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県警対組織暴力 (1975・東映) | |||||
| ■ジャンル: 東映ヤクザ ■収録時間: 100分 ■スタッフ 監督 : 深作欣二 脚本 : 笠原和夫 撮影 : 赤塚滋 音楽 : 津島利章 ■キャスト 菅原文太(久能徳松) 松方弘樹(広谷賢次) 成田三樹夫(川手勝美) 金子信雄(友安政市) 池玲子(麻里子) 梅宮辰夫(海田昭一) 川谷拓三(松井卓) |
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■あらすじ 昭和38年中国地方の一都市・倉島では、地方の二大ヤクザ組織大原組と川手組の抗争が続いていた。そんな中倉島署の対組織暴力担当の部長刑事・久能(菅原文太)は、川手組の撲滅を画策してた。実は久能は、大原組の若衆頭である広谷(松方弘樹)と親密であり、彼の利益になるように暴力さえも持さない強引な捜査をしていた。そして、見事川手組を出し抜き、広谷が優位になったのも束の間、思わぬ難題が降りかかってきた。県警から清廉潔白なエリート警部補海田(梅宮辰夫)が、倉島署に派遣されてきたのだった。 ■東映実録ヤクザ路線の最高峰! ![]() 間違いなくヤクザ映画の中でも最高峰に位置する作品。「コレが東映ヤクザ映画だ!」と言える集大成的な作品。逆に言うと東映実録ヤクザ路線は「県警以前」と「県警以後」に区分されるくらいこの作品を中心にがらっと変わっていく。それはつまり熱気のある「県警以前」とクールダウンしていく「県警以後」である。 この作品は、まさにヒートアップの頂点にあり、東映でヤクザを演じていたそれぞれの役者にとってもまさにヤクザを演じることに対する情熱が頂点に達していた。そして、笠原和夫のシナリオの切れ味もまた頂点に達していた。 この作品以後東映を始めとするヤクザ映画は、ただのガラの悪いヤクザに憧れてる三流俳優のヤクザ崇拝映画に成り下がっていく。特に最近のヤクザ映画(Vシネマを含む)にはもはや芝居をしている感じはなく、ただ実生活の延長線上をさらけ出しているとしか思えない登場人物が登場してくるばかりである。男も女も含めて。 ヤクザのシノギを描くのではなく、ヤクザの生き様と滅び様を描いていたからこそ、この時代のヤクザ映画には、普遍性があった。滅びの美学=E・・この作品の中にもボロ雑巾のように始末されていく二人の中にはソレがあった。そして、この滅びの美学≠ェやがて滅びの方程式≠ノなり、日本のヤクザ映画はただの量産される小学生の計算ドリルの宿題のような作品ばかりに成り下がった。 ■素晴らしいテンションの持続力 コレにはソレがあった 「デカと呼ばれるこいつも人間」劇場公開予告より 薄汚れたドヤ街の屋台で日雇い労働者の風体で張り込みをする文太兄ィ(1933− )の姿。何かがおきそうなその気配に早速テンションはあがる。この薄汚れた世界観作りの巧みさ。それがこの頃の深作欣二にはあった。 タイトル前に一発かましたれ的な文太兄ィの登場シーン。そんな中、本作で何気に美味しい役柄を手にしているのが、『仁義なき戦い』で最後の首を取った男・奈辺見たか!わいがやったんやで!′蛯ナある。 「どいつもこいつも鼻血のたまったツラしとりやがってェ!」 いきなり文太兄ィにビンタ制裁を浴びせられる奈辺らチンピラ四人衆。文太兄ィの力みのない迫力。この力みのない迫力がかなりポイント。最近のヤクザモノの役者は皆力みを利かせすぎ。おいおいビーバップじゃねえんだからさぁ〜といいたくなる位にただ品が悪いだけ。しかし、文太兄ィのヤクザ芝居には品が悪いだけではすませられないモノがある。つまりセリフが上辺だけでないということ。コレが今時のヤクザ俳優と文太兄ィを始めとする当時のヤクザを演じている俳優の明確な違いだった。 つまり、今のヤクザ俳優は、高校の学園祭で、ヤクザ好きなガキ達がヤクザを演じてるような感じにしか見えないという事。ある意味生々しすぎて見ていて気分が悪くなる。 ■文太兄ィの魅力全開! 「あの〜ライター」奈辺 「ばかこのォ〜!今から死んでくもんに用があるかい!