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野良犬   (1949・新東宝=映画芸術協会)
■ジャンル: サスペンス
■収録時間: 122分

■スタッフ
監督 : 黒澤明
製作 : 本木荘二郎
脚本 : 黒澤明 / 菊島隆三
撮影 : 中井朝一
音楽 : 早坂文雄

■キャスト
三船敏郎(村上刑事)
志村喬(佐藤刑事)
淡路恵子(並木ハルミ)
木村功(遊佐)
千石規子(ピストル屋のヒモ)
河村黎吉(スリ係石川刑事)
野良犬
うだるような暑さの中で流す汗汗汗・・・その汗がある人にとっては執念を、ある人にとっては閉塞感を、ある人には堕落を意味した。汗にまみれて涙にまみれて、こうして日本は戦後の時代を乗り越えていった。この作品には我々20〜30代の日本人の全てが観て認識すべき日本の姿がある。ココから日本の再生は始まった。そして、今の日本も精神的にココと同一線上にある。冷え冷えとした快適さの中で流されない汗の中で・・・

■あらすじ


本庁の新米刑事村上(三船敏郎)は、射撃訓練からの帰途、バスの中で拳銃を盗まれてしまう。その拳銃には7発の銃弾が装填されていた。そして、その拳銃を使用して遂には殺人事件まで発生してしまう。先輩のベテラン刑事佐藤(志村喬)の協力のもと犯人を追いつめていく村上だったが、追いつめた犯人に佐藤が撃たれてしまうのだった。


■「消費のルーレット」の全てには「閉塞感」の二文字のみが記されている


野良犬 野良犬
消費社会が生み出す一つの現象。それは悪どい巧妙な金儲けが蔓延り、それによってのし上がった連中が国家権力を握り、消費のルーレットも回し続ける。そして、貧しい人々がそれを手に入れるためには、巧妙ではない悪事に手を染めないと手に入らないという事実。

まさに
「現在日本の携帯電話と未成年犯罪の構図」そのものである。この事実に資本主義の事実がある。資本主義とは生まれたばかりの赤ん坊さえも働かせて摂取する流儀なのである。

この作品の犯人もまた「消費欲をくすぐられ」ふと犯罪に手を染め、やがて取り返しのつかない底の底まで落ちていってしまうのである。だからこそこの作品は、実に現代的である。青年が彼女のために白いワンピースを買うためには、巧妙に悪どい金儲けをしているヤツらがいるという事実に目をつぶり、奴隷労働に励むか、もしくは同じく悪事に手を染めるしかないのである。


■クロサワ作品の魅力は、三位一体にある


クロサワ作品の根本には、ロシア文学の影響がある。しかし、一方ではとことんまで娯楽性に溢れている。
クロサワ作品の凄さは、ロシア文学と西部劇の融合にある。つまり彼が世界中の多くの人々の支持を得ているのは、芸術と娯楽の両方を一つの作品に体現できる極めて稀な才能にある。

本作においての芸術性の高さを示す部分は、雷鳴が鳴りハルミがくるくる回るシーンである。一方、娯楽性の高さを示す部分は、遊佐は誰だ!と自問自答しながら、駅の待合室で村上刑事が推理を働かせるシーンである。そして、更に第三のクロサワ作品の要素である哲学性が組み込まれている。

それが一番明確な展開は、村上刑事も遊佐も同じ境遇=「復員してすぐに全財産(リュックサック)を盗まれた」である。この黒沢映画の三位一体が観客に不思議な一体感と余韻と感嘆を生み出すのである。


■映画に必要なのは、水泳で言う「息ツギ」


野良犬
「新米刑事がコルトをスラれた」

この実に単純な物語を最初の5分間でスピード感たっぷりに描いていく。特にスリの犯人を追いかける村上刑事が焼け野原の東京を疾走するスピード感は、原始的な躍動感に満ちていて実に素晴らしい。このスローモーションを巧妙に使用した疾走感は第一級の感性としか言いようがない。

「いやいやそれには及ばないよ。お銀ならホクロの数まで知ってるんだ」

一方、人情味溢れる刑事長が登場する。このスリ課の刑事長が実にいい味を出している。演じるは河村黎吉(1897−1952)だが、なんというか皺の一本一本に厳しさと優しさが刻み込まれたこのような魅力的なオヤジが、なんとも懐かしい昭和の臭いを感じさせてくれる。

クロサワ作品に限らず昔の邦画には魅力的な脇役が多く存在していた。


■映画とは、反射神経で作るもんだぜ!


