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ネバーエンディング・ストーリー THE NEVERENDING STORY(1984・西ドイツ/英国)
■ジャンル: ファンタジー
■収録時間: 95分

■スタッフ
監督 : ウォルフガング・ペーターゼン
製作 : ベルント・アイヒンガー / ディエテール・ガイスラー
原作 : ミヒャエル・エンデ
脚本 : ウォルフガング・ペーターゼン / ヘルマン・ヴァイゲル
撮影 : ヨスト・ヴァカーノ
特撮 : ILM
音楽 : クラウス・ドルディンガー

■キャスト
ノア・ハサウェイ(アトレーユ)
バレット・オリヴァー(バスチアン)
タミー・ストロナッハ(クラウス)
ネバーエンディング・ストーリー
1980年代の子供向けファンタジー映画。もしくは美少年ノア・ハサウェイを鑑賞する映画。エンデの原作に描かれていた子供に伝えたい素晴らしい思想を本作には期待すべからず。全く逆の姿勢で作り上げられたこの作品は、ペーターゼンの歪んだ復讐思想により、現在のアメリカ並みの利己主義にまみれていった。強大な力を駆使して徹底的に独善的な行動を取るこの少年=ペーターゼン=アメリカ。こいつらこそ目先の利益に捉われてキョムの泥沼にはまり込んだ「ナッシング」だったのだ。

■あらすじ


いじめっ子に追いかけられ逃げ込んだ先の古本屋で、一冊の不思議な本に出会うバスチアン。彼はこの本「ネバーエンディング・ストーリー」を学校の屋根裏部屋で読みふけるのだった。おとぎの国ファンタージェンは、虚無の猛威により崩れかけていた。そこへ少年の勇者アトレーユ(ノア・ハサウェイ)が、ファンタージュンを救う為に立ち上がるのだった・・・


■ガキの頃嫌というほど流れていたCM


ネバーエンディング・ストーリー ネバーエンディング・ストーリー
さあふりむいてごらん よくよく見るんだよ 見つめてごらん 夢を映す鏡を
どこへでも思いのまま その秘密はどこに ページをめくれば その答えが分かるよ
ネバーエンディングストーリー

星に向かって 限りない思いを馳せて 夢をふくらませば きっと見えてくるよ
世にも不思議なお話が 雲を押し開き 虹の彼方に 答えが見える
ネバーエンディングストーリー


もうこの主題歌を聴くだけで満足。とにかく小学生のガキの頃にこのテーマ曲の流れる本作CMが嫌というほど流されていた。「しかもむかつくことに当時はファルコンに乗る少年の姿とこの曲調にめちゃくちゃ惹かれた」。曲自体は当時もてはやされていたジョルジョ・モロダーのかすかすテクノサウンドに、イギリスのアイドル・グループ、カジャ・グー・グーから追い出されたリード・ヴォーカル・リマールによる分かりやすいポップスだが、今聞いてもむかつくことに心地良い。そして、気分が高揚する。


■ガキの特権。それは背伸び。


子供のみが持ちうる美学。それは純粋に物語に入り込めるその驚異的な集中力。こういう中途半端な時代のファンタジーを見るといつも痛感するのは、
何かを手に入れた時に常に何かを失っていることだ。いつまでも子供の心を持ち続けたいというのは素晴らしい心の響きだが、「私は子供心を失っているのではなく、この程度のファンタジーでは子供心が呼び覚まされない」ということなのである。

結局のところ世界観の構築が全く小さな作品である。もっともそれは偉大なる原作の導入部分(バスチアンが物語の中に入り込むまで)を描いた作品なのでしょうがないのだが・・・。『スター・ウォーズ』のような果てしなく広大な世界観の構築にこの作品は失敗している。そして、主人公は全て子供。
「ファンタジーの中で子供が主役のものは確実に普遍性を持ち得ない」これはファンタジーの鉄則である。