ワシがあずかっといちゃるけん行ってこいやこら!」文太兄ィ 奈辺のダンヒルのライターは、悲しくも文太兄ィのお預かりという名の没収になってしまう。もう映画開始早々、巧妙に悪を食い物にする文太兄ィ。自分が屋台で食った勘定まで「ワシの分もいるんど!」と払わせる見事な便乗振り。そして、逮捕をせずに「行ってこい!」と車に蹴りをかましハッパをかけるその姿。一体何のための張り込みだったんだ?という観客の疑問もよそに文太兄ィの強烈な牽引力がこの作品を引っ張っていく。そんな強引さの一方で、 「もうちびっとるやないか かわいいのぉ〜。かっこつけそこのうてからに。ワリャァ市役所の戸籍係でもなった方がちょうどよかったんじゃないのか」奈辺に対する文太兄ィのセリフ 「もうちいと品よおやらんかい」拓三が情婦と警察の便所でまぐわえるように粋な心遣いをみせた文太兄ィの一言 そういった細やかな心遣いもみせる文太兄ィ。まさに文太兄ィの魅力は、その善悪の捉え処のなさにある。 ■もう素晴らしいとしか言いようのない川谷拓三 ![]() 「くそっぱちやぁ!なんどやぁこの百姓!おどれら税金で飯くうとんのやろ!公平にやらんかい!」 このセリフを吐く川谷拓三(1941−1995)の金切り声が圧巻。散々調子に乗っている所に、「わりゃ税金はらっとるんか!」っとナイスな突っ込みを入れられ、痛いところを突かれたという表情をする拓三のその瞬間。もう素晴らしすぎる。 川谷拓三の素晴らしさは、そのしょっぱさを前面に押し出す存在感にある。背が高くもカッコ良くもないが、この人には東映という情無用な組織の中でへばりついて生き残るぞという必死さが体全体から溢れ出ていた。今のチンピラをやる俳優に欠けているのが、この拓三や小林稔侍が見せる飢餓感である。だからこそ、どのチンピラにも、リアリティがあるようでリアリティがない。 「誰の許可もろて煙草吸うとるんじゃ!おおおお!」文太兄ィ 「殺せや殺せや!往生させたれや!訴えたるからのォォ!」拓三 伝説の「ダーティ文太の凄い迫力!恐怖の取調室 ルーム・ナンバー1」(劇場公開予告より)シーン。文太兄ィと山城新伍に足蹴にされ、果ては裸にされてしまい必死に股間を隠しながらボコボコにされるというイジメというよりもリンチに近い責め苦を味わう拓三。 実際にリアルで殴る蹴るされたお陰で拓三は二日間寝込み、所々打撲したというが、そういった傷も勲章になりうるほどの素晴らしい熱気のこもったシーンだった。そして、このシーンの熱気があったからこそ、ヤクザも警察も同じ組織暴力だろ?という皮肉にも説得力が生まれてくるのである。 ■70年代のヤクザの女神・池玲子様 ![]() 「ユリ!こいつにおちょんちょん貸したれ!」 「マラボケしとると命落とすど」文太兄ィ 70年代の東映における女の役割を象徴するようなシーンがまさにコレ。こういうシーンの松方弘樹(1942− )の表情はイチイチ輝きに満ち溢れるている。まさに伝説の東映ファックシーンがコレだ! 「もぉ死んじゃうぅぅ」「なら死ねや!ドォドォ〜〜!ドォ〜!」 まさに鬼神の表情で、よがり鳴く池玲子(1953− )をバックから責めたてるその姿と、上質のポルノ並みの肉と肉が打ち合う生々しい音。もうこの酒臭さと汗臭さと愛液臭さの漂うようなファックの描写の中に場末の映画館でオヤジ達が望んでいた全てがあった。 主人と家畜の関係。70年代の東映は第一線の俳優が、素晴らしいポルノ芝居を見せつけてくれる一筋縄ではいかない性描写もまた最大の魅力だった。 「ああ性教育もしんどいもんじゃのぉ」弘樹 どう見ても当時22歳には見えない熟れに熟れた池玲子様の、最高に美味しそうな肉づきのボディーを(絶対本番でやってそうな熱気で)弄んだ果てに吐くセリフがコレ。最高に弘樹らしくて良い。ちなみにこの広谷役を当初演じる予定だったのは渡哲也だった。病気のため交代となったのだが、渡哲也と文太兄ィの共演・・・観たかった・・・ ■ある意味現役刑事が共感できる作品かも・・・ 「昔から間男は医者とボウズと警察官言うからのぉ」 昼間に駅前の薬局の奥さんとラブホで密通し、ラブホ代を弘樹に奢って貰う最高に汚れきった刑事に扮するのは佐野浅夫(1925− )である。