HOME
■サイト内検索

■洋画
 □カタカナ順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □クラシック
 □ドラマ
 □コメディ
 □サスペンス
 □アクション
 □ポリス
 □スパイ
 □犯罪
 □カー
 □ミュージカル
 □史劇
 □文芸
 □戦争
 □西部劇
 □アドベンチャー
 □パニック
 □ギャング、マフィア
 □SF
 □ホラー
 □スポーツ
 □香港
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □アカデミー賞
 □カンヌ映画祭
 □ヴェネチア映画祭



■邦画
 □ひらがな順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □名作
 □ドラマ
 □喜劇
 □サスペンス
 □アクション
 □刑事
 □時代劇
 □戦争
 □文学
 □パニック
 □東映ヤクザ
 □ギャング、ヤクザ
 □特撮
 □怪奇
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □海外映画祭受賞
皇帝のいない八月   (1978・松竹)
■ジャンル: サスペンス
■収録時間: 140分

■スタッフ
監督 : 山本薩夫
製作 : 杉崎重美 / 宮古とく子 / 中川完治
原作 : 小林久三
脚本 : 山田信夫 / 渋谷正行 / 山本薩夫
撮影 : 坂本典隆
音楽 : 佐藤勝

■キャスト
渡瀬恒彦(藤崎顕正)
吉永小百合(藤崎杏子)
三國連太郎(江見)
山本圭(石森)
高橋悦史(利倉)
皇帝のいない八月
女を盾にして声高に平和を叫ぶ山本圭!その存在のうっとおしさといい独りよがりな言動といい、そんな彼をオレは最初、嫌悪した。そして、鑑賞後、実はこの男の演じた役柄自体が平和ボケしたオレ達(=日本人)の姿だったという事に気づき驚嘆した。女を盾に取り、妻を裏切り、「平和」を叫び、生き残ろうとするが無残に蜂の巣にされる山本圭。彼は間違いなくこの作品の皇帝だった。もし「山本圭のいない八月」だったなら・・・この作品はぞっとしたものになっただろう。

■あらすじ


198×年8月14日。自衛隊を国防軍に昇格させ日本の国際的な地位を高めようと、自衛隊青年将校たちによるクーデターが画策されていた。決行は当日正午、各地一斉に総勢2000名もの自衛隊の反乱部隊(=皇帝部隊)が主要都市を占拠し、軍政をひくという作戦であった。そして、その作戦のコードネームは「皇帝のいない八月」と呼ばれた。しかし、肝心の皇帝部隊の反乱は、事前に計画を察知した政府によって未然に防がれてしまう。そんな中、長崎発東京行きのブルートレインを占拠した数十名の皇帝九州部隊だけは作戦を続行していた。360名の一般乗客を人質にとり、部隊指揮官・藤崎顕正(渡瀬恒彦)元一尉は東京を目指す。


■クーデターの持つカタルシスは存在しなかった


皇帝のいない八月
198×年日本全土において自衛隊によるクーデターが勃発した。その素材は今でも十分に通じる刺激に満ちている。それは1970年代以上に今の方が、(一円も自分の力で稼いだことのない)無能な二、三世の政治家と世事に極端にうとい官僚に支配されているこの国が、行き詰まっていることを肌身に感じているからだろう。

今の日本は権力が一点に集中している。つまり特権階級が既に出来上がってしまっている。日本で力を持つ面々の出自を見ても、その力が実力よりも血縁の力を背景にして手に入れられた事がよく分かる。そして、
実力の伴なわない権力者がのさばることは、自己保身に長けた人間の横暴を導き、国全体に閉塞感を伴なわせる結果となる。

そんな状況がここ数年加速度的に日本を包み込んでいる「厭世観」の原因である。そんな中、日本を不当に支配するヤツラをクーデターで追い落とせ!というこういう作品は、実にカタルシスを生みやすいはずなのだが・・・残念ながら本作は、当時も今もそこまでの力を持ち得なかった。


■余りに陳腐な三角関係の描写


70年代以降の邦画(特に大作)の最大の欠点は、
織り込まれる恋愛描写が、得てして陳腐であり共感しにくい点にある。この作品は自衛隊によるクーデターを描いた作品だが、物語に恋愛的要素を加えようと、クーデター実行者とそれを防ぐ側の関係に余計な一ひねりを付け加えた事が明らかに仇となっている。

まず二人の男女がいた。石森(山本圭)と杏子(吉永小百合)である。石森は政情不安定な南米の某国で武器を売る商社に勤めていた。一方、杏子は南米を旅行する大学生だった。そして、クーデターが勃発し二人は出会い、恋に落ち、結婚を誓うのである。しかし、回想シーンを見ている限りにおいて、クーデターという緊迫した状況の中で、そこまでの関係を築けるのかという疑問がどうしても生まれる。築けたとしても生死の最中で燃え上がった一瞬の恋が関の山ではないか?

