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カルメン故郷に帰る   (1951・松竹大船)
■ジャンル: コメディ
■収録時間: 86分

■スタッフ
監督・脚本 : 木下恵介
製作 : 月森仙之助
撮影 : 楠田浩之
音楽 : 木下忠司

■キャスト
高峰秀子(リリイ・カルメン)
小林トシ子(マヤ朱実)
笠智衆(校長先生)
佐野周二(田口春雄)
佐田啓二(小川先生)
井川邦子(田口光子)
坂本武(青山正一)
三井弘次(岡信平)
カルメン故郷に帰る
大自然の中で我が道を行く二人。いつの時代に見ても二人は必ず浮いているはず。そして、ソレこそがこの作品の魅力である。カラー映像の色彩感覚を食い潰すほどにカラフルな二人。この作品こそ日本初の国産カラー作品であり、後の世のカラー映画に対する警告を発している。「カラーの色彩感覚に主人公が飲み込まれないようにしなさいよ」と。そして、今の邦画はほとんど「カラーの色彩」に食い潰されている。

■あらすじ


東京でストリッパーとして人気を誇るリリイ・カルメン(高峰秀子)は、同僚のマヤ朱実(小林トシ子)を引きつれ、故郷に凱旋する。「芸術家の舞踏家」として大歓迎を受けるリリイだったが、やがて二人の舞踏はストリップだということを知る村人達。そして、そんな偏見の目をよそに「ストリップは芸術だ!」と一夜限りのストリップショーを村で行う宣言をするリリイとマヤだった。


■リリイ・カルメンは決しておつむの弱い女性ではない


カルメン故郷に帰る
私の親友にポールダンサーの女性がいる。長身でスタイルも抜群の彼女だが、いつも体中痣だらけだ。そんな彼女はこの仕事が好きでしょうがないと言う。海外旅行に行ってはポールダンスを観て、新しいスキルを目で盗んで帰ってくるほどの熱の入れようで、ポールダンサーというよりも修行僧のような節制した生活をしている人である。

そんな彼女にとってポールダンスが芸術なのかは分からないが、ここまで打ち込める踊りというものに対する情熱は並みの次元ではないだろう。この作品の主人公リリイ・カルメンも、ストリッパーという役柄である。そして、本人は芸術家を自称しており、踊りに対してはかなり真剣な風である。

そんな彼女の周りの視線を気にせぬ「わが道を行く」姿勢と「どんな自分であっても誇りを持って生きる」素晴らしさが、この喜劇の中に一貫して存在する。リリイ・カルメンは、<子供の頃に牛に頭を蹴られてからおつむが弱くなってしまった>とよく解説文には書かれているが、物語を拝見すると分かるが、それは父親が「そうかもしれない」と言っている推測に過ぎない。

家出したことを考えても、リリーは極めて行動力に溢れる女性であり、自分の居場所はココではない、そう考えた上での行動だったのだろう。そして、父親と娘の関係にしても相互理解できない間柄ながら、二人は離れた距離感の中で最大級の愛情の交換を行っている。


■日本人に根強い「芸術」に清潔さを求める心


この作品は、日本人の本質の痛いところを見事についている作品である。そして、現在もその本質はさほど変わっていない。
この島国においては、つとに他人の行動に差し出がましいチャチャを入れたい人間が多く存在し、「芸術」は清潔で誰からも好まれるもので無ければいけないという風潮がこの国には根強く存在している。

しかし、そもそも芸術とは、それほど高い位置に存在する者達から生まれたものではなく、「人間があるコトに対して真摯な態度で取り組み生み出したものは全て芸術になりえるのである」

そんな部分もひっくるめてこの作品には、田舎モノであればあるほどの固定観念の強さを皮肉っている作品でもある。
「実は金持ちよりも、貧乏人のほうが固定観念が強い」という当時の世情を・・・。


■恥じらいを捨てる!チークダンス、ストリップダンス・・・


カルメン故郷に帰る カルメン故郷に帰る
松竹映画30周年記念作品であり、日本初の国産カラー作品である記念碑的な本作が、ストリッパーを主人公にしているという快挙!そうでありながら日本の大自然を余すところなく捉えるこの図々しさ。カラー創成期だからこそ一種独特の着色なのだが、それがまた現実離れした幻想感を生み出してくれている。

