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夜   LA NOTTE(1961・イタリア/フランス)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 122分


■スタッフ
監督 : ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本 : ミケランジェロ・アントニオーニ / エンニオ・フライアーノ / トニーノ・グエッラ
撮影 : ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽 : ジョルジョ・ガスリーニ


■キャスト
マルチェロ・マストロヤンニ(ジョヴァンニ)
ジャンヌ・モロー(リディア)
モニカ・ヴィッティ(ヴァレンティーナ)
ベルンハルト・ヴィッキ(トマゾ)
マリア・ピア・ルーズィ(色情狂)
夜
「方法などありません、映画は<降臨してくる>のです」アントニオーニは映画についてこう語った。彼の作品は、映画の中でも明確に芸術の領域であり、何千通りの解釈が出来ることがその証明である。20代30代の同世代の男女よ!今こそミケランジェロ・アントニオーニを観よ!語れ!感じよ!そして、繰り返し観て語れ!ホンモノが作る恋愛の解釈の深みが、あなたの恋愛に輝きをもたらすだろう。私達の世代オリジナルの解釈で良いんだ!

■あらすじ


資産家の娘リディア(ジャンヌ・モロー)とその夫であり新進小説家ジョヴァンニ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、死の床にある友人の作家トマゾの見舞いに行く。かつてずっとリディアを愛し続けた男トマゾ。その姿を見てリディアは、夫ジョヴァンニへの愛がもはや失われたことに気付く。そして、ミラノの街を彷徨する。夫婦とは?愛とは?そして、愛の喪失を知った時何を思うのか?


■陰鬱な顔に精気のない目。精神的に麻痺したその心


ジャンヌ・モロー 夜 夜
「愛の不毛」・・・最も陳腐なアントニオーニの映像に対する表現の一つ。

恋愛。そして、結婚。その流れに対する捉え方の相違。ジョヴァンニは愛情が倦怠になることを受け入れ、外に満たされぬ愛情の対象を求めた。一方、リディアは、愛情が倦怠になったことを受け入れられず、外で愛情の対象を求める気も起こらずただただ死にたくなった。

ジョヴァンニにとって愛は瞬間であり、リディアにとっては愛は永遠だと思っていた。だからこそ、彼女は愛した人をもはや愛せず、だからといって他の恋愛の対象に興味すら抱けず死をなんとなく望むのだった。

そもそも、男女が一緒に住むということ自体がすでに恋愛の終わりかもしれない。大切な人とは適度な距離感が必要なのだろうか?これからは夫婦という形も一緒に住む形ではなく別々に住んでいくようになるのかもしれない。同棲がお互いに対する不信感から生まれているうちはそんな恋愛に価値があるのだろうか?

「愛の不毛」という言葉は、なんでも安易な言葉で一括りにしようとする実に単細胞な傾向である(
これは知性を大学の中で形成していった人々によく見られる傾向であり、知性を整理整頓しないと気がすまない強迫観念から生み出される)。そもそもこの2人の愛は不毛でもなんでもない。愛とは愛を感じた瞬間が存在すれば、不毛でもなんでもない美しい永遠の瞬間が生み出されるものなのである。

愛の不毛なんて言ってる人間はただ単に恋愛経験の少ない人間だけだろう。
この2人には最後に読み上げる手紙があった。あれが愛の瞬間であり、不毛ではなかった。


■ああ・・・太陽が眩しいわ


夜 夜
眩しい・・・ 何が? 生きてることが。

眩しい・・・ 何が? あなたがさらけだす若さが。


リディアは、ひたすら太陽の照りつけるミラノの街を歩いた。自分をずっと愛してくれていた男性が死の床に伏せる姿を見て、彼を拒み今の夫を選んだ自分の生き方に対する疑問を隠しおおせなくなった。「ああ・・・太陽がこんなに眩しかったとは・・・」ここ何年忘れていただろうか?

