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上意討ち 拝領妻始末   (1967・三船プロ/東宝)
■ジャンル: 時代劇
■収録時間: 128分

■スタッフ
監督 : 小林正樹
製作 : 田中友幸
原作 : 滝口康彦
脚本 : 橋本忍
撮影 : 山田一夫
音楽 : 武満徹

■キャスト
三船敏郎(笹原伊三郎)
仲代達矢(浅野帯刀)
司葉子(笹原いち)
加藤剛(笹原与五郎)
山形勲(土屋庄兵衛)
上意討ち 拝領妻始末
今に至っても日本と言う国を覆いつくす権威∞上からの押し付け∞理不尽≠フ空気。そういったものを錦の旗のようになびかせ、老人=会津藩主は、二人の若者=いちと与五郎の運命を、人間性などまったく無視した理不尽さでもって潰していく。これが徳川武家社会の実態なのか?人々はただただ生まれ育ちによって支配され、翻弄されるのか?省みて今の日本社会においても、いかに世襲制が蔓延っている事か・・・そして、世界中においても。この作品は問いかける「こんな社会で、本当に男として、女として生きている実感がありますか?もしかして周りから押し付けられたルールの中で生かせれてませんか?」と。

■あらすじ


会津松平藩馬廻りの三百石藩士笹原伊三郎(三船敏郎)は、主君松平正容の側室おいち(司葉子)を、長男与五郎(加藤剛)の妻として、拝領するように命じられた。渋々命を受け入れた笹原家であったが、おいちの献身的な嫁ぶりに与五郎といちは深い愛情で結ばれるようになるのである。そして、愛らしい娘まで誕生したそんな時、おいちに大奥に戻ってこいとの「御上意」が発せられる。


■歪んだ形の安定=江戸幕府


「武士道」とはどういうものか?そもそも上から押し付けられる教えと言うものは、その人間の幸せを去勢するための方便ではないのか?江戸幕府の全てが安定の規則化を求め、追求した「歪んだ形の安定」形態であった。そもそも独裁政権とは、究極の安定の追及なのである。


その結果、貧乏人は貧乏人として安定し、家柄のいい家系はそのまま安定する。ただし、全てにおいて、安定が優先されるので、その前では親子の関係も、恋愛の感情も、人間としての感情も全てわきに押しやられる。つまるところ、人間味のない
抜け殻℃鰹緕蜍`なのである。

この作品を見てみると実際のところ現在もそう変わっていないと感じられる。政治家はほぼ世襲制であり、企業も世襲制、芸能界も世襲制。まったくつまらん安定がはびこっている時代である。確実に歴史の流れとして、安定の先には、新たな安定の形勢のための混乱は起こるのである。これは歴史上何千と繰り返されている法則である。その前段階としてこの作品は40年も早い産声をあげたのである。

忠義≠ニいう言葉が、この作品ほど嘘くさく感じさせられる作品は少ない。


■江戸時代に本物の「武士」はほとんど存在しなかった


この作品を見ていると、権力者たちの虫唾が走るおおよそ「武士」とはかけ離れた姿が見える。藩主は結局のところ自分の領地で生まれた美女をはべらすこと以外は何もしていないエロおやじで、その配下は上には媚びへつらい下には威張るという人としては到底尊敬に値しない俗物たちである。

そして、下級武士たちは汲々として生きているのである。足軽それ以下などはもう人間として生きるよりも日々生きていくだけで大変だった。そんな徳川王朝の日本の本質が刻み出されているのが本作品なのである。



■司葉子という日本が生み出した宝


上意討ち 拝領妻始末 上意討ち 拝領妻始末
司葉子を通して、見せ付ける武家社会の「女性の悲劇」。
『大奥』という世界観にワクワク感を持つことが、いざこの作品を見てしまうと、いかに下賎で幼稚な世界観を楽しんでいたかという事に驚愕するはずである。実につまらん意味のない駆け引きを嬉々として傍観していたことに嫌悪すら感じるはずである。

