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メリー・ポピンズ   MARY POPPINS(1964・アメリカ)
■ジャンル: ミュージカル
■収録時間: 140分

■スタッフ
監督 : ロバート・スティーヴンソン
製作 : ウォルト・ディズニー / ビル・ウォルシュ
原作 : パメラ・L・トラヴァース
脚本 : ビル・ウォルシュ / ドン・ダグラディ
撮影 : エドワード・コールマン
音楽 : ロバート・B・シャーマン / リチャード・M・シャーマン

■キャスト
ジュリー・アンドリュース(メリー・ポピンズ)
ディック・ヴァン・ダイク(バート)
デヴィッド・トムリンスン(ジョージ・M・バンクス)
グリニス・ジョーンズ(ウィニフレッド)
エルサ・ランチェスター(カティ・ナンナ)
メリー・ポピンズ
― とにかく子を持つ親はこの作品を子供と一緒に観て下さい。 ―

大人が子供になれる瞬間の喜び・・・子供が子供である喜び・・・そんな日常生活の中で忘れつつある自分の中にある大切な何かをメリー・ポピンズとバートは思い出させてくれるでしょう。この作品を観た後に軽やかにステップを思わず踏んでしまうはず。
生きている躍動感がこの映画の中にはつまっています。

■あらすじ


1910年のロンドン。銀行の重役である父親と婦人参政権運動に熱心な母親をもつ2人の子供がいた。両親が全く構ってくれないので、両親の愛に疎遠な2人は乳母に悪戯三昧をやらかし、なかなか決まった乳母がいつかなかった。そんな時子供たちの書いた理想の乳母募集の紙を見て、1人の女性がやってきた。その名はメリー・ポピンズ(ジュリー・アンドリュース)。大道芸人で煙突掃除夫でもある友人バート(ディック・ヴァン・ダイク)と共に、この一家に笑いを蘇えらせるため奮闘する2人だった。



■メルヘンとファンタジーの宝箱


メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
私が幼稚園くらいの頃この作品を初めて観た。今まで接したことのないファンタジー空間にただただ驚かされた記憶のみ存在する。そして、この作品を観ぬ10数年が過ぎた。この作品はもしかしたら、幼少期と成人してからの最低2回は観るべき作品かもしれない。

子供も楽しめ、そして大人も楽しめるという作品だからこそ、この作品は自分の中の2つの感じ方を堪能し、自分自身の糧にしていく類いの作品ではないだろうか?
だからこそファンタジーやメルヘンという言葉にぴったりなこの映像世界に浸りきった幼少期は、美しい記憶となり、その記憶は成人してから再見してもすぐに取り出せる宝箱ようなものになるのだろう。

だからこそ子を持つ親となった時に、素直に子と楽しめる作品となるのだろう。
こういった古き良きものにいかに子供のうちから多く接しめたかが、子にとっての将来の実りある人生の重要な一つの要素となるのである。2000年代に生まれ2000年代のものにしか触れ合っていない子と、過去〜2000年代のものまで触れ合っている子とでは、明確に人生の許容範囲が違ってくるのである。

私にもし子を成す時があるならば、何よりも多くの古きものに触れ合わせたいと考えている。それほど、つまらんマニュアル本に書いてある何万語よりも、古き英知の方が価値があるのである。


■無邪気な我侭さの大切さ


メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
メリーとバートという2人の主人公が実に魅力的である。原作のメリー(メアリー)・ポピンズの気持ちいいほどに冷静で毅然とした表情を表に出さないイメージを少し残してはいるが、全体的にジュリー・アンドリュースの持ち味である。毅然とした中にも窺える温かさが映画版ではピックアップされていた。乳母というよりも賢母というイメージである。

そして、メリーの冷静さに対して、バートは子供が大人になったような人で、それ故に夫婦のような釣り合いの取れているカップルとして映画では描かれている。メリーに対しては絶対服従のバートが実に良く、この2人が画面を占有する瞬間は実に魅力的だ。

実際のところ、メリーに絶対服従な風でいながら、バートは子供と共犯で、メリーに魔法のおねだりをするのだが、
これこそ「無邪気な我侭の大切さ」を物語っているのではないだろうか?「無邪気さの中から生まれたものの尊さ」そして、大人になって生きている時に如何に子供時代の無邪気さが残っているかで人生は実り多いものになるか否かが決定づけられていくのではないだろうか?


