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マイ・ファーザー MY FATHER, RUA ALGUEM 5555 (2003・イタリア/ブラジル/ハンガリー)
■ジャンル: ドラマ
■収録時間: 112分


■スタッフ
監督 : エジディオ・エローニコ
製作 : ゲラルド・パリエイ
原作 : ペーター・シュナイダー
脚本 : エジディオ・エローニコ / アントネッラ・グラッシ
撮影 : ヤーノシュ・ケンデ
音楽 : リカルド・ジャーニ


■キャスト
トーマス・クレッチマン(ヘルマン)
チャールトン・ヘストン (ヨゼフ・メンゲレ)
F・マーレイ・エイブラハム(ポール・ミンスキー)
マイ・ファーザー
― 父の罪は、幾千もの命を奪ったこと 子の罪は、その男を父に持ったこと ―
『ハリウッド大作映画』のキング・オブ・キングスと呼ばれたチャールトン・ヘストンの老俳優としても威厳溢れる格好良さにただただ浸れる作品である。

■あらすじ


ナチス・ドイツのSS将校だったヨゼフ・メンゲレ(チャールトン・ヘストン)。彼はアウシュヴィッツ収容所で「死の天使」と恐れられていた。そして、ナチス・ドイツ敗北後も連合軍やユダヤ人の追跡をかわし南米でひっそりと生き続けて来た。そんな彼の息子ヘルマン(トーマス・クレッチマン)は、父の存在ゆえに祖国ドイツで苦汁を舐めてきた。そして、ある日父親の生存を聞かされ、心の整理のため「ユダヤ人を何千人も殺した父」と再会する決意をするのだった。


■死の天使<ゼフ・メンゲレを演じた名優二人


マイ・ファーザー
中学生時代に、まだレンタルビデオが盛んだった頃、チャールトン・ヘストン(1924− )が出ている映画を立て続けに鑑賞した時期があった。そして、この俳優の存在は私の中に三船敏郎と同じくらいのインパクトを与え、彼が主役だった『ベン・ハー』(1959)や『十戒』(1956)などによって示された映画の持つ
『過去の再現』という脅威の芸術的領域の存在に驚嘆したものだった。

まずはチャールトン・ヘストンが進行するアルツハイマー病を推して執念で演じた見事な芝居を素直に讃えたい。81歳にして、ヨゼフ・メンゲレを演じるとは・・・。ちなみに2003年に死去し、かつてメンゲレを『ブラジルから来た少年』で演じたグレゴリー・ペックとは、かつて『大いなる西部』(1958)で共演している。双方のメンゲレが実に味わい深いメンゲレだった。

グレゴリー・ペックは死の天使のイメージそのもののメンゲレを演じ、ヘストンは威厳たっぷりな好老人のメンゲレを演じた。全く対照的な役柄ではあるが、両方とも根っこの部分では、実は今もナチズムを信奉していて、異常なまでに過去を正当化しているという点に置いては共通しているのである。


■面白い題材だが、映像的処理よりも文章的処理が合う作品


マイ・ファーザー
「この穏やかな森林を見渡してみろ。この木一本一本でさえ土や日光を奪い合って生きている。この森でさえ戦場なのだ。今を生きるお前にはわかるまい」


トーマス・クレッチマン(1962− )の魅力溢れるへたれな息子っぷりも実に良い。そして、F・マーレイ・エイブラハムも抜群に良いのだが、この作品の魅力を損ねている点は、映像的な美しさをあえて犠牲にして、実話を基にした作風を反映させているにもかかわらず、父と子の葛藤の描き方がイマイチだった点にある。

死の天使<ゼフ・メンゲレの息子が逃亡中の父親と再会する中で、
父親は自身の罪に対して、全く罪の意識がないわけだが、その息子はほとんど親子としての時間を共有したこともない他人も同然な父親が起こした(自身が起こしたわけではない)罪に縛られて生きているのである。この皮肉な罪に対する構図がこの作品の主題なのだが、どうも映画の中では、肝心なところで父親と息子の感情が画面上からピンボケしてしまっているのである。

戦争を起こした世代とその後の世代の罪に対する意識の隔たりと、更に控えるその次の世代の向かっていく方向を暗示させる表現方法でこの作品を撮っていたらば、なかなかの傑作になったであろう。説明不足なヘルマンの友人は排除し、父の世代と息子の世代とその下の世代の恐るべきサイクルの皮肉を描き出していたならば・・・

このヨゼフ・メンゲレという男の世代は、実は廻りまわってきた我々の世代かもしれないのであるという題材の方が魅力的かつ極めて現実的だろう。


ヨゼフ・メンゲレ(1911−1979?)


