HOME
■サイト内検索

■洋画
 □カタカナ順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □クラシック
 □ドラマ
 □コメディ
 □サスペンス
 □アクション
 □ポリス
 □スパイ
 □犯罪
 □カー
 □ミュージカル
 □史劇
 □文芸
 □戦争
 □西部劇
 □アドベンチャー
 □パニック
 □ギャング、マフィア
 □SF
 □ホラー
 □スポーツ
 □香港
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □アカデミー賞
 □カンヌ映画祭
 □ヴェネチア映画祭



■邦画
 □ひらがな順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □名作
 □ドラマ
 □喜劇
 □サスペンス
 □アクション
 □刑事
 □時代劇
 □戦争
 □文学
 □パニック
 □東映ヤクザ
 □ギャング、ヤクザ
 □特撮
 □怪奇
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □海外映画祭受賞
顔   (1957・松竹京都)
■ジャンル: サスペンス
■収録時間: 104分

■スタッフ
監督 : 大曾根辰保
製作 : 岸本吟一
原作 : 松本清張
脚本 : 井手雅人 / 瀬川昌治
撮影 : 石本秀雄
音楽 : 黛敏郎

■キャスト
岡田茉莉子(水原秋子)
大木実(石岡三郎)
笠智衆(長谷川刑事)
森美樹(江波彰)
宮城千賀子(三村容子)
千石規子(久子)
顔
日本の映画界において燦然と輝く至宝♂ェ田茉莉子。オーラ∞スター∞女優=E・・そんな表現さえも陳腐に思わせるその絶対的な意思の存在。その眼力の強さと、眼力の美しさ。美し過ぎないからこそ、ただ美しいだけの存在を超越するその魅力に、21世紀の今こそ、女性にも男性にも触れて欲しい。本当に女を磨きたければ60年代以前の映画を観よ!そして、本当の女の魅力を知りたい男も・・・観よ!岡田茉莉子の美しさは、ジャンヌ・モローに匹敵する眼力にある。彼女は明らかに他を凌駕している。

■あらすじ


かつて無免許の堕胎医の愛人として、数十人の死に関わっていた秋子(岡田茉莉子)。彼女は、心機一転、東京でファッションモデルとしての成功を勝ち取ろうと、肉体を使うことも厭わぬ強引さで着実にキャリアを固めていった。しかし、ファッションモデルとしての大成功を勝ち取った時に、秋子が堕胎医を殺害した現場で、彼女を目撃した第三の男・石岡三郎(大木実)が登場する。苦難の末に勝ち取った成功の座を守ろうと、もがけばもがくほど真実は隠しきれなくなっていく・・・


■映画とは、短距離走者には向かないレース


現在も芸能界を始め多くの業界で繰り返されている
女性が肉体を駆使して、一瞬の輝きを勝ち取ろうとする目論見。私の知り合いのレースクィーンも肉体を駆使して、多くの仕事を勝ち取った(彼女は何を目指していたのだろうか?)が、結局の所今は悪い習慣を覚えてどこかに消えていった。

スタイルも良く、風貌も美しい女性が、もてはやされればもてはやされる程、世の多くの美女は、薄っぺらな幻想に惑わされ、いとも簡単にもっとも醜い存在へと同化していく。
基本的に美女は短距離走者であり、長距離走者には、なかなかなりえない。そんな中でも長距離走者になれる美女だけが、本当の尊敬を勝ち取ることが出来る。

短距離走者は、権威になびき、運命を男に左右されがちになり、基本的に使い捨てられる=A長距離走者は、外見と同じように内面を磨き上げ、周りの人間の運命を左右し、不滅の輝きを手に収める


この作品の主人公・秋子は、まさしく短距離走者であった。しかし、秋子を演じた岡田茉莉子(1933− )自身は、まさしく長距離走者の人だった。そして、そんな女優が短距離走者を演じたからこそ、物語の平凡さを超越する多くの魅力が生み出された。そういった意味においては、同じような流れのドラマを演じる最近の女優は、ほとんどが短距離走者が短距離走を走っているだけで実に面白くない。


■内面が醜い分だけ、外見を飾り立てる事に躍起になる


のし上がる為には肉体を、ジジイに差し出すことも厭わない秋子。そんな生き様が彼女から内面的な美しさを奪い。いつの間にか澱み切った世界の中で、身も心も擦り切れ、本当の自分さえも見失わせていく。

