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日本のいちばん長い日   (1967・東宝)
■ジャンル: 戦争
■収録時間: 157分

■スタッフ
監督 : 岡本喜八
製作 : 藤本真澄 / 田中友幸
原作 : 大宅壮一
脚本 : 橋本忍
撮影 : 村井博
音楽 : 佐藤勝

■キャスト
三船敏郎(阿南陸軍大臣)
笠智衆(鈴木総理)
山村聡(米内海軍大臣)
黒沢年男(畑中少佐)
中丸忠雄(椎崎中佐)
ナレーション : 仲代達矢
日本のいちばん長い日
キミは1945年8月15日にクーデター事件があった事実を知っているかい?天皇の玉音放送を阻止し、本土決戦を臨んだ陸軍青年将校達。時代の熱狂=「情熱的な狂気」というものがいかにして人間を突き動かすのか?この作品を見ていると良く分かる。歴史の節目節目に必ず熱狂の風が吹く。そして、その風に飲み込まれると人間はこういう行動を取りがちなのである。はっきり断言しよう。私もあなたもあの陸軍将校のような行動を取りえるのである。それは天皇とかそういったものの影響ではなく「高揚感」が生み出すものなのである。人は皆熱狂的に燃焼できる目的に殉じたいものなのである。

■あらすじ


1945年8月14日昼。御前会議の席上、天皇陛下によるポツダム宣言受託の御聖断が下された。「戦争の継続は民族の滅亡を意味する。速やかに終結せしめたい」。こうして日本のいちばん長い日は始まったのである。陸軍大臣阿南(三船敏郎)にとっても・・・畑中少佐(黒沢年男)ら陸軍青年将校たちにとっても・・・そして、クーデターは起こったのである。目的は一つ天皇陛下の玉音放送を阻止せよ!


■昔の日本人が追い立てられた狂気の本質


日本のいちばん長い日
この作品は間違いなく邦画史上最高級の戦争ドラマ。この完成度の高さは並みの戦争映画を遥かに凌駕する。一体何が凄いのか?
それはこの作品が「高揚感」「熱気」「狂気」に包まれているからだ。映画の中で狂気を生み出すことは実に難しい。しかし、この作品は見事なまでに狂気に包まれている。

若手将校が暴走する姿は狂気そのものなのだが、実はこの当時の日本の根底にある狂気は、
侍従や冷静に事態を収拾しようとする文官の姿から見受けられる天皇陛下のお言葉に涙を流す不気味さにあるのである。大の大人が涙を流すこの幼児性。そして、この世代があったからこそ下の世代の暴走もあったのである。そういった観点でこの作品を見てみると実に面白い。

特に御前会議≠フシーンを見て、この作品を観た私の友人たちの評価は二つに分かれる。「昔の日本人は純粋だった」という評価は主に男性によるもので、一方「昔の日本人は不気味」という評価は、ほとんど女性によるものだった。
そう結局究極の男性社会が生み出したものが、実に不気味なこの国家の終末の姿の真実なのである。そういえばこの作品には新珠三千代以外女優は登場しない。しかもセリフは僅かに一言である。

多くの歴史学者が常に明治・大正・戦後までの昭和史において指摘するポイントは、他の国に比べて日本の女性の存在は実に気薄という点である。この男性至上主義の現実をふまえてこの時代を読んでいくと戦争中に日本を支配した狂気の本質が明確に理解できるのである。


■強制された勇気を日本男児の気骨と勘違いするばかばかしさ


「この時代の血と汗と涙があったからこそ、今の私たちの存在があるのだ!」


と言う人々がよくいるが、私は条件付きでこの意見に賛成である。それは実際に血を流し無念の涙、涙さえも枯れ果て餓えて死んでいった人々の存在があったからこそ今の私達の存在はあるという点についてである。しかし、この作品で描かれた銃後の政治家・官僚・軍人連中の存在は除外してである。

私は青年将校にはシンパシーを感じるが、老人政治家たちが自己保身に長けていることを指して、分別があるという感覚に対しては笑止千万であると感ずる。この青年達が精神主義に凝り固まったのはどうしてか?この作品の描き方で唯一不満な部分は、戦後10数年後に記された原作を元にしているので、生き残った人々を善良に、死んでいった人々を独善的に描いている点にある。

