HOME
■サイト内検索

■洋画
 □カタカナ順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □クラシック
 □ドラマ
 □コメディ
 □サスペンス
 □アクション
 □ポリス
 □スパイ
 □犯罪
 □カー
 □ミュージカル
 □史劇
 □文芸
 □戦争
 □西部劇
 □アドベンチャー
 □パニック
 □ギャング、マフィア
 □SF
 □ホラー
 □スポーツ
 □香港
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □アカデミー賞
 □カンヌ映画祭
 □ヴェネチア映画祭



■邦画
 □ひらがな順
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 □名作
 □ドラマ
 □喜劇
 □サスペンス
 □アクション
 □刑事
 □時代劇
 □戦争
 □文学
 □パニック
 □東映ヤクザ
 □ギャング、ヤクザ
 □特撮
 □怪奇
 □ドキュメント
 □アニメ
 □エロス
 □B級
 □海外映画祭受賞
明治侠客伝 三代目襲名   (1965・東映京都)
■ジャンル: 東映ヤクザ
■収録時間: 90分

■スタッフ
監督 : 加藤泰
企画 : 俊藤浩滋 / 橋本慶一
原作 : 紙屋五平
脚本 : 村尾昭 / 鈴木則文
撮影 : わし尾元也
音楽 : 菊池俊輔

■キャスト
鶴田浩二(菊池浅次郎)
藤純子(初栄)
大木実(星野軍次郎)
津川雅彦(江本春夫)
藤山寛美(石井仙吉)
丹波哲郎(野村勇太郎)
明治侠客伝 三代目襲名
渡世の仁義に生きるやくざと体の汚れた娼妓。明治40年の大阪・曽根崎で、決して浮かばれることのない男は、決して浮かばれることのない女を愛し、愛された。どんなにお互いが汚れていようとも二人の間には、閉塞感の中から生まれる強烈な愛の交差があった。そして、顧みて今、私たちの周りの男女はこれほど熱く愛し合ってるだろうか?カッコばかりに拘り、恋愛さえもファッション感覚の薄っぺらさに満ち溢れている現在。氾濫する恋愛の数だけ、その恋愛それぞれがガキ同士の束の間の心の迷いのようなつまらんモノに成り果てつつある。そして、愛なき世界で女も男も疲れ果て、嘘っぱちな男女関係にしがみつくようになる。結局どっちが惨めなのだろうか?

■あらすじ


明治40年の大阪。喧嘩祭りを見物中に木屋辰一家二代目江本福一(嵐寛寿郎)が無宿者に刺されてしまう。浄水場工事の利権強奪を図る星野建材の星野軍次郎(大木実)の差し金だった。そして、重傷だった福一は死に、代貸の菊池浅次郎(鶴田浩二)が三代目を襲名することになる。


■昔の映画は大人の恋愛を描いてくれていた


女は岡山の貧農の娘であり、大阪の曽根崎に売られて娼妓として働いている10代の女性だった。一方、男はバクチ好きのオヤジが死の床に臥せっている時は、監獄にいたという札付きのヤクザもので、任侠道一筋に生きる40前の男性だった。

そんな二人が恋に落ちる。いや正確には、
女は初めてこの男に人間らしく$レしてもらった。そして、彼と一緒にいると自分が人間である事を深く実感できた=Bだからこそ女にとって深く愛せる対象になった。男もそんな女の姿に自分と同じ匂いを感じ惹かれた。

「愛し合っているからこそ一緒になるべきではない」そう、お互い愛し合っているからこそ、男は距離を保とうとし、女もその距離を尊重した。この作品の見事な所はココの描写の巧みさにある。逆に言うとこういう二人がくっついた所で、女が男に従属しなければいけない≠ゥ喧嘩を繰り返す≠ェオチなのである。

そういった点においては、昔の日本人は、今の日本人よりも粋に遊んでいる分、嘘くさいロマンティシズムなど微塵も抱いていないところが素晴らしい。
愛には適度な距離感が必要であり、共に暮らすことは愛とは別次元なものに転化しやすいという事をよく理解している。


■熱気を生み出すことに長けている 東映ヤクザ映画


明治侠客伝 三代目襲名 明治侠客伝 三代目襲名
金粉で書きなぐられたタイトルバックと仰々しい音楽と共に本作は始まる。そして、祭りの手締めを揺れ揺れの俯瞰ショットで映し出す。オープニングショットから只ならぬ様式美≠ノ満ち溢れている。
どこまでも清潔感に溢れた洗練された日本様式の美がそこにある。

そして、5分もしないうちにそんな様式美とは程遠い見慣れた二人がエキストラとして登場する。そう「ピラニア軍団」の川谷拓三と岩尾正隆である。結果的に7年後この二人が東映仁侠映画に印籠を渡す役割を担うことになる。そして、コイツらも後に光り輝く為に、こんな修行をこなしていたのだった。