ヨゼフ・メンゲレ ヨゼフ・メンゲレ ヨゼフ・メンゲレ ヨゼフ・メンゲレ
『ブラジルから来た少年』(1979)『マラソンマン』(1976)のモデルになった男。別名ドクター・デス∞死の天使=B20万人〜40万人の人々をガス室に送り、十数人を自らの手で射殺したという。彼はミュンヘン大学において医学だけでなく人文学においても博士号を取得している。父親はルーマニア帝国の大蔵大臣もしたことがある工場経営者である。1937年にナチ党入党し、翌年親衛隊員になる。大学在学中に人種学にのめりこみ1930年代には既に
「寄生虫や細菌とは話し合えないし、寄生虫や細菌を教育することも出来ない。なるべく早く徹底的に絶滅する必要がある」と語っていた。

1942年秋武装SS・ヴァイキング師団に所属していたメンゲレは、スターリングラード戦で重傷を負い鉄十字勲章を得る。そして、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所医師にSS大尉として就任する。メンゲレが台座の上に立って、列車で到着したユダヤ人をオーケストラの指揮者のように優雅に親指を前後に動かしてガス室送りかそうでないかを選別した。その頃メンゲレはこう嘯いていた。
「私には子供だけをガス室に送り、母親に子供の死を見取らせないなどという非人道的なことはできない」

収容所では双子と小人の研究に熱心に打ち込んでいたという。収容所解放時には約200名の双子が生存していた。そしてそのうちの約70名は今も生存している。

1945年1月27日にソ連軍がアウシュヴィッツを開放する寸前に逃亡。イタリアのジェノヴァ経由でアルゼンチンに逃げる。1959年にパラグアイ市民権を獲得し、時の独裁者アルフレド・ストロエスネル将軍(1954−1989まで大統領)の主治医になる。1964年ブラジルでユダヤ人の6人のヒットマンに襲われるも2人を返り討ちにし逃亡。1979年ブラジルで海水浴中に心臓麻痺にて死亡する。

イルマ・グレーゼ(1923−1945)


イルマ・グレーゼ イルマ・グレーゼ イルマ・グレーゼ
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所及びベルゲン・ベルゼン収容所のSS女性看守。最も凶暴な女性看守として恐れられていたメンゲレの側近。彼女のトレード・マークは乗馬用の鞭と革製のブーツであった。性格は凶暴な気分屋で気に入らないことがあるとすぐに収容者に当り散らしたという。

例えば400人近くの女性収容者をシャワー室に3日3晩閉じ込め水も食料も与えないで、ゆっくりと餓死する様を見て楽しむ鬼畜ぶりに、収容所医師が、彼女をなだめるて解放させるほどに非道な女性であった。1945年12月13日英軍により絞首刑に。最後の言葉は
「早くすませて!」だったという。

イルマ・グレーゼ イルマ・グレーゼ
ビルケナウ強制収容所で囚人医師だったジゼラ・ペルルは、自著に
「私がこれまでに見たなかでもっとも美しい女性の一人。生き生きとして無邪気な青い目をした天使のように無垢な顔の少女だった。そんなイルマはこの収容所の女性看守のなかでもっとも残忍であり、これほど美しい女がこれほど残酷であるとは、とても信じがたいことであった」と記している。成熟したユダヤ人の、乳房のおおきい女性を選んでは上半身裸にして鞭打ちを愉しんだという。のちに彼女をモデルにして、ダイアン・ソーンによる『ナチ女収容所』モノが作られた。

ハンス・ミュンヒ(1911−2001)


ハンス・ミュンヒ
アウシュヴィッツ収容所SS医師(1943−1945)の中で唯一無罪になった人。「アウシュヴィッツで人間らしく振舞えるのは、着いてからほんの数時間だけだった」と本人は語るが、ガス室への選別を断り、薬や食料をこっそりと手に入れ収容者の治療にあたっていたという。

戦後アウシュヴィッツ関連の裁判にかけられるも、元収容者達がこぞって彼の無罪を主張したという。アウシュヴィッツ収容所のナチス本の中では滅多に記載されない尊敬されるべき勇気ある人物。


■相互理解ではなく、事実を知る努力が大切


マイ・ファーザー
「だがあなたの望みは事実で理解じゃない」


本作において印象的なセリフの一つである。ドイツ人とユダヤ人。そして、日本人と中国人・韓国人・北朝鮮人の関係を考えるにおいて、実に深みのあるセリフである。
事実を知らぬものは歴史を繰り返す。しかし、事実に対する理解は置かれた立場により変わっていくものである。そこに結局永遠に相互理解しかねるという事実が生まれるのである。しかし、事実を知ることにより少なくとも歴史を繰り返すことはなくなるのである。

最も危険な関係は、事実を無視した状態で、安易に理解した気持ちになることである。そういう気持ちは安易に憎悪へと転化しやすい。今の日本の韓国ブームも私からすれば、そういう次元の安易な理解という風にしか見えない。

この作品は面白みには欠ける極めて地味な作品ではあるが、大切なことを考えさせてくれるきっかけを秘めた作品ではある。原作は1987年に出版されたドイツ人の小説家ペーター・シュナイダーによる小説である。1977年にメンゲレの息子ロルフ(1944− )が初めて逃亡中のメンゲレをブラジルに訪問したときの物語を記したロルフ・メンゲレの5000ページにも及ぶ自伝を基に書き記したものであり、ペーターは本作の脚本協力している。

− 2007年3月7日(2007年11月19日修正) −


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