貧しいながらも古き良き日本。小学校が地方文化の中心に位置し、校長先生が尊敬を集めていた時代。ある意味こんな時代に生まれ育った人たちにとって現在は、非常に住み心地の悪いものではないだろうか?この時代の作品を見ていると、物質的な豊かさは、自然の豊かさには到底叶わないと認識させてくれる。

それにしても何の恥じらいもなくチークダンスを踊るオヤジの姿が実に微笑ましい。
大自然の前で恥じらいを捨てて一心不乱に何かに埋没する瞬間こそ人間の本質的な喜びではないだろうか?


■笠智衆の魅力もまた「我が道を行く」であった


カルメン故郷に帰る カルメン故郷に帰る
この作品において影の主役を務める笠智衆(1904-1993)のハジけっぷりが素晴らしい。銭ゲバ野郎を背負い投げする笠さんの見事さ。浅間山に向って謳う朗らかさ、「日本は文化」と何かの一つ覚えのように繰り返す実直さ、そして、その物腰の全てがこの作品の牧歌的な雰囲気に見事にマッチしていた。

リリイとマヤのモダンさに対して、笠さんと佐野周二、井川邦子、佐田啓二は見事なまでに対照的な魅力を発散していた。しかし、
村人に背負い投げを喰らわせる校長先生って人間味溢れていて実に素晴らしいと思うのだが、今の世ならば、メディアが騒いで自殺にでも追い込んでしまうのだろうか?

最近のメディアは、人一人の人生を破壊しても何とも思わない末期状態に差し掛かっている。そろそろ滅びの前兆かもしれない。


■計算された失笑を生み出す不敵な意図


カルメン故郷に帰る カルメン故郷に帰る
リリイ・カルメンとマヤ朱実。何とも完全に浮いているその存在感が凄まじい。とにかくド派手な衣装と我が道を行くその仕草。滑稽さを越えてこっぱずかしくなるほどの行き過ぎた二人の芝居は、完全に失笑を誘うはずである。

しかし、あえて言うならば、それは当時とて同じ印象を観客に与えていたはず。実はこの過敏な芝居は、時代的なものではなく、普遍的に可笑しな芝居≠ネのである。そして、それは明確に意図されており、
この作品には、多分にカルトムービー的な要素がある。

二人は都会の洗礼を受け生まれ変わった女性の誇張された姿である。ごく普通の田舎の人々にそんな二人を対峙させる事によって、木下はカラーの色彩に勝る主人公の濃さを演出したのである。

この作品は、あらゆる意味において、現在、映画を作る監督が読み解かなければいけない一つの要素がつまっている。それは
「日本映画の弱点は、色彩に押しつぶされた個性なき主人公にある」という要素である。それは何も脚本上の個性だけの話しではなく、躍動感、生命力、狂気を表現出来る役者が不足しているということでもある。


■大自然の中でモダンな女二人が飛び跳ねる滑稽さ(&ちょっとサブイ演出)


カルメン故郷に帰る カルメン故郷に帰る
とにかくこのファッションが凄い。高島屋≠ノよってこういうド派手な衣装が提供されている。その悪趣味な演出に、見事にノセられた高島屋は間抜けとしか言いようがないが、それはそれですごく面白い。

「全て行き過ぎた中から見えてくるもの」それがこの作品のテーマである。二人は走る!濃いメイクと派手なファッションで、一切の飾りのない大自然の中を疾走し、野性の中で煩悩を弾き飛ばすかのように踊り狂う。

♪あたしゃモダンな町娘〜ちょいと散歩にニュールック〜♪

高峰秀子の歌う「カルメン故郷に帰る」。この声の響き。分からないヤツには決して分からないだろうが、彼女や笠置シズ子そういった連中の歌声の響きにゾクッと来る女は最高に格好いいね。イイ年こいてクラブで若作りして踊ってる女よりは遥かに・・・