野良犬
「人権蹂躙で訴えるよ!」「ほお〜オツな言葉知ってるな?」「もっとオツな言葉も知ってるよ」「へえ、何てんだい」「バイバイ」

相当な年齢で若作りしたスリ女に付き纏う美男子の絵が最高に面白い。黒沢の描写の見事さはこの追跡劇の音楽の使い方と映像のタイミングの見事さにある。
この監督は並みの監督よりもはるかに映像的反射神経の優れた監督である。

「ほうきれいだねえ。あたしゃお星様なんていいものがあるの。ここ20年ばかりすっかり忘れていたよ」


そんなスリ女がしみじみと夜空を眺めて言うこの一言。このセリフをココで挿入する感性はかなりのものです。こういった叙情的な一言を言わせるか言わせないかで映画の質が全く変わってくるのである。


■闇市の中で生み出されたその野性味


戦後の闇市を食い詰めた姿で歩く村上刑事。そのバックには「東京ブギウギ」や「夜来香」などの当時の流行歌が流れる。野獣のようにギラギラしたこの雰囲気。ちょっと今の役者には出せない野性味と日本を飛び越えた国際性。やはりクロサワの作品に、三船敏郎(1920−1997)がいたからこそこの世界観に普遍性が生まれたともいえる。

とにかくこの作品の三船敏郎は、今でも優に通用する美男子振りだろう。そして、それ以上の野性美を蓄えている。世界で認められる役者にはこの野性味が一番重要ともいえる。

ちなみにこの闇市のシーンは、本物の闇市を後に『ゴジラ』を監督する本多猪四郎の演出で隠し撮りしたものである。


■二人の刑事の関係が、世界に影響を与えた!


野良犬
「不運は人間を叩き上げるか押しつぶすかどちらかだ。心の持ち方次第でキミの不運はキミのチャンスだ!」

そして、村上刑事の成長のきっかけになる佐藤刑事が登場する。とにかくこの志村喬(1905−1982)のイイ事イイ事。この人のぶっきらぼうさと人情味の絶妙なバランスが本作からはにじみ出ている。晩年は不器用な老人ばかり演じていたが、この人はこうしたしっかりしたベテランの役柄を演じた方が光る人なのである。

そんな佐藤刑事と村上刑事の魅力のバランス感覚が本作を実に魅力的なものにしている。この作品の主役は明確に二人であり、双方ひけを取らない魅力に満ちている。

「こんな具合にね、男の名前隠す女はイロ女に決まってるんだ」

そして、異様なスピードで煙草をむさぼり吸う千石規子(1922− )。本当にこの女優はいい女優だ。やる気のない口調といいそのけだるさ加減といいもう名人芸としか言いようがない。ある意味オンリー・ワンの輝きに満ちた女優さんである。そして、彼女の存在感が志村喬の役柄に説得力を生み出すきっかけになっているのである。


■野良犬とは、元々飼われていた犬である


野良犬
「一度は習慣にあらずって言うが、二度となると話が違う。野良犬が狂犬になるんだ」

「あの子ったら薄暗い部屋の中で頭抱えて泣いているんです」


緊張感溢れる野球場の逮捕劇の果てに浮かび上る独りの犯人像。掘っ立て小屋に住む貧民の子であり、戦争から裸一貫で復員した青年。ここに日本の冷酷な真実が浮び上がっている。
天皇一族は人間宣言をすれば衣食住及び贅沢を許されたが、彼らのために戦った青年達には何の保障もなかったという真実。

こんな戦後の焼け野原の中で、多くの遊佐が誕生することも想像に難くない。戦争と天皇制が生み出したもの。それはまさしく多くの青年達の青春を奪い去り、行き場を無くさせ、自暴自棄にならざるを得ないほどに追いつめていったという事実である。

そして、この作品において、遊佐の視点でこの物語を見るという姿勢も又、今の時代だからこそある意味必要である。何故遊佐はドミノ式に殺人犯へと転落していったのか?その答えを考えることは、まさしく戦後の復員兵の悲劇を考える=「太平洋戦争の本質を理解する」作業でもあるのである。


■戦後の日本人は逞しかった=悪いこともしていかないと生きていけなかった


「キミみたいな男にチップのつかない友情なんて考えられん」

「あの女なんだって泣いたりしたんでしょうね」
「疲れてたんだあの子も俺たちも・・・あ〜あ、物を聞くのは難しいよ」

「ボクはまだどうもそういうふうに考えられないんですよ。長い間戦争に行ってる間に人間って奴が、ごく簡単な理由で獣になるのを何回も見てきたもんですから」


この三つのセリフに、戦後の混乱期を経験した人々の心情が吐露されている。西洋かぶれに人を利用して、人を人とも思わぬ人間のクズのような青年と、戦後の西洋文化に憧れながらもそのついていけないほどの激しい流れに流され疲れ切っている女性、そして、戦争を引きずり獣のように追い立てられていく青年。


■潰れたトマトを凝視する目


野良犬 野良犬
「ほら、あの百日紅(さるすべり)が咲いてるお家ですよ。百日紅ってのは縁起が悪いんだ」

「ボクが出張した日青いのばかりだったんです。それが帰ってみるとトマトはこんなに赤くなってる。だのに家内は生きていない」


黒沢作品の素晴らしき要素の一つは、独白劇にある。映画においてそういった芝居は極力避けられるのだが、黒沢はその避けられる部分を堂々と作品に混在することによって、異様な人間の生み出す情念を描き出している。その象徴的なシーンが「潰れたトマト」のシーンである。

