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沓掛時次郎 遊侠一匹   (1966・東映京都)
■ジャンル: 時代劇
■収録時間: 90分

■スタッフ
監督 : 加藤泰
原作 : 長谷川伸
脚本 : 掛札昌裕
撮影 : 古谷伸
音楽 : 斎藤一郎

■キャスト
中村錦之助(沓掛時次郎)
池内淳子(おきぬ)
東千代之介(六ツ田の三蔵)
三原葉子(お松)
渥美清(身延の朝吉)
沓掛時次郎 遊侠一匹
1960年代の錦之助は芸術家そのものであった。自分のキャリアの最高潮の中で迫り来る任侠映画の足音を感じながら、時代劇の衰退を感じ、ただ一人で時代劇の芸術性を証明しようと躍起になっていた。そんな焦りの中で生み出した本作は、錦之助の時代劇に対する激しい愛情を感じさせる名作である。

■あらすじ


やくざ渡世に生きる渡り鳥・沓掛時次郎(中村錦之助)は、自分を慕う駆け出しの渡世人・身延の朝吉(渥美清)が殺されたことを知りショックを受ける。そして、ある渡世のいざこざに巻き込まれ六ツ田の三蔵(東千代之介)を殺してしまう。死の間際に三蔵は、妻おきぬ(池内淳子)と息子を伯父の元に送り届けてくれと時次郎に託すのであった。やがて、おきぬに淡い恋心を抱いてしまう時次郎であったが・・・


■中村錦之助と渥美清


沓掛時次郎 遊侠一匹
オープニングがかなり美しい。晴天の空の下川の橋を渡る沓掛時次郎(中村錦之助)と身延の朝吉(渥美清)の姿から本作は始まる。何よりも日陰者のやくざ稼業の2人が晴天の下登場するのが意外であり、新鮮である。そして、早くもローアングルの名手・加藤泰の演出が冴え渡るのである。

それにしても、冒頭に登場する渥美清と錦之助の2ショットはかなり希少価値大で早速画面に引き込まれる。渥美清が後に『男はつらいよ』で寅さんを演じるのが1968年10月のTV放映からであるから、この作品はその2年前に作られたことになる。ちなみにこの作品の渥美清の口調はすでに寅さんそのものである。

恐れ多い話ではあるが、油の乗り切った錦之助と共演していても渥美清は全く食われていない。ある意味本作はこの頃からすでに渥美清の存在感は伊達ではなかったことが確認できる貴重な作品である。


■緊張感の演出の巧みさ


沓掛時次郎 遊侠一匹 沓掛時次郎 遊侠一匹
冒頭の海辺での殺陣シーンは見事の一言である。
とにかく現代の時代劇に欠けている部分が、緊張感の出し方の下手さ加減にあるということと、錦之助のように静と動の使い分けが見事に出来る役者がなかなか出てこないと言うことであることがよく分かる。錦之助のオリジナル性はその独特なせりふ廻しと表情の表現力以上に、静と動の緊張感を出す芝居のうまさなのである。それにしても、1966年の時代劇物でこんなに血が飛び散るとは思いもしない。

博打シーンで初々しい二人が出てくる。志賀勝と結城哲也(1941− )である。結城哲也は『ミナミの帝王』の沢木親分役で今は貫禄ありなのだが、この頃はさすがに初々しい。そして何よりもパンチパーマでも口ひげでもない志賀勝が新鮮だ。


■焼き芋にかぶりつくそのお姿に惚れ惚れ


沓掛時次郎 遊侠一匹 沓掛時次郎 遊侠一匹
三原葉子
(1933− )が、焼き芋にかぶりつく女郎役で登場する。当時33歳の彼女だが、それよりも年上に見えるので、年長の渥美清でさえも童貞少年に見えてしまうこの貫禄が堪らない。自慢の美脚で清さえも黙らされてます。この人の脚は本当に綺麗である。

登場シーンは少ないが、60年代の東映時代の彼女もまた魅力的だった。それにしても50年代と70年代の三原さんは神がかりである。
とにかく見た目の洗練されてない生々しさが妙に禁断の欲望を奮い立たせてくれる女優なのである。彼女の評価は益々上昇していくことだろう。


■錦之助のセリフ廻しの巧みさ


沓掛時次郎 遊侠一匹
それにしてもいい役者だねぇ〜渥美清は。物語の20分で死んでしまうが、藤山寛美とはまた違う喜劇俳優としてのうまさがある。一方、渥美清が殺害されてから仇を討つために多勢に1人で斬り合う錦之助の芝居の素晴らしいこと素晴らしいこと。
日本の俳優が目指す情念のこもった芝居と言うのはこういうものを言うのだろう。

さすがに『ラストサムライ』で渡辺謙が、錦之助の芝居を参考にし役作りをしただけはある。そして、殺陣もとにかく速い早い、表情も豊か豊か、静と動のバランスも抜群なのである。+加藤泰ローアングルなのだからまさに神芸に金棒である。

「やりたかねえ〜。やりたかねえけどよぉ〜」朝吉が殺され仇をとった後に、敵地に朝吉1人で殴り込みをかけるように追いやった女親分に時次郎が言うせりふがまたいかす。「こいつは俺と違ってそろばんの弾けない男だった。弾けねえばかりにお前さんたちのそろばんに弾かれて死んじまったんだ」