後に県警から来た梅宮辰夫兄貴に柔道技の制裁を受け、不貞腐れて退職し、ヤクザの世界に身を投じることになるのだが、この刑事の落ちようは現在にも通じるリアルさに溢れている。 そして、この作品の恐ろしいばかりの本質はまさにこの一言にある。「極道張るには、こっちも極道の分際まで落ちにゃ〜ならん」 ■男と男が目を合わせるだけで絵になった時代 ![]() 「ケ〜ン!そがいなアオチンボに因果含めるおまえもおまえよぉ〜」文太兄ィ 「あん時よ。わしゃ〜おまえが使うた茶碗洗うのを見て、こいつによのぉ〜15年20年の刑食らわして、ほいで誰が得するか思うたんじゃ」文太兄ィ 文太兄ィと弘樹の職業を越えた友情のキッカケを描写するモノクロの回想シーンとそのバックに流れる鳴きのサックスの素晴らしさ。よく考えればあざとい話なのだが、それを観客の心にぐさっと突き刺さるモノに変化させる文太兄ィと弘樹という二人の役者。70年代の東映の役者には、上滑りしない無言で目と目を合わせるだけで凄まじい絵を作り上げる色気があった。 ■名セリフの宝庫! 「わしゃ〜〜この目で極道見とるんで 上だけ見とるようなおどれに何がわかるんじゃ」文太兄ィ 「あんころはのぉ〜上は天皇陛下から下は赤ん坊まで 横流しの闇米くろうて生きとったたんでェ。あんたもその米で育ったんじゃろうが!おお綺麗ずらして法の番人じゃナンじゃっていうんじゃったら、18年前ワレが犯した罪清算してから上手い飯くうてみせえやぁ」文太兄ィ 県警から派遣されてきた清廉潔白な警部補海田に扮する梅宮辰夫(1938− )の変身ぶりが素晴らしい。本当にこの頃の辰っちゃんは素晴らしい役者だった。そして、もう一人忘れてはいけないのが、オカマを演じる田中邦衛ではなく、室田日出男である。 「なんじゃワレめんきりおってぇ〜勝負せんかい勝負!」 この人の勝負せんかい!≠フ一言が最高すぎる。とにかくこの作品印象深いセリフの濃度が『仁義なき戦い』シリーズよりも濃い! ■本当に悪いヤツはコイツだった・・・ ![]() 結局は自身の経営する「ホテル若葉」に立て篭もり自滅していく広谷たち。投降する過程で海田を人質にとり、文太兄ィに射殺される。そして、数年後、田舎の派出所の巡査部長として左遷されていた文太兄ィも謎のトラックの暴走により轢き殺されてしまう。 その一方で、海田は川手組が利権を押さえて繁栄している日光石油に天下り、能天気に「おはよう。さあ今日も仕事始めの体操をやろう」とのたまっているのである。そう、本当に悪いヤツは清廉潔白なツラをして、巨悪とつるんでいた海田だった。 爽やかにラジオ体操する姿が、やけに爽やかさをアピールする現在の企業や政治家の本当の顔とオーバーラップする。本当に大きな巨悪がのさばりその国を食い潰し、善良さを声高に叫び、やがて国を悪い方向へと座礁させていく。今の日本の姿を予見させる救い要のない締めくくりによって本作は終わる。 それにしても、最近の映画は警察のおべんちゃらに終始している。警察に楯突いたら映画さえも撮れない時代になってしまったのだろうか?ある意味私たちが思っている以上に加速度的に全体主義的な管理社会は静かに忍び寄ろうとしているのかもしれない。警察とメディアと国家が癒着すれば、その力は絶大である。そして、それはまさに太平洋戦争前の日本の復活でもある。 この作品の救いようのなさ(=本当の悪党は誰一人裁かれていない)は、70年代からすでに(現在の日本を覆い尽くしている)倦怠の種が撒かれている事の証明でもあり、「本当に責任を取るべきヤツラがのうのうと私腹を肥やし続ける」国家への呪詛でもあった。 この作品を通じて深作と笠原は叫んでいる。「清廉潔白なフリをしたヤツラこそ、ヤクザや汚職刑事なんかよりもよっぽど人間的に腐れ果ててるんだ!」と。そして、ヤクザ映画の中にそんな普遍的なメッセージを込めたからこそこの作品は、21世紀の今も、観る若者達の心に、喉に引っかかる魚の骨のように突き刺さるのである。そうあの鳴きのサックス≠ノ乗せて・・・ − 2008年1月24日 − |
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