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三十四丁目の奇蹟   MIRACLE ON 34TH STREET(1947・アメリカ)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 96分

■スタッフ
監督・脚本 : ジョージ・シートン
製作 : ウィリアム・パールバーグ
原作 : ヴァレンタイン・デイヴィス
撮影 : チャールズ・クラーク / ロイド・エイハーン
音楽 : アルフレッド・ニューマン

■キャスト
エドマンド・グウェン(クリス・クリングル)
モーリン・オハラ(ドリス)
ナタリー・ウッド(スーザン)
ジョン・ペイン(フレッド)
ジーン・ロックハート(ハーパー判事)
ジャック・アルバートソン(郵便局員)
三十四丁目の奇蹟
「クリスマスは日≠ナはなく、気持ち≠ナす」そうこの映画の中のセリフがそのままストレートに反映されている素晴らしい作品。この作品の価値は、別にクリスマスに見ないでも「人生の明るい側面を見させてくれる」所にある。昔のモノクロ映画の方が、どうしてこう色彩色豊かに希望∞ファンタジー∞歓喜≠ニいった色合いを感じさせてくれるのだろうか?

■あらすじ


マンハッタンの最大手デパート・メイシーにもクリスマス・シーズンがやって来た。ふとしたことからそこでサンタクロースのバイトをさせられることになったクリス・クリングル(エドマンド・グウェン)。人事担当のドリス(モーリン・オハラ)が雇用したこの老人が「私は本当のサンタクロースです」と主張したことから、裁判へと発展するのだった。「この老人は、本当にサンタクロースか?」という裁判である。


■人生謳歌の素晴らしさ!


三十四丁目の奇蹟
人間のタイプは、おおまかに分けて二種類に分かれる。
それは「心に太陽がさんさんと照っている人」と「心に闇が立ち込めている人」である。得てして、前者は「楽天的で、寛大で、気分屋ではあるが、無理はしない怠け者でもある。ただし、それが人間だと割り切れている人」である。一方後者は「計画的で、繊細で、心配事に対して第一優先に心を砕き、無理をしなければ人生じゃないと考える人」なのである。

結果的に
前者は「他人のために時間を割くことを苦痛と思わず」後者は「自分のために時間を割いてくれない人が許せない」のである。この作品の主人公であるモーリン・オハラ演じるドリスも、後者に属する女性だった。世界中で重要なのは、自分の子供と自分だけそう考える女性だった。

「誰にも傷つけられないように、もう自分以外は何も信じない」だからこそ、シングル・マザーでありながら彼女は大手デパートの重要なポジションについてもいるのである。この設定は極めて現代的である。しかし、2人の男性との出会いが彼女の価値観を根底から覆したのである。その2人とはクルス・クリングルとフレッドである。


■「柔軟性」のみが普遍性を生み出せる


この作品の素晴らしいところは、スーザンを通して子供にも、そして、ドリスを通して大人にも感じることの出来る哲学が散りばめられている点である。
素晴らしい映画とは、「柔軟性に満ちた」作品が多い。この柔軟性とはつまり「普遍性」を生み出す要素なのである。

そして、社会においても柔軟性に欠ける社会は、「管理国家」の様相を呈し、そんな社会は硬直し、歪んでいくのである。人間は本質的に柔軟な生き物であり、鋳型にはめられようとすればするほどより柔軟さを増す生き物なのである。そして、今の日本は「管理国家」の様相を見せ始めている。

そんな今だからこそ、子供達にとっても大人にとっても、
ガチガチに固まった心の柔軟体操が必要なのである。この作品はそんな柔軟体操に相応しい作品であり、この作品を8歳までに見ていない子と見ている子とでは、それ以降の人生の充実感が、何倍も違ってくると言い切れるほどの素晴らしい作品である。


■クリスマスは日≠ナなく、気持ち≠ナす


この作品の素晴らしいところは、サンタクロースと自称する老人クリスは、けっして何か特別な能力=魔法を見せつけるわけではないのである。それでいながら彼の存在がもしかしたらサンタクロースかも?という説得力に満ちているのである。つまりこの老人が登場してから、明らかに周りの人々の人生は豊かなものへと変貌していくのである。

サンタクロースは、子供たちにプレゼントを与える魔法使い≠ナはなく、その存在を信じる心=∞視野の柔軟性≠与えてくれる素晴らしい存在なんです。と伝えてくれているのである。そして、自分の生活の延長線上で得たものに対する喜びは、他人から与えられたどんなものも適わない≠ニも伝えてくれている。

だからこそ本作は大人に対しても、多くの深みある作品なのである。一方、
子供に対してもサンタクロースを信じる心=∞純真な心≠フ大切さという宝物を与えてくれる作品なのである。