■現実と映像の視覚の違いから生み出されるものが「夢」


メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
魔法、ディズニーアニメと実写の融合。夢を生み出す能力。現在の我々は、不必要なまでに高度な技術を映像に反映することに熱中しすぎて、夢を生み出す能力を失いつつあるのではないだろうか?クリアなCGで作り出された世界観なぞに誰一人夢を感じないように、人間がアニメーションの世界から少し浮き上がってるくらいのこの世界観の方が、朗らかに楽しめるのである。

夢みるような美しい映画が最近少ない原因はまさに、技術の向上にあるのではないだろうか?目で見ているレベルと映像のレベルの誤差がなくなってくるともはやそれは映画ではなく、一つの日常の代用品に成り下がっていくのである。白黒映画、テクニカラー映画のファンタジー溢れる世界観は、まさに現実と映像の視覚の違いから生み出されている産物だということに気づかされるのである。


映画が夢を失った時、それは日常の代用品に成り下がり、その特性さえも失っていくのである。今の映画が置かれている立場は正しくこの立場である。

メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
絵の国に入り込むメリー・ポピンズとバートたち。そして、ディズニーアニメの世界で過ごす一時。ペンギンと一緒に踊ったり、メリーゴーランドの木馬に乗って遠乗りしたり、そんな人間がアニメの空間に入り込んでいる奇跡がさらにもう一つの真実を物語っている。それは如何にディズニー・アニメの動物達の動きが一つのリアルさを伴っていたかということである。

その世界観が優れているからこそ、人間が入り込む余地があるのである。一方、ディズニー・アニメのキャラクターが現在人間社会に入り込んでも全く冴えないのは、その世界観が優れているとはいいがたいからである。バートと一緒に踊るペンギンのあのリズム感あふれる踊り。昔のアニメには生命の息吹きがあった。今のアニメは死んでいる。そして、現実社会も死臭が漂っている。

全ては若干の違和感ある融合から生まれているのであり、生きているもの同士の融合だからこそ「夢」を伴なう空間も作り出せたのである。今コレを作り出しても感性の死にたえた美男美女が死海で泳いでいる殺伐さしか匂ってこないだろう。


■悲観のみが楽観の習慣を生み出せる!


メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
「しなければならない仕事には、楽しめる要素が必ずあるのよ」


メリーのこの素晴らしいセリフと共に、極論で描かれる楽しい楽観的空間。指パッチン一つであちこちに散らばっていたオモチャや衣服が片付いていくのだ。これこそ、子供にも大人にも共通で楽しめる映像センスである。どんなことの中にも「楽しめる要素」がなければ、する意味がない。

巻尺で性格判断をするメリーの姿のりりしさ。そして、自分自身は「完璧」と性格判断され誇らしげなそのナルシズムぶり。実はメリーも子供の心をもった女性なのだと感じさせる瞬間である。そう鏡越しに2人のメリー・ポピンズが唄う瞬間からメルヘンの扉は開かれたのである。

メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
この一連のシーンは、
苦しみから生み出す自己満足よりも、楽しみから生み出す喜びの共有で人生を満たしていく方がいいんじゃないのか?という問いを投げかけてくれているのである。メリー・ポピンズとは子供に遊び心の大切さを教えてくれる存在である。そう彼女は、観ている親にも微笑みかけているのである、親は子に勉強の大切さを教えるだけじゃなく遊び方も教えてあげないといけませんよと・・・あまりにも我々は子供を他力本願な遊び(娯楽)の餌食にしていないか?