ちなみにガキの頃最も印象的なファンタジー映画は『プリンセス・ブライド・ストーリー』(1987)である。やはりガキは背伸びをしたくなるものなのだ。


■のび太に治外法権が認められたならヤツはヒトラーになるだろう


兎にも角にも主人公バスチアンが、のび太君のようないじめられっ子なのだが、この少年の存在がなんとも魅力に欠けるのが致命的である。恐らく演出上の問題なのだが、ペーターゼンは、こういった類いの少年の機微を全く理解できていないので、その少年像は利己的な薄っぺらさに包まれてしまった。

そもそもこの作品をあの『Uボート』(1981)という偉大なる作品を作り上げたペーターゼンが次作に選んだ理由が、「幼い娘を喜ばすため」なのである。この男が、如何にしてハリウッドに魂を売り、この作品からつまらん当たり障りのない大作を連発するようになるか分かる動機である。
恐らくこの作品の性質は、ペーターゼンの娘の喜ぶ性質そのものだったのだろう。だからこそあの歪んだラストになったのであろう。

自分の娘を喜ばすためには、平気で原作の本質をぶち壊すペーターゼンという男の本質は虚無である。そして、この男の少年時代は案外のび太だったのかもしれない。

ちなみにバスチアンを演じるバレット・オリヴァー(1973− )は、アメリカ・カリフォルニア生まれの少年で『コクーン2』(198)を最後に俳優業を終えて、今は写真家として写真術の講師をしているという。


■美少年ノア・ハサウェイ


ノア・ハサウェイ ノア・ハサウェイ ノア・ハサウェイ
この作品の核は以下の2人である。アトレーユを演じたノア・ハサウェイ(1971− 、アメリカ・オレゴン生まれ。モヒカン族のネイティブ・アメリカンの父とのハーフ)と女王を演じたタミー・ストロナッハ(1972− )である。この2人の魅力的な姿があったからこそもった様な作品である。逆に言うとガキ以下の子供向けのファンタジーの要素以外の価値はこの2人の存在にしかなかった。

女好き野郎たちにも、とまどいを感じさせるハサウェイの風貌。そういった風貌を持つ者を美少年と呼ぶ。そして、私が今まで美少年と認め得た人物は、
ビョルン・アンドレセン、ジョン・モルダー=ブラウン、ディディエ・オードパンくらいである。

美少年には神秘性がなければいけない。この3人には神秘性があった。そして、このノア・ハサウェイにもそういった神秘性が満ちていた。そして、美少年には美少女のような一瞬の恥じらいの表情がなければいけない。美少年はその瞬間が愛するべき偶像であり、それ以降、レッチリ並みのタトゥー野郎になってしまおうともそんなことは見て見ぬふりで良い。

それにしてもこのハサウェイ君は実に運動神経が抜群で、乗馬シーンも全て彼自身が行っているのだが、悲しみの沼≠ナ本当に深みにはまり込み死に掛けたり、グモルクとの格闘シーンでは、この機械仕掛けのグモルクの爪によって失明しかけたという。


■タミー・ストロナッハ。凡庸ではない美少女


ネバーエンディング・ストーリー ネバーエンディング・ストーリー タミー・ストロナッハ
始まりはいつも真っ暗なのよ


この女王の透明感溢れる無垢で悲しげなその姿が良い。「名前をつけて!」の後の暗闇の演出ここだけは実に素晴らしい。実に哲学的である。最もこの素晴らしい哲学もほんの数分後にずたずたに引き裂かれるのだが。

タミー・ストロナッハ タミー・ストロナッハ
王女を演じたタミー・ストロナッハは、イラン・テヘラン生まれでスコットランド人とイスラエル人の両親の間に生まれた。父親はカリフォルニア大学バークレー校の考古学の教授である。彼女の一家はイラン革命を逃れて亡命した。この一本だけが映画出演作であり、現在は創作ダンスで精力的な活動を行っている。