間違いなく本作において重要な役割を担っていたのはサンタクロースを演じたエドマンド・グウェン(1875−1959)のロビン・ウィリアムスのような温かみ溢れる芝居だった。彼はイギリス出身の俳優で、善人も悪党も演じきれるというその演技力の深さで認められた俳優だった。元々はバーナード・ショーの舞台から脚光を浴びた人であり、第一次世界大戦出征の経験もあった。こういった年輪を経た人だからこそ優しさに溢れる表情だけではない感情豊かなサンタクロース像を演じるという非常に難しい役柄を見事に演じ切れたのだろう。


■ナタリー・ウッド当時8歳


三十四丁目の奇蹟 三十四丁目の奇蹟
そして、もう一人本作において重要な役割を担っていたのは、撮影当時8歳だったナタリー・ウッド(1938−1981)の格別の可愛さである。「ジャックと豆の木」の巨人の話を信じていない子供という、実におませな女の子なのだが、母ドリスと懇意になりたいと考える隣に住むフレッドをサポートする優しさも持ち合わせた女の子である。

「七面鳥食べきれないよ」と三人での食事を仕組むシーンの可愛さ。そして、クリスとチンパンジーの物まねをする可愛らしさ。更には「信じる。信じるわ」と口の中で延々と呟いているシーンから最後の「やっぱりサンタさんはいるんだわ!」という流れへ移行していく全く無理のない芝居。

わずか8歳で驚異的な演技力の冴えを見せ付けてくれている。ハリウッド映画の恐ろしいところは、子供にも一個の性格付けをするところである。そして、ナタリーはそういった性格付けを見事に理解した名演を見せている。このナタリー・ウッド演じる「サンタを信じない」スーザンの違和感のなさがあったからこそ、エドマンドも躊躇することなく輝けたのである。



■1947年にも既にマーケットの利益至上主義は蔓延っていた


クリスマスの意味なんかよりも、この機会を最大限に利用して稼げるだけ稼ごう!なんて風潮はこの作品が作られた1947年から存在していたんだ、ということが再認識できる。ここでアメリカの流れを簡単に説明しよう1950年代に「消費の時代」→1960年代に「公民権運動」を始めとする見せ掛けの豊かさに対する疑問→1960年代後半「価値観の喪失」→1970年代「自信の喪失」→1980年代「過信」→1990年代「成熟」→2000年代「社会崩壊への序曲」へとつながっている。

現在のアメリカ社会は、娯楽の氾濫及び消費の若年化に対して、将来の希望の気薄さが充満しており、政治は特権化し、企業は組織犯罪化し、拝金主義が蔓延り、麻薬・銃器の氾濫、大人の精神の不安定といった内なる不安がどっと噴出し、もはや
「自ら何かを創造するというよりはただただ娯楽を享受するという姿勢」に満ち溢れている。

それはハリウッドの映画産業、音楽産業における、代わり映えのしないものを延々と垂れ流し続けているところにも出ている。特にゴシップといった他人の不幸を覗き見して喜ぶ風潮が蔓延し、もはや映画の中でたまに描かれる「希望に溢れた国」といった雰囲気は、ほとんど通用しないほどに混乱している。

「望みの品がないときは他の店を紹介する。客が望まぬ品は押し付けない」
そんな姿勢なぞは、100人中100人が、否定するだろう。さらにそういった善意が通用しないようになっている。そろそろ我々が考え始めないといけないのは、
21世紀のマーケットの大半は善意≠謔閧熈悪意≠ノよって利益をあげているという現実である。

善意≠フ伴なう仕事は、心の充実、知性の探求を人生に与えてくれるが、悪意≠フ伴なう仕事は、心が充実しないことによる拝金主義、世間に向って自分の偉業?≠吹聴する他力本願な自己満足(自己催眠)、知性の探求よりもむしろ、知性に対する拒絶が生まれるのである。


今の日本においても、そういう類いの人間が多くマスメディアに登場している。そして、それを目撃している我々も、彼らの悪意≠ノ知らず知らずのうちに毒されているのである。


■モーリン・オハラとジョン・ペイン


三十四丁目の奇蹟 モーリン・オハラ
「信じるよりも常識の問題よ」とドリスがフレッドに答えた時に、フレッドはこう言う。「信じていれば常識は問題でない」「現実社会に対する君のやり方が通用しなくなって無形の財産に気づいた時その価値がわかるよ」。まさにこのセリフこそが、多くの大人が現実の中でもがき苦しむことによって捨て去ったか、忘れてしまった大切な心の持ちように対するシグナルなのである。

子供が生まれた頃に夫と別れるという経験をしたドリス。彼女の離婚が財政的なものでもあることは、フレッドに対する姿勢にも良く現れている。そして、困っている人を助けたいという心を持つ弁護士フレッド。この2人の存在もこの物語においてはかなり重要な役割である。

ドリスを演じるモーリン・オハラ(1920− )は、ジョン・フォードの一連の西部劇で有名な女優だが、この人撮影当時なんと26歳だったのである。どう見ても30代中盤にしか見えないのだが、173pで骨格のしっかりとしたアイルランド女性であることもそう見える要因だったのだろうか?しかし、凄く綺麗な女性である。

当初オハラは、全くこの作品に乗り気ではなかったが、半ば強制的に脚本を読むようにスタジオから指示され、読み終わってからは誰よりもこの作品にほれ込んでいたという。

そして、フレッドを演じるジョン・ペイン(1912−1989)は、元々歌手でもあり、『銀嶺セレナーデ』(1941)などが代表作であり、この作品はモーリン・オハラとの3度目の共演作である。彼のすっとぼけた飄々とした感じが本作の役柄にぴったり合致していた。


■社会の存在は、子供の住みよさを第一番に考えるべきである


三十四丁目の奇蹟
そして、「サンタクロースは本当に存在するのか?」という裁判が起こるのである。クリス老人がサンタクロースであることの証明が郵便局から運ばれてきた21袋一杯の手紙であることが実に素晴らしい。多くの子供のサンタクロースを信じる心が、奇蹟を生み出した瞬間なのである。

このラスト・シークエンスの素晴らしさは、明確に「三十四丁目の奇蹟」は、サンタクロースを信じるその心が生み出したという姿勢である。
つまりこの姿勢は、子供たちが大人に都合よく「考え方を捻じ曲げられているそんな風潮に対する反抗でもある」のである。

「どうか、私達の夢を壊さないでください!」そういう痛切な叫びが生み出した手紙の山々で、裁判所という厳格な空間が埋め尽くされるからこそ、見ている側は爽快な気持ちと、
やはり社会は子供の住みよさが、第一番に重要であって、大人の悪意≠ナ歪められていく場ではなく、大人の善意≠ナ包み込まれた場にしないといけないんだ。と気持ちよく自戒させてくれるのである。

この郵便物を裁判所に郵送しろよとナイスな提案をする郵便配送係アリー役で無名時代のジャック・アルバートソンが出演している。彼は約20年後にオスカー俳優になるのである。


■信じる℃魔フ大切さとは、心にゆとり≠もつ事の大切さ


「信じていれば常識は問題じゃないの。物事が自分の思い通りにいかなくても、相手を信じ続けることが大切なことを知ったの」


クリス老人が無罪を勝ち取った後のクリスマス・パーティーで、クリス老人に頼んだものがプレゼントとして手に入らなくて落胆したスーザンが「やっぱりクリスはただのおじいちゃんだったのよ」と落胆するのに対して、優しくドリスが言う言葉である。

そして、ドリスはフレッドにもこう言うのである。
「本当は信じてたのに常識が邪魔して・・・」このエンディングは実に素晴らしく。クリス老人がパーティーから帰宅するフレッドたちに何故か一枚の紙切れを渡すのである。

この地図に添って行くと近道だからね

そして、すっかり落胆しているスーザンが、自分がクリス老人に頼んだ家を見つけるのである。大喜びのスーザンは「売り家です」という看板も目に入らずに一目散に家の中に駆け抜けていくのである。そして、ドリスとフレッドは和解し、結婚を決め、二人はこの家を購入することを即決するのである。

「僕はサンタクロースを世間に認めさせたくらいの敏腕弁護士なんだから安心してね」
とフレッドが言ったと同時に、暖炉の片隅に見えるクリスが愛用してたステッキが・・・「本当にオレ自分の力でやる遂げたのかな?あの裁判・・・」

このオチが実に素晴らしい。クリス老人からの
「過信は禁物ですよ」という優しい一言なのである。そして、「夢みることは人間に与えられた特権なんですよ。だから夢を謳歌してくださいね」という意味も含めて。


■初夏に公開されたクリスマス映画!


三十四丁目の奇蹟
本作がアメリカで公開されたのは1947年5月2日だった。これはスタジオの当時の責任者ダリル・F・ザナックが最も映画の興行成績が良くなるこの時期を狙って公開させたのだが、初夏の興行ゆえに予告編では、ほとんど作品の中身は映し出さずに、レックス・ハリソンやアン・バクスターというスターが絶賛する映像で煽り立てる形でクリスマス映画であることは秘密にしていた。

そして、結局は多くの映画館でクリスマスまで公開されるロングラン・ヒットになったのである。結果的に1947年アカデミー作品賞にノミネートされ、助演男優賞(エドマンド・グウェン)、脚色賞、原案賞受賞と、1947年ゴールデン・グローブ助演男優賞、脚本賞を受賞した。

ちなみにオスカーを受賞した時のグウェンの一言ごとても粋である。
「今私も確信しています。サンタクロースが存在することを」

しかし、1948年のクリスマス・シーズンに日本公開されたのだが、戦後3年目の日本において、これ程豊かなアメリカの姿はどのように目に映り、心に飛び込んできたのだろうか?


− 2007年8月12日 −


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