■出会いと別れ



おきぬ(池内淳子)から柿を渡し舟でもらう時次郎。映画において重要なものは小道具である。そして、
その小道具が情感あふれるものであればあるほど、時代劇と言うものは光り輝いていくのである。加藤泰は『明治侠客伝 三代目襲名』(1965)では桃、『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970)では密柑を小道具として見事に使用している。それにしても、柿をもらう時の錦之助の表情が素晴らしくよい。ものを他人からもらうありがたみという現代人には麻痺しがちな感覚を見事に表現している。

おきぬ親子と別れるシーンにおいても、携帯やメールで別れた後も連絡できる今とは違い、昔は出会い、そして、別れは今生のものという時代を感じさせてくれる見事な別れの情緒を表現している。
昔は今よりも一つ一つの出会いが大切な瞬間だった。ある意味昔の人の方が時間というものに対して浪費せずに過ごしていたのかもしれない。

現代とは、
「別れが本当の別れじゃない分、出会いが本当の出会いにならない」時代なのかもしれない。


■男の未練


沓掛時次郎 遊侠一匹
一宿一飯の義理により知らずにおきぬの夫三蔵(東千代之介)を斬ってしまう時次郎。三蔵は今わの際に、自分の妻子を叔父の所に送り届けてくれるように頼む。快諾した時次郎が、三蔵の妻子の待つ場所で驚く。あのおきぬさんが三蔵の妻であったのだ。

「おまえさんのようなやさしい人がどうしてうちの人やっちまったんだろうね〜」と道中複雑な感情のおきぬ。旅先で寝込んだおきぬを看病しているうちに、お互いの想いがつのるばかり・・・ようやくおきぬの病も癒え旅立ちの日、おきぬは子を連れ去っていく。櫛だけを残して・・・

それから一年・・・白い紙の雪がぱっと降り場面転換する。本物の雪ではなく紙の雪であるところが実に良いのである。
「人間の心なんてものはさ〜自分でどうこうできるもんじゃねえ。勝手に動き出しやがる・・・」とおきぬへの募る思いを酒に酔いしれながら語る時次郎。『男の未練』を演じさせたらこの男の右に出るものはいまい。身の上話を聞くおかみがまたよい。ちなみのこのおかみを演じるのは中村芳子つまり先代・中村雁治郎の妹で、中村玉緒の叔母である。


■「かっこう」の話


そして、何よりも素晴らしいのが、子連れの三味線のかど付けをしているおきぬ親子と再会するシーンである。まさにこういう静から動に転換する芝居にこそ、錦之助の真骨頂が発揮されるのである。

再び病床に臥せったおきぬが時次郎に「かっこう」の話をするシーンがすごく浮世離れしていて素晴らしい。お互いの気持ちを分かりすぎるほど分かりすぎる瞬間を過ごした時次郎は、おきぬの薬代を手に入れるために地元のやくざの用心棒になることを決意する。

おきぬが臥せる木賃宿のおかみを演じる清川虹子も気は強いが、時次郎とおきぬに同情的な人情に厚い女性を見事に演じている。


■フランク永井渋すぎ!


沓掛時次郎 遊侠一匹
最後の情念ほとばしりまくりの時次郎の殺陣シーン。おきぬが心配する中、誰もが時次郎が死んだと思わせる演出の中時次郎は生き残り、おきぬの元へと駆けつけるも、おきぬは息を引き取っていた。今わの際におきぬが
「あの人が帰ってくるときに綺麗な顔でいたい」と紅を病で震える指で唇につけるシーンが心を打つ。

フランク永井の渋い主題歌と共に、おきぬの子と共に故郷の沓掛に戻る時次郎の前に、因縁のある若者が、時次郎を殺し名を上げようと出てくる。「百姓に戻りなせえ」と時次郎が言うも襲い掛かる若者を切ろうとした瞬間、子供が「おじちゃんきっちゃやだぁ〜〜!」と叫ぶ。若者をみねうちにし、刀を放り投げて捨て「ぼうや」と子供を抱きかかえて去っていく時次郎。

侠客の世界を捨て、百姓に戻っていく時次郎の子供を抱える背中が実に寂しいラストである。江戸時代の地獄のような百姓という暮らしを捨てて、やくざ者になった時次郎だが、結局はやくざの地獄ではなく百姓としての地獄の道へと戻っていく。孤児になったぼうやを抱えて・・・


■東映時代劇路線の終焉


本作はすごく日本的な人間の業を見事に描いている映画である。ちなみにこのぼうや役の中村信二郎(1959− )は、錦之助の本当の甥っ子で、2007年4月に歌舞伎座で2代目中村錦之助の襲名披露を行うくらいの歌舞伎界のエースへと成長しているのである。この人はこれからの歌舞伎界のスーパースターになっていく可能性のある人である。

この作品が製作された時、すでに東映が時代劇路線ではなく仁侠映画路線で行くと錦之助につげた後であり、錦之助は東映を離れることを決めていたのだが、そのうっぷんがいい意味でこの作品のなかでカタルシスとして開放されては、溜まりといった具合に時次郎の役柄に当てはまっていた。

時代劇にこだわりにこだわり続けた錦之助が、仁侠映画路線の波の中で、
いい意味でフュージョンしたのが、この時期の股旅ものだったのだろう。それにしても東映時代劇を象徴するスター、錦之助と東千代之介の殺陣シーンが、時代劇路線の終焉を示す象徴的なシーンになっていた。

− 2007年2月21日 −


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