実は日本女性古来の奥ゆかしさとは、結局のところ男性に支配された不幸せゆえなのではないのだろうか?この作品の司葉子の頬のこけたやつれ果てた美しさが、陽から生まれた美しさではなく限りなく陰から生まれた美しさであることがそう痛感させる。

「まるで白無垢を泥の中に投げ出すような気持ちでございました。そうして私は思いました。いいえ、祈るような気持ちで決心を致しました。男の子を産もう。何人でも何人でも元気な男の子を。そうすればこのような惨めで悲しい思いをする者はもう私一人で済む」

「決して嫉妬ではございません。若い新しい側妾の顔にはひとかけらの・・・ひとかけらの悲しささえないのが憎かった。晴れ晴れと胸を張り 御側妾になったことに得意でさえいる」


上記のいちのセリフ廻しの素晴らしさがこれらのセリフに一層の重みを与える。そして、いちが殿様の前で新しい側妾を、引きずりまわすシーンにおいて、ストップモーションを多用した絵作りが、今見ても斬新でこころにその表情と感情が突き刺さってくる。。さらにおいちは殿様を殴りつけ
「けだもの!」と咆哮する!

この反権力宣言の迫力!時代劇で殿様を道義的に殴りつける妾が出てくる作品などめったにない。しかも、司葉子は江戸幕府の殿様の本質を一言で言い放っているのである。
「子供を作るためだけに利用され、何人もの女と一緒に飼いならそうとするあなたは・・・けだもの!」

ところでいちの姑笹原すがを演じた大塚道子(1930− )は、三船敏郎の妻を演じていたが、司葉子と4歳しか違わないのは驚きである。この人は今も舞台の第一線で活躍されている俳優座の女優さんであるが、こういう役柄を演じさせると見事である。


■和太鼓と謡こそ日本と世界の扉


和太鼓を多用した武満徹によるオープニング音楽が実に素晴らしい。「ヨォ〜〜!」の掛け声でタイトルが出るところなぞ身震いがするほど日本的様式美に溢れている。さらに婚礼の式においての観世流能楽師・観世栄夫(1927−2007)による謡が素晴らしく、最近の日本映画(時代劇以外もふくむ)に欠けている要素は、この音の感覚ではないだろうか?

世界的に日本の映画が認められる為に、日本が提示できるものは日本らしさの中から生み出した世界的に不変な要素を散りばめることだろう。



■三船敏郎と仲代達矢


上意討ち 拝領妻始末
世界中の役者の中でも最高峰の名優2人が共に画面上に現れるだけで、時代劇としての風格に殺気が加わる。特に殺気溢れる仲代に対し、三船は「必殺仕事人」の中村主人並みに妻の尻にしかれているという役柄が実に魅力的である。それでいて忍耐強く頼りになる父であり、息子からは尊敬されている父である。

本作は、実は清らかな父子愛を描いた作品でもあるのである。息子と嫁を見守る理想的な父親像を三船が体現しているのである。

「笹原の家は、お市の方をそれほど気持ちよく拝領したのではござらん。また笹原家を知らず相手の与五郎を知らぬいちとしても、それほど気持ちよくやってきたのではない。その二人が今日中睦まじいのは・・・」こういった伊三郎(三船敏郎)のくだりなどは、まさに二人を温かく見守る冷静な父親のよきくだりだろう。


■真の武士道が生み出すカタルシス


「わしはな、僅かな武芸のゆえをもって先代に見込まれ、この笹原家に養子に迎えられた何の取柄もない愚図な人間だ。敢えて言う。わしは愚図な人間だ!それを証拠にただただ20年、笹原家の門閥と格式を守り通すことのみに窮々としてきた。そのわしがなぜ・・・なぜこの度のことにこれだけ意地を張るのか。藩庁のあまりにも耐え難い無理非道もある!しかしな、それよりはわしの生涯にはついぞかけらも・・・かけらすらもなかったお前達二人の愛というものの美しさに打たれたればこそのことだぞ!にもかかわらず!誓え!与五郎!どのようなことがあってもいちを離さん!いちも誓うのだ!そのようなことがあっても与五郎からは離れぬと!二人共々このわしに誓うのだ!!」