綺麗ごとでは生きていけない!と強がっていた女性が、最終的には他人に自分の綺麗ごとを認めてもらおうとする皮肉。そして、勿論そんな綺麗ごとは受け止めてもらえずに、孤独の中彷徨う惨めさ。ある女性がこう語った。「宝石とは、内面的に醜い女性が、表面的な輝きを手に入れようとする抵抗の道具」であると。

現在においても、特にVシネマの業界において、女性が役柄を獲得するために、肉体を駆使する競走は激化している。そして、
その内容が、学芸会に毛の生えたものである様に、出演する女性の質も、製作者に対する貢献度の度合いによって、作品における露出度は左右されている最低レベルの娯楽である。あえて言うと、Vシネマの大半は、個人的欲望の達成に過ぎず、娯楽でさえもない。だからこそ私はVシネマに出ているだけの俳優は、俳優として認めない。


■そのふてぶてしい姿さえもが魅力的


岡田茉莉子 岡田茉莉子
「利用価値満点の男よ。ちょっと年食ってるけどね」

こういうセリフを吐く女は、「あの女はやれる」というセリフを吐く男と全く同次元の人間であり、お互いがお互いを見下していながら実は、似たもの同士で食ったり食われたりの関係なのである。

そして、他人を軽く見る人間というものは、結局、その本人自身が誰からも軽く見られてしまう羽目になるのである。我々の周りにも少なからず居るのではないだろうか?「あいつは利用価値がないね」という人が。そして、そういう人の会話を聞く度に周囲の人間は思うのである。「そういう人とは、人間的な付き合いは出来ないな」と。

この作品の本質は、この点にある。オープニングのタイトルが石岡三郎(大木実)の顔のアップで始まり、ラストが秋子の顔のアップで終わる。
二人共他人を食いものにしようとし′ヌ独の中で滅び去っていく。孤独で始まり孤独で終わる。

石岡は金=実利を求め、秋子は名声を求めた。そして、結局は何一つ手元に残さずに消えていった。


■キリっとした美しさ 宮城千賀子様


宮城千賀子 宮城千賀子 森美樹
この作品には、主役の二人と刑事を演じる笠智衆以外に、実に魅力的な二人の俳優が登場する。一人は元宝塚出身の宮城千賀子(1922−1996)。登場シーンは少ないが、氷のような美貌で、如何にも宝塚出身の存在感を漂わせてくれる。
この時代の宝塚出身の女優には、今の宝塚出身女優にはない、抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、秋子に振り回される純粋なプロ野球選手・江波を演じる森美樹。長身に神経質そうな端正なマスクのこの俳優は、将来を嘱望されながらも、(本作公開の3年後の)1960年12月4日に弱冠26歳でガス中毒死してしまう。彼こそは、あの嵯峨美智子が本当に愛した唯一の男性と言われている人である。

そして、そんな森美樹だからこそ、幸の薄い秋子の許婚という役柄が、どこまでもリアルに嵌まっている。実生活においても幸の薄い女の恋人だったという事実と、彼自身の死が、そんな女性の人生を更に転落へと導いていったという事実が・・・


■岡田茉莉子 表情で魅せる女優


岡田茉莉子 岡田茉莉子 岡田茉莉子
「みんな私の真似をするようになるのよ」

「体賭けて張った博打だもんねえ」


ファッションモデルとして成功を収める秋子。僅かな証拠から秋子の素性が明らかにされていく過程。秋子のコンパクト・・・。そんな秋子を陰ながら応援する安酒場の女将(千石規子)。本作は複雑な人間関係を巧みに描ききってはいないが、千石規子の相変わらずの芸達者ぶりが、役柄に半ば強引な説得力を与えている。

この女将の存在があったからこそ、本作は、ジメジメした陰鬱な作品に成り果てなかった。そして、女将と秋子の掛け合いが、岡田茉莉子の有無を言わさぬ魅力を引き立たせている。


■女にとって肉体の安売りは歯止めが利かなくなるもの


顔 顔 岡田茉莉子
「ねえ。どうしてお礼したらいいの?」

そう言って、コンパクトをチラつかせ脅迫する石岡を篭絡しようとする秋子。一度自分の身体を使って上手いこといってしまうと、それに味をしめて肉体の安売りは歯止めが利かなくなる。
そんな女は最初には、「ここぞという時に肉体を武器にするの」と言うのだが、やがては「肉体だけが私の資本」と言う風になる。

