|
華麗なる一族 (1974・芸苑社) | |||||
| ■ジャンル: ドラマ ■収録時間: 211分 ■スタッフ 監督 : 山本薩夫 製作 : 佐藤一郎 / 市川喜一 / 森岡道夫 原作 : 山崎豊子 脚本 : 山田信夫 撮影 : 岡崎宏三 音楽 : 佐藤勝 ■キャスト 佐分利信(万俵大介) 仲代達矢(万俵鉄平) 田宮二郎(美馬中) 京マチ子(高須相子) 月丘夢路(万俵寧子) |
![]() |
|||||
■あらすじ 業界第10位の阪神銀行頭取万俵大介(佐分利信)には、日本一の金融界のドンになるという野望があった。一方長男鉄平(仲代達矢)は系列会社阪神特殊鋼の専務である。彼の夢は会社独自の溶鉱炉を所有することであった。しかし、鉄平の出生の秘密と、一族内に平然と君臨する大介の妾相子(京マチ子)の存在が万俵一族に思わぬ悲劇を招いていくのである。 ■テレビドラマと映画の違い ![]() 300ページ規模の一冊の本ならば一気に読み終えることは可能だが、本作のような長編小説は何回か間を置いて読むものだろう。そういうことにおいては本作は明確にテレビドラマに向いている素材である。近年世界的に氾濫する商業主義、成金主義、他人を押しのけてでものし上がろうとする、もしくは大きな権力をバックにいばりちらす風潮のある社会において、本作のリメイクとしてのドラマ化は普通に受け入れやすいだろう。 山崎豊子の小説の妙はその芸術性の欠けらもない人間の感情のストレートな表現なので、あまり役柄を演じるに置いては芝居力は要さない(ある意味名優が演じれば恐ろしいほどの存在感を示すことに成るのだが)。微妙な感情の解釈を必要としない原作であるから、極めて現在のアイドルや俳優まがいにも演じやすい。 ただし、本作を映画化する場合は別である。基本的に連続するテレビドラマで演じることは舞台や映画で演じるよりも芝居は数段劣る。その理由は言うまでもないが、濃縮した芝居を要求される舞台・映画に対し長丁場のテレビは、それ程濃縮した芝居を求められないからである。 そういった意味においてこの映画版の『華麗なる一族』は211分という長すぎた事実を除くと、素晴らしい出来上がりの作品である。何人かの役者の力量は明らかにずば抜けていた。 ■京マチ子と月丘夢路 ![]() 本作において、優れた芝居を見せていたのは、佐分利信、仲代達矢、月丘夢路、京マチ子、田宮次郎、二谷英明、西村晃、小沢栄太郎である。特に万俵大介を演じた佐分利信の憎々しいまでの存在感と、京マチ子のふてぶてしさが、物語の終焉の方の展開で生きてくるのである。 しかし、大介の妾・相子を演じる京マチ子(1924− )という女優の魅力は年を取るごとにより深まる魅力である。顎の辺りに肉がつこうとも、あの何ともいえない妖艶な肉体を包み込むネグリジェー姿を見せ付けられたら、大人の男なら彼女に溺れてみたくなると言う「妖しさ」の説得力がある。ある意味中年期の京マチ子は中年期のリズ・テイラーに似ているともいえる。 ![]() 一方、大介の妻・寧子を演じる月丘夢路(1921− )という活発なモダン女を得意な役柄をしていた元宝塚スターのダメな母親ぶりのうまいこと。この母親は明確に母親として失格者なのだが、そういった部分を静かに演じれるところが、全体的に静的芝居を苦手とする宝塚出身の女優の中で彼女がいかに突出した女優であったかを教えてくれる(恐らく当時の月丘夢路であれば相子役を演じても違和感はなかっただろう)。 この二人の対照的な名演があったからこそ終幕においての立場の逆転が、抜群に感動的なのである。「あなたもお子様がおありになればよかったのにねえ」この月丘の一言の持つ静の迫力は凄まじい。 ■佐分利信と仲代達矢と田宮二郎 佐分利信(1909−1982)は、本作の前年に12年ぶりにTV界から映画界に復帰し、それ以降は大作映画の主人公としてある意味ゴッドファーザー化していっただけに、その存在感は凄まじい。恐らく今の時代に彼のような存在感を持った俳優は少ないだろう。 そんな大介の長男・鉄平を演じる仲代達矢(1932− )は、彼の一番得意とする一見冷静な男が運命に翻弄され感情を剥き出しするという役柄を見事に演じている。それとは対照的な弟・銀平を演じる目黒祐樹(1947− )もうまいとかそういったレベルの芝居はしていないが、そつのないニヒルさをかもし出している。 逆に実は銀平と似た性格である美馬中を演じる田宮二郎(1935−1978)の存在感は恐ろしいほどである。こんなヤツにはなかなかかなわないな。と思わせてくれる狡猾で人間的に好感を抱けない官僚を見事に演じている。この存在感をテレビドラマにおいて全く真似をしようと努力していた役者がいたが、その姿勢では自分自身の芝居の力量に自信がなさすぎと言えるだろう。プロの役者ならば、誰かが演じた役柄と全く同じ解釈で芝居することを許せないはずである。失敗を恐れずに役柄を解釈していこうとする姿勢がない俳優を見ているとこう言いたくなる。「あなたは役者の仕事を創造とは考えずに模倣と考えているようだ」と。 実は本作の映画化にあたって、田宮二郎は自分が鉄平を演じたいと原作者の山崎豊子に直談判していたと言う。「鉄平の死に方は、純粋で男らしく、壮絶ですね。至近距離で猟銃を撃っても顔がつぶれないのは美しい死に方ですね」と言っていたという。そして、後に田宮自身も、12月28日に猟銃自殺をした。鉄平が自殺したのは大晦日である。 ■華麗なる出演者達 ![]() 邦画の大作映画というものは、大概にして豪華キャストである。本作もそうであり上記の役者以外に山本陽子、中山麻里、酒井和歌子、香川京子、二谷英明、大空真弓、西村晃、小沢栄太郎、河津清三郎、佐々木孝丸、志村喬、加藤嘉、稲葉義男、北大路欣也、神山繁、下川辰平、滝沢修、中村伸郎、平田昭彦、細川俊夫、金田龍之介、大滝秀治、北林谷栄、鈴木瑞穂、小林昭二、花沢徳衛と実に豪華である。 その中でも酒井和歌子と二谷英明と大空真弓が印象的であった。万俵二子を演じる酒井和歌子(1949− )は、この当時芝居は上手な女優ではなく関西弁も不自然だが、役柄的には十分に機能していた。三雲を演じる二谷英明(1930− )は良心的な銀行頭取を違和感なく演じ、大介との対比性を出す役柄を見事に演じていた。 それにしても、当時の大空真弓(1940− )がすごく魅力的だった。西村晃、小沢栄太郎に関してはもう言うまでもなく素晴らしく。この当時彼らにこういう役柄をさせると誰も敵わなかった。 ■素晴らしい音楽 本作の最高級の功労者の一人として佐藤勝の名が挙げられよう。音楽が実に素晴らしい。『ドクトル・ジバゴ』の「ラーラのテーマ」をアレンジしたようなメロディが実に哀愁があり本作に格調というスパイスを与えていた。佐藤勝(1928−1999)とは、黒澤明の『用心棒』『椿三十郎』をはじめとするほとんどの黒澤映画の音楽を担当した名匠である。 ■「お母様こんな獣のような生活なさって平気なの?」 本作は「家柄」というものについて考えさせられる作品である。家柄を考えて結婚させられることの不幸の連鎖が、笑い声など存在しない家庭を作り出すのだろうか?実際現在においても繰り返される政略結婚をしている政治家や大企業の一族なんかもこんな感じなのかもしれない。 それにしても大介と妻寧子と妾相子の3Pには驚かされる。まさに獣そのものである。そして、こんな獣達が次の日には妙に取り繕って次男・銀平のお見合いに出席しているのだから。取り繕った話し方をする不自然な人間には意外に二重生活者が多いのかもしれない。 「あたくしソルボンヌでございますから」というおばさんが出てくるが。よくいるのであるこういう自分のことをペラペラ話し尊敬させよう、もしくは威圧しようとする輩が。得てして金持ちは自分の自慢話をしたがるものだが、私が人を見分けるときのポイントは、いかにその人が自分の自慢話をしないか否かである。 基本的に自分のことを話せば話すだけ、相手には薄っぺらな印象を与えてしまうものである。 ■「砂漠のような生き方」 最近の日本の風潮においても、この『華麗なる一族』のような意味においての『華麗さ』が氾濫していること氾濫していること。この作品の『華麗なる』とはつまり『人間味のない』という意味でもある。親と子の純粋な愛情表現もなく、全てはお金や家の名誉が優先され、格式は重んじられるが、心の底から幸せを感じたことはない。そういう家庭においては金を浪費するほか心の隙間を埋める方法はないのである。 そういう一族が『華麗なる』とは実に逆説的な言葉である。金と家の名誉に左右される人生とは、その人から生気を奪う生き方を強制させることが、本作を見ていてもより実感させる。 ■素晴らしい終焉のまとめ ![]() 本作の物語の核は、大介と鉄平の親子の葛藤と、大介の妻・寧子と妾・相子の相克である。 親子の葛藤は、大介の父親が寧子を犯した後に出来た子が鉄平であり、容貌も父親と生き写しであることから大介は自分の子供ではないと感じている事から生まれている。その結果阪神特殊鋼を銀行合併のための捨て駒として利用し、鉄平は雪山で猟銃自殺することになるのである。 そして、気づかされる衝撃的な事実。鉄平は大介の実の息子であったこと。ショックを受ける大介と寧子に、二子が言い放つ「鉄平お兄様を殺したのはお父様とお母様よ」そして、銀平は呟く「兄さんの代わりの僕が死ねばよかった」と。鉄平の自殺が生み出した親子の溝はもう二度と埋まらないだろう。 家庭は崩壊したが、東洋銀行というものを手に入れた大介は、妾相子を切り離す決意をする。「あなたもお子様がおありになればよかったのにねえ」と捨てセリフを残す妻寧子の姿もまた、相子と同じくらい空しいものがある。鉄平の自殺によって寧子もまた大切なものを失っているのである。 ここで実は万俵家の家庭崩壊の理由が、大介にあるのではなく、寧子の浮遊感と無責任感が生み出していることに、見ている側は気づくのである。家事も子供の面倒さえも見ることをしなかったこの寧子の強みは「子供をつくった」ということだけだった。つまりこの寧子は母親でありながら母親の機能を果たしていなかったのである。だから万俵家には相子が必要だったのである。 東洋銀行の披露宴パーティーで、大蔵省の大物官僚となった大介の義理の息子・美馬中が、東洋銀行を陥れる準備をしていた。大切なもの失った大介が、手にした栄光の日々が一年も持たないことを暗示させつつ物語は終焉する。 「人間を置き忘れてしまった企業というものは、いつかどこかでつまづく時がくるというのが私の信条です」おそらく大介は、鉄平の葬儀の席で三雲が言ったこの言葉を思い出すことになるだろう。そして、その時にはもう相子はいない。実に頼りない妻・寧子が家にいるだけである。 本作は1965年に実際に起こった山陽特殊製鋼倒産事件と神戸銀行と太陽銀行がモデルになっている。 − 2007年6月15日 − |
||||||