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無防備都市   ROMA, CITTA, APERTA(1945・イタリア)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 106分

■スタッフ
監督 : ロベルト・ロッセリーニ
原作 : セルジオ・アミディ
脚本 : セルジオ・アミディ / フェデリコ・フェリーニ
撮影 : ウバルド・アラータ
音楽 : レンツォ・ロッセリーニ

■キャスト
アルド・ファブリッツィ(ドン・ピエトロ神父)
アンナ・マニャーニ(ピーナ)
マルチェロ・パリエーロ(マンフレーディ)
マリア・ミーキ(マリーナ)
無防備都市
イタリア映画のネオレアリズモ時代のの幕開けとなった作品。ここからロッセリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンティによるネオレアリズモ黄金時代が始まった。ピーナが走りながら撃たれ、もんどりうって死に絶える姿、正義のために処刑されるピエトル神父の情熱的な死に様。実は本作はネオリアリズムというよりもネオパッショーネ(=新しい情熱)をイタリアに呼び覚ました作品だったのである。

■あらすじ


ナチス・ドイツ占領下のローマで明日再婚を控えるピーナ(アンナ・マニャーニ)。ピーナの婚約者は印刷工でありながらレジスタンス活動を行っている。そして、レジスタンス組織の幹部マンフレーディ(マルチェロ・パリエーロ)をかくまうのだが、2人ともゲシュタポに捕まってしまう。逮捕され護送されていく婚約者を追いかけるピーナは、無残にも射殺されてしまうのである。


■ネオレアリズモは記録することへの拒否反応から生まれた


無防備都市 無防備都市
映画の一つの可能性を『戦艦ポチョムキン』から進化させていった形がネオレアリズモである。映画の持ちうる現実感溢れる描写と人間の心をより揺さぶる要素を最大限に利用する。
演劇はその芝居が大掛かりであろうとも大根芝居であろうとも等身大で物事を表現する芸術体系であるのに対し、映画とはクローズアップ、ロングショットによりその芝居を等身大からさらに小さくも大きくも変化させて表現出来るという芸術体系である。

つまり単純なことなのだが、
演劇には基本的に偶発性はなく、映画には基本的に偶発性が生まれるということである。その偶発性がより生きるのは、同時代の現在進行形の出来事を描き出すことではないか?そう考えたのがネオレアリズモの始まりである。

実に逆説的なことではあるが、カメラを記録から記憶に置き換えようとした作業が、ネオレアリズモである。だから素人を使おうともただ記録することはやめ、演出することによって記憶に残るように記録を進化させていったのである。つまり熟成された記録の形態こそが、ネオレアリズモである。

そして、熟成された記録の形態こそが、情熱を呼び覚ますのである。そして、その情熱の寸断からリアリズムは生み出されるのである。


■本作の歴史的背景


無防備都市 無防備都市
イタリアは1922年10月28日のベニート・ムッソリーニのローマ進軍以降、約20年間ファシスト政権が支配する国だった。しかし、その支配も1943年の連合国のシチリア上陸作戦の成功によりムッソリーニが失脚し、7月25日に国王より任命された新政権バドリオ政権が樹立され、ムッソリーニは逮捕、軟禁される。このことによりファシスト政権は崩壊する。

この時点でバドリオ政権の連合国への寝返りを予測していたアドルフ・ヒトラーは、ドイツ軍をイタリア国境沿いに集結させていた。そして、9月8日に連合国による一方的な無条件降伏の宣言と共に、ローマを占領する。同年9月12日、グランサッソ・ホテルに軟禁されていたムッソリーニを救出し、9月23日イタリア社会共和国(サロ共和国)を樹立し、すでにドイツが占領下においていたローマ以北をその領土と定めた。ここにイタリア南部のバドリオ政権率いるイタリア王国とサロ共和国の内戦が勃発することとなる。

そして、
ローマは1944年6月9日の連合軍によるローマ解放までドイツ軍に占領されることになる。一方、ムッソリーニは1945年4月中立国スイスへの逃亡の途中にコモ湖畔でパルチザンに発見され、捕まり4月28日銃殺され、同行していた愛人クラレッタ・ベタッチの死体と共に翌29日ミラノにて大観衆の前でさらされた。