更に致命的に共感できないのがコレだ。結婚を約束していた二人だが、ある日杏子が藤崎(渡瀬恒彦)に誘拐され、強姦されてしまうのである。杏子の父親が藤崎の上官であり、彼からの仕打ちに対しての報復レイプだという(そんな事をする人間に共感できるか?)。しかも、なんと二人は結婚までしてしまうのである。もうココまで来れば物語の中に人間の感情が宿ってないとしか言いようがない。

何故強姦した男との結婚を父は許したのか?そして、強姦した男になぜ愛を感じるように杏子がなったのか?そして、
何よりも「秩序正しき我々日本人は・・・」とのたまう青年将校が、秩序なき強姦行為に臨んだのか?最初の三角関係からこの作品の脚本は破綻していた。

大作映画とは、制作にあたって色々いらぬ制約を受けるものである。やれロマンスを盛り込めや、プロデューサーの愛人を出せやら・・・。そんな制約があったのだろうが、それを差っぴいても本作の脚本は間違いなくプロの仕事ではないレベルの低さである(もっとも最近の作品は、このレベルにも達していない脚本が殆どだが)。


■著しく魅力に欠けるこの男に、この作品の本質はあった


皇帝のいない八月
脚本が悪い時、大作映画の救いの神となるのが、魅力的な役者の存在である。果たして本作においてはどうだったか?そこでまず主役の二人(吉永と渡瀬)は置いておいて、第三の主役だった山本圭(1940− )について語ろう。本作の最大の功労者であり、もっともうっとおしい存在でもあったこの男の存在について。

この男、極めて左翼的な人間である。しかも、杏子に自分の妻の説明をする時に
「足が悪い人でね。おとなしいだけの女だよ」と言うように、頭に浮かんだ言葉をすぐに吐き捨てるタイプの人である。更に女々しい事は言わないと言いながら、これでもかと自己憐憫に満ちた言葉を女にまくしたてる人であり、著しく魅力に欠ける男性である。

そんな男が、物語の終盤で藤崎と対峙した時にこう叫ぶのである。
「命をかけるとは必死になって生きることだ。子供のために。女のために。必死になって自分を守ることだ。オレはそういう平和に生きてく人間だ!」と女を盾にしながら。そして、最後の「必死になって自分を守ることだぁぁ!」の部分だけがこだまする。

それに対して藤崎は言い放つ。
「お前の言う平和はクズだ!東京を見てみろどこに美しさがある!どこに秩序がある!」そして、石森は言い返す。「天皇一人のために俺たちは何人殺された!」

この石森の本質が、この作品の本質だった。クーデターの描写に水をさすこの男の存在こそ、当時のそして、今の日本人の姿勢そのものだった。物陰で平和を声高に叫び上げ、自分さえ助かれば良いという本質。そして、360名の乗客を闇に葬り己が利権を守ろうとする権力者達の本質。

日本の平和思想がなぜ世界に届かないのか?その本質が見事に石森の存在によって体現されていた。恐らくそれは監督の意図するところとは逆だっただろうが。



■二人の主役・渡瀬恒彦と吉永小百合


渡瀬恒彦
隠密にクーデターを画策するエリート将校達の計画は、対向車を暴走するトラックによって物語開始数分で露呈してしまった。しかもその対向車はパトカーという都合のよさ。それにしても機関銃をたくさん積み込んだトラックはなぜ対向車線を逆送していたのだろうか?それに対する答えは物語の中にはない。

更にブルートレインの乗客を人質にとるというクーデター部隊のその意図。
国民を人質にとってクーデターを決行した部隊なぞ歴史上存在しただろうか?さらに担ぎ上げる政治家は、日本を悪くした根源の一人でもある元内閣総理大臣というおそまつさ。

これはクーデターではなく軍隊を使った自民党の派閥争いに過ぎなかったのではないだろうか?そんな破綻に満ちた物語を、その魅力でカバーすることを余儀なくされた主役二人。

クーデター実行部隊を率いる藤崎を演じる渡瀬恒彦(1944− )。元々は兄・渡哲也でこの役柄は考えられていたが、テレビドラマのスケジュール等の問題で実現しなかった。

渡哲也の藤崎役も興味があるが、この渡瀬の藤崎もかなり様になっている。特に自衛隊の制服を見事に着こなしているところが良い。軍隊モノはいかに登場人物がその服装にフィットするかも重要な要素なのだ。そして、物語も一時間過ぎた辺りで初めて登場するという、このタメも凄く利いていて良かった。

ちなみに彼の副官を三上真一郎が演じているのだが、この関係はある意味翌年の『戦国自衛隊』そのものである(クーデターを起そうとした渡瀬は、発覚後降格させられる。戦国時代にタイムスリップ後は、仲間を引き連れ娘を拉致・強姦しまくる)。

