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隠し砦の三悪人   (1958・東宝)
■ジャンル: 時代劇
■収録時間: 139分

■スタッフ
監督 : 黒澤明
脚本 : 黒澤明 / 菊島隆三 / 小国英雄 / 橋本忍
撮影 : 山崎市雄
音楽 : 佐藤勝

■キャスト
三船敏郎(真壁六郎太)
上原美佐(雪姫)
千秋実(太平)
藤原釜足(又七)
藤田進(田所兵衛)
樋口年子(百姓娘)
隠し砦の三悪人隠し砦の三悪人
二人の百姓と一人のお姫様、そして、名うての侍大将が一人。これほど魅力的な百姓・姫様・侍大将の姿を見たことはありますか?全く違う三つの階級が歯車のように連動し、物事を見事に成功へと導くその姿。これこそがクロサワが理想と考えてきた本来の社会のあるべき姿だった。人徳のある君主と冷静さと行動力の伴なった家臣。そして、文句を言いながらも狡猾に生きる民。その三つの力が一つになった時、あらゆる障害は取り除かれ、お互いがお互いに吸収しあい一つ上の舞台へと駆け上っていける。顧みて今の日本はどうだろうか?三つの力はバラバラであり、それ以前に上の二つ(君主、家臣に値する者達)が論外すぎる。

■あらすじ


合戦に間に合わなかった上に、敗残兵と間違われ命からがら逃げ延びた百姓・太平(千秋実)と又八(藤原釜足)。失望のどん底の中二人は、山の中で金の延べ棒の入った薪を見つける。早速金を巡って仲間割れする二人の前に、山賊風情の男・六郎太(三船敏郎)が現れる。実はこの山には先の合戦で敗残した秋月の隠し砦があり六郎太は雪姫(上原美佐)と共に、同盟国である早川領へ落ち延びる手立てを考えていたところだった。


■志しの低い拝金主義者どもがクロサワの遺産も食い潰していく


隠し砦の三悪人
2008年このクロサワの名作がリメイク公開されることになった。監督・出演者(例の如くジャニーズ)の顔ぶれを見てみるとこれがテレビ局主導の映画であり、対象年齢は13歳〜25歳くらいの頭の悪い女とその恋人を対象にした作品になるだろうことは想像に難くない。

映画をろくすっぽ知らない脚本家と、ただ金で雇われた監督とは名ばかりの素人オヤジ、そして、熱のない芝居を繰り返す無駄に忙しい素人役者とそいつらにこびへつらうプロの役者の構図。ここ数十年の日本映画はこういった連中が作り上げた作品を、プロパガンダ的扇動術により、観客を騙して金を巻き上げることに終始してきた。

そして、今では邦画とは
「公開前に絶賛され、公開後は酷評される」と揶揄されるほどに落ちぶれている。メディア(テレビ、出版物等)において邦画は力を取り戻していると言及されがちだが、実際の所はそうではない。DVDの普及により観客の映画に対する眼力が鋭くなっているので、昨今の邦画はメディアに左右されやすい感性の鈍い人たち≠セけをターゲットにせざるを得ないほど追いつめられている。


■映画を愛してないヤツラからが邦画を食い物にする構図


2008年版の監督を担当する樋口は「現代の観客に向けて作る上で、フリーターやニートに代表されるような自分のよりどころを探す若者の姿を反映する設定にしたい」と語っている。しかし、
その前にまずはあなたの映画監督としてのよりどころを見直せと誰もが言ってやりたい事だろう。

つまり映画を愛する人々にとって、もうこのオトコは「永遠にノーマークでよい監督」に成り下がった。そんな素人にクロサワの名作がリメイクされることは許しがたいことである。しかし、落胆する必要はない。ここ最近の露骨に駄目な邦画のゴミの山がどんな鈍感な人々をも気づかせ始めている。「また例の騙しだな」と。

明確に21世紀は、テレビ・広告・出版物の概念が単なるプロパガンダの概念に成り下がり、もっと違った意味においての深い裏づけが求められていくようになるだろう。そして、映画という高々100年の芸術及び文化形態もまだまだこれから進化していくのである。

今のところ邦画産業は一部の資産家が、「観客はどうせバカだから何が面白いかなんて判断できないんだ!」と嘯きながら、中身よりも外見だけを整えて、手っ取り早く金をむしり取っているが、もう観客も気づき始めている。ハリウッドとテレビ局主導型の邦画は避けよと。