■イライザがメリー・ポピンズになった時


メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
メリー・ポピンズを演じるジュリー・アンドリュース(1935− )は本作が、映画初出演である。日本では沢田研二が彼女の大ファンであったことからジュリーという愛称で呼ばれた事でも有名な女優だが、「マイ・フェア・レディ」などのブロードウェイの舞台で成功を収めたミュージカル女優であり、のちに『サウンド・オブ・ミュージック』でマリアを演じた名優である。そして、実は本作と同じ年に「マイ・フェア・レディ」が製作されていた。

もっともプロデューサーの意向でオードリー・ヘプバーンにイライザ役を持っていかれる形になったのだが、この事に関して当時のジュリー・アンドリュースは一般的に舞台と映画は別物なので、取り立てて屈辱的だとは考えていなかった。むしろそんなことをヒステリックに思いつめるレベルの女優には『メリー・ポピンズ』の主役なんかは任せられなかっただろう。

彼女のメリー・ポピンズ役の起用は、ウォルト・ディズニーがブロードウェイで上演されていた「キャメロット」を見て決断し、直々に楽屋まで押しかけ交渉したという。当初映画デビュー作に空飛ぶ魔法使いの乳母役ということに抵抗感を感じたジュリーだったが、粘り強いディズニーの熱意に押され出演を決定した。(説得のため貸切りディズニーランド・ツアーにも招待したという)

そして、結果的にジュリー・アンドリュースはオードリー・ヘプバーンのイライザを押しのけアカデミー主演女優賞受賞となるのだが、こういった一連の話は今となってはあまり重要ではない。賞はあくまで賞であり、あくまで観ている人それぞれの感性で全てを感じるべきだろう。私的には、この作品においてのジュリーは実に魅力的だった。そして、オードリーの『マイ・フェア・レディ』もまた素晴らしかった。

メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
ジュリー・アンドリュースの魅力は、何よりもその清潔さであるが、それ以上に抑圧された性的な匂いを感じさせる女優でもある。そして、彼女の歌には天使の声音がある。この声音と賢母の雰囲気が、ある表情の瞬間性的な魅力によって禁断の輝きに満ちる女優でもあったのだが、残念ながらその魅力を生かした監督には出会わなかった。

当初ディズニーはベティ・デイヴィスかアンジェラ・ランズベリーでメリー・ポピンズ役を考えていたという。そして、バート役はダニー・ケイかフレッド・アステア、ケーリー・グラントで考えていたという。


■ディック・ヴァン・ダイク


メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
この作品でかなりの魅力を発散しているのが、バートを演じたディック・ヴァン・ダイク(1925−)である。冒頭で突然画面ごしに話しかけてくるシーンはかなりの驚きだが、この人の温かい雰囲気がこの作品をどこまでも見守っているところにこの作品の一つの魅力がある。

ヴァン・ダイクという人は、空軍時代にDJをしたことを皮切りに、ブロードウェイのミュージカル・スターとなり1961年に『バイ・バイ・バーディ』でトニー賞助演男優賞(ミュージカル部門)を受賞している。さすがに本作においてもブロードウェイ・スター、ジュリー・アンドリュースとの共演は舞台を見ているかのような息の合い様である。

さらに銀行の頭取の老人も1人2役で演じてるのだが、全く逆転のキャラクターを面白おかしく演じていた。とにかく手足が長いので従来の小柄なミュージカル・スターとはまた違ったダンスの魅力に溢れた人である。


■素晴らしき名曲の数々


メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
本作の魅力は文句なしに素晴らしい名ソングの数々である。特に、ひとさじのお砂糖(A Spoonful of Sugar)、楽しい休日(It's a Jolly Holiday with Mary)、スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス、チム・チム・チェリーといった曲が素晴らしく、今やスタンダード・ナンバーとなっている。

良いミュージカル音楽の素晴らしさとは、その音楽をどこかの街角でちょっと耳にしてもすぐにその情景が走馬灯のように蘇えるところにある。そして、『メリー・ポピンズ』の曲の数々にはそれがある。

メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
しかし、皮肉なことに『メリー・ポピンズ』に出てくる銀行重役の姿が、今のディズニーの重役の姿に近いのではないだろうか?大企業というものが存続、繁栄していくためにはおのずから、ディズニー映画のテーマでもある「子供の心を忘れないで・・・」を忘れざるを得ないのではないだろうか?

もしかしたら、ディズニーに関わる仕事をしている人々が、最も昔ディズニーが描いてきた世界観からかけ離れた考え方をしているのかもしれない。だからこそ最近のディズニー・アニメは「死んでる」んじゃないだろうか?