東映映画の魅力は、主役の輝きと同じくらい大部屋俳優のむさ苦しい意地でも目立ってやる熱気にある。


■汐路章の強烈な存在感がオープニングを引き締める


明治侠客伝 三代目襲名 明治侠客伝 三代目襲名
「あほんだら!己ごときのなまくらドスで命を落とすような木屋辰じゃないわい!」

冒頭の男臭い喧嘩祭りのシーン。男の生脚だけを映すことで熱気を演出する中、一人の無表情な男が映し出される。そして、嵐寛寿郎(以後アラカン)を背後から刺す。この静的動作の魅力・・・そして役者の迫力。アラカンも素晴らしいが、
この男の存在感はそれ以上に恐ろしいほどに絵からはみ出している。

もうこのオープニングの5分間が、この作品にただならぬ神通力を宿らせた。全ては眠そうな眼差しのこの男の存在から始まった。この仁侠映画の大傑作は、邦画史上最高にユニークな刺客の寝ぼけ眼から始まったのである。

そして、一命を取り留めたアラカンに巡査が面通しでこの男を連れてきたときに、上記のセリフを吐くアラカンの凄み。刺された傷口から足下に滴り落ちた一筋の血とそれを手ぬぐいでさりげなく隠す鶴田浩二の
ヤクザな気遣いの格好良さ。そして、そんな過程を無言で眺めて僅かに表情を変えるこの男の凄み(その少し前のシーンで悪漢を演じる大木実がこの男の気配を背中に感じ、事の次第が発覚するのではと僅かに頬がピクつくその描写も又素晴らしい)。


■幸の薄い大人を惹きつけるファンタジー 東映任侠映画


明治侠客伝 三代目襲名 明治侠客伝 三代目襲名
まだ洗練された美しさを発散していない10代の藤純子(1945− )がぽっちゃり気味に登場する。同年公開の『顔役』で待田京介とデートしていた時もそうだったが、この頃の藤純子は女の色気≠ニいう部分においては著しく物足りない。

そんな彼女が娼妓を演じている。どこからどう見ても箱入り娘な風体なのだが、これが一種のファンタジー的な空気を生み出している。処女のような女の子が娼妓を演じる奇妙さ。

こんな清純そうな娼妓なぞ存在しないだろうが、鶴田のような任侠道まっしぐらのヤクザもしかりである。東映の仁侠映画とは、
はぐれモノのファンタジーであり、現実社会で幸の薄い大人にとっての寓話だった。現実味溢れない世界だからこそその様式美は飛躍的に高まり、観客はその世界観に埋没できたのである。

ふとした出会いで心と心を交差させる二人。本作の外殻はファンタジーであっても、中身は男女の本来の姿を見事に描ききっていた。傑作と言われる仁侠映画は全てこの部分で共通している。


■桃二つを通じて感じる愛情の温もり


明治侠客伝 三代目襲名 明治侠客伝 三代目襲名
「まあ行きずりのきまぐれみたいなもんや。恩にきんでイイで」

夕暮れ空に淀川沿いに架かる橋と松の木と灯篭と石畳。井川徳道による素晴らしいセットと加藤泰の感性が生み出した極上の様式美溢れる映像が『明治末期の男と女のロマン』を作り上げた。


明治侠客伝 三代目襲名 明治侠客伝 三代目襲名
不幸な女の精一杯の優しさ。岡山の実家からもいだ桃二つ。
彼女の温もりが果物を通して男に伝わる。燃え上がるような恋ではなくゆっくりと育んでいかれる恋の脆さ。その脆さゆえに二人の心と心の結びつきも強まる。決して結ばれないからこそ深まる男と女の想い。

そんな情愛の始まりを示す桃二つ。
「私の温もりをこの人に伝えたい」と願うこの少女の奥ゆかしさ。そして、それを受け取る男の温かい眼差し。どんなに汚れていても二人の心は、桃のような新鮮さに包まれていた。だからこそ汚れた世界では二人は結ばれない。


■震える程にイイ泣き節「会いたかったなァ〜〜〜」


「売りもん買いもんや!おのれとわいとは五分と五分じゃ」

「わいのおやじはなぁ。三度の飯よりバクチが好きでおふくろを泣かしてばかりおったしょうもない男やった。そのオヤジが死にかけてると知らされた時、わいは監獄で赤い着物着てるときやった。そんなおやじでも会いたかったなァ〜〜」


とにかく鶴田のセリフ回しが素晴らしい。しかも品がある。最近のVシネマの連中には品がない。品のある啖呵が切れる役者が少なくなったことも昨今のヤクザ映画が陳腐になってる原因の一つだろう。
「ヤクザが憧れるような役者がヤクザを演じているのとヤクザに憧れてる役者がヤクザを演じている」次元の違いである。

「そんなおやじでも会いたかったなァ〜〜」こんなセリフ回しが出来る役者は、鶴田浩二以外にはいません。そのセリフ回しの巧みさ以上に情感のこもったセリフの締めくくり方(鶴田の泣き節)には驚嘆させられる部分が多い。今の役者諸君が見習うべき役者の一人であることだけは確かだ。