そういった部分をさっぴいて本作を見ると、そこから見えてくるものは、閉鎖的で子供じみた20世紀にしては不気味すぎる日本という国家の姿である。

私を含む現在の20代〜30代は、太平洋戦争というものに対して実感が湧かないが故に、「この島国が、世界制覇を目論んだオトコのロマン」と深層心理の中で考えがちなのだが、それはともかくとして、敗戦以降日本人は腑抜けになったという飛躍した意見には賛同しかねる。
あの当時の日本人はやせ我慢してでも腑抜けが許されなかっただけのことである。強制された勇気なぞ私は認めん。


■男だけが集まり、追いつめられればどうなるのか?


「建軍以来一度も敗戦を知らず、生きて虜囚の辱めを受けず≠ニ徹底的に教育されてますからね」
蓮沼侍従武官長

話を男性至上主義に戻そう。基本的に日本の全ての戦時政策は実に男色者的政策が多かった。そして、この作品の狂気もホモセクシャル的な熱気が充満している。坊主頭の男性達が軍服に身を包み汗水を流しながら顔と顔が触れあわんがばかりの距離で激論するその異常な情念の世界。

私のゲイの友人はこの作品を評してこう言った
「ゲイの喧嘩みたいな作品だ」と。まさに太平洋戦争の本質はこの女性不在の歪んだ世界観にあったのである。そして、岡本喜八も明らかにその本質を意識した演出を行っている。軍刀を握り締める手のアップ、軍靴の響き、自転車のキーキーという音、軍服に染み付き広がる汗・・・全てがデカダンスである。


■一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル


日本のいちばん長い日 日本のいちばん長い日 阿南惟幾
「多くの者がなぜ涙をのんで死んでいったのだ!結果的な批判は何とでも言える!しかし、これは誰にしても日本を愛し日本の勝利を固く信じたればこそのことである。然るに負けたというこの戦線非にして≠ナは これまで死んでいったその300万の人々に何と申し訳が立つ!?またいまだに戦っている700万の部下には何としてでも栄光ある敗北を与えてやらねばならぬ」

見ているものまでもがこの時代の熱狂にとり憑かれる。これはこの作品に対する最大の賛辞である。
そして、その熱気が不気味であろうとホモ的であろうとも、この作品には明確に最高級に格好いい男たちの姿が描かれている。そういった意味では一切前線を描かずに、軍人の姿を最高に格好良く描いた反戦映画なのかもしれない。特に阿南惟幾(写真右上)に扮する三船敏郎(1920−1997)が実に素晴らしい。腹をかっさばいて死に絶える姿なんかは良識的には言うべきでない表現を使うとするならば、「潔くて格好いい!」と思わざるを得ない。

この切腹シーンを始め、この作品には、青年将校の暴走や、民兵の暴走といった画面が見ている側を圧倒する演出が多い。かと思えば、阿南陸相と鈴木首相の最期の別れのシーンという非常に情緒的な素晴らしいシーンも登場するのである。

「阿南君は、暇乞いに、来てくれたんだね」

もうこの作品の笠智衆演じる鈴木貫太郎が実に素晴らしい。誰もが認めるように終戦のキーパーソンである元軍人の鈴木貫太郎を見事に演じ上げている。とにかくこの作品の笠の目の動きが素晴らしい。そして尋常ではない。


■豪華キャストを見事に生かした稀有な作品


東宝創立35周年記念映画というだけあってとにかく豪華な出演陣である。それでいて70年代以降の日本映画のようにとりあえずちょい役で有名な俳優を出しましたというのではなく、どの役柄も必要不可欠な役柄を演じているところが実に魅力的である。

オープニングから当時の映像が流されるのだが、そんな映像に仲代達矢のナレーションが見事にマッチしている。もうこの声音を聞いているだけで何故か背筋がぴんと伸びるのである。
ナレーション、当時の映像、テロップの多様という映画を潰しかねない要素を見事に使いこなしているのは、一重に密室で繰り広げられる物語を緩急のバランスをつけて場面転換させていく岡本喜八の演出力と、橋本忍の神がかり的な脚本の賜物である。