■すごくイイ蓮っ葉な感じのマヤ朱実


カルメン故郷に帰る カルメン故郷に帰る
高峰秀子(1924− )の相棒マヤ朱実を演じる小林トシ子(1932− )。さすがに日劇ダンシング・チーム出身だけあって、身体の線からしてダンサー体型であり、高峰秀子の脚がより太く見えてしまう。この作品において、二人とも太股を露わに大自然の中を闊歩するシーンが多いのだが、物腰の魅力は小林トシ子に歩がある。

あんただって夜になれば遊びたいんでしょ

やはりどんな大女優でも、本業だった役柄を演じる女優には生半可なことでは勝てない。ダンスシーンにおいては小林トシ子の方がどうしても魅力的に見えてしまう。そして、彼女が佐田啓二に迫る物腰も、リズム感に溢れており、ビッチ感満点でかなりよろしい。こんな女に迫られたらどんな男でも間がさしてしまうだろうな・・・それにして、この作品の佐田はなかなか母性本能をくすぐる役柄ではないか?


■本当の意味でバカボンな映画


カルメン故郷に帰る カルメン故郷に帰る
何気にファッションの中にも斬新で格好いいモノもあるのに驚かされる。この作品はある意味ファッション・デザイナー必見の作品でもある。麦藁帽子にスカーフを頭に巻きワンピースにサンダル。かなり様になってるよね。

「あらゆる芸術は理解されないから苦しいのよ」

と言うリリー。女のあぐら姿。ある意味この作品は、新しい女性像を皮肉った作品でもある。佐野周二と語らうリリーのセリフの中に「結婚は出来やしない」というのセリフがあるが、リリイの姿にこそ意外に現在の「結婚しない女」像に共通する点が多いのではないだろうか?

カルメン故郷に帰る カルメン故郷に帰る
マヤ朱実が佐田に惚れていながら実にドライに別れるのも新しい女性像の一つである。そして、草原でストリップという芸術を村人に披露しようと決起して、踊りだす二人のその姿の奇妙な愉快さ。
ある意味「天才バカボン」のノリである。

この作品を今の時代楽しめる人は、極めて多面的にモノゴトに接する力のある人だろう。
普通の人が見たならばほぼ理解不可能な作品。その象徴的なシーンがこのシーンである。しかし、この作品のスパイスを楽しめるようになれば、「あなたの人生もより多面的な輝きに満ち溢れる」というものだ。

メディアに誘導されるモノだけしか、感じ取れない感性で生きていると、人生とは実に退屈でつまらないものになるんじゃないだろうか?


■観客の純粋な集中力が舞台上の踊りを芸術に変える


カルメン故郷に帰る カルメン故郷に帰る
「ニッポンのど真ん中で踊ってる踊りなら、この山ん中で踊ったって立派なもんに決まってますらぁ。ああ・・・きっと芸術ってもんでしょうよ」

ストリップ・シーンは、実際はストリップはしないのだが、観客の表情が実におかしい。特に高堂国典の表情が圧巻だ。悩める芸術家が男性の観客を悩ませるそのまんまとしてやったり振りの可笑しいこと。しかも、笠さんに背負い投げされた銭ゲバ男が舞台の設営を安上がりに済ましたために、踊っている二人の床が揺れて、演奏もてんでばらばらになっていくのだ。

それにしてもこの舞台の熱気・・・熱中・・・娯楽のない時代だからこそその集中力が凄まじい。芸術とは時代が生み出すものなんだということが良く分かる瞬間である。


■リリイとマヤは村に活力を与え去っていった


カルメン故郷に帰る
からかい半分な村の男たちの声を浴びながら無邪気に手を振り去っていくリリイとマヤのキュートなことキュートなこと。故郷に帰った二人の踊りが、村人に芸術を感じさせたかはともかくとして、何らかの影響を与えたことだけは確かだろう。それは恐らく生きる活力だったんじゃないだろうか?

本作は、日本初のカラー作品として松竹大船が富士フィルムの協力のもとに作り上げた作品である。撮影は1950年の8月から10月末に渡ってロケ撮影は行われた。カラー撮影が失敗した時のことを考えて白黒フィルムでも同時撮影したという。脚本は、木下恵介が高峰秀子の主役を念頭に書いた作品であり、この脚本を受け取った高峰は最初その役柄に「驚いた」という。

− 2007年10月29日 −


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