私は、本当に生きていたのだろうか?そういう思いの中、歩くリディアのけだるそうな姿。心から笑い合う男性二人、心から泣き叫ぶ幼児一人、無言で路上に佇む老婆一人。廃棄された時計一つ。一人でそれを眺め歩き続ける女一人。

空き地に着いたリディアはそこで喧嘩している若い青年たちの姿を見て、呆然とした。
「眩しいわ・・・この子たち」そして、私のこの肉体があの眩しさに包まれたなら・・・?しかし、あまりにも眩しい一人の青年の姿にリディアは逃げてしまうのだった。

何をしても不完全燃焼で楽しくない・・・ああ・・・燃焼したい・・・


■夜のパーティー ああ・・・全然眩しくないわ


ジャンヌ・モロー ジャンヌ・モロー
「幸せな女ね」「なぜ?」「自由だから」

「不思議な人ね 表情もしぐさも作り物っぽいわ」


妻の不在に心配するジョヴァンニ。電話が鳴り迎えにいくと妻が立っていた。2人だけで夜を過ごしたくない思いが、リディアに夜の外出を決心させる。夫婦でクラブで時を過ごし、そして、大富豪のパーティーへとなだれ込む。

今や意志が全く通じ合わない2人。
愛って、物質的に満たされた生活には根づかないものなのかしら?

パーティーの中、一人で黙々と歩き続けるリディア。
「全然眩しくないわ!」パーティーで乱痴気騒ぎにふける着飾った男性女性を観て感じるリディア。「お金を握り締め、死んでいくのねこの人たち」そう思えば思うほど、死の床にいるあの男性のことが気になるリディア。

「ああ・・・私は愛する人の手を握り締め、死んでいきたい。それは間違いなく夫の手ではない」


■ヴァレンティーナ 私は眩しいのが大嫌い


夜 夜
「あそこにも一匹野良猫がいる」リディアは通り過ぎていく

本を読み。一人遊びにふける18歳のヴァレンティーナ。なぜパーティーの最中にそんなことをしているの?そうしたいから?いいえ、誰かに見てもらいたいからよ。
大勢の中で一人ぼっちで孤独を感じるよりも、隅っこに一人ぼっちでいるほうが誰かの目に止まりやすいから。ジョヴァンニは彼女に惹きつけられた。何に?ただ若さと外見に。そして、軽薄で幼稚な愛の囁きを繰り返す。

「では少しだけ話そう。主人公はインテリ男性。彼は長年露で喉の渇きを癒してきたが、街でワインの味を知り、虜になっていく」

ジョヴァンニ・・・私の虜にはならないでね。私あなたを待ってたわけじゃないんだから。


■私は黒が好きな女


モニカ・ヴィッティ モニカ・ヴィッティ
「あなたは私の若さと美貌に期待してるだけ・・・」

それは愛じゃない。ああ・・・退屈、倦怠、惰性、臆病。それを取り除いたら私に何が残るのかしら?年をとればとるほど魅力が失われていく男性の多いこと多いこと。でも同世代の男性じゃ子供過ぎて相手してられない。18歳で大人びた女性の悩みはいつの時代も同じ。

「恋人は一人にしなきゃ。裏切る相手が多いと疲れるわよ」

恋人って、もしかしたら退屈を共有する連れ合い?一緒にいることが喜び?もしかしたら一人になるのが怖いだけ?もう何も考えたくないから誰かと一緒にいたいの?


■考えて「愛」の答えがみつかった人なんていないわ


モニカ・ヴィッティ 夜
「知性?それって神経質なだけよね?」

「去年気になる人がいたの。でもつきあう前に気持ちが冷めて・・・いつもそうなの恋人未満で終わってしまうの」


私はたぶん考えるのをやめてどこか違う場所に行かないといけないのね。私達っていちいち一から十まで考えすぎなのよね。こんなに考えて答えが見つかったことなんて一度も無いのに・・・正直に生きるしかないのよ。正直に。