その明確な兆候が、このリメイク作にも現れている。
そうもはやクロサワの後光にすがらなければいけないほど、自分自身に自信がないヤツラの固まりなのである。いいオヤジたちが「虎の威を借りて作る映画」というのもかなりダサいが、コレに出演するヤツラもヤツラである。最も事務所の意向は逆らえない操り人形ばかりなので選択権はないだろうが、その志の低さには驚くばかりである。


■百姓二人のバカさっぷり・・・これが人間の生命力


以上のことを書き示さずにはおれぬ程にこの作品は素晴らしい。何が素晴らしいか?それは一言でいうと、「強欲なニ人組を見ている楽しさ」である。
この作品は、生命力に満ち溢れている。金塊を見つけては仲違いし、若い女の太股を見てはムラムラして襲い掛かろうとし、仲直りをしたかと思えば、また喧嘩し・・・という風に見ていて、コイツらとことん馬鹿なオヤジだなぁと苦笑いできる。

それでいて、ふとオレもこのオヤジの気持ち分かるよな・・・と共感へと結びついていくのである。この作品の主人公はジャニーズの若者のように外見的な容貌の魅力はないが、二時間ちょっとも付き合っているうちにどんどんと味わいが出てくるのである。

丁度、人間味溢れる新しい友達に巡りあえた喜び。そういった喜びを感じることが出来る稀有な作品。それが本作の魅力である。


■雪姫版『ローマの休日』


そんな二人の強欲に、真壁六郎太と雪姫という使命感に燃えた二人が融合される巧みさ。これがこの作品の素晴らしさの根底の部分である。大義名分に生きてきた武士階級と、大義名分ななんか糞くらえの農民階級が、一緒に何かをすることを見る楽しさ。

まさに雪姫版「ローマの休日」である。だからこそ緊張感溢れる物語の中にもなんともファンタジーな臭いがプンプンしてくるのである。これがこの作品の独特の素晴らしさであり、クロサワ以下映画に関わった人々の志の高さなのである。

時代劇と冒険劇を組み合わせ、ファンタジーの領域へと高めたこの作品を観てしまうと1983年に大ヒットした『里見八犬伝』のファンタジーさなぞ子供じみた陳腐なモノにしか見えない。


■オープニングのとぼとぼ歩きからみなぎる生命力の不思議さ


隠し砦の三悪人 隠し砦の三悪人
「もっと離れて歩け!死人臭くてやりきれねぇ!」太平

もうこの負け犬風情たっぷりのオヤジ二人がとぼとぼと歩いているオープニングからこの作品のただならぬパワーを感じさせられる。この作品が公開された当時、時代劇において農民を主役にした作品なぞ存在したのだろうか?この主役の二人は、一切武芸の心得はなく、武器らしい武器は鍬を仲違いして振り回した以外はないのである。

二人は虎視眈々とお互いを出し抜こうとしているわけではないが、ぼうっとしている中で手に入る栄誉はことごとく独り占めしようとする強欲さを持ち合わせている。つまるところこの主役二人は作品を観ている我々なのである。
戦う方法を持たぬ一億総農耕民族の今、この主役は我々である。


■二人の百姓に確かなこと・・・絶対自殺しないだろう


「戦に出りゃ立身出世は、思いのままだってぬかしやがって!」又七


どうやら二人の百姓は、家財道具を全て売り払ってこの年齢で@ァ身出世を求めて戦に出たということらしい。実際の所彼らは農民の生活に見切りをつけて、新たな旅立ちへと乗り出さざるを得なかった二人だった。つまりとことん追いつめられた自殺寸前の二人である。

「何もかもとってもおもしれえや!まず戦に間に合わなかったのが面白え!負けた方の雑兵と間違われて、死人の後片付けをやらされたのも、やっとこ逃げ出して二日二晩水腹でこうやってうろついてるのも面白えや!もっとも一番面白えのは、ベソをかいてるおまえのその間抜け面さっ!」太平

この一連の冒頭のシーンで、感性の豊かな人はどきっとさせられるだろう。それは、こんなにどん底でありながら、二人とも死ぬことなど露ほど考えていない様子にである。この作品の素晴らしさは、ここにある。
つまり恵まれていた二人は潔い死を受け入れ、百姓の二人は死んでなるものかとただひたすら生にしがみつく構図がそこにはある。