■ロッセリーニの情熱



1943年夏ロッセリーニは、『貨物駅』というタイトルの映画を撮影していたが、内戦の激化により撮影は中止される。そこで翌年の夏ローマ解放後に友人のセルジオ・アミディと本作の製作を決意する。ドイツ軍占領下のローマ市民の厳しい生活とパルチザンのために贋の身分証明書を作っていた実在の司祭ドン・パッパガッロの話にレジスタンスに荷担したためにドイツ軍に処刑されたドン・モローニの話を組み合わせた。

さらにローマのジューリオ・チェザーレ通りでテレーザ・グッラーチェという妊婦がドイツ軍の軽機関銃の掃射で射殺された実話も絡めあわせ本作作り上げられた。脚本には当時24歳のフェデリコ・フェリーニも加わった。そして、ロッセリーニは製作費を工面するために全ての家財を投げ売ったという。

当初、ピーナ役にはヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942)で好演したクララ・カラマイが候補に挙がったが、カラマイは、ピーナが映画の途中で死んでしまうのでこの役を断った。そこでアンナ・マニャーニ(1908−1973)と40万リラで契約されたという。一方、マンフレーディ役のマルチェロ・パリエーロは、ロッセリーニの学友で戦中、脚本家・監督として活躍していた。マリーナ役のマリア・ミーキは、脚本家のアミディのガールフレンドでこの映画がデビューだった。

本作の撮影に関して、ローマ占領中のドイツ軍の姿も隠し撮りされていて使用されていると言われていたが、実際はナチスの戦争捕虜がエキストラとして使用されはしたが、占領中の映像は一切使用されていない。しかし、撮影当時ローマはドイツ軍の支配から解放されたばかりであり、他の北イタリアの都市ではまだドイツ軍の支配が続いていた。


■3人の死を通してイタリアの真実を語る


無防備都市 無防備都市
本作は3人の人間像が象徴的に描かれている。ドン・ピエトロ神父、マンフレーディ、そしてピーナである。3人ともゲシュタポに殺害されることになるのだが、一人は聖職者であり、もう一人はレジスタンス、そして、もう一人は結婚を控えた普通の女性である。

この全く立場の違う3人の死への過程がいわば本作の物語の流れともいえる。ドイツ軍のトラックで連行されて行く婚約者を追い、ドイツ兵に撃たれて、もんどり打って死に絶えるピーナ。爪をはがれ、バーナーで体中焼かれ、電流を体中に流され、拷問の末死に絶えるマンフレーディ、至近距離からブタを屠殺するかのように処刑さるドン・ピエトロ神父。

無防備都市 無防備都市
「立派に死ぬことは難しいことではない。立派に生きることが難しいのだ」

最後の神父の処刑されていく姿を見つめ絶望感を感じながらも歩いて去って行く神父となじみの深かった少年達。本作は
「説明する映画ではなく感じる映画なのである」

ゴダールは的確に語る
「かつて偉大な映画とは、国民もしくはその民族が自分自身の姿を見たいと思っている国々で現れました。イタリア、ドイツ、フランス、アメリカ、そしてロシア革命の時期のロシアなどがそうです。つまり、映画とは、国民が自分自身を見る一つの方法だったのです。それは多少なりとも、よいやり方でした」

「ひとつ例として、面白い話があります。一九四五年に、唯一の本当のレジスタンスの映画が撮られたのが、なぜイタリアなのかということです。その点について、私は『映画史』の中で考察を行っています。確かにたくさんの国で、レジスタンスの闘士と占領軍の兵士との争いを描く映画が作られました。しかし国民全体が持っている、その民族のレジスタンスの概念が何なのかを表現したのは、一九四五年の『無防備都市』だけだったと思います。イタリアは、実際は、自国の国土の上で戦争を行っていません。弱い国を叩くことだけをして、最初はドイツについて、ドイツの戦況が悪くなってくると、連合軍に加担した。そのイタリアで、なぜ唯一の本当のレジスタンス映画が撮られたのかと私は考えました。おそらく、イタリアは十年前からの自分自身の行動を恥ずかしく思い、自分たちの本当の顔を見たいと考えたのだと思います。こうしてイタリアは、いくつかの良質なイタリア映画の中に自分の本当の顔を示す事になったのです」



■人間の描写の気薄さ


本作において、ピーナ、そして妹のフランチェスコ、マリーナ、イングリッドという4人の主だった女性が登場するのだが、この4人の描写はどうしても弱い。ネオレアリズモの最大の欠点と言われたのが、人間描写の気薄さである。