伊三郎と与五郎の会津藩に対する謀反が始まるのである。もうこれ以降の展開は、カタルシスを生み出す見事な展開としか言いようがない。さすがに殺陣やカメラワークにおいて若干問題点は見受けられるが、そんなものを問題視する次元を超えたエネルギーで伊三郎の死をもって本作は終幕を迎える。

特に憎々しい官僚的で高圧的な、今の時代にもよくいる類の嫌悪の象徴である側用人・高橋外記=神山繁(1929− )を大立ち回りの末叩き切る伊三郎の姿なぞ「このシーンを待っていた!」の一言である。それにしても、三船敏郎の殺陣の立ち振る舞いの安定感は、見ていて実に心地良い。腰の据わった見事な足捌きであり、全く上半身がぶれない。

最近時代劇の映画やテレビが量産されているが、ほとんどの作品は「刀を持つものとしての立ち振る舞い」からして手前味噌過ぎる。クンフー映画と同じく時代劇の殺陣も、素人と玄人の差があっさりとわかってしまうことをもう少し理解して真摯に時代劇を作る姿勢を見せるべきである。


■腹の底から声を出すんだ!


上意討ち 拝領妻始末
実に山形勲はいい声してる。「御上意ぃ〜〜!」と言うときのこの迫力今の時代劇で出せる迫力の比ではない。
この男の迫力の存在感が、昭和の軍部の暴走にも通じる「腹の底から声を出す」=薄っぺらな精神論の説得力に繋がっているのだ。

さらに神山繁演じる側用人高橋外記のぬえのようなメイクの迫力。この男の異様な存在感が笹原邸での伊三郎、与五郎、外記、おいちの対峙という緊張感たっぷりの局面を効果的なものにしていた。この局面においての4者の迫力は実に凄まじい。

この交錯する気の交差の中、司葉子の情念が発散されるのである。
ぞっとするほどのやつれの美学がほとばしるその瞬間の憎悪の躍動感はなかなか並みの映画では見られない名演技ぶりである。

そして、忘れてはいけない仲代達矢の迫力。
この人の静と動の躍動感。さらには静を持って動となす芝居の迫力は、並みではない。最も三船と仲代の荒野の決闘シーンは、それまでの気合の割りには冴えぬ殺陣であったが、上記にあげた役者達の錯綜する躍動感溢れる芝居のエネルギーの前ではもはや最後の殺陣の良し悪しなどおまけでしかない。


■反逆精神の欠如による危険性


「ケダモノ!」「極悪人!」などの憎悪のキーワードが、たっぷりと吐き出される本作は、明確に徳川家が生み出した武士道の形が、多くの男女の憎悪さえも飲み込んでいった壮大な怨みの上に築かれた不幸のシステムだったことが、明示されている。


このぞっとするほどの憎悪に晒される官僚的な社会システムのキーワードは御上意の一言であり、この監督が後に作り上げた歴史的傑作『東京裁判』(1983)においての、天皇陛下のお言葉なのである。
つまるところ、日本人とはいかに自由な発想を拒否し、何か有無も言わせぬ権利を行使したがる人種なのだという危険性を訴えかけているのである。

日本人はそろそろ権威に対する反逆精神を養っていく局面に差し掛かっているはずだ!そのように小林正樹は40年も前に提示しているのである。本作の原作は同監督によって作られた『切腹』(1962)の原作者でもある滝口康彦によるものである。第28回ヴェネチア国際映画祭において国際映画評論家連盟賞を受賞した。

− 2007年7月13日 −


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