■生きてるとは、この二人の百姓のこと・・・


隠し砦の三悪人
「てめえなんかいねえほうがせいせいすらあ!」又七

と一人は国境を目指し、一人は一稼ぎするために町へ向かい別れ別れになる。しかし、結局敗残兵としてふん捕まった二人は、金塊掘りをさせられ再会することになる。この流れはジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』(1977)にアレンジされた流れそのものである。

「死ぬんなら一緒に死のうな」

仲違いして仲直りしての繰り返しが、人生そのものであり、逆に今の人たちの間でこういう人間関係が築けない人々も多いのではないだろうか?
このシチュエーションは観る人によって与える印象は全く違う。一方は「うんうん。分かる分かる。本当に仲がいいとはこういうことだよな」、もう一方は「バカだなあコイツら」である。

しかし、この作品の根底には明確にこの二人の人間らしさに対するシンパシーが存在する。その答えとして、武士として仰々しく生きる六郎太と兵衛の和解や、雪姫の涙がリンクしている。


■鳥肌が立つ群集シーンのスケール感


隠し砦の三悪人
奴隷のように金塊掘りをさせられてる捕虜が暴動を起すシーンの迫力は、クロサワの作り出す映像空間のスケールの大きさを否応なしに知らしめてくれる。特に石段から駆け降りる群集の姿。土煙のあがる中、将棋倒しの状態で転がり落ちていくその姿を見ていると、思わず鳥肌が立つ。

この一人一人の異様な生命力を映像に閉じ込める作業の巧みさが、クロサワを世界的な芸術家として認知させたのである。
だからこそ彼の映像の主人公は絶えず映像から1.5倍ははみ出して存在しているような生命力に満ち溢れているのである。


■実に魅力的な千秋実の体育座り


隠し砦の三悪人
米泥棒をして、必死に逃げる姿から一転して、落ちこんでる時のこの体育座り。これだよ!コレ!
閉塞感はセリフではなくこの体育座りから滲みでる。そして、金の延べ棒を見つけた二人がメシも食っていないにも関わらず実にキビキビと探し回る。このオヤジたちの子供のような躍動感。これを今演出出来る監督は世界中にも存在しないかもしれない。

私の外国の友人が言っていた。
「日本映画の魅力は、その動きの緩急のつけ方の独特さにある」と。

「一つはおらんだ!二つともおらが見つけたんだ!」又七

早速仲違いする二人。もうこの強欲さがたまらなくおかしい。とにかくコイツらは分け合うということを知らないほどに餓えている二人なのだ。


■千秋実がバカボンのパパのモデルか?


「他のヤツに気どられたら大損こくぞ!」太平

ココで真壁六郎太が登場する。しかし、クロサワ作品は、今の映画で怠っている基本中の基本にやたら拘る。それは「衣装」である。
リハーサルの繰り返しによって、衣装を着た役者を物語の登場人物へと同化させていく演出力を今の監督は見習うべきである。

もっとも「ハイ、長澤さんが来られました。スケジュールつまってますので、午前11時から午後14時の間で、昼食休憩ありでお願いします」なんて言われたら。リハーサルも何もないだろ?最近の監督の褒め言葉に
「あの子はセリフ覚えがいいですよ」というのが多いのも、その次元の芝居しかしていないからである。

映画に出るならその期間は他の仕事をするな。というポリシーを守れるほどに日本の芸能人には自由がない。つまるところ芸能人はプロダクションの奴隷であり、要は文句を言わずになんでもするモノだけが今露出度が多いだけの話である。


■百姓の浅知恵が、成功へと導いてくれた


隠し砦の三悪人
「おいっ!・・・こんばん・・・」太平
「おいっ!・・・山は冷えるなあ」又七

このやり取りの面白さ。必死に金の延べ棒を独占しようと目論む百姓と強面の六郎太のばかし合いの愉快なこと愉快なこと。三人の表情を見ているだけでも実に愉快な掛け合いである。

「コケの一心軍略を生むか」

この物語の一番重要な部分は、「百姓の浅知恵に姫様一行がのっかかった」という点である。ここにクロサワらしい色々な立場の人の意見がよりよい結果を生み出すはずだという柔軟さが感じられる。