■ファルコンの微妙なキモサに癒されたガキ


ネバーエンディング・ストーリー ネバーエンディング・ストーリー
80年代にしては岩男ロック・バイターの造形など、そのSF技術はILMが担当しているだけあって、なかなか素晴らしい。そして、ETを創造したデザイナー、カルロ・ランバルディ製作の巨竜ファルコンも人によって好き嫌いがあるだろうが、私はかなり好きだ。
そのキモサ寸前の表情を見てると、今でも「ファルコンの背中に乗ってみてぇ!」という気を起こさせてくれる。

そして、象牙の塔の造形の美しさも見事である。同時代に作られた深作欣二監督作『里見八犬伝』(1985)のセットが子供だましに見えるレベルの高さである。特にこの象牙の塔に集うカルロによるクリーチャー達が何気にすごい。巨顔やら阿修羅のような多面相やら、カメハメハのような黒人やら結構こじんまりとしてはいるが個性的な空間がそこにはあった。


■アラジンの魔法のファルコを手に入れたのび太


ファンタジー溢れる物語を読んでいるうちに、実はその読んでいる少年自身が主人公であったという内容は実に意表をつかれ魅力的なのだが、残念なことに本来の原作の精神とは全く逆の結末の悲しみの泥沼≠ノこの作品は沈み込んでしまった。90数分という丈の問題もあったのだろうが、この作品は「夢に対する子供の心」とリマールの歌詞の内容を見事に裏切った作品に成り果てた。

「(おとぎの国・ファンタージェンは)人間の夢と希望のかけらで作られている。だからこそ果てしなくふくらんでいく・・・(しかし、そんなおとぎの国が滅びつつあるのは)人間たちが希望を失い始めたからだよ。それに夢も忘れている。そして虚無(=むなしさ=絶望)がはびこりだした」

この作品を見ているみんなが夢を持って、希望を失わないでいてくれたら「ファンタージェンのおとぎ話は終わりなく続いていくんだよ」という子供に素晴らしい教訓を与えてくれる瞬間がこの1人の少年の行動によって台無しにされた。

アラジンの魔法のファルコを手に入れたのび太の最初の願いは、ファルコンを利用していじめっこに復讐することだった。何なんだその陳腐な想像力は?こいつ本当に180冊もの本を読んだのか?ファミコンしてマンガ三昧のそこらのガキとかわんねーじゃね〜か?その発想の空しさは・・・である。


■原作を尊重しない映画化は「創造に対する冒涜である」


ネバーエンディング・ストーリー ネバーエンディング・ストーリー
ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデ(1929−1995)が1979年に発表したベストセラー児童小説「はてしない物語」が原作である。児童小説であるにもかかわらず、哲学的な内容で大人にも好んで愛読されている作品である。この原作を制作費2700万ドルをかけて当初ディズニーとの提携で製作を計るが、結局はワーナーと提携することになる。

このワーナーの関与が原作とは違う話の展開を生み出すことになった。ただし、ワーナーの影響により、ペーターゼンの起用や、ジョルジョ・モロダーの楽曲とリマールの主題歌という大ヒットの原動力が生み出されたのは事実である。撮影はバスチアンのシーン以外は全て西ドイツで行われた。ちなみにバスチアンのシーンはカナダで撮影されている。

当初エンデは、監督は黒澤明、役者はドイツ人で、女王は着物姿の日本人、ファルコンは中国の龍という要望に沿って映画化されることを希望したが、ワーナー側は一切の介入を拒否した。シナリオにおいても、特にラストシーンの「いじめっこ撃退」のシーンのカットを求め、エンデは遂に告訴までするのだが、裁判の敗訴によりそれも叶わなかった。

後にエンデは「原作の前半だけを映画にしても意味がない。まさに原作の精神を見事に裏切った作品」と酷評したが、結果的に日本だけでも1985年洋画興行収入第四位の22億円を稼ぎ出し、世界中で約1億ドルの興行収入をあげる大ヒットとなった。

− 2007年8月30日 −


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