■感情のほとばしりをしっとりと魅せる旨み


明治侠客伝 三代目襲名 明治侠客伝 三代目襲名
「ボン 殴ったりしてすまなんだなぁ」

三代目を襲名する浅次郎=鶴田浩二。それに反発する二代目の息子春夫=津川雅彦(1940− )がなかなか素晴らしい芝居を見せてくれる。歯切れが良くて勢いがほとばしっている。そんな春夫にビンタを喰らわす浅次郎。加藤の映像はカット割りに拘る映像と、ノーカットでじっと感情を引き出す映像が見事に交差している。

この二人の男は実にいいテンションで芝居している。
映画というものは、映像を見せる場合はカット割りも必要だろうが、普遍的な感情の高まりを演出する場合は、ノーカットで芝居を見せることが大切であることを教えてくれる。そういった意味においてはココ20年の映画の多くがゴミ同然なのは、映像オタクが芝居の邪魔をしすぎているからである。

視覚的な刺激が生み出す感情の高まりは、決してじんわりと心に浸み込む感情の高まりを越える事は出来ない。
そして、視覚的な刺激ばかりに人が触れ合うことによって、その人はじんわりと心に浸み込む感情の高まりを実感できない人になってしまう。それはつまり「感情が鈍い人」の誕生のプロセスでもある。映像に敏感な技術者が映画監督になる昨今の流れがまさしく「感情の鈍さ」を伝染させる状況を作り出している。


■男と女が失ってはいけないもの 賢さよりも馬鹿さ


明治侠客伝 三代目襲名 明治侠客伝 三代目襲名
「あほな男や、せやけどわいにはこういう生き方しかでけへんのや」

初栄=藤純子が何もかも捨てて一緒に逃げてと浅次郎に懇願する。そんな初栄に言い放つのが上記の名セリフ。上手くいかないことが分かっていても、愛する男を求める女の悲しい性。そんな女の懇願を振り切る浅次郎の男っぷり。

「やせ我慢」と「不器用さの自覚」。これが男から失われたら男には何が残るのだろうか?男が男としての美徳を失い、女が女としての美徳を失った時生み出されるのものは、一体何なんだろうか?

それにしても春夫を騙まし討ちするシーンにおいての悪党二人の憎々しさ。大木実(1923− )と安部徹(1917−1993)。特に善玉もよく演じている大木が悪党を演じるときは、姑息で白々しくてかなり憎らしい。一方、春夫の身代わりに刺殺される流れ者の渡世人を演じる藤山寛美(1929−1990)。毎度の事ながらバカなボンボン風情で女郎買いをする役柄で登場するのかと思いきや飄々とした渡世人役で素晴らしい助演を見せてくれていた。


■しかし、ラストのダイビングはどうかな?


明治侠客伝 三代目襲名
「男一代ここが勝負の分かれ目だ!男なら立て!踏まれても蹴られても立ちあがって勝ってみせろ」

例の如く美味しいとこ取りな丹波節が炸裂する中、鶴田は単身殴りこみを決行する。この殴りこみの流れはお世辞にも素晴らしいとは言えない。ハリウッド映画並みに無理のある衝撃的なダイビングしての殴り込みから何のカタルシスもなく一瞬で大木を刺殺してしまう。

そして、最後に藤の目の前で恋敵でもある安部徹に一矢報いて終わるのである。上半身裸でしょっ引かれていく鶴田の素肌に顔をうずめ泣きじゃくる藤の芝居は少々女の情念に欠ける部分があった。


■鶴田浩二と加藤泰の衝突の中生み出された


本作は当初小沢茂弘が監督の予定だった。しかし、『関東やくざ者』の撮影が終わりスタッフ皆で片山津温泉に逗留に行ったときに、泥酔した小沢と製作者の俊藤浩滋(藤純子の実父)が宴席で芸者を巡って喧嘩し、丹波哲郎が仲裁したが、小沢が2ヶ月干されることになり降板した。

そして、加藤泰が登板することになった。後に小沢はこう語っている。
「ローポジションにすれば芸術とか何とか言って・・・。撮る写真は大したことないのに、なんというか、ぶってる。・・・要するに、封切日は決まっているのに、最初のうち凝って撮るから日数が足りずに後半ムチャクチャになる」

加藤泰と鶴田浩二は撮影中に「芝居の指示を出せ!」ということで口論になり、お互い口も利かない険悪なムードで行われたという。しかもわずか18日間の撮影日数で作り上げられた作品であった。それにもかかわらず出来上がった作品は好評を博した。

− 2007年12月21日 −


当サイト内で使用している画像・映像キャプチャー等は、あくまで映画文化の熟成及び芸術復興を標榜する当サイトの意図により、
「映画を文章だけで云々することの不誠実さ」と「目で感じる芸術及び娯楽」である映画に対する敬意の姿勢で使用しております。よって著作権等は、全て各製作者・会社に帰属します。
画像・映像キャプチャー等の使用に関して表記の問題がある場合、又は削除依頼がある場合は迅速に応対させていただきますのでご連絡ください。
このサイトは、100%非営利に、純粋に「映画解釈の究極」を求めて運営されています。取り上げるべき作品・感想等ございましたらどんどんメールください。
当サイトはリンク・フリーです。
Copyright (C) 2007 Geijyutsu Taizen. All Rights Reserved.
Mail:webmaster@summaars.net