■実に良く出来た幻想的な砦


隠し砦の三悪人
「触るなこのヤロウ!ただでさえ暑いんだ!」太平
「へえ!てめえのその面こそ暑苦しいや!」又七
「てめえこそその歯糞のたまったきたねえ歯引っ込めろ!二度と見せやがったらこの鍬で、おっぺしょるぞ!」太平


又七と太平がこき使われる隠し砦の形状が素晴らしい。岩山に囲まれた急斜面のてっぺんにあり、その裏手には森に囲まれた泉があるという一種無国籍なムードが漂っており、幻想的でさえもある。そんな場所で貧乏臭い百姓が六郎太に根性を叩きなおされるのである(勿論そう易々と叩きなおされなかったが・・・)。


■上原美佐姫の登場!永遠の雪姫様


隠し砦の三悪人 隠し砦の三悪人
とにかくこのポーズは扇情的である。
すらっとした長い脚に半ケツ丸見え状態のこのポーズ。砦の裏手の幻想的な泉でバンビのような肢体で水に戯れるその姿の品のよさが醸しだすエロスのギャップ。もうこのシーンだけでほとんどの男性の観客は、この姫様の虜になってしまう。

関節を曲げずにピンと伸ばした状態で、短パンを履き、乗馬鞭を持つその姿は、男のマゾヒズムを容易に掴むほどのインパクトがある。そして、史上初めて登場した新しい姫様像でもあった。太股を露わに乗馬鞭を振り回すお姫様・・・。

隠し砦の三悪人
それにしても、雪姫様の肢体を舐め廻すように見た後のこの二人の表情がエロい。特に千秋実(1917−1999)のエロニヤケ顔は、圧巻とも言えるほどにエロすぎる。しかもその後の第一声が
「どこに住んでんだいね〜ちゃん」である。

っていうか戦国の世にこんな口調でナンパしてたのだろうか?めっちゃ現在のオヤジ風なのだが・・・

上原美佐 隠し砦の三悪人
この雪姫を演じた上原美佐(1937− )は、本作がデビュー作だった。クロサワはこの雪姫役の選考のために4000名の公募(『007は二度死ぬ』でボンドガールに選ばれた若林映子も公募していた)の中から新人を発掘しようとした。しかし、どの公募者もクロサワには納得いかず、困り果てていたところに、名古屋の東宝の映画館で東宝の社員が撮った一人の観客の写真を送ってきた。

その女性は短大を卒業したばかりの福岡の女性で演技経験は全くなかったが、一目で気に入ったクロサワは彼女を主役に抜擢した。その後6本の作品に出演するが、1960年に「私には才能がない」と引退した。


■雪姫様の存在感は間違いなくこの作品を魅力的なものにしていた


上原美佐 隠し砦の三悪人
「小冬も十六!私も十六!命に何のかわりがあろうぞ!私が小冬ならこの雪姫を恨む!」

上原美佐の雪姫様。その上ずった声音。クロサワの求めていたのはこの新鮮な若々しさである。この作品の雪姫は映像からはみ出すほどの若々しさに満ち溢れている。この人だけ本作の中でなんら古臭さを感じさせない。何故なのだろうか?メイクは能面を基調としているのだが、元々の美貌が見事に特異なメイクにマッチしている。

「女の身でありながらお傍に仕えるこのあたしにさえ、まだ涙一つお見せなさったこともない」お傍女
「姫こそいけにえです!」六郎太

このセリフと同時に雪姫のきりっとした後姿が映し出される。そして、占領された秋月領を眼下に納めながら一人で涙を流す雪姫の姿。ぽろぽろ落ちる涙に被さる音楽、そして、背景に映し出される秋月の家紋入りの旗。否応なしに観ている側も雪姫様に惹き付けられる瞬間である。


■雪姫様城下を散策す


隠し砦の三悪人 隠し砦の三悪人
「秋月でよ。戦で負けた国は女の出物がたくさんあるんだ」

二人の百姓に身分を気とられないように唖のふりをする雪姫様。紆余曲折の中見事に関所を突破するのだが、そんな夜に宿泊した宿で、秋月の娘が娼婦として売られている事実を彼女は目撃する。

「その方はこの姫の心まで、唖にする気か!」

逃走中にそんな娘を助けている余裕はありませんと言う六郎太に対して雪姫様が言う名セリフ。そして、百姓娘も一行に加わることになった。ちなみにこの百姓娘を演じた樋口年子(1940− )もオーディションで選ばれた新人である。