この作品は豪華キャスト映画を作るにあたっての重要なポイントを示している。それは
「役者の魅力よりも、役柄の魅力を配する」事である。


■特攻隊で死に行く若者たちの姿


大西瀧冶郎
「神風特攻隊生みの親」大西瀧冶郎(1891−1945)。このオトコの名前は日本の戦争史の中でも、東條英機に匹敵して害悪視されがちである。本作において登場シーンは僅か数分なのだが、その時に救い様のないセリフを吐く。
「もうあと2000万の特攻を出せば日本は必ず勝てます!日本の男子の半分を特攻に出す覚悟になれば!」

この作品では描かれていないが、この人も阿南と同じく戦争終結後の8月16日に割腹自殺したのだった。東條が割腹に恐れをなし、拳銃で自殺を図るも失敗したのに対して、見事な死に様であることだけは真実である。遺書にはこう書き記されていた。

特攻隊の英霊に曰す 善く戦ひたり深謝す 最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに到れり 吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす


そして、腹を十字にかっさばき、特攻隊で死んだ若者達への謝罪を込めて介錯を拒み、15時間もがき苦しみながら死んでいったという。

一方、児玉基地での陸海混成の特攻隊出撃シーンで登場する伊藤雄之助演じる野中大佐の何とも形容しようのない表情。特攻隊に行って死んでいった若者たちはもちろん悲劇的だが、その姿を見守る人たちも十分に悲劇的だったのである。

この「若鷲の歌」の下に犬死にへと追いやられる若者たちの「もっとも短い日」に比べれば、老人たちの「もっとも長い日」などとるに足らぬものである。しかし、ことさらそういった事を強調しないのが、この作品に切れ味の良さを生み出している。往々にして『大日本帝国』(1982)などの例をあげるまでもなくほとんどの邦画戦争大作は、個人のロマンスや、個人の感情を描きすぎることによって、物語のスケールを失い陳腐になりやすいのだが、本作にはそういった甘さは一切存在しない。


■戦争映画に気骨のあるオヤジの存在があった時代


日本のいちばん長い日 日本のいちばん長い日
阿南陸軍大臣と山村聰(1910−2000)演じる米内海軍大臣の対立。この2人の役者はキャラクターが被ることもあり、めったに共演しないのだが、本作ではその似通った役者としての個性を逆手に取り、完膚なきまでに迫力ある丁々発止のやり取りをさせるのである。『東京裁判』で東條英機が逆上する姿を見ても思うのだが、良し悪しはともかくとしてこれらの気骨あるオヤジたちに真っ向から食ってかかられたら、今の日本人のオヤジなぞはぐうの音も出なさそうである。

この昭和前期のオヤジの迫力を映像で映し出したところが、他の戦争映画にはなくてこの作品にはある感覚なのである。観ている側までも説得するかのような意見の応酬。そして、現代人にはなかなか存在しないこの熱さ!この熱気がこの戦争の本質の一つなのである。

まさにこの2人を頂点として軍服を着ている役者が、見事なまでに軍服と一身になってとり憑かれた様な熱演を見せてくれる。「役者は経験の数だけモノが言う」だけあり、職業遍歴の数だけ後の名優を生むのだが、昨今の過保護なハリウッド及び日本の役者もどきには、このヘヴィーな空気を臨むだけ無理かもしれない。

本気で邦画で戦争映画を撮りたかったら、戦争経験者は望めないので、最低限多くの職を転々とし、多くの敗北を経験しているような役者を発掘して作り出すべきだろう。間違っても戦争映画に歌舞伎系やアイドル系を軍人で出す愚行だけは避けるべきである。


■死へ向かって走る二種類の若者たち


日本のいちばん長い日 日本のいちばん長い日
「事の成敗を問わず、一死をもって、日本の真の行き方を示す!それだけだな」

若いときに観れば観るほどに衝撃的な作品。私はこの作品を高校時代に観た。そして、この嘘のような本当の話に衝撃を受けた。正直第一感想は、「最後の最後まで戦おうとした若者がいたんだ」という感動だった。若さはこういった感傷を生むものである。そして、こういった感傷からでも戦争に興味を持つことは間違いではないと考える。