■メリー・ポピンズさん、さようなら


メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
私はおおぜいの子供達にさよなら≠言ってきたの


そして、家族の和解を見届け、静かに傘を広げ、空の彼方に去っていくメリー・ポピンズ。次に自分を必要とする子供を求めて・・・。
人間の去り際の清さ。メリー・ポピンズは完璧の象徴であり、だからこそ孤独を受け入れる人である。そして、バートもそんなメリーの事をよく知っているので、むやみやたらに干渉しない。この距離の取り方にバートからもダンディズムを感じるのである。

その余韻の中で強烈なメッセージとして残るのは、「子にとってメリー・ポピンズよりも、やはり両親が愛すべき存在なんです」ということである。メリーと魔法の世界で楽しむよりも、父母と凧をあげることを臨むのが子というもの。
子が大きくなってからは、愛を与えても今さら受け止めてくれないもの。だからこそ、愛情を求める時に思う存分愛情を与えてあげてください。と―

ちなみに実に面白いのだが、2人の子の父親ミスター・バンクスを演じたデヴィッド・トムリンソンは、絵の世界のペンギンのウェイターや、ジョッキーの声。そして、最後の傘の柄のオウムの声も担当している。当初バンクスの役柄はリチャード・ハリス、ジョージ・サンダース、ジェームズ・メイソンが考えられていた。


■メリー・ポピンズさん、こんにちわ


メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
この作品の原作は、オーストラリア出身のイギリスの児童文学作家P・L・トラヴァース(1899−1996)が1934年に書いた『風にのってきたメアリー・ポピンズ』である。その原作本を、1938年に、ウォルト・ディズニーが就寝する娘にキスをしようと、枕元に置いてあったこの本にふと目に留めたところから映画化への道のりは始まる。

しかし、肝心のトラヴァース夫人は映画化権に拒否反応を示しなかなか叶わなかった。1961年にディズニー自身が直接彼女に会い、破格の著作権料とアニメーションにしないことと、更に脚本の最終承認権を条件に映画化を承認させた。

メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
監督には、物語と同じような格式高い家庭で育てられたイギリス人映画監督ロバート・スティービンソンを配した。そして、音楽を担当したシャーマン兄弟が2週間で仕上げた「鳥に餌を」はウォルト・ディズニーの「ブラームスの子守唄よりいい」とのお墨付きをもらい彼の大のお気に入り曲になった。

作品の製作の整備と作曲の段階で実に二年間が費やされた。そして、600万ドルの予算を費やし1963年5月から撮影は開始された。全てイギリスのスタジオ室内で撮影は行われた。丁度この時期ビートルズの『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』の撮影も行われていたという。

撮影終了後の同年9月から出演者の歌の録音のためにさらに数ヶ月費やされた。そして、1964年夏完成するも、その作品を試写したトラヴァース夫人は、ジュリー・アンドリュースに対しては絶賛したが、ヴァン・ダイクの起用とシャーマン兄弟の音楽に対しては酷評し、さらに実写とアニメーションの合成は、全てカットしてくださいと言及した。

しかし、それに対してディズニーは温厚に
「これは最終版ですので、私の所有物になったんですよ。これが完成版です」と撥ねつけたという。結果的に公開されるやいなや全米だけで3100万ドルの大ヒットとなり、世界中で4400万ドルの興行収入をあげ、現在までに1億ドルの興行収入を稼ぎ出した。ちなみに1966年に日本で初公開され、第一位の「007/サンダーボール作戦」に次ぐ興行収入4億2900万円を記録している。

メリー・ポピンズ メリー・ポピンズ
結果的に1964年アカデミー賞主演女優賞(ジュリー・アンドリュース)、作曲賞、歌曲賞 (『チム・チム・チェリー』)、特殊視覚効果賞、編集賞の5部門を受賞する。作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、編曲賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞(カラー)録音賞にノミネートされた。ちなみに衣装デザインを担当したトニー・ウォルトンは当時のアンドリュースの夫である(後に1980年『オール・ザット・ジャズ』でオスカーを受賞している)。

− 2007年9月4日 −


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