ジョヴァンニは一目見て彼女を求めた。ヴァレンティーナはじっくりと彼がどのくらい退屈しのぎになるかまず考えた。ああ・・・考える必要のない男性と出会いたい。


■白と黒は裏表。誰にでもある両極端


夜 夜
「現代人は単純ですからね。価値判断など二の次です。もらえる物はもらう*ッ主主義そのものですよ」

「年を重ねるって怖いわよ。どうしようもなく・・・」


白=リディア、黒=ヴァレンティーナ。一つの部屋にいる二人。しかしお互いの孤独を象徴する映像。この時から2人はコインの裏表になっているのである。ヴァレンティーナがもう一人のリディアである。だからこそ、2人が去った後足で灯を消し、黒のシルエットと同化していくのである。

モニカ・ヴィッティ(1931− )がいちいち格好良く撮られている。一人で本に読みふける姿、コンパクトを投げる姿、灯を長いしなやかな足で消す姿。当年30歳。しかし、18歳に見えてくるのが不思議である。


■ゴルフ場のバンカーに打ち捨てられた夫婦の愛情


夜 夜
「もうあなたを愛してないの。死にたいわ。あと数十年も一緒に暮らすなんて・・・夫を愛せない妻など死ぬべきだわ」

「今悟ったよ。人にしたことはいずれ自分に返ってくると」「だからってそういう見返りを期待して生きろと?」


ジョヴァンニの事をもう愛していないと言うリディア。そんな夫婦の間に再び愛を蘇えらせることができると断言するジョヴァンニ。そして、唐突に一通の手紙を読むリディア。そのあまりにも情熱的な愛の詩にジョヴァンニは尋ねる。「それは誰が書いたんだ!?」リディアはただ一言「あなたよ」

ジョヴァンニは自分が書いた情熱的な恋文のことももはや忘れていた。そして、それが全てを表していた。2人にはもう愛はなかった。

「嫌よ・・・やめてもう愛してないのよ。あなただって・・・」「黙って・・・もう何も言うな」「愛してないといって」「いわないいうものか」

ヴァレンティーナとキスを交わした唇で。そして、昼間には色情狂と唇を交わした同じ唇で、妻の唇を奪おうとするジョヴァンニ。そもそも、ジョヴァンニが妻以外の女と唇を交わしている時にことごとくリディアはトマゾに対する思いで泣いていた。もうすでに全く心と心が通じ合っていない夫婦の象徴的なシーンである。

そして、失われた愛情を蘇えらせようと、ゴルフ場で獣のようにリディアの唇を奪おうとするジョヴァンニに対して身をくねらせ必死に拒みながらも唇を奪われるリディアの姿で物語は終わるのだった。愛の喪失をこの獣のような愛のない接吻シーンが象徴していた。


■ジャンヌ・モローにとっては「嫌いな作品」


『情事』(1959)を観てすっかり気に入ったジャンヌ・モロー(1928− )は、アントニオーニ監督に手紙を書いた。必要な時はいつでも使ってくださいと。一方、アントニオーニの方も昔パーティーでルイ・マルと一緒にいたジャンヌの歩き方を見て惹かれていた。そして、この作品は誕生した。フランスとイタリアの才能が結集する形で。

しかし、撮影中のジャンヌはその役柄の陰鬱さにすっかり落ち込み、精神が不安定になり睡眠薬漬けになったという。ジャンヌは語る。
「あの映画の妻の役は、ほんとにいやだった。もちろん、ああいう気の毒な女はいると思うけど、私向きではないわ。愛って言うのは、あんなものじゃないわよ」

更にジャンヌは語る。
「アントニオーニと私の間には、まったく意思の疎通がなかったの。彼はとても内気な性格で、人と接するのが苦手のようだった。・・・魅力的なマストロヤンニだけが頼りだったの。でも、アントニオーニは何も言わない。彼はわざとそうしたんじゃないのよ。私の落ち込んだ気分は画面に現れていただろうし、それが映画にも合っていたとは思うけど」

そして、プロデューサーが撮影三週目に倒産し、モローには一銭もギャラは支払われなかった。マストロヤンニは語る。
「ジャンヌに恋をする人は多い。ぼくもそうだった。彼女の方でも愛してくれるんだ。ただし映画が終わるまでね。彼女はいつも愛を探してる。そして、道端に犠牲者を置き去りにしていくのさ」

本作は1961年ベルリン国際映画祭金熊賞に輝いた。

− 2007年10月2日 −


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