■ミフネの並外れた身体能力が時代劇に革命をもたらした


隠し砦の三悪人 隠し砦の三悪人
敵兵に気とられた後、すぐさま逃走する敵兵を追いかけ、両手手放しで刀を構えながら全力疾走する六郎太の勇猛果敢さ。これぞ猛将と呼ぶに相応しいミフネの身体能力の素晴らしさ。馬上で殺陣をこなすシーンの迫力は凄まじいとしか言いようがない。

ちなみにこのシーンの撮影前夜、同室の土屋嘉男は、ミフネのうなされる声に悩まされたという。このシーンがどれほどの緊張感を持って演じられていたか分かる逸話である。

そして、この作品の一つの山場でもある藤田進(1912−1990)扮する田所兵衛との一騎打ちが始まる。この描写はあえて若干長い丈なのだが、
その意味は終盤のオチに対する感情的付箋としてである。ここらへんの時間配分の巧みさがクロサワの凄みである。

観ている側に少し長いくらいの時間を費やすことによって、いかに二人が旧友であり、好敵手であるかを骨の髄まで植えつける。この描写が説得力となり、終盤に兵衛が裏切りった時の爽快感に繋がっていくのである。もしこの一騎打ちのシーンがわずか3分くらいで巧みに描かれすぎていたら兵衛は、全く印象に残らない役柄になってしまい終盤の活躍も唐突な感じになってしまっただろう。

それにしても戦いの前のディテールに対する拘りが、素晴らしい緊張感を生んでいる。六郎太が槍を選ぶ描写。こういったシーンを入れるところがクロサワと他の時代劇を撮った監督の違いすぎる違いである。


■エロスとは対比活動である


隠し砦の三悪人
雨宿りする中でふと三人きりになった瞬間にほとばしるエロティシズム。
エロスとは対比活動であり、美しい女性の様子を眺めるけだるいオヤジ二人の配置があるからこそ扇情的になるのである。彼女一人だけ寝ている絵だけだと彼女の表情を見てしまうだけになるが、二人のオヤジの存在があると観客もこのオヤジ二人に同化した視線に瞬間追いやられてしまうのである。

上原美佐 上原美佐
そして、例のエロ顔千秋が籤引きを提案し、外れを引いたらどっちかがこの場から消えるんだぞとエロ顔満開にして言うのである。ちなみに撮影中このエロオヤジ二人組は、「パンティ見えたよ」などと彼女に言って本当に泣かしてしまいクロサワに大目玉を喰らったという。

ココで百姓娘が活躍することになる。エロ千秋の餌食になりかけた雪姫を守る為に、大きな石を持ち上げて二人を威圧するのである。こういった自然な流れの展開が実に心地良い。無駄なセリフもなく流れるような展開で全てを観せるその映像センスは、今だからこそ学ぶべきところが多いはずである。→
つまりはリハーサルが映画の命という事。

そして、日劇ダンシングチームが音頭とりする「火祭り」シーンへと進んでいく。金の延べ棒が隠された薪が燃やされていく一方で、そんなことはお構い無しに、雪姫だけは百姓の祭りの新鮮さに生きている喜びを感じる。踊りの躍動感と太平の泣きべそ踊りと踊るミフネ・・・

そして、早朝燃やされた金の延べ棒を掘り起こす五人組。太平と又七は30貫づつでオレが40貫持つという六郎太に対して、
「何ぬかすおらだって40貫だ!」「おらは50貫だ!」と、欲下がり二人組は威勢よく吼える。さらに引き返して持っていけないくらいの金塊の残りを未練がましく掘り起こしていて敵兵に気とられてしまうのである。もうこのあたりの二人の芝居は観れば観るほど味わい深くて素晴らしい。

千秋実も藤原釜足も全て大真面目に演じている。だからこそそんな二人が笑えてしまう。これこそ本当の質の良いコメディの基本である。この二人にはくどさも笑ってくれという今時のクササも全くない。


■雪姫の人徳を演出するという最大の難関を見事にこなす


隠し砦の三悪人 隠し砦の三悪人
遂に追いつめられた五人組。そして、六郎太が雪姫に短刀を渡す時の二人の表情の格好良さ。しかし、早川領を眼下に望みつつも最後の最後で敵に包囲されて山名領脱出は失敗に終わってしまうのである。