「たった5万円の金を取るために!」とトマト畑で泣き咽ぶ裕福な家の主。方や結婚する為に3年がかりで貯めた4万円を盗まれ泣き咽ぶ娘。そして、失うものさえもない遊佐という男。
「たった5万円」と「3年がかりで貯めた4万円」このお金の価値観の違いを巧妙に描くことにより作品の価値を高めている。


■雷鳴・・・そして、踊り狂うハルミ・・・閉塞感


野良犬
「狂犬の目に真っ直ぐな道ばかり遊佐にはもう真っ直ぐな道しか見えない」

「あの人あたしのために悪いことしたんだわ。でもあたしだって勇気があったら自分で盗んだかもしれない。ショーウィンドウにこんな物を見せびらかしとくのが悪いのよ!あたし達こんな物を買うためだったら、盗むよりももっと悪いことしなけりゃ駄目なんだもの」

「世の中も悪い!しかし何もかも世の中のせいにして悪いことをする奴はもっと悪い」


「悪いことをしたもんが勝ちよ!」ハルミ
「じゃあなぜキミはその通りにしないんだ!この洋服だって着たらいいじゃないか?さあ着てみたまえ!なぜ着ないんだ!」村上

雷鳴の中、遊佐からもらった白のワンピースを着て「楽しいわ!楽しいわ!夢みたい!」と連呼し狂ったかのように回転するハルミ。その姿をぞっとした表情で見入る村上。そしてハルミの母。このシーンは映画史に残る名シーンという表現よりも、人間の狂気の源を描いた悲しさに満ちた名シーンとして記憶されるだろう。

閉塞感が生み出す狂気と悲愴感・・そして、その後に邸宅の中でピアノを引く少女の無邪気さと開放感と能天気さ。この作品には、人間の感情の全てがつまっている。だからこそこの作品は、何度も観るに値する作品なのである。

ハルミを演じた淡路恵子(1933− )は、本作がデビュー作で、このすぐ後に松竹歌劇団に入団することになる。彼女の芸名は敬愛する淡島千景から一字貰ってとのことである。クロサワにかかれば新人の彼女も、暑さの中で汗まみれになってムスッと閉塞感の中に生きる女性を見事に演じ上げていた。


■役者の芝居のリズムを決してぶつ切りにしない


野良犬 野良犬
「遊佐は誰?しまったどれが・・・28歳、白い麻の背広、泥だらけの靴・・・泥だらけのズボン・・・泥だらけの・・・」

ここに面白い現象が登場する。村上刑事は遊佐の顔さえも知らずに追い続けてきたという事実に直面することである。そして、彼はハルミが遊佐と待ち合わせしていた場所で、困惑することになる。
まさに不条理である。私が追っていた男がここにいる。しかし、誰がその男なのだか分からない。

この独白シーンは、素晴らしいサスペンス性に満ちている。そして、二人の眼があった瞬間野良犬の鎖は解き放たれた!全力で逃げて!全力で追いかける!そこには一切の小細工はない。

向き合う二人。沈黙。沈黙を破るピアノの音色。そして、銃声。再び沈黙。熱狂。
黒沢は映画の中でリズム感を誰よりも大切にした監督だった。だからこそ彼はリハーサルの鬼だった。作品のリズム感は編集によって生まれるのではなく、役者の芝居からのみ生まれるという事実を彼は誰よりも知っていた。


■一言も言葉を発しない犯人遊佐


野良犬 野良犬
同じようにドロドロになった二人。どっちが刑事でどっちが泥棒?原っぱの花々の中で疲労困憊した二人の耳に響く蝶々の歌。そして、身をくねらせて慟哭する遊佐。その慟哭の意味は?
「ハルミに裏切られた嘆き?自分の不遇を呪って?人を殺したことに対する悔恨の思い?捕まりホッとしたと同時に童心に返ったその心の叫び?」

ひとそれぞれ色々な想いが胸に迫ってくる木村功(1923−1981)の素晴らしい慟哭シーンである。そして、遊佐は一言も発さずに慟哭だけを残して去っていったのである。この作品の最大の魅力は、この声亡き犯人の存在による部分がかなり大きい。

犯人自身に弁解さえもさせない冷酷さ。そして、それこそが芸術にとって最も必要な「普遍性」を生み出しうるのである。本作は後にクロサワが共に『蜘蛛巣城』(1957)『隠し砦の三悪人』(1959)『悪い奴ほどよく眠る』(1960)『用心棒』(1961)『椿三十郎』(1962)『天国と地獄』(1963)『赤ひげ』(1965)を生み出すことになる脚本家・菊島隆三のデビュー作でもある。

しかし、クロサワは後にこう語っている
「一番いけないのは、ボクがあの中のどの一人の人間も突き詰めてないということだね。あの作品で主人公になる人物がいるとしたら、それは木村功のやった犯人のはずだな」。

− 2007年11月8日 −


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