ピーナとフランチェスカという家庭を築き上げていこうとする姉と家庭に縛られる事を拒否する妹の葛藤。マリーナという華やかな生活を優先し、麻薬に逃避し、恋人をゲシュタポに密告してしまう女と他人を利用することだけを考えて生きている女イングリッドのレズビアン関係。といった2つの魅力的な関係をほとんど掘り下げずに物語は展開する。

この「気薄さ」がネオレアリズモの物足りなさであり、最大の魅力なのである。
「流暢にしゃべる人よりも、朴訥にしゃべる人の方が味わい深い時がある」それがネオレアリズモなのである。現実の中から物語の広がりを極力遮断し、唐突に寸断することにより、見ている側は、否応無しに想像力のスイッチを自分の中で押してしまうのである。

ロッセリーニは本作についてこう語っている。
「何よりも誠実に振る舞い、事物をあるがままに物語るという考えを信じていました。ここから、ネオレアリズモと呼ばれることになるものの必要性が生まれました。我々は戦禍を目撃し、くぐり抜けました。構築された物語を作り上げるような贅沢は、我々には許されなかったのです。大切なことは、我々を取り囲む事物に、真摯で厳粛なまなざしを向けることでした」


■ナチスの退廃感が早くも描かれる


無防備都市 無防備都市
ゲシュタポ本部の高官の部屋の隣が拷問部屋になっている。そして、その反対側の部屋はグランドピアノがありホステス達と高官がくつろぐ豪華で退廃的なサロンとなっている。この当時からナチス・ドイツの本質に、倒錯的・退廃的な快楽の要素があることがよく分かる。

ゲシュタポの高官がサロンで酔いどれて言うセリフがある。
「忘れたいんだがかえって真相が見えてくる。俺たちは殺して殺して殺しまくった。ヨーロッパ中でだ。この戦争は必然的に憎悪を産む。俺たちが憎悪の的になる。憎悪に囲まれて希望はない。俺たちは絶望の中で死ぬんだ」

このセリフは決して自責の念ではなく、自虐の念なのである。
ナチス・ドイツの本質は自責ではなく自虐するところにあるのである。


■生み出された不屈の伝説


無防備都市
本作はまずアメリカで反響を呼び、その成功が本国イタリアやヨーロッパにも伝わり、大ヒットを記録することになる。本作を見たオットー・プレミンジャー監督はこう言った。
「映画の歴史は二分される。『無防備都市』以前と以後だ」

本作は、1946年のアカデミー脚色賞にノミネートされ、1946年のカンヌ国際映画祭グランプリを獲得する。そして、一つの伝説が生まれる。ロッセリーニとイングリッド・バーグマンの大恋愛である。

『カサブランカ』(1942)『ガス燈』(1944・アカデミー主演女優賞受賞)ですでにハリウッド・スターの頂点に君臨していたイングリット・バーグマン(1915−1982)は、当時付き合っていた戦争カメラマン・ロバート・キャパから大いなる刺激を受け、キャリア的にも『ジャンヌ・ダルク』(1948)『凱旋門』(1948)で行き詰まっていた。

そんな時に夫と見た本作にショックを受け、その後一人で見た『戦火のかなた』(1946)を見て確信にも似た感動をし、顔も見たことがない監督のロッセリーニに手紙を書いたという。
「イタリア語は『ティ・アモ(愛している)』しか知らないスウェーデン女優は、いつでもあなたと映画を作る用意があります」

そして、ロッセリーニはバーグマンを主演に『ストロンボリ/神の土地』(1950)を監督するのだが、撮影中に不倫の事実が発覚。更にバーグマンは1937年に結婚した夫と子供を棄て、ロッセリーニの子を身ごもる。この事実をアメリカの世論は非難し、ハリウッドは『ストロンボリ』を上映禁止にした。そして、ロッセリーニと離婚するまでの間7年間ハリウッドを追放されることになり、その間にロッセリーニと6本の作品を作ることになるが、全て失敗作となった。

ちなみに1952年に二人の間に出来た双子のうちの一人がイザベラ・ロッセリーニである。やがて、二人は財政的にも追いつめられ、愛も終焉へと向かい、ハリウッドを追放されていた時期も、唯一変わらぬ友情を保っていたケーリー・グラントのアドバイスもあり、バーグマンはハリウッドに復帰することになる。この時空港で出迎えてくれたのはグラント一人だったという。

そして、バーグマンはハリウッド復帰作『追想』(1956)で早速アカデミー主演女優賞を受賞することになる。

− 2007年6月24日 −


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