二人の百姓は、寸での所で三人を見捨て逃げていく。その時に唖を装っていた雪姫は「さらばじゃ!」と声をかける。ここにこの雪姫の器量の大きさの布石は打たれている。自分達を見捨てる百姓を気品高く見送るその姿を描く。これは瑣末なようでありながら脚本の持つ力の根本を示している。

つまるところこの脚本は細部に渡って何人かで反復され書き直され練りこまれたという事。

隠し砦の三悪人
「人の情けを生かすも殺すも己の器量次第じゃ!また家来も家来なら主も主じゃ!」

この作品のハイライトは間違いなく捕らわれの身になった雪姫が首実検に来た兵衛に言い放つセリフの豪胆さにある。このシーンは『ローマの休日』の新聞記者の会見シーンに相当するシーンである。そして、それだけでは終わっていないシーンでもある。

「姫!六郎太申し訳もありませぬ!姫の身には耐え難いこれまでの苦難・・・その甲斐もなく・・・」
「違うぞ!六郎太!姫は楽しかった!この数日の楽しさは城の中では味わえぬ装わぬ人の世を、人の美しさを、人の醜さを、この目でしかと見た!六郎太!礼を言うぞ!これで姫は悔いなく死ねる!」

もうこのセリフ回しといい文句のつけようがないほどに素晴らしい。雪姫のセリフは間違いなく気品溢れる躍動感に満ちていた。彼女のセリフ回しは棒読みというよりは
感情の起伏を示すことは気品に欠けると言う当時の室町時代の大名の伝統にそった芝居をしていたからであり、この芝居はこれで全然問題がない。

むしろ感情豊かに話す昨今の時代劇の姫の姿自体が、本来は異質なのである。


■この二人を率いる説得力が上原美佐にある 間違いなく天性の存在感


隠し砦の三悪人
「人の命は〜〜〜火と燃やせ〜〜〜♪ よし!燃やすぞ!」兵衛

「兵衛!犬死には無用!志あらば続け!」雪姫

「裏切り御免!」兵衛

もう素晴らしいと驚嘆する他に言葉がない最期のシークエンス。
兵衛のにかっと笑うこの表情。このシーンほど現在の日本の社会人の心をくすぐるシーンは無いだろう。本当に自分がしたい道へ邁進することを決意した男の笑顔。この作品の魅力はこのにかっに凝縮された。

そして、六郎太が腕一本で百姓娘を馬上に引き上げ、開放感たっぷりに早川領へと疾走する三頭の馬と四人の人を映すロングショット。これぞ映画である。
映画はロングショットを求め、ロングショットに耐えうる役者の存在感と脚本を求める。


■唖じゃ・・・唖娘じゃ


隠し砦の三悪人 隠し砦の三悪人
明確に『スター・ウォーズ』に引用された二人の百姓の前に正装で姿を現す三人の姿。とにかくカタルシス満点のシーンである。天上眉の雪姫も美しく、兵衛の姿もりりしい。そして、何よりも六郎太の鎧姿の逞しさ。この姿を見てしまうとちょっと今時の役者じゃこの存在感には叶わないなと圧巻されてしまう。

その三人が同時に立ち上がり能の動きで前に擦り寄ってくるのである。クロサワを始め日本の名監督は、
日本の伝統芸能の様式美を本当によく映像に取り入れていた。綺麗に整えられた砂利の上に土下座する二人の百姓の姿一つとっても様式美そのものである。

最期に敷居は踏まないで欲しかった・・・この点だけが非常に残念。恐らくクロサワのことだからそんな事は度外視して最高の出来だったこのショットを使用したのだろう。

隠し砦の三悪人
「これおめえ持ちな」太平
「おめえ持っててくれよ」又七
「だってよ」太平
「いいってことよ」又七

百姓で始まり百姓で終わる。しかし、終わりの百姓の表情は笑顔に満ちていた。三者三様に人間的に飛躍した瞬間だった。あの当主に、家臣、そして、こんな民たちがいれば秋月家再興も夢ではないだろう。

本作はクロサワ他三人が熱海の旅館にカンヅメになって浴びるように酒を飲みながら、絶体絶命の状況をお互いに作り出しあいながら、その解決策を交互に見つけ出すという形で作り上げられた。主な撮影は兵庫県西宮にある蓬莱峡で行われた。1958年度邦画興行成績第五位(3億4000万円)を記録する。そして、本作は第9回ベルリン国際映画祭監督賞と国際批評家連盟賞を受賞した。

− 2007年11月18日 −


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