長崎の風景と、可憐な十朱幸代の容姿と、相変わらず格好いい健さんを見ているだけで十分に楽しめる作品。

■あらすじ


長崎で競艇場を巡る利権により山崎組と権藤組は対立していた。次第に激化する抗争の中で、山崎組の代貸・滝田(高倉健)は、ふとしたきっかけで由紀(十朱幸代)という可憐な女性と知り合う。やくざ稼業とは全く関係のない清純な由紀に心惹かれながらも、滝田はなかなか自分の素性を言い出せなかった。そして、滝田にはもう一つの秘密があった。それは原爆症により明日をも知れぬ命ということだった。


■不器用とは、自分らしさを隠せないという魅力≠フ証


地獄の掟に明日はない 地獄の掟に明日はない
器用に生きるという事は、平凡という事
不器用に生きるという事は、それだけ魅力的な部分をその人が持っているからこそ、それを隠せないという事


オレが高校生の頃、日本という国に閉塞感を感じイライラしていた時に、洋画しか見なかったオレがふとしたきっかけで高倉健の映画にはまった。我慢する男の美学。そして、それ以上のスターとしてのオーラ。90年代だったその頃、同時代の日本の役者にはない魅力が彼にはあった。何十年前の作品であっても、今にも通じる男の不器用さを健さんはたえず体現していた。

バラエティー番組に出たり、CMに出たりするのが本業になっているような大概の役者にはない絶対的な存在感。
時代は進み、技術は進歩し、情報量も増えたが、人間のスケール感は小さくなる一方である。だからこそオレは、そんな時代とは逆の方向を歩き続けるこの男の作品に触れ合うと無性に熱中できる。

存在自体が普遍的な、役者を越えた男の格好良さが健さんにはある。そして、忘れかけている何かを、オレが健さんの映画を観ることによって思い出させてくれる。
そう長いものに巻かれるのではなく、自分らしさを最大限発揮して、周りに踊らされず、我慢する時は我慢して前に進むんだぜと・・・


■健さんと十朱幸代の新鮮な共演


地獄の掟に明日はない 地獄の掟に明日はない
風光明媚な長崎を舞台に、そんな長崎がぴったりと似合う可憐な十朱幸代(1942− )との悲恋を中心に物語は進む。この作品の救いは健さんは勿論のことだが、長崎の南国情緒溢れる風景の明るさと十朱幸代の若々しい可憐さだった。

二人の悲恋自体はありきたりな描写に終始するが、役者自体に魅力があるので観ている者を心地良い哀愁空間へと誘ってくれる。
健さんの哀愁と十朱の可憐さ。このめったに遭遇しなかった二人の役者の個性がかみ合っている姿を見ているだけでもう十分。そんな作品であり、当時量産されていた東映ギャング映画の一環なのだからその程度で十分なのである。


■存在感溢れる三國連太郎


地獄の掟に明日はない 地獄の掟に明日はない
あまり悪役を演じていなかった頃の今井健二と悪徳弁護士を演じる三國連太郎(1923− )がなかなかよろしい。特に三國の飄々とした抜け目のなさは、健さんとの絡みにおいてもぞっとするほどの存在感を示していた。

更に健さんの舎弟を演じた髪もふさふさな頃の石橋蓮司(1941− )が、頼りなさげなチンピラをそつなく演じている。当時の役者は一部を除いてさすがに申し分のない芝居を見せてくれる。この時代の作品の魅力はまさにこういった役者陣の充実にあるのだが、脚本がどうも弱すぎた。



■高倉健の健さんらしさを引き出せる監督であることには間違いない


舞台は長崎、原爆症、原爆が投下され野を彷徨っていた自分を救い我が子のように育ててくれた人はヤクザの組長だった、素性を隠しての悲恋・・・これほど魅力的な素材に溢れているのだから、本作はもっともっと魅力的な作品になるはずだった。

しかし、結果的には本作がデビュー作になる(後に健さんの映画を最も多く作ることになる)降旗康男がこの題材を消化しきれなかった。残念ながら魅力的な登場人物それぞれが、
点と点が線によって繋がっていくカタルシスを生み出すことは出来なかった(いまだにそういった物語を紡ぐ能力はこの監督にはない)。

しかし、所々のシーンにおいて、ただのプログラムピクチャーとは思えない独特なシーンが存在する(女性の描写は当時の東映の中では上手い部類に入る)。
更に驚きなのは、この頃からこの監督による健さんは、後の70年代後半から今に至る健さん像と全く同じだという事である。


■女は男の背中を見た数だけイイ女になる


地獄の掟に明日はない 地獄の掟に明日はない
本作のハイライト・シーンは、最後に健さんが刺されるシーンよりも、彼女に自分がヤクザであることがばれ、漁村の海岸沿いで無言で別れていくジャンプショットだろう。とにかく健さんの去って行く後姿には一瞬の隙もない。

そして、そんな姿を黙って見つめる彼女の可憐さ。女は黙って去る男に惚れる。
女の心をぐらつかせたけりゃ、捨てゼリフなんて女々しいモノは残すな∞女を見送るのではなく、女に見送られる男になれまさに健さんには、そういったイイ男の哲学が似合う。


■健さんの死に様を生かさないと・・・

地獄の掟に明日はない 地獄の掟に明日はない
「だってあなたを待っているよりほか、私には何もすることがないんですもの」

こんなセリフ幸代様にグッと見つめられた言われたらオレでも死んでもいいと思ってしまうよな。それにしても60年代の東映ヤクザ映画の女性は服の着こなしも品があっていいよな。特にこの時期の佐久間良子と三田佳子は美しすぎ。そして、この作品の幸代様も決して負けてなかった。

最後に無人の長崎の大通りを歩いてる所を新聞配達に化けた権藤組の組員に背後から刺し殺されて絶命するのだが、残念ながらカット割りが悪すぎた・・・ココで観客の感情がどっと押し寄せるような編集をしなければどこでするんだ?

この最後の編集のベタなダメさ加減が本作をただの健さんの作品の一作として埋没させた。こんな美味しいラストのシチュエーションを生かせてたら、佳作だったのに・・・。それにしても南田洋子の役柄は中途半端だったな。

− 2007年12月4日 −


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