「いざとなりゃ。すぐ体を投げ出してきやがる!」


と言い放つ石岡。彼に関する描写は本作における弱点部分である。本作がサスペンスとしての魅力に欠けるのは、石岡に関しての説明不足な点にある。ストッキングを脱ぎ、上着をはだけ迫る秋子を弾き飛ばし、江波から奪い去った小切手を懐に潜め立ち去っていく石岡の行動は、見事なまでに説明不足で物足りない。

しかも、あろうことかトラックに轢かれて死んでしまうのである。そして、秋子は転がっていたコンパクトを取り戻し、立ち去っていく。


■女の見栄が、女の内部崩壊を招く


秋子は追い詰められ、バカにしていた江波に身の上話をして助けてもらおうとする。誠意を込めて同情を買おうとする秋子のその姿。若いうちに男が経験しておくべき事の一つに、
美女の涙に載せられてバカを見るがある。美女の涙ほど怖い物はない。特に感謝という言葉を軽々しく連発する美女には要注意である。

そういう美女は大概にして、恩を仇で返す傾向がある。私も20代の頃に美女の涙に載せられた経験がある。
「私は変われる」「地道に暮らしたい」「家の事は任せて下さい」・・・そんな空虚な熱の篭もったセリフの数々。しかし、美女が吐く言葉は、大概はその場しのぎであると考えた方がいい。

涙を見せて人生の境地を乗り越える術に長けた美女は、自己正当化に長けているので、自分が救われる為ならどんな芸当でもやってのけて見せる。そんな美女に40代を越えて騙されてしまうと、後は骨の髄までしゃぶられ共に落ちていってしまう。私の知人の美容整形の院長も、そういったドツボに嵌り、精神安定剤の多用により、50代前半で死んでしまった。


■その美しさが仇になる 女の悲劇


「何人も何人もの男の肌が染み付いてるんだその身体には!」


そして、江波にも素性がバレ、誠意を装い必死につなぎ止めようとするも、孤独な大都会に放り出されてしまう。もはや頼るべきものがなくなった秋子。そして、彼女は薄々自分の人生の選択の過ちに気づき始める。
(私は、結局のところ男を振り回しているつもりで、男に振り回されていただけじゃないのか?)

「東京には色の着いた灯りが多すぎるよ 色のあるほうに値打ちがあると思ったのかな?」

「悪いヤツラだよ だが悪いヤツっていうのはまた可愛そうなヤツラでねえ」


美しさを武器にして成功への道を駆け上った秋子は、その美しさがアダになり、どこに行こうとも周りの目を気にしなければならなくなる。「顔」・・・秋子の束の間の栄冠も顔によって・・・しかし、没落の原因も顔によって・・・
表面的なものに価値を求めることが、いかに空しい結末を生み出すか・・・

そんな秋子が、誰もいないファッションショーの場所に佇むラストシーンは、実に悲しい瞬間である。
美を身につける≠アとなんて嘘っぱちに過ぎないのではないだろうか?どんなに身を綺麗に飾り立てようとも、女の価値は、やはり中身で決まるもの。美しい顔も一つの装飾品であり、そんなものに頼り人生を突き進むのではなく、あくまで内面の美を引き立たせる付属品として考え、人生を歩んでいくべきではないか?

外見の美≠ノ拘りすぎ、空虚さに満ち溢れている現在の価値観が、全く間違っていることを教えてくれる素晴らしい岡田茉莉子の名演が本作にはある。

美容整形やエステに金を注ぎ込み、コスメフリークを自称している女に限って、心の中は未成熟で幼稚で、晴れない霧が立ち込めていて、絶えずそんな霧に支配されている場合が多い。この作品は映画的に優れているとは言い難いが、岡田茉莉子の魅力が、
「現代女性にも通じる外見にばかり気を使いすぎ、人生に格好をつけすぎて、内部崩壊を招く女の姿」を見せ付けてくれている。

− 2007年12月11日 −


当サイト内で使用している画像・映像キャプチャー等は、あくまで映画文化の熟成及び芸術復興を標榜する当サイトの意図により、
「映画を文章だけで云々することの不誠実さ」と「目で感じる芸術及び娯楽」である映画に対する敬意の姿勢で使用しております。よって著作権等は、全て各製作者・会社に帰属します。
画像・映像キャプチャー等の使用に関して表記の問題がある場合、又は削除依頼がある場合は迅速に応対させていただきますのでご連絡ください。
このサイトは、100%非営利に、純粋に「映画解釈の究極」を求めて運営されています。取り上げるべき作品・感想等ございましたらどんどんメールください。
当サイトはリンク・フリーです。
Copyright (C) 2007 Geijyutsu Taizen. All Rights Reserved.
Mail:webmaster@summaars.net