ナチスドイツの軍服の格好良さに惹きつけられて第二次世界大戦を理解しようとする若者の方が、戦争についてなんら勉強もせずに平和、平和と言う若者よりもよっぽど正常である。

黒沢年男(1944− )演じる畑中少佐と、中丸忠雄(1933− )演じる椎崎中佐の狂気そのものの熱さ。夏真っ盛りのエアコンが存在しない日本で、ボロ自転車に乗って移動しながら「クーデター」に奔走するこの一群。私は無条件に凄いことだと思う。それがいかに独りよがりなことであっても、これだけの根性のあるヤツラはそうざらにはいない。例えその本質が負けを認めるんなら死んだ方がマシという本質にせよ。

ロボットのように追い込まれて死んでいく特攻隊員と、自らの意思で死んでいく青年将校のその立場の相違が示すこと。自由意志さえも奪われた特攻隊の惨めな本質が嫌というほど抉り取られている。そして、実戦経験もない青年将校たちの無責任な熱狂こそが、日本陸軍末期の迷走の本質であることも暗喩している。


■もう一つの庶民に広がる狂気の体現


「皇軍の辞書に敗北の二字なぁく!!最後の一兵まで戦うのみであ〜る!」

「第1の攻撃目標は!終戦を画しおる!鈴木内閣総理大臣!」


天本英世(1926−2003)演じる「国民神風隊」隊長・佐々木武雄大尉。かなりの狂人ぶりで、史実どおりに鈴木貫太郎邸まで焼き討ちにするのだが、
このオトコの狂気は、青年将校とは全く違った狂気でただただ醜いとしか言いようがない。しかし、ここにもこの時代の中高年(佐々木は当時40歳だった)の醜さが若者を死へと追い込んでいく構図が見事に描かれているのである。



宮城事件とは?


畑中健二
1945年8月14日夜から15日にかけて、一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件。大筋は本作で描かれた通りではあるが、クーデター参画者に関しては不透明な部分も多い事件である。このクーデターの意図は昭和天皇排斥が目的だったとも言われている。

結果的にクーデター実行者達は近衛第一師団長森赳中将を殺害し、師団長命令を偽造し、近衛歩兵第二連隊を用いて宮城を「占拠」した。しかし陸軍首脳部及び東部軍(本土決戦時の首都防衛の為の精鋭部隊)管区の説得に失敗した彼らは、玉音放送のレコードを奪還し放送を阻止しようとするも果たせず、ラジオ放送にて国民に決起を呼びかけようとするもこれも失敗し、一部は自決し、一部は罪を問われず終戦後の生活を平穏無人に過ごした。

ちなみにこの事件で自決した将校は畑中健二少佐(写真上)と椎崎二郎中佐、さらに東條英機の娘婿である古賀秀正少佐の3人のみである。本作は生き残りの将校の証言を元に構成されているので、論理的に怪しい要素も多分に含んでいる。


■まさに三船敏郎が油の乗り切った時期に作られた作品


大宅壮一の名義で、半藤一利が1965年に出版した同名の原作を映画化した東宝の戦争超大作である。当初はのちに『東京裁判』(1983)を監督する小林正樹監督の予定であったが、岡本喜八が監督することになる。本人にとっては「欲求不満」も多かった作品だったとの事であるが、いい意味で、喜八っぽいおちゃらけなしのシリアス一本で描かれたことが功を奏している。

本作は1967年の邦画興行成績第二位(4億4000万円)に輝いた。ちなみに第一位は三船と石原裕次郎が共演した『黒部の太陽』である。ちなみに洋画興行成績第二位にも三船が共演した『グラン・プリ』が輝いている。まさに1967年は三船敏郎の当たり年だった。

ちなみに畑中少佐と椎崎中佐が自決するシーンは皇居の二重橋付近の中間芝でゲリラ撮影されたという。

− 2007年10月5日 −


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