ついでにもう一人山崎努(1936− )が演じる同期の別方面反乱部隊長も素晴らしかった。特に、徳山駅に整列する自衛隊の前で、捕まえられ瀕死の状態で車椅子に座らされ、渡瀬に向ってにやりと笑う表情。この不敵さがあったからこそ、仲間を射殺して敬礼する渡瀬と三上の姿も最高に格好いいモノになった。
それにしても渡瀬恒彦という役者は笑顔が素敵な役者だ。

吉永小百合 皇帝のいない八月
そして、藤崎の妻杏子を演じる吉永小百合(1945− )。彼女の存在は間違いなく本作にとって不要な役割だったが、クーデターとメロドラマを絡めて多くの観客を取り込もうと松竹が魂胆したものだろう。相変わらず美しいとしか言いようのない彼女だが、
そんな美しい蝶々が登場するたびに、物語の緊迫感はぶつ切りに失われた。

やはり男のドラマには男の領域が、女のドラマには女の領域がある。この時代辺りから映画というものが、男も女も締まりなく登場する作品が激増していった。


■この監督が評価されたのは、実は円熟味溢れる名優達のお陰だったのでは・・・


三国連太郎 皇帝のいない八月
「お言葉ですが、わたくしは殺さなくても痛めつける方法をいくらでも知ってるのです」

元憲兵であり、現在は自衛隊の警務部長である杏子の父江見を演じる三國連太郎(1923− )と内閣調査室室長利倉を演じる高橋悦史(1935−1996)が素晴らしい存在感を示している。総理大臣を演じた滝沢修
(あの英語の巻き舌のねちっこいコト)にしてもそうだが、この時代の役者は、その作品の陳腐さを優にフォローする巧みさを持ち合わせていた。

特に三國がアイヒマンに似た鈴木瑞穂を拷問するシーンなどは、本当に拷問しているとしか思えない狂気に満ち溢れていた。こんな男に拷問されたらまず誰でも吐くよな?という説得力が。

更に忘れてはいけない
「わたくしは民主主義を理解する第一人者を自負しております」と言い放つ丹波哲郎(1922−2006)。こんな空々しいセリフがヌケヌケと言えるのは、後にも先にも丹波しかいないだろう。


■寅さんも爆破に巻き込まれる!


太地喜和子 皇帝のいない八月
クーデターの黒幕である大畑剛造(佐分利信)の愛人であり、実は利倉の愛人でもあるバーのママ冴子を演じる太地喜和子(1943−1992)。この冴子という女性が、実に不思議な女性なのだが、本作においては、太地の悲しげな表情が映し出されるばかりで細かい描写はない。

恐らく内閣調査室の女スパイであり、右翼の大畑を探る為に潜り込まされたのだろう。そして、役割を終えると全裸のまま海辺で溺死体で見つかるのだが、なんとも悲しい女性である。

ちなみにこの作品は松竹なので、渥美清(1928−1996)が寅さんのような役柄で出演している。その向かいの席に座るのは岡田嘉子なのだが、この二人の必要性に関しては、正直疑問視せざるを得ない。この作品にまで寅さんを出す必要はないと思うのだが・・・

しかし、この二人はブルートレインが爆破された後どうなったのだろうか?

皇帝のいない八月
ロマンポルノの泉じゅんも脱がずにそのカワイイ顔を見せているが(本当にカワイイ)、何よりも美しいのが、この人中島ゆたか(1952− )様。やはりゆたか様は美しい。しかもホステス役なのでメイクも濃いのだが、それが似合いすぎてます。

一方、橘麻紀もホステス役で出演していた可能性があるが、こちらはカットされてしまったものと思われる。


■情無用なバッドエンドを迎える


結局は壮大なクーデター作戦は、ブルートレインをハイジャックしただけの小規模な作戦に終わってしまい。失敗を余儀なくされるのだが、この作品渡瀬、吉永、山本、太地、佐分利といった人々が死に、三國もロボトミー手術されてしまうという誠に情無用な結末を迎えるのであった。

ちなみに本作は、自衛隊がクーデターを計画するという過激な内容により、国鉄の協力が得られなかった。そのためブルートレインの車内は全てセットで撮影された。

− 2007年12月22日 −


当サイト内で使用している画像・映像キャプチャー等は、あくまで映画文化の熟成及び芸術復興を標榜する当サイトの意図により、
「映画を文章だけで云々することの不誠実さ」と「目で感じる芸術及び娯楽」である映画に対する敬意の姿勢で使用しております。よって著作権等は、全て各製作者・会社に帰属します。
画像・映像キャプチャー等の使用に関して表記の問題がある場合、又は削除依頼がある場合は迅速に応対させていただきますのでご連絡ください。
このサイトは、100%非営利に、純粋に「映画解釈の究極」を求めて運営されています。取り上げるべき作品・感想等ございましたらどんどんメールください。
当サイトはリンク・フリーです。
Copyright (C) 2007 Geijyutsu Taizen. All Rights Reserved.
Mail:webmaster@summaars.net