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モダン・タイムス   MODERN TIMES(1936・アメリカ)
■ジャンル: コメディ
■収録時間: 87分


■スタッフ
監督・製作・脚本・音楽 : チャールズ・チャップリン
撮影 : ロリー・トザロー / アイラ・モーガン


■キャスト
チャールズ・チャップリン(チャーリー)
ポーレット・ゴダード(お転婆娘エレン)
アラン・ガルシア(社長)
チェスター・コンクリン(工場の親方)
モダン・タイムス
誰よりも「白く塗った」男チャーリー。一人だけ白塗りで登場し、それがもう当たり前のことだと観客に=「現在の観客にも」思わせるこの特殊な浸透力。あの有名なベルトコンベアーのシーンを思い浮かべてみよう。同じ部品をつけられ、同じ過程を経て作り上げられた製品。そして、その過程はまさしく世界中の人間がベルトコンベアーに乗せられて無個性に作り上げられている現代社会の風潮を連想させる。あるのはただ欠陥があるかないかの違いのみ。そんなくだらんマニュアルにそった人生から立ち去ろうとチャーリーは微笑みかける。恋愛、ファッション、人間関係、お金儲け・・・そんなことについて書かれたマニュアル本は、あなたの心を機械化していきます。心で、直感で、感受性で生きていきましょう。

■あらすじ


工場労働に励むチャーリー(チャールズ・チャップリン)は、ナット締めをしているうちに、最終的に精神を病み入院することになる。やがて退院したチャーリーは、ふとしたことから労働運動のリーダーと勘違いされ投獄されてしまう。しかし、囚人の脱獄を阻止したことによって出所したチャーリーは、孤児の娘エレン(ポーレット・ゴダード)と知り合う。意気投合する2人は、やがて川沿いにあるボロ屋で共同生活をするのだが・・・。


■効率よく生きたいならば、効率よく殺したくもなるはず


モダン・タイムス
社会において、ますます会社組織の存亡の為と銘打ち「評価賃金制=労働者のモチベーション管理」が幅を利かす現在。白い黒板に書かれた月間成績が、その人間の価値であり、毎日それに基づき評価され生きている社員たち。
「利益を上げるためにキミ達は生きてるんだ!」そういわれ続け、キミはどこまで走り続けることが出来るのか?

「利益を上げるためにキミ達は生きてるんだ!」しかし、人生ってそれだけか?朝から晩まで利益を追い求めて生きることだけが、20代の特権なのか?社会を知るとはそういうことなのか?仕事のできる人間とはそういった人間なのか?そういうことをして今の40代30代は生きてきたんじゃないのか?

ところで少年犯罪はこのあたりの世代の子じゃないのか?
会社の歯車、機械の中の人生、効率よく人間性よりも利益。そんな姿勢が生み出したのは、人間性に欠しい少年たちではなかったか?

人間の機械化=「正確に利益を叩き出す」ことが、個人の幸福の充実ではなく、家庭の崩壊を導いてしまった。そんな「名ばかりの家族」の誕生が生み出したものは。単純、感受性の欠如、官僚主義、権威主義、厳格さ、独りよがり、むっつりスケベだった。

「個人の幸福」を求めることの大切さが、この作品には描かれている。そして、今のテレビにはそんなものは欠けらも存在しない。皮肉たっぷりに「今の社会は組織の中で適応していかないと生きていけないのさ」と、嘯くのは本人の自由だが、くれぐれも中高年に差し掛かってから後悔しないで頂きたい。
その皮肉な姿勢で人生を全うできれば、一流品の機械として誰かには褒められようものである。

社会システムの流れに乗った人間が勝ち組であるという理論
は、私から言わせると笑止千万である。「人間の機械化への反発は、社会に順応できない人間の言い訳である」と言いたがる人々も多かろうが、そういった連中に対して、勝ち組(この単語は大嫌いだ!)だった私からはっきりと言わせてもらおう。

簡単な歯車になることに躊躇さえ感じないあなたは、人生の価値基準が極めて単純なおめでたい人だ。そういう人間は、どんな人間に対しても心のない接し方しか出来ない分、あなたもやがて誰からも相手されない人間になるだろう。勝利を心から祝ってくれる人も存在せず、ただただその金をばら撒き心のもやもやをごまかして生きていく。私から言わせればこういう人こそ、人間として敗残者である。


■人間から寛容、失敗、嘘が消えた時、それは機械と呼ぶに値する


モダン・タイムス モダン・タイムス
人間の機械化に反対して、個人の幸福を求める物語


オープニングのこのテロップ。かなりの文明批判の姿勢である。しかし、チャップリンが自己主張を明確にするのはここだけである。ここ以外は一切自己主張しない。だからこそこの作品は価値がある。

早速始まる映像は、羊=「家畜」の群れが追い立てられる姿が、いつのまにか人間の群れに切り替わっていく姿である。急かされ仕事場に進んでいくその姿。もちろん時間厳守の姿勢は人間にとって重要である。しかし、それだけに支配される人生は「人間の機械化」そのものである。

「人間が物事に対して、調和を失い偏れば偏るほど、寛容の精神は失われ、争いと非人道的な行為は増長する」


■消費社会が、心の豊かさも早々に消費することを覚えさせた


モダン・タイムス モダン・タイムス
「第5班 もっとスピードをあげろ! 4−7」


物語開始早々、ナット締めに従事するチャーリーの姿がかわいい。この人の魅力は愛玩動物の魅力なのだが、だからこそ白黒映画であっても幼少の子にあっさりと受けいれられるのだろう。そんなチャーリーが脳みそを使わない反射神経のみの反復作業を延々と続けることにより、やがて精神をきたしてしまうのである。

ベルトコンベアーの流れに急かされ、ナットを締めているうちに、体は思考に対して反応することを拒み、反復運動のみを繰り返し人間としての存在感さえも気薄になっていく。体の痒み、セキ、虫を追っ払う、上司に苦情を言うそういった人間としての欲求さえも許されない中で、彼はやがて何も感じなくなる。

これじゃピラミッドを建てる為に、ムチで叩かれながらただただ石を積み重ね死んでいった奴隷と同じではないか?「資本主義とは、そういったピラミッドのために生きる底辺の奴隷に対して、消費させるという新たな概念を付け足しただけのシステムだったのか?」

あくまでもこの作品の真意は、問題定義である。ベルトコンベアーの上の部品を処理しているうちに、実はその人間自身もベルトコンベアーの上で、人間の機械化への処理が施されていくという皮肉。

「要するにですよ、機械というものが、世のため、人のためということで使われさえすれば、これは人間を奴隷の状態から解放し、労働時間を短縮し、それによって、知性の向上、生活のよろこびというものを増進するのに役立つことは決まっているのですからね」そんなチャップリンの言葉からも分かるとおり、彼は機械に対してではなく、人間が素晴らしいものを発明してもすぐにそれを、強欲の為に悪用してしまう姿に憤りを感じているのである。


■労働の果てに得たもの。それは精神の病だった


モダン・タイムス モダン・タイムス
大きなモニターで労働状況を監視され、トイレで煙草の一服をする姿でさえも監視されていく。そして、工場の経営者は、労働者に効率よくランチを採らせるために、自動食事摂取マシーンの導入まで画策するのである。その実験台になるチャーリーには申し訳ないが、実にこのシーンが可笑しい、とうもろこしが暴走して回転し、ナットさえも食べさせられるチャーリーの姿は、まさに人間の機械化への一歩手前として象徴的なシーンである。

モダン・タイムス モダン・タイムス
そして、彼は機械の歯車の中へと流れていくのである。彼の空気の流れは、機械の流れと化し、正常なチャーリーは狂ってしまう。そして、ナットのようなものを捜し求めスパナを両手に持ち、彷徨うチャーリーの可笑しいこと可笑しい事。美女のお尻についているボタン飾りを締めようと追いかけたり、果てはふくよかなバストを持つおばさんの胸のボタン飾りを締めようと追っかける。

モダン・タイムス モダン・タイムス
そして、再び工場内に戻ったチャーリーは、油さしを取り出し、ベルトコンベアーで機械のように賢明に働く人々に油をかける。
さあ、人間であることを思い出せ!といわんばかりに。油をさす!かくして正常な人間は異常に成り、この奴隷工場から精神治癒の為病院に入院することとなった。

彼が必死に働いて得たものは安定した給与ではなく、精神の病だった。そして、工場にとって彼は使い捨ての部品でしかなかった。ナットを締めるという細分化された単純作業の従事は、結局のところ、遣り甲斐がなく、技能も身につかない時間の浪費以外の何者でもないのだ。


■幸せも不幸も、勝ち取っていくもの!


モダン・タイムス モダン・タイムス
退院したチャーリーがとぼとぼと道を歩いていると、トラックの荷台の赤旗が落ちる。それを教えようと赤旗を拾い上げ、トラックを追いかけ赤旗を振り回すチャーリーの後ろから偶然、労働者デモの一群が。そして、チャーリーは共産主義者のリーダーと間違われ投獄されるのだった。

しかし、刑務所内で、ふとしたことから覚醒剤入りの昼食を食べ、勇気100倍となって、偶然そこに居た脱獄囚をやっつけ、褒美として快適な監獄生活が提供される。この不幸と幸福を生み出す根拠の曖昧さこそが、チャップリンの真骨頂である。

〜あなたが幸せになるか不幸になるかは、結果でしかないんです。だからこそ、そこへ行くまでの過程がまさに重要なんです。偶然が生み出した幸せも不幸もすぐに終わりが来るんですよ。〜

だからこそチャーリーが偶然につかんだ幸運も長く続かなかった。そう、快適な監獄生活は、脱獄を阻止した行為に対する褒美として、釈放という形で、再び彼を宿無しの生活に戻してしまうのだった。


■こんなにカワイイ守ってあげたい女の子はそういない


モダン・タイムス ポーレット・ゴダード
チャップリン映画史上最高に逞しく現在的に美しい女の子エレンが登場する。ポーレット・ゴダード(1910−1990)。ボロを着て、裸足で駆けずり回るその躍動感溢れる姿。妹たちのためにバナナを盗み仁王立ちして頬張るその目の笑っていない笑顔。チャーリーが身を挺してでも守りたくなる少女。

全くやる気のないチャーリーは、エレンと出会ってから生きる気力が生まれた。チャーリーがどんな目にあおうとも、兄を待つかのように、エレンは彼をいつも待ってくれているのである。2人ともお互いのスマイルを喜びに生きているのである。それは男女の愛情というよりも、むしろ兄妹の愛情に近いだろう。そして、空想の世界で美しい家に住むのだが、その後に住むボロ家での生活も負けず劣らず美しいのである。

お互いにとって、お互いに笑顔を生み出すことを最大の喜びにさせる関係。これが本当の愛情の姿ではないのだろうか?

ポーレット・ゴダード モダン・タイムス
そして、チャーリーは、飢えているエレンを食事にありつかせてあげる為にデパートの夜警の仕事を引き受ける。エレンにお腹いっぱい食べさせてあげ、ローラースケートで楽しむ姿。それにしてもあのチャーリーの目隠しでスケートするシーンの、流暢な滑りはなんなんだろう?すご過ぎる。

ちなみにこの2人は作品の製作後に結婚し、1936年には新婚旅行で日本にも立ち寄っている。


■チャールズ・チャップリンの肉声


モダン・タイムス モダン・タイムス
最後の山場でもあるチャップリンが初めて肉声を発するシーンは、全くでたらめな言語で「ティティナ」という歌を歌うのだが、実に素晴らしい。パントマイムをしながら歌って、笑わせる。それが全ての芸の基本であることが堪能できる。しかもセリフではなく、誰にも理解できない言葉によって、
世界中の誰にでも分かるように伝えようとするその頑強なまでの笑いに対するこだわり。チャップリンは、トーキー映画が登場した1927年から10年目にして初めて肉声を世に解き放ったのである。

最近才能があるとメディアからもてはやされがちな人々は、つとに拘りもなくバランス感覚がよいように見えるが、やはり天才とは、自分の考えと行動に対して真摯であり、その分不器用になりがちなのである。

そして、その前のウェイターとしてグリルチキンをトレイに乗せて、踊る人々の中を頭上に掲げてくるくる回っていくシーン。このシーンだけで、12日の撮影期間を要したというだけあり、カットなしで延々と長廻しされている。
まさにチャップリンの天才性はこの妥協のなさから生まれていることが良く理解できるのである。


■絶えず反復する円と決して反復しない直線


モダン・タイムス モダン・タイムス
"Buck up - never say die! We'll get along." (へこたれないで元気を出すんだ!運は開ける!)

「何をしても失敗するばかりだわ!」と落ち込むエレンに、上記の言葉を投げかけ、ジェスチャーで笑顔を作ろうと伝えるチャーリー。そして、元気を取り戻したエレンに彼の口はこう告げる。「スマイル!カモン!」と。名曲「スマイル」の流れる中、2人は自分達の足で腕を組みながらながら一本の道を歩いていくのだった。

この作品は、機械化と人間らしさの対比を円と直線の対比に置き換えている。そう、円には限界が必ずあり、絶えず同じ場所に戻ってくる。ナットを回す動きも円であり、自動食事摂取マシーンの動きも円、歯車も円、そして、コインも円であり、ローラースケートのすべりも円、レストランでグリルチキンのトレイを持って回る動きも円である。円とは自意識の欠如した反復行為の象徴である。

一方、最後のシーンは直線を歩いていく2人である。円状の周回には結局は安心できる終わりが存在するが、延々と同じ場所を回っていくに過ぎない。一方、直線にはゴールはまだまだ見えず、その先にあるものが希望か絶望かは直線を歩む人次第である。

つまり円は機械化の象徴であり、直線とは人間らしさの象徴なのである。そして、チャップリンが22年間演じた放浪者チャーリーを通して伝えたいこともこの作品を持ってゴールに達したのである。この作品をもって放浪者チャーリー・スタイルは終了した。

当初はエレンは尼僧になり、労働酷使により精神衰弱し入院しているチャーリーを訪問するというエンディングが撮影されていた。しかし、撮影終了後チャップリンはこれではあまりに希望がなさ過ぎるということで、有名なエンディングに変更された。


■芸術品が認められる為には時間を要する


モダン・タイムス モダン・タイムス
この作品は、1931年にルネ・クレールが作った『自由を我等に』に多分の影響を受けている。1934年10月11日より150万ドルの製作費をかけて撮影された。そして、1935年8月30日に撮影終了し、1936年に公開されたが、一部分のみトーキーのサイレント映画は当時としては「時代遅れ」だったので、評価は高くなかった。

モダン・タイムス モダン・タイムス
元々はチャップリンは、全編に渡ってトーキーで撮影しようと考えていた。そして、ダイアローグの台本まで用意していた。しかし、刑務所のシーンで撮影した出来栄えに意気消沈し、一部を除きサイレントで撮影することになった。